女五人寄れば国家独立
ヒロインは多ければ多いほどよいとされている
うつらうつらしながら退屈な授業をやり過ごしていると、気が付けば六時限目の終わりのチャイムが鳴る頃になっていた。
転校生を迎えた二年F組は休み時間が訪れる度、ニュースに映るマスコミばりに俺の後ろの席に人だかりができた。その輪に混ざるわけにもいかない俺は机に突っ伏して寝たふりをして誤魔化すほかなく、トイレから戻ってきた時なんかは名前も覚えていない女子に席を占領されていて、休み時間終了のチャイムが鳴るまで教室の外で待つことを余儀なくされたりもした。いい迷惑である。
しかしそれも午前中までの話。
人が群れに混ざれるのは、それが他人であろうと自分と同じ階級の人間の集まりである場合か、あるいは元から自分の属するグループである場合かのどちらかである。
友人の少ない俺が言ったところで説得力はないだろうが、少なくとも自分がいて当たり前のグループであれば混ざることに遠慮はいらないだろうし、そうでなくとも、周りも自分と同じ境遇の人間だとわかっていれば堂々としていられる。
それは裏を返せば、特定のタイプの人間たちでグループが固定化されていけばいくほど、その中にいない人間の肩身が狭くなることを意味していた。経験談として、進級直後から友人同士で既に盛り上がっていた教室は、全員が全員知らない人同士だった入学時より数段居心地が悪かったものだ。
かつてのお祭り騒ぎが息を潜めている中、俺がエアストと呼んでいた――朝のHRで黒羽未來と名乗った彼女は、クラスメイトに連れられて、俺の右隣の席の前に立っている。その場に集まっているのは、彼女を除いて四人だけ。そしてその四人は、他の誰もが割り込むことを躊躇う、このクラスのトップカーストとも呼べるグループだった。
新しい玩具にでもするつもりなのかあるいは単に仲良くしたいだけなのか、転校生を迎えた仲良し四人組は、担任が教室に戻ってきて帰りのHRが始まるまで数分とないだろうに、姦しくおしゃべりを楽しんでいた。
「未來ちゃん、まだ校舎内見て回ってないよね? 放課後もし暇だったら、案内しようか?」
「……いいのか?」
「任せて! こう見えて私、クラス委員なんだから」
机に突っ伏しながら横目で談笑を盗み見ると、明るい茶髪の少女が胸を張っていた。
彼女の顔は一年の頃から知っている。彼女の口からも出た通りクラス委員で、女子ソフトテニス部でも活躍しているらしい『福谷妃那』。成績上位の優等生である程度運動もでき、その上人当たりのいい癒し枠であるためか男女ともに人気が高い。龍弥を性転換させたらこんな感じになるだろうか、いや龍弥はもっと遠慮がないしうるさいか……とにかく、そんな印象の生徒だ。
「アタシもついて行きたいけど顧問に呼ばれてるからなー。悪いけど頼むよ、妃那のことは伝えておくから。未來も、気になったことあれば何でも妃那に訊いてくれよ」
鶯色の頭を掻きながら笑う、グループの中で最も背の高い彼女は『秋乃路千尋』。一年の頃から福谷あるところに秋乃路ありってほどに隣にいる姿を見かけたのを覚えている。
部活も同じく女子ソフトテニス部で、福谷ともペアを組んでいるという話だ。こちらは体育会系全振りの姉御肌といった印象なので福谷とは全く異なるタイプだが、だからこそ凹凸がかっちりハマるコンビでもあるのだろう。
「うちも暇だからついて行くわ。人数は多い方がいいじゃん?」
しゃがみながら机上に肘をつき、器用にスマホをポチポチしながらも顔は友人たちに合わせている彼女は確か……『神童綾乃』。進級してから見た新顔だ。
あの中で最も行動力に長けていて友人も多く、彼女こそが四人組をトップカーストたらしめる所以だとも思われる。
金髪にパーマをかけており右耳にはピアスと、生活指導に引っかかってそうないかにもギャルギャルしい見てくれをしているが侮ってはいけない。これは偶然耳に入ってきた――大体右隣の席に集まられるから嫌でも耳に入ってくるのだが――話によれば、どうやら福谷よりも上を行く成績上位者らしい。その印象があまりに衝撃的で、暗記科目の点数が壊滅的な俺の記憶にすら名前が刻み込まれた人物だった。
「まこちんはどうする? 行くっしょ?」
「その呼び方をやめろ。うざい」
「なんでー? 可愛いのに」
「可愛くない、つーか可愛くしようとすんな。うざい」
「で、行かないの?」
「……行かないとは、言ってないだろ」
そして最後に、消え入るような声で呟いた俺の右隣の席の主。神童との会話でようやく思い出した小柄な黒髪の彼女の名前は『水嶋真琴』だ。
決して安物ではなさそうなヘッドフォンを首にかけており、それから伸びるコードは手元のスマホへ繋がれている。マスクに隠れた口元は見えないが、語調は強くても怒っているわけでないのは表情を見るまでもなく明らかだ。
神童と水嶋は中学からの付き合いらしく、今のような掛け合いだって毎日のように聞こえてくる。つまり彼女の性格とはそういうものだ、それを理解して神童の両端に立つ福谷と秋乃路も、ふたりのやり取りをにまにまと見つめていた。
「……なんだよ。こっち見んな」
「いや、お前の席に集まってるんだから見るだろ普通。ま、というわけで未來の案内は三人に任せるよ。未來、こいつらいっつもこんな感じだけど、何かされたらやり返してやっていいから。特に綾乃」
「やーん、ひどい」
「あ、あはは……」
一瞬俺が見るなと言われたのかと焦って壁に肘をぶつけてしまったが、彼女らの談笑は続いている。寝返り打とうとしたものと見せかけてわざとらしく「うーん……」とぼやいた俺に反応した様子はない。
「……ありがとう。妃那、千尋、綾乃、真琴」
「なーに、気にすんなって。……って、アタシ今日はついていけないんだけどな」
「仕方ないよ。その代わり今度、私と千尋ちゃんが部活終わってからになっちゃうけど、五人でご飯どうかな?」
「はいさんせー! まこちんも賛成って言ってまーす」
「本当にうざいからまこちん言うな。行くけど」
自分でも気持ち悪さを自覚できるほどに盗み見しすぎたことを反省しながら目を閉じて寝たふりを続けていると、そこで彼女らの会話は一段落したようで、丁度いいタイミングで戻ってきたらしい担任教師の声も聞こえた。
俺もごく自然に腰を痛めた仕草をしながら欠伸をひとつかまして姿勢を正し、粛々と行われるHRに参加する。
結局この日は大人気の転校生と一言も交わしていなかったが、俺から話しかけろというのも困難な仕事だ。
自慢ではないが、俺は元来他人と話すのが得意ではなく、共通の趣味でもない限りはその不得意っぷりが顕著に出る。相手の話に合わせて相槌を打とうにも素っ気ないものになってしまうし、その内容を導き出すためにワンテンポ遅れてしまう。大体興味のない話を広げようとすればますます返しにくくなって自分の首を締めるだけだ、そのせいで愛想笑いが癖になってしまったまである。
とはいえ、彼女と話したいことがないわけではなく、例えば黒羽未來こそ本名なのかとか、どうしてこの学校に現れたのかとか、訊きたいことはむしろいくつかある。ただ、そのどれもが『非日常』で出会った人間だからこそ生まれる質問で、一般人のいる場所で訊くのも好ましい行動とは言えない。小学生の頃は複雑な家庭環境故に偽名で転校してきた友人がいたりしたが、そういったことを人前で問い質すのもデリカシーがなさすぎるだろう。
彼女とは連絡先も交換していない。他人のふりをするのは簡単だが、今更恩人にそんな態度を取るのも憚られるものだ。
どうしようか、とりあえず明日でもいいかな、今日できることは明日もできる、あっ明日土曜日だったわ……などとHRの共有事項に耳を傾けることもなく思い迷っていると。
「米石。後で職員室に来い。いいな」
「……はい?」
突然名前を呼ばれて上擦った間抜けな声が出てしまう。内容からしてわかる通り俺を呼んだのは言うまでもなく担任だ。ボールペンで人を指すな。
切れ長の瞳が似合う真剣な表情が、異論は認めないと語っている。もしここでまた俺なんかやっちゃいました? などとおちゃらけようものなら、あのボールペンが飛んできそうで怖い。実際、進級直後にそうして被害に遭った男子生徒がいた。この教師大丈夫なの?
HRが終わり、やれ部活行こうだのやれカフェ寄って帰ろうだの騒ぎ始めた教室で、俺は重い腰を上げて出口の方へ向かう。途中、目が合った人気の転校生が口を開きかけたように見えたものの、すぐにトップカースト四人組に遮られた。
彼女は彼女でこれからやることがあり、俺も職員室へ呼び出しがかかっている。
お互い用事があるのだから、今ここで談笑する余裕はない。
そう自分を納得させて、俺は早足で廊下へ出た。
日直として学級日誌を取りに来る以外の目的で職員室に訪れたのはいつぶりだろうか。
失礼します、と一言添えてから中を進み、目指す先は二年生担任グループのデスクの一角。そこに、我が二年F組の担任は腰掛けていた。
「やあ。待ち侘びたよ」
「すぐ教室出たつもりなんですけど……」
二年の他のクラスの担任は出払っているのか、今このデスクの近くにいるのは彼女だけだ。それをいいことに彼女のデスクにはチョコレートの包みが散らかり放題。さすがに離席中は片付けていたはず、とすると俺が来るまでにこれだけ食べたのかと不可解な点が生まれてしまうので考えないことにする。
「欲しいのか? 仕方ないな、私からのお恵みだ。ありがたく受け取れ」
「あ、ありがとうございます……?」
担任は俺もたまに買っているチョコレート菓子の袋に手を突っ込み、乱雑に二、三個掴むと俺に投げ渡しながらニッと笑う。
まとめて放られて若干落としそうになりながらもそれを受け取った俺は、面倒なものを見る眼差しを隠そうともせずにそれに答えた。
「よし、受け取ったな? 依頼料は確かに払ったよ」
「いや、いきなり何の話ですか。教師が賄賂は感心しませんよ」
俺の態度を見て彼女は意味深な言葉を残すと、椅子を回転させてデスクに向き直り、ブラックのコーヒー缶を呷った。
依頼料、などと身に覚えのない単語を出された俺はその真意を問い質そうとするが、彼女が口元に人差し指を立てて『静かに』のジェスチャーをしたことでその続きを打ち切られる。
直後、がらがらと職員室の扉の引かれる音が聞こえ、そちらを見ればぞろぞろと他クラスの担任教師が戻ってくるところだった。俺が来る前から資料と睨めっこしていた他学年の教師と挨拶を交わしながら、各々の席へ向かって歩く。
横を通り過ぎていく数学教師やら英語教師にペコペコと会釈していると、F組担任の女教師は空になったコーヒー缶とかき集めたチョコレートの包み紙を手にしておもむろに立ち上がった。
「ここで話すのもなんだ、場所を変えよう」
「マジで俺何かしちゃいましたかね……」
架空の創作物の中でしか聞かない、そしてその中では頻繁に用いられる台詞を切り出された俺は、呆れた笑いを零しながら呟いた。
場面転換による時間稼ぎやこの後の展開を盛り上げていくための雰囲気作りには最適な手法だ、しかしそれを現実で試みる人間は生まれてこの方初めて見た。
あるいは公の場で話せないほど重大なミスを犯してしまったのだろうか、退学を命じられでもしたらどうしよう。でも先輩後輩同僚多くの人が同席する場で叱り散らす無能上司が蔓延っている現代日本において、わざわざ場所を設けてくれる担任はかなり良心的と言える。そんな彼女が横暴な真似をするはずはない。プラス思考、プラス思考。
日本人女性としては長身な彼女は、日本人男性として平均以下の俺より目線の位置が高い。その上、四、五十代が過半数を占めるこの学年の担任教師の中では一際若く、生徒に噂されるくらいには容姿もいいときている。異性は苦手だと胸を張って言える俺からすれば受ける威圧感は三倍満、そんな彼女が目も合わせずに俺の横を通り過ぎようとした時だった。
「――エアスト」
「……!?」
ここでは俺と当人しか知り得るはずのない呼び名を、彼女はぽそりと口にした。
聞き間違いなんかじゃない、こんな聞き慣れない片仮名四文字に断言できるほどの力はないかもしれないが、脳裏に蘇る鮮明な記憶が僅かな可能性を否定する。
「彼女のことだよ。少し付き合え」
俺が思わず振り向くと、彼女はウィンクしてみせながら、悪餓鬼のような笑みを浮かべていた。




