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黒羽根導くその未来  作者: 霜山美月
第1話 望まずして手に入れたもの
15/24

望まずして手に入れたもの

※※※『幻想的リアルにおける英才教育』のネタバレを含みます(エタ中なのであまり影響ない)※※※


2021年3月に連載開始した本作品、2021年中に1話完結させようと思ってたんですが投稿ペース遅すぎて無理でした!

ですが次回でやっと一区切りつきます

ただ書き溜めがもうないのでピンチですやばいです

 見渡す限りの水平線。

 遮蔽物ひとつなく遥か遠くまで見渡せる、どこまでも続いているようにすら感じる無の世界。


 一歩踏み出すと足元に波紋が生まれ、それは音もなくあっという間に広がっていく。

 床の代わりに空間を満たしている透明な水は、どれだけ深く続いているかわからない。表面張力を用いて水上を歩行するアメンボの如く、その上に立ち尽くす俺以外に、何の物体も存在しない世界。


 五億年ボタンでも押したかのような無の空間にいながらも、特段驚きはしない。

 何故ならば、断言できるからだ。これは夢の中だと。

 明晰夢に慣れている俺でなくとも、記憶もなしにここへ置き去りにされているようであればさすがに気付くだろう。だが俺は更にその一歩先を行って、まずは状態の確認を始める。


 明晰夢を見る時、大抵は現実の身体の感覚が残っており、場合によっては動かすことも不可能ではないし、自分の意思で意識を浮上させることも容易い。そのつもりがなかったのに誤って目を開けてしまい、現実と夢の視界が混ざり合った時もなかなか面白い体験だった。

 手始めにそれを試みたが、腕が鉛のように重い上に、意識にもどうしてか変化が訪れない。現実の俺は目を覚ますことを拒んでいるのだろうか。

 目覚めたくない興味深い夢であれば進んでこんなことはしないが、悲しいかな、水平線以外に何も見えないこの夢は何の面白味もないのに。


 無意味な行動を諦めようとしたところで、横腹がズキリと痛む。

 そうだ、俺、撃たれたんだったか。

 ということは、どうやら生きていることは保証されたらしい。間違っても天国に来たわけではないとわかると、意識していなかった死への恐怖を思い出してしまい、一筋の冷や汗が伝った。


 ともあれ、自力で目を覚ますことができないなら、これ以上何もすることがない。経験上、明晰夢は非常に浅い眠りであるため、認識できてから長くても十分程度で勝手に目覚めてしまう。

 そんなわけで、黙って食べ損ねた夕飯のことでも考えながらその時を待ち侘びていると。


「ここも、なかなか居心地いいわね」


 耳新しい女の声。

 この空間には俺以外何も存在しなかったはずでは。

 そう疑問に思うより、視界の認識が先行した。


 雷豪や白峰と同じ超能力者なのかと勘繰るほどに気配は感じられなかった。と言っても、夢の中なので詮索するだけ無駄かもしれないが。


「……あなたは、一体」

 

 俺の声に応えるように、横を向いていた彼女は首をこちらへ回す。

 膝丈ほどもある綺麗な銀髪。一四〇センチにも届いていないと見える小柄な体躯。

 ツインテールに結い上げられた髪も相まって子供っぽさを演出しようとしているが、飾りっけのない灰色のワンピースと二の腕まである黒の指貫グローブがそれを否定するように異質さを醸し出している。


「どうも。お邪魔してるわ」

「邪魔も何も、夢の中の登場人物に文句言ってたらキリないんじゃないですかね」

「夢……か。じゃ、起きたらあたしのことは忘れてるでしょうね」

「明晰夢に関しては見慣れてるんで、きっと起きても忘れられないと思いますよ」


 風はないはずなのに、ワンピースの裾はゆらゆらと揺れている。

 太陽はないはずなのに、銀髪の一本一本が光を反射して煌めいている。

 得体の知れない少女の赤い瞳に光は感じられず、俺を通り越してどこか遠くを見通しているかのようにも見えた。


「こんなところが居心地いいなんて、変わってますね」

「そう? あたしは好きよ。何も考えなくていいし何もしなくていい場所。ベッドすらないのが玉に瑕だけど」

「退屈しませんか」

「面倒な仕事に追われるよりマシだわ」


 こんな小さな子供を社畜にするなど何て非道なと非難の対象を探すも、結局はこの夢を見ている俺の責任だと気付いて項垂れる。

 彼女はそんな俺を不審な目で見つつも、警戒心は見せずに歩み寄ってくる。近づいてみるとその小ささはより明らかだ。頭の天辺の高さでも俺の鎖骨に届かない。俺ですら男子の平均身長よりは低いので、差分を測るとせいぜい一三五センチ程度しかないのではないか。

 欧米人のように完璧に整った、色白で可愛らしい顔の彼女は、身長差の都合上、上目遣いで俺に問う。

 

「あなた、名前は?」

「米石、和希ですけど」

「……そう。和希、これからよろしくね」

「これからって……一日、というか一夢限りの関係じゃないですか」

「どうかしらね。それはあたしがこの環境にどれだけ馴染めるかによると思うわ」

「……そうですか」


 日本語は通じており、言葉遣いは見た目にかけ離れて大人びているのだが、言っている内容までは理解が及ばない。

 夢の中だからそれは仕方ないと片付けるほかなく……せっかくなので逆に名前を訊き返そうとすると、妙に現実の身体の感覚が強く感じられるようになってきた。

 何度も経験しているからわかる。これは合図だ。ここに来てから、もう十分以上経過しているのだから。


「そろそろ、お目覚めみたいよ」

「……わかるんですね」

「勘よ。じゃ、せいぜい頑張りなさいな」

「まあ、言われなくても」


 少女は全く心のこもっていない表情のまま、黒の指貫グローブを着用した手を胸元で小さく振っている。俺は気持ち程度にそれに応え、ひたすらに真っ白な空間が広がっている空を見上げた。

 間もなくして、視界は段々と暗くなり、『何もない白』から『何もない黒』へと切り替わっていく。


 それが表すのは、若干の明かりに照らされる瞼の裏側だった。




 瞼を開けると、赤を基調とした高級感のある図柄の天井が飛び込んでいた。ぼやける視界では細部まで見えないが、どうやらそれは薔薇模様らしく、天井のシミならぬ薔薇を数えているだけで時間を潰せそうなくらいには大量に描かれている。

 そういえば廊下にも薔薇の造花がいくつも飾られていたな、とデザイナーの趣味の悪さを再認識しつつ、それから逃れるようにして首を横に向ける。


 ここは、俺たちが誘拐されてきた時にも案内された客室だ。俺は今やたらと寝心地のいいふかふかのベッドの上に寝かされていて……部屋の壁際に配置された机では、クリスが何やらペンを右手に作業をしているらしかった。

 こうして座って机に向かっているその筋の人間らしい姿を見ていると、喧嘩に巻き込まれて狼狽えていた男と同一人物には見えないことをなんだか面白おかしく思いながら……俺は、ゆっくりと上半身を起こした。


「……おや。ようやくお目覚めかい」

「……クリス博士」

「ああ、まだすぐ起き上がらない方がいい。雷豪君たちにも連絡を入れるから、休んでいなさい」


 彼が俺の起き上がり動作を手で制止し、手元の端末の画面をタップして何やら操作し始めたのを横目に、俺は撃たれた場所を確認する。

 傷は塞がれているようだが、想像していたよりは横に逸れていた。人体構造には疎いものの心臓級に致命的な臓器があるわけではないだろうし、気絶したのは単なるショックということか。少しばかり情けなく感じながらも、銃で撃たれるという達成率の極めて低い実績を解除してしまった俺は、複雑な気持ちに惑わされながらため息をついた。


「幸い、内臓に損傷はなかったとのことだ。傷は塞いだし、内部に至ってはそれ専用の興味深い治癒系能力を持つ超能力者が医療科にいたみたいでね。あとは君の身体の再生能力次第といったところさ」

「治癒能力ですか。何でもありですね、超能力って」

「米石君も気付いたかい? 超能力の魅力に」

「皮肉ってるんですよ。もう懲り懲りです」


 今回たった一日の間に、一生分の超能力を体験した気がする。というか一生分の超能力って何だろう。こんなもの一生関わらない方が平和に暮らせたのに。ひとまず最たる原因であるルアというチート級超能力者の名前だけは忘れないでおくことにした。


「……そういえば、エアストは」

「無事だよ。君のおかげだ」


 クリスが視線で示した先を追うと――ベッドの反対側の縁に背をくっつけるようにして、体育座りで顔を俯かせたまま寝息を立てているエアストがいた。ちょうど上半身を起こしてクリスと話していると死角になる角度だ。予想外の位置取りに反射でビクつくと、クリスは小さく笑いながら立ち上がる。


「米石君がいつ目を覚ますものかと何度も確認しに来ていたみたいでね。自分を庇ってこうなったんだ、満足に眠れていなかったんだろう。いかにも彼女らしい」


 それなら変なところに座っていないで、この部屋に残された唯一の椅子であるマッサージチェアにでも座っていればとは思ったものの、今起こしてしまうのは気が引けるので口には出さない。

 彼女も俺のために数日尽くしてくれたのだから、ゆっくり休んでほしいと願ったのも束の間、その頭がぴくりと動いて持ち上げられる。その直後、部屋のドアの鍵が外側から解除される音がした。


「お、本当に起きてる。調子はどう?」


 ドアの向こうから現れたのは、タブレット端末を小脇に抱える雷豪。その背中からひょっこりと顔を出すように、白峰の姿も見えた。


「はい、ご飯持ってきました」

「……お粥……じゃない、お湯……?」

「重湯です。お粥の米なしバージョンみたいなやつ。しばらく食べてないと胃がびっくりしちゃいますし、消化のいいものをと思いまして」

「んな大袈裟な……」


 白峰がベッド横に丸テーブルを移動させ、その上にミニサイズの土鍋を置きながら解説してくれた。

 そうは言われてもやはり白濁したお湯にしか見えない俺は首を傾げる。そもそも、胃腸を心配するような断食を計画した覚えもないのだが、彼女の厚意であれば受け取っておくべきだろう。だからと言って食欲があるわけでもなく、ましてやこう人に囲まれながら自分ひとりだけ食事に勤しむのも大変居心地が悪くてできたものできたものではない。


「……あの、和希」

「……ん?」


 そんな俺を見かねたわけではないだろうが、ベッドの横で立ち上がったエアストは、遠慮がちに声を発する。俺がそちらへ視線を向けると、彼女は何か思うことでもあるのか何度か目を逸らそうとした後、諦めがついたかのように口を開いた。


「……憑依とでも呼ぶべきか、あのルアって奴に乗っ取られた時、心の中というか……よくわからない場所に拘束されて、自分の身体を取り返すことができなかった。でも、感覚は共有されているのか、和希が何をしたかはしっかり見えていたんだ」

「……そう」


 エアストが食堂で戦った超能力者、幽霊少女ルア。

 彼女は、個人に憑依することで身体を思いのままに操るだけではなく、記憶までもを読み取る力を携えていた。

 エアストはその能力の犠牲となり、終盤は小っ恥ずかしいことをされたような気もするけれど……ともかく、超能力なんて常識外れの概念なのだから、エアストは精神世界のような場所にでもいたと考える。皮肉にも、あらゆる架空の創作ではよく見る展開だった。


「助けてくれたのは……礼を言う。でも、和希は私たちとは違う、何も悪くない一般人なのに。どうしてあんなことを」

「あんなことって……助けられてばっかだから恩を返したかっただけ。俺は戦えもしないから絶好のチャンスだって思ったわけよ」


 不服そうに俺の目を見る彼女に対して、かっこつける言葉も思い浮かばなかった俺は本音をそのまま口にする。

 実際、死ぬ可能性を考えるのは怖い。それは俺だって同じだけど、俺のために尽くしてくれた人に俺のせいで死なれたなら、現実に耐えられず自ら身を投げてしまうかもしれない。

 どうせ今のところ生きる目的なんて見出せていないのだ、なら自分を犠牲にしてでもその人を助けた方が俺も悦に浸れるし悪い話じゃない。

 故に咄嗟にできた行動に後悔はしていないのに、エアストは眉を吊り上げて口調を強めた。


「もしものことがあったらどうするつもりだったんだ! 相手は銃、当たりどころが悪かったら和希は今頃――」

「エアストさ、俺は一般人で自分は特別みたいに言ってるけど」


 高いベッドに手をついて抗議する彼女を右手で制しながら、俺は負けじと睨み返す。

 ……ああ、わかっている。彼女は俺のために怒ってくれているんだと。ここ数日間の彼女の行動原理を見ていれば、俺の勝手な行動に反感を抱くのは想像に容易い。けれど、彼女に匿われていた俺だからこそ、彼女を相手にすると言われっぱなしではいられなかった。


「まあ深い事情があるのはお察しするとはいえ、俺からすりゃあんたも喧嘩が強いだけの一般人、対等だよ。自分は何も言わずに俺を庇うのに、俺がエアストを庇ってどうこう言われるのは納得いかない」


 エアストは、優しすぎる。

 冷徹に見えて気が利いて、人付き合いを好まないように見えてお人好しで、まだ会って数日の男のために命を張るような、超弩級の聖人君子だ。自己犠牲が売りの日本人の中でも、その程度は馬鹿げているほど飛び抜けている。

 彼女自身、自分の性格が世間の理想とされているものだと自覚しているのかは俺の知ったことではないが、その行動で引き起こされる他人の感情まで汲み取れていないのは確かだ。俺は彼女を全面的に信頼しているものの、その身勝手さだけが気に食わなかった。


「俺だってエアストが自分を庇うだけ庇って勝手に死んだら一生分のトラウマになるよ。だからこのくらいは勝手にさせてくれ。結局こうして助かったんだし」

「でも、それは結果論で」

「ふたりとも無事助かりました、それで話は終わりよ。めでたしめでたし」


 すると俺たちの口論に割り込むように、雷豪が間に立って両手を広げた。つい数秒前までベッドの逆側に立っていたはず、とすればまた気配を消して現れたことになる。こんな日常のワンシーンでまで超能力をアピールしてくるのもどうかと思うが……不満を吐き捨てる気も削がれた俺は、へらへら笑う彼の顔を見上げた。


「ま、ふたりとも痴話喧嘩はそれくらいにしてさ。俺から報告なんだけど、エアストちゃんに朗報。さっき、北海道支部の連中から連絡があってね」


 思わぬところで名前を呼ばれたエアストがぴくりと反応し、その言葉の続きを待つように睨めつける。俺に向けられていたはずの不満の眼差しを代わりに受けることになってしまったことにも臆せず、雷豪は端末を操作してその画面をエアストへ見せた。


「超能力開発に囚われた天才科学者、チャールズ・スクルド博士の身柄を確保したって」

「……は……?」


 その言葉を聞いて、横の俺もエアストと同じように気の抜けた反応を示してしまう。

 超能力の魅力に魅入られた科学者。液晶に映し出された写真の銀髪痩せ型の男こそが彼であることを悟るまでは一瞬で。

 エアストは、その科学者の『情報』を求めてヤクザと接触し、復讐を企てていた。

 雷豪の言い放った情報の欠片を記憶の中で結びつけることに成功した時、俺は再びエアストの表情を窺わざるを得なかった。


「……私、は……」

「あいつの身はうちで受け持つことになったから、新たな犠牲者も生まれないし生ませはしない。元々あいつの『情報』を追ってここまで来たんだったら、もうエアストちゃんの仕事はないよ」


 それは喜ぶべきことのはずだ。彼女は雷豪の述べた通り、自分と同じような犠牲者が生まれることを阻止すべく立ち回っていたのだから。

 なのに、自分の目的を見失って返すべき言葉も見つからないといった様子で――放心しているエアストをそのままに、次に彼はクリスの方を向いた。


「……その件に関しては、気の毒でしたね。――クリストファー・スクルド博士」


 先程の話でも既に脳の処理が追いついていないというのに、立て続けに聞こえた名前にすべての思考メモリを持っていかれる。

 ――スクルド、博士。その短い苗字を小声で復唱しながら、黙って聞く側に徹している白衣の男を見た。


「ハカセについてもきっちり調べさせてもらいました。まさかあの天才科学者の弟さんだなんて思わなかったっすけど」

「……僕では兄の暴走を止められなかった。むしろ、君たちの働きにはお礼を言いたいくらいだ。感謝してもしきれないよ」

「あら、随分と潔いんすね」

「僕はもとより兄と対立していたからね。どうせ今はどこの研究所にも属していないんだ、君たちがそうしたいなら煮るなり焼くなり好きにしてくれていい」


 クリスは煽るような口調の雷豪の挑発には乗らずに踵を返し、椅子に戻ると深く腰掛けて長い脚を組む。相変わらず、この中で最も長身で脚の長い彼がそうしている様はよく似合っていた。

 彼らの話から察するに、クリスが語っていた狂気的な科学者とは彼の実兄を指しているということになる。どうしてそれを初対面でいきなり昔話と称して教えてくれたのか、そうしながらもどうして中途半端に自分の身分を隠していたのか。


 何しろ笑い事で済む話ではないのだ、何か彼の中でも思うことがあるのだろうと詮索するのを躊躇うが……俺はそいつを目的とする少女に一度売られかけた身だ。俺にも知る権利があると言わんばかりに視線を投げかけると、クリスは手を挙げて降参の意を示しながら苦笑した。


「米石君、エアストの出自については聞いているかな?」

「まあ、超能力開発のことであれば一通りは」

「であれば話が早い……と言いたいところだけど、これに限っては少し長くなりそうだ。付き合ってくれるかい?」


 俺は黙って首を縦に振る。

 彼の話が長いのは今に始まったことではない。寝起きで先程までうまく働いていなかった脳が覚醒してきているのを確認してから、視線で続きを促した。


「イングランドのとある研究所でのことだ。かつて僕は兄に従って超能力開発に協力していたんだけれどね。恐らく君が聞いた通り、兄は超能力の魅力に取り憑かれたあまり、まだ幼い少女を被検体にするような極悪非道な男だった」

「その辺の恨みつらみは聞きましたね。……それがエアストだって」


 横を見ると、エアストはばつの悪そうな顔をしながらそっぽを向いているものの、話を遮るような真似はしない。この続きはきっと彼女の真実にも触れることになるだろうが、もう隠す意味もないといった意志の現れだろうか。

 これ以上深い話に完全な一般人たる俺が踏み込んでいいものかと訴えかけてくる良心を押しのけ、俺は少しの間黙り込む。情報科である雷豪や白峰は既に知っているのだろうか、そんな疑問へ気を逸らしながら。


「兄は失敗を重ねていったある日、新しい被検体を手に入れた。……自分の姪だ」

「姪……?」

「病死した僕たちの姉のもとから引き取った一人娘は、生まれつきの超能力者だった。……兄が何より求めていた彼女の存在が、兄の研究のすべてを変えた」


 ……エアストの口からも聞いた、彼女に続く被検体の話だ。彼女曰く相当辛かったらしい研究の対象に選んだのがまさか身内だとは思わなかったが。

 前提として、超能力を第一に考えるような奴だ。自身の行為が姪や世間体にとって悪と看做されるという判断すらできなかったのだろう。

 赤の他人の話ともなると今更憤りも感じない。けれども、知人として少なからずお互いを知ってしまったエアストが絡んでくると考えると、非力な正義感が芽生えては行き場を失くして霧散する。

 もどかしい思考に蓋をするように、俺はしばし瞑目してから口を開いた。


「……それから? エアストやクリス博士が今ここにいるあたり、想像はつきますけど」

「ああ、兄がエアストから興味を失って間もなく、僕は彼女を連れ出して、彼女の母国である日本に逃亡した。あのままゴミのように棄てられるのを見ていることなんてできなかったさ。それがもう三年前の話になるかな」

「そんな天才でもみすみす見逃すんですね。マスコミに知れたら大変なことになりそうなのに」

「兄は失敗と判断したものには一切興味を失くすからね。超能力者になれなかったエアストも、兄の意見に反対した僕も、兄にとっては失敗作だ。ただただ無関心だったんだろう。……それに、僕だって命は惜しいさ。情報提供なんてこっちから丁重に断った」


 自嘲気味に笑った後、彼は「おかげで今は無職だけれどね」と付け足す。

 狂気的な科学者、チャールズ・スクルドの研究から外された彼の弟ことクリストファー・スクルドと、被検体であったエアストはイングランドの研究所から逃げ出し、今この日本で生活している。最初、クリスがエアストの保護者を自称していた理由もやっと理解した。

 そんなすべての元凶たる科学者が今しがた、この対テロリスト国際連合『Atlantis』に確保されたのだ。


「ハカセ、そんなお兄さんがどうしていきなり北海道に現れたのか不思議に思いませんか?」

「兄のことだ。大方、成功作である姪が脱走でもしたんじゃないのかい?」

「ご名答。で、その女の子もうちのメンバーが確保しました。勘違いした高校生に邪魔されはしたけど……最後は協力してくれたみたいだし、これで一件落着って感じっすね」


 それはつまり、科学者の姪は保護されて、エアストも呪縛から解放され、誰もが納得するハッピーエンドということで。

 俺の知らないところで勝手に事が進み、解決された。それに難癖をつけるつもりはない、俺は架空の物語の主人公ではないのだから。

 思いのほか早く訪れたひとつの結末の呆気なさから気を逸らすように、せめて救われたエアストを心の中で祝福して、俺はゆっくり肩の力を抜いた。


「で、どうする? 僕は武器も何も持っていないよ」

「俺たちだってハカセを捕らえろとは言われてませんよ。ただ……あなたが贖罪を望むなら、世のため人のため我が組織に協力してもらうって手もありますけどね」

「……それは面白い。勿論、給料は出るんだろうね?」

「保証はできないっすね。うちは歩合制なんで」


 背の高い二人が冗談交じりの口調で、けれども真剣な商談を持ち掛けている様子を見て――俺はもうひとつ重要な勢力を思い出す。というか、俺の相手はこっちだったはずだ。

 自分に人生初の銃創を作らせた相手方すら忘れかけているような寝起きの頭を掻きながら、俺はそいつの名前を口にする。


「……秦野たちの動きは」

「そっちもご心配なく。和希君がぐっすり眠っている間にうちの特務科が始末したよ。罪状ならいくらでも挙げられる、今頃みんな豚箱だ」

「はい、話によると単身で事務所に乗り込んで全員やっつけちゃったみたいなんですよね。私も会ったことない人なんでめっちゃ気になってます」

「……とんでもない話ですね」


 壁に寄りかかり、どこからともなく取り出したリンゴの皮を器用にペティナイフで剥いている白峰が、目線は手元に集中させたまま付け加えた。

 それは八分の一サイズに切り分けられて土鍋の横の皿へ乗せられていったかと思えば、最後の一切れは白峰の口の中へ放り込まれた。その瞬間のあざといウィンクは見なかったことにするとして、重湯レベルに胃を気遣うならすり下ろすくらいはしないと釣り合わない気がするが、善意を無下にしないよう黙っておく。俺自身、それほど弱っている自覚もないし。


「予想通りと言っちゃなんだけど、あの幽霊の女の子はいなかったよ。和希君との接触だけが目的だったみたいだし、本当に秦野たちを利用していただけなんだろうな。ま、一応彼女の調査も進めておくさ」


 ひとまず俺が知りたかった情報を、雷豪は問い直す暇も与えずに教えてくれる。それを聞き終えて、俺は少し胸につっかえていた不安が取れた気がした。

 敵対関係にある対テロリスト国際連合ことアトランティスと、秦野率いる反社組織。その争いに巻き込まれながら流れで俺たちは前者に引き込まれ、彼らが勝手に後者を片付けてくれたことで事なきを得た。代償として銃弾をひとつこの身で受け止めることになってしまったが……この事件の始まりに出会った少女を守れたのであれば、それで良かったのだと自分に言い聞かせる。


 とはいえ、まだ俺が理解できていないことも少なくない。

 雷豪たちは何故俺の身柄を欲しがっていたのか。幽霊少女ルアは何故俺と接触したがっていたのか。結局のところ超能力とは何なのか。ついでに俺が撃たれ寝込んでいる間、裏で進行していた科学者に纏わる物語にも興味はあるが、一般人の俺が踏み込むべき領域でないことは察しがつくので口には出さない。


 ともかく、気になる点を質問として並べれば彼は答えてくれるだろうか、それとも深入りしないようにしておくべきか――一考していると、布団の上、手元の辺りに宛先の書かれていない一封の封筒が落ちる。通販でトレーディングカードゲームのカードをまとめ買いした時のような、やけに分厚いそれを投げ込んできたのは雷豪だ。


「忘れないように渡しておくよ。それ」

「何ですか、これ」

「見た方が早いよ」


 封もされていなかったようなので、その口を開けて中を覗いてみると。


「……は?」


 反射的に呆れと驚きが混じったような自分でもよくわからない気の抜けた声が漏れた。

 どういうことかと雷豪に目で説明を求めると、彼は苦笑しながら答える。


「迷惑料と謝礼金、あとはうちの組織についての口止め料って言ったとこかね。俺に返されても困るから、受け取っといて」


 中に入っていたのは――一言で言えば札束だ。しかも、表面から福沢諭吉の顔がこんにちはしている。

 一枚一枚が薄っぺらい紙である一万円札が、封筒の中に一センチほど。確か一枚の厚さは〇・一ミリだったはずだから、つまりこの封筒の中の総額は……約百万。

 あまりの衝撃に封筒を落としそうになるのを堪え、その中の一枚を抜き取って間接照明に向けてみると、透かしもはっきり入っている。素人目ではそれくらいでしか判断できないが、偽札の線の可能性は低い。


 とても高校生が手にしていい大金ではない。それが現金で物理的に俺の手の中にあるのだから、落ち着いていられるわけがない。


「迷惑料と口止め料ならまだわかるんですけど、謝礼金って何なんですかね。また俺なんかやっちゃいました?」

「ごめん、呼び出しだ」


 俺がこの大金について説明を求めようとしたところで、雷豪のポケットから流行のアイドルポップの着メロが鳴る。最初の一小節で素早くポケットのスマホを抜き取った彼は、画面を見るや否や真面目な表情を取り戻した。


「静、あとはハカセも一緒についてきてもらいましょうかね。和希君はいつでも帰ってもらっていいよ。フロントには客人の案内するようこっちからも話通しておくから」

「あの、まだ訊きたいことが」

「連絡先ならその封筒の中に入れてあるから。悪い、また今度」


 どうやら急ぎの用事らしく、雷豪は返事も待たずに部屋を出て行ってしまった。それに続いてクリスも振り向きざまに手を振り、白峰はぺこりと一例してから彼に続く。

 封筒の中には確かに携帯の電話番号が書かれたメモが入っていた。話の続きは、彼の手隙を狙ってこちらからかけなければ聞けなさそうだった。


 部屋に取り残されたのは、謎の大金を右手に持ったままの俺と、呆然とドアの方を眺めるエアストだけ。

 雷豪が止めに入るまでくだらないことで言い争っていたふたりだ。気まずい空気の中いたたまれなくなって……視線を泳がせようとするエアストに対し、俺の方から先に言葉を紡いだ。


「……さっきは強く言い過ぎた。今度から素人が出過ぎた真似はしないよう気を付けるよ」

「いや……私も責めるようなことを言ってすまない。助けられた立場だというのに……こう、気を遣われる側には慣れてなくて」

「だろうな。ここまで人助けに身を尽くす人は初めて見たよ。正義感が服を着て歩いているのかと」

「……そんなの意識した覚えはないけど。秦野じゃあるまいし」

「自覚がないからまずいんだよ、エアストはさ」


 謝罪から口にしたにもかかわらずつい十数分前の続きが始まってしまいそうになるのを落ち着いた口調で誤魔化しながら、俺は彼女の赤い瞳をまっすぐ見据えた。


 エアストの優しさは、いつも自分を犠牲にして生み出されている。

 一度俺を秦野に売ろうとしたことの罪滅ぼしということもあるだろうが、この数日間一緒にいて、彼女が俺に不満を吐露したことは先程の口論を除いてなかった。その口論だって、内容は俺を気遣ってのことだ。個人的な理由で俺を非難したことは一度としてなかっただろう。

 その上、会ったばかりの俺を身を呈して守り続けてくれた。たとえ銃口を突きつけられても臆せず、その傷の痛みを我慢してまで俺を庇うべく超能力者との戦闘に進み出た。

 そもそも彼女の目的が、自分と同じ犠牲者が生まれないようイカれた科学者を取り押さえることとのことだったので、他人第一という行動理念は疑いようがない。


 自分の世話で精一杯なのだから他人との付き合いなどやっていられないと、人間関係において消極的であり続けた俺とは正反対の人間だ。そんな俺が言えた口でないことはわかっているが、そんな俺だからこそアドバイスできることだってある。

 少なくとも今回、エアストを助けたいと思ったのは本心なのだから。


「エアストがそうしているのと同じように、エアストを気遣っている人間も少なからずいる。その行動くらいは否定しないでいてくれ」

「……」

「あとは……他人のことばっか考えてないで、多少我儘になってもいいんじゃないの。科学者の件は片付いたことだし、これから自分のためにやりたいこと見つけて他人を頼ってみるとか」

「……考えたこともなかった。自分のため、なんて」


 エアストは眉尻を下げ、力なさげに笑う。日本生まれの彼女がどういう経緯でイギリスに渡ったのかは知らないが、帰国して数年、ずっとひとつの目的のために行動してきたのだ。そんな彼女にいきなりやりたいことを見つけろというのも酷だけれど、ここで前言を覆すつもりもない。


「……少し、考えてみる」

「……ま、何かの縁だし、俺にできることがあれば協力するよ」


 やがてそう答えたエアストに対し、俺は目を逸らしがちに返した。

 思い返せば不思議な出会いをしたものだ。これほどに生きる世界が違えばいつまた会えるかはわからない。ともすれば無責任な発言かもしれないが、彼女の家なら知っているからその気になればまた会えるだろう。かと言ってこちらから会いに行くなどという小っ恥ずかしい真似をする勇気もないが。


 長いため息をついてから、静寂を誤魔化そうとテレビのリモコンを手に取った。画面を何度切り替えてみても面白味のないニュース番組か知らない芸能人のバラエティが交互に映し出されるだけで、吟味する時間すら勿体ないと言わんばかりに早くもリモコンを定位置に戻す。

 食欲のそそられる食品会社のコマーシャルをぼんやりと見つめながら意識に上るのは、ここ数日間の非日常のことだった。


 思いがけない結末を迎えることにはなったものの、俺を取り巻く一連の騒動は確かに収束し、別の目的を掲げていたエアストも別の事件の解決によって救われた。

 雷豪曰くいつでも帰っていいとのことだが、これほどに刺激的で非現実的な体験をしておきながら、果たしてまた普通の学校生活に戻れるのだろうか。

 確かに今回のような命の危険に瀕するようなピンチに陥るのは二度と御免だ。さはさりながら、信じ難い事象であるからこそ日常よりかは充足感に満ちた感覚を覚えている自分が不思議で仕方ない。


 けれども――そうやって個人的な願望が叶う界隈でないことくらい百も承知だ。俺は超能力者でも政府の関係者でもない、ごく普通の一般人なのだから。

 潔く諦めて傷痕の周りを擦りながら新しく始まった日本国民お馴染みのアニメ番組を眺めていたところで――それに対する違和感を引き金に、もうひとつ知りたかったことを思い出して。


「ところで俺、何日寝てた?」

「今日は五日だから……丸四日。明後日火曜日から平日だ」

「……マジかよ」


 あっさり告げられた残酷な現実に打ちひしがれながら、俺はベッドに倒れ込んだ。

 もう二度とないほど貴重な俺の十連休は、組織の抗争に巻き込まれながら横腹の銃槍とともに幕を閉じたのだった。

来年もよろしくお願いいたします。

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