第二の世代
あけましておめでとうございます。突然ですが第1話最終部分です。
ただでさえ遅筆なのにリアル事情との兼ね合いが難しく書き溜め期間含め1話11ヶ月とかかかってて正気の沙汰じゃないですがこれからも頑張っていきます。一生かかっても完結できなさそう
今年もどうぞよろしくお願いいたします。
追伸:和希君の明晰夢関係の話は作者の日常の体験に基づいています
灯りのついていない薄暗い廊下に、ひとり分の靴音だけがコツコツと鳴る。
留守のつもりなのか、それとも灯りを消せば不覚を取れるとでも考えているのか。
せっかくの客人に対して失礼ではないかと内心ぼやきながら、私は向こう側に見える階段へ向かって歩き続けた。
昨日、うちの組織の任務に巻き込まれた少年が撃たれたらしい。当たったとはいえ内臓には掠りもせず、弾も貫通していたから大事には至らなかったとのことだ。ただし本人は撃たれたショックによってか数秒と待たずに気絶してしまったと聞いた時には、上司の前で笑いを堪えるのに必死だった。
その犯人を従えている組織の事務所が、この人気のない立地にひっそりと建つビルに構えられていた。
いよいよ向こうから手を出してきた以上容赦はしなくていいとのことだが、任務を担当する私にとっては面倒なことこの上ない。互いに冷戦状態のまま大人しくいてくれれば誰も駆り出されなくて済むだろうに、こんな面倒なことをしてまで手に入れたいものとは一体何なのだろうか。
突き当たりの階段まであと数メートルといったところで、不気味なほどに静まり返ったこの一角で人の気配を感じた。こういったものは尽く経験則であり、他人に伝える表現には形容しにくい。ただそれでも、それなりに場数を踏んできた私には、直接この目に映っているかのようにわかってしまう。
――そこに、いる。
ゆっくり音を立てずにロングスカートの片側を捲り上げ、右脚の太腿に巻き付けられたホルスターから――この薄暗さに溶け込むような、漆黒の銃身に手をかけた。
「間抜けが! 食ら――、えっ……?」
静寂を切り裂いた銃声は一発。
利き手を撃ち抜かれた大柄の男は呻き声を上げながら蹲り、手を離れた拳銃はカツンと床に落ちると、勢い余ってこちらへ滑ってきた。
……グロック17か。かの有名なオーストリア産のシリーズの初代モデルだ。よくもまあこんな代物を調達してくるものだ、銃刀法の規制はどこへ行ったのかと憂いたところで、今自分のした行動を振り返ってみると乾いた笑いしか出なかった。
私は他人の血を見て喜べるサイコパスじゃないから、無駄な殺生は望んでいない。やってしまえば後始末が面倒だし、かと言って回りくどいやり方を選ぶのも面倒臭いしなので、敵の無力化に一番向いているのはこいつだと判断した。
失血死しない程度に、適当に相手の戦力を削げる部位を撃ち抜くだけ。そして、そうしなければならない気配はまだふたりほど残っている。
「畜生! やれ!!」
背後から聞こえた怒号に続いて、大きな銃声が二発。
方向は真後ろとやや斜め後ろの廊下の角といったところか。
前者の弾は振り向きざまに横へ一歩ずれて躱せる軌道にあったが……もう片方はこの至近距離でありながら恥ずかしいほどに腕が悪い。まともに訓練も積まずに銃を持ってしまったらしい彼の弾は、真横に移動したはずの私の眼前へと迫っていて――それを私は、自らの銃弾で弾き落とした。
「な……っ!?」
この薄暗さの中で意味を為していないサングラス越しにもわかる、ふたりの男の信じられないものを見たかのような驚きの表情。
別に手品を演じたつもりなんてさらさらない。至極単純に銃弾の軌道を読んで、そこを狙って撃っただけの話だ。それすら目で追えないような下っ端の相手をしているほど今の私は暇ではない。
「ぐゥ……っ!!」
「ああァッ!?」
左脚のホルスターから抜き取った拳銃はシルバーモデルで、窓から差し込む月明かりを微かに反射している。二丁の拳銃から同時に放たれた銃弾はいずれも彼らの利き手を正確に撃ち抜き、哀れな叫び声が大音量の銃声に負けじと続いた。
痛みに悶え苦しむ男たちを一瞥して、私は散らばったグロックから弾倉を抜き取る。私の愛銃の口径に合うかどうかはともかくとして、弾薬だってタダでは買えないものだ。持ち帰って仲間に譲ればそれなりの金と引き換えられるだろう。
手早く回収しきってスカートの内側へ収めた後、まずは最初に無力化した男へ再び銃口を向けた。
「ねえ、私も忙しいの。あなたたちのボスの居場所まで案内してくれない? 面倒だったら教えてくれるだけでもいいわ」
「うるせぇ、このガキ……っ!」
――ドォン――ッ!!
「……ヒィッ!!」
「聞こえなかった? ボスの居場所。それとも私にこの部屋数全部見て回れって言いたいの? やってらんないわ、こっちは早く終わらせて帰りたいって言うのに」
「わ、わかった、言う、言うから……ッ!」
当てる気のない銃弾一発の弾痕を前に降伏宣言する男に呆れながら、三階の奥の部屋との情報を聞き出すと、今度こそ踵を返して階段に足をかける。
もう何人といるかわからない標的を私一人で連れ帰るのは無理がある、どうせ事が片付く頃にはうちの人間が集まってくることだろう。それまで放っておいたところで彼らにできることはもうない。親を捨てて逃げ出す覚悟があるならまた話は別だが。
「……あ、もし間違ってたらあなたたち全員覚えてなさい」
「う、嘘はつかねぇよ!」
こちとら無断で敵地に殴り込んできた身だ、罠である可能性を疑うのが妥当だろうけれど、ほかに手がかりもないのだから利用させてもらうのが早い。嵌められるものならやってみろという話だ。
最後にそう釘を刺してから、足音を殺して階段を上り始めた。
結論から言うと、情けない子分の情報は真実だった。ノックもせずにドアを開けると、一般人には価値のわからない抽象的な絵画の額縁をバックに、一際貫禄のある初老の男性が腰掛けていた。
開け放たれたドアから差し込む月明かりに照らされる皺の寄った額と頬の傷が、この組織における彼の立場を物語っている。護衛すらつけずにひとりデスクに向かいながら待ち受ける度胸を評して、私は丸腰を装いながら部屋に足を踏み入れた。
建物の中でも角部屋にあたるこの部屋は、ドアから入って正面、男が腰掛けているデスクの斜め後ろと、向かって左側の二方向にブラインド付きの窓が設えられていた。
背後から差し込む光を頼りに周りを見回すも、特に興味を惹かれるものはない。何らかの資料が所狭しと並んだ棚と壁にいくつも飾り付けられた風景画を見たくらいでは、ここがヤクザの事務所のボス部屋だという事実にはそう辿り着けないだろう。
その疑問の余地もない普遍的な認識を覆す唯一の存在を見て――私は、足を止めて口元を歪ませた。
「正直、驚いたわ。もう逃げ出しているものかと思ってた」
「ここまではるばるお越しになられたのだ。失礼な真似はできなかろう?」
「あなたの子分は平気で不意打ちしてきたけど?」
「許してやってくれ。彼らはまだ血気盛んな年頃なんだ」
「冗談でしょ、自分で指示したくせに。それに庇ってるつもりかもしれないけど、その可愛い子分は尋問するまでもなくあなたの居場所を吐いたよ」
「構わないさ。すべて想定の範囲内だ」
男は椅子に座り込んだまま、腕組みを解いて冷ややかな笑みを浮かべる。使い込まれているはずなのに新品同然にも見える小綺麗なデスクの上は整理整頓されており、彼の手元に凶器となりうるものはないように見えた。
縄張りにうるさいヤクザが事務所凸なんてされれば、問答無用で攻撃してくるものといった偏見を持っていた。それは先程までの様子を思い返せば事実だと証明できたが、少なくとも今の彼からは攻撃の意思が読み取れない。
それだけ確認した私は、腰のベルトに取り付けられたポーチから一枚の紙切れを取り出し、お国からの恨みつらみが長々と書き綴られた面を前方へ向けて突き出した。
「秦野緑郎。殺人未遂、威力業務妨害、恐喝、器物破損、銃刀法違反、面倒臭いので以下略。簡潔に言うとちっぽけな三次団体の秦野組もろとも確保しろってお達しが来てるわ」
「……それは結構なことだ。だが、私とてそれなりに対価を払ってきたつもりだ。公的機関にしては筋が通っていない。少々強引すぎる気もするが?」
「だからこそうちの仕事なのよ。こんなのヤクザに飼い慣らされた警察には任せられるはずがないでしょ」
余所行きのいい顔をして市民の味方を自称している公務員ほど、裏ではお上の顔色を窺いながら媚びへつらう。私がこの仕事で出会ってきた人間たちの中にも、金と地位を得るためなら反社と手を組むことも厭わない者がごまんといた。
純度一〇〇パーセントの正義なんて存在し得ない。彼らの尻拭いをするために、自らグレーゾーンに浸かっていくのが我々の組織だ。
かと言ってその行為の正当性を公平に判断してくれる審判がいるわけでもない、つまり私たちの行動原理を訝しむ権利は彼らにもあり、始まるのは権力者によって演じられる正義の正当化のいたちごっこだ。
そう理解した上で私は丁寧な折り目のついた一枚の紙切れをポーチの中へ雑に押し込む。結局のところ下っ端に決定権などなく、今の私にできることは目の前の悪党を排除することだけなのだから。
「喧嘩は先に手を出した方が負け。うちに喧嘩を売ったあなたの運の尽きね」
「我々のシノギの稼ぎ頭を告発したことを忘れたとは言わせんよ。軌道を修正するのにも手間がかかったものだ」
「堂々と法を犯しておきながら被害者ヅラ続けるつもり? 笑わせるわね」
「では君に問おう。法の網では掬い取れず爪弾き者にされる命がこの国でどれだけ存在するか考えたことはあるかね? 彼らに居場所を与えられる法が整備されていないとしたら、助けたいと思うのも悪なのだろうか?」
大仰に両手を広げた男――東京に本部を置く指定暴力団の三次団体こと秦野組の組長・秦野緑郎は、私がここに訪れた理由すら認める気がないといった様子で立ち上がり、ニヒルな笑いを浮かべながら窓の外を見やるように振り返る。
「我々にとっての正義とはそういうものだ。唯一の居場所すら潰しにかかる悪の組織に抵抗する権利は我々にもあると思うが、どうだろう? 人様の寄り付かないこんな場所に、それもまだ幼いというのにひとりで寄越されるなんて、どうやら君も相当に訳ありのようだ。私の話に耳を貸してはくれないか?」
「その崇高な正義のために無関係な人間を犠牲にしようとしておいてよく言うわ。悪いけど老人の長話に付き合ってる暇はないの。私だって明日も食べていくために、早くあなたたちを片付けないといけないんだから」
「……ふむ。それは残念」
若衆を蹴散らしてカチ込んできた敵に背中を向ける男は、心底残念そうにしゃがれた声を絞り出す。
彼の勧誘を笑い飛ばすのは簡単だ。正義がどうとか他人がどうあろうが私は興味がないし、自分の生活のために目の前の仕事を片付けること以外は考えるにも値しないのだから。
なのに憂鬱なため息が漏れてしまったのは、自分にも思い当たる節があったからなのかもしれない。口から出任せを言っているようにも聞こえない彼の熱演に聞き入ってしまわないように、そっとスカートの上からホルスターに触れる。
「全く、君たちの組織のやり方には憤りを覚える。もし我々がもっと早く出会っていれば、こんな鉄砲玉に成り下がらないよう、君を救ってあげられたかもしれないのに」
「余計なお世話。ヤクザのお手伝いなんてこっちから願い下げよ」
「そうじゃないさ。我々のシノギは児童養護施設にも手を伸ばしているからね。しかし運命とは時に残酷だ、我々がこれほどにも救いたいと願っている存在を、我々の手で葬らねばならないなど――」
再びこちらへ向き直った秦野が意味深長な間を置くように見せかけながら、デスクの引き出しの位置へ手をやったのを私は見逃さなかった。
照準を合わせる時間は不要。西部劇のガンマンよろしく引き抜く動作とともに銀色の愛銃から放たれた銃弾は彼の手元を撃ち抜くはずだったが、それを見越してか身体を反転させながらデスクの陰に潜り込んだ彼に命中することは叶わず、木目調の壁紙に似合わない銃痕が生まれたのみだった。
外した一発に同調するように複数の銃声が鳴り響く。方向はドアが開け放たれたままの入口、後方だ。
空いている右手で素早く右側へ側転を切りながら横目で後ろを確認し、上下逆さまの視界で二発ほど撃った先に敵の姿はない。今しがた撃った二発は、躱し損ねる軌道上にあった相手の銃弾を弾いてくれたものの、これは防御であって反撃ではない。
けれど、その手掛かりを掴むのは簡単だった。入口の陰に隠れる動作に一足遅れて揺れたジャケットの裾がちらり、それさえ目に入れば相手の位置取りくらい手を取るようにわかる。
入口の壁が妨害している以上、部屋の中から相手を射線上に捕らえることは不可能だ。確実に始末するために部屋から飛び出ようものなら、隙と見た秦野からの攻撃を背に受ける危険性もある。
よりにもよって敵側だけがバリケードを有する不利な挟み撃ちの状況で、私が取った選択は。
後ろに引かれた左手の銀色の愛銃で入口右側の陰を狙うように一発。誰が見ても当たるはずのない銃弾は、威嚇射撃だと捉えられたかもしれない。そんな無駄な真似を私ができるとでも? 弾薬だってタダじゃ買えないのに。
一発目が撃たれてからコンマ数秒と経たない数瞬の後に、今度は右手の黒色の愛銃が唸りを上げる。私自身が右にずれたことで開いた角度で、まるで二発の銃弾を交差させるように。
入口まで辿り着いた一発目の銃弾は、斜め後ろから追ってきた二発目の銃弾に弾かれて入口向こうの左側の陰へ。そして軌道の逸れた二発目の銃弾は、ジャケットの裾が見えた右側の陰へ。
ドアの前で交わった二発の銃弾がビリヤードのように互いの軌道を狂わせ合ったその直後、ふたりの男の呻き声のようなものが聞こえた。最初の銃声は複数だったから両側に隠れているものと仮定して撃ったが、どうやら予想は的中していたようだった。
彼らに続く足音も銃声も聞こえない。残るは組長、秦野のみ。
そう確信して彼の潜り込んだデスクを目で追うと――金属が擦れるような乾いた音がひとつ鳴り、デスクの陰からころころと見慣れない楕円体から転がり出た。
シンプルなデザイン故に玩具と見えなくもないそれを視認するや否や――私は反射的に入口の方へ振り返るが、その瞬間にはドアが外側から閉められ、鍵が掛けられる音までした。小癪な、小物らしくせめての抵抗か。
舌打ちしながら地を蹴った私の目が見据えるのは、M67破片手榴弾――人間の殺傷を目的とした立派な小型爆弾だ。
貫通性能には劣るため障害物さえあれば脅威ではないものの、そうでなければ殺傷範囲は十五メートル、殊に五メートル以内にもなれば確実に致命傷。そして、入口に鍵が掛けられ、唯一の隠れ場所と言えるデスクには秦野が身構えている。
逃げ場のない私に与えられた猶予は――五秒。それが、信管に点火されてから爆発するまでの時間だ。最早、対処に悩む余裕なんてなかった。
――一秒。
両手に構えた愛銃で、入口から向かって左側に設けられた窓ガラスを撃ち抜いた。
一発二発では全体破壊には至らない。銃弾という接触面積の小さい衝突物によるヘルツ破壊では、それが通過した穴と周囲に僅かな亀裂が生じるのが関の山だ。
――二秒。
爆発物のもとへ向かう足は止めることなく、最初に命中した弾痕を囲うように、二発三発と連射する。値の張る銃弾をこんなことに使いたくないと歯噛みしつつも、あの破片の雨から逃れるためにはこうするしかなかった。第一、一組織をひとりで相手させているのが非常識なのだ。上には弾薬代を上乗せして相応の報酬を提示してもらうほかない。
――三秒。
弾倉に残っていた銃弾を撃ち尽くすと、床に転がる危険物のもとへ滑り込み、下段回し蹴りの要領で爪先に乗せ蹴り上げた。両手の愛銃をしまう手間も惜しい私は、頭上に上がった手榴弾を、先程の勢いを殺さぬままハイキック。狙う先は、勿論暗い窓の向こうだ。
――四秒。
十数発もの銃弾が精密な軌道で抜けていったガラスの穴は、弾痕とは思えないほどにまで肥大化していた。
――それこそ、手榴弾ひとつ通り抜けるくらいには。
――五秒。
放物線を描いたそれが庭へ落ちていくのを見届けながら両手の弾倉を引き抜くと、両脚のホルスターから薬指と小指で摘むようにして取り出した替えの弾倉を放り、空中で同時に装填する。
そして。
――ドォォォォン――――!!
破片手榴弾の威力はひとつひとつの破片が銃弾そのものと例えられるほど強力だ。しかし、爆発した場所が階下ともあれば三階に位置するこの部屋への影響はないに等しい。
耳を劈く勝鬨を背に、リロードを終えた漆黒の愛銃を構える。その射線が捕らえるのは、様子見のつもりか顔を出した秦野の額だ。
「大層なもの仕入れてるじゃない。不良品じゃなくてよかったわね」
「……ほう」
開き切った瞳孔では彼の表情もよくわかる。限りなくこの世のものとは思えない異端者を見たかのような視線は、この仕事のおかげで慣れっこだ。
ただひとつ眉を顰めざるを得ないことがあったとすれば、その瞳が徐々に慈愛の色へ変わっていることだった。
「……しかしだ。君もどうやら限界らしい。無理はしない方が賢明と見える」
「……何のことかしら」
道化を演じて誤魔化そうと試みたものの、どうやら隠しきれなかったらしい。銀色の愛銃をホルスターに戻し、残った震える銃身を左手で支えて標的を睨んだ。
――また、例の副作用だ。
鼓膜に直接響いてくるかのような動悸。求めていない酸素を過剰に得ようとしている呼吸。
鼓動に合わせて締め付けてくる頭痛に顔を顰め、額に脂汗が浮かぶのを感じながらも銃口の先は逸らさない。
意図せず生じた反動が、日に日に強くなっていることは自覚していた。特にここ数日の間は、ベッドの上から動けなくなることも珍しくなかった。仕事に呼び出されない限り望んで寝床から動きたいとは思わないとはいえ、今こうして仕事に駆り出されている時にまで主張してくるとなると話が違う。
止まぬ疼痛を悟らせないようにするのも無理だと判断した私は、口元を歪ませながら汗を拭う。
「今なら、反撃のチャンスかもね」
「……いや、いい」
虚勢を張ったと見せかけてせめて油断を誘えればという策だったのだが……秦野はかぶりを振って立ち上がり、隠し持っていたグロックもセーフティをかけてデスクの上に置く。
呆気に取られる私と向かい合うと、背の高い彼は見下す姿勢のまま、ゆっくり落ち着いた口調で続けた。
「負けは負けだ。潔く認めよう」
「私、これでもひとつの組織を解体しに来てるんだけど。今になってそれを飲めるって言うの? これまでの抵抗は?」
「勝算のない抗争を意地張って続けることで称えられる時代はもう終わっている。君のような存在すら救えなかった時点で、我々は既に負けていたのだ」
「……何が言いたいのかわからないんだけど」
まるで私の出生に心当たりがあるかのような口ぶりでに聞こえて、心の中でその可能性を否定する。
この情報はそれなりの機密だ、日本のこんなちっぽけな暴力団組織が得られるはずがない。
銃の構えはそのままにポーチから手錠を取り出そうとしている間も、秦野はそれ以上深く語る気を見せなかった。
そしてその両手首に手錠を掛けられた時、彼は温和な笑みを浮かべて問う。
「いずれ知ることになるだろう、君はまだ若いのだから。だが最後に……この秦野組を打ち破った、その名前を教えてくれないかね?」
動悸の治まってきた私は、それに答えるべきかしばし逡巡した。
私の今日の仕事はこれで片付いたのだ。これ以上面倒の種を撒くつもりはないし、関わりのないヤクザに身分を教えてやる義理もない。
さりとてそれに従わないことで厄災が降りかかるわけではないのも事実といえば事実。大人しく身柄を拘束されてくれた見返りという口実にして、私はため息をひとつついてからその質問に答えてやることにした。
「――ツヴァイト」
今となっては自分の口で言うのも嫌気が差す名を。
ツインテールに結い上げた長い銀髪を割れた窓から吹き込む夜風に靡かせながら、今一度吐き捨てるように口にする。
「対テロリスト国際連合『Atlantis』特務科所属、ツヴァイトよ。覚えておきなさい」




