Persephone 後
「……何?」
「ちなみにこんなことも……できたりして」
余裕を含んだ声色で言い終わるより早く、今度は彼女の姿が空気の中に溶け始める。
まるで彼女のレイヤーだけ透明度が徐々に上がっていくかのように向こう側が透けて見え始め、やがて彼女の姿は文字通り消えてしまった。
わかりきってはいたが、辺りを見回しても当然見つからない。それから数秒と待たずに、
「ここ、ですよ?」
「……ッ!」
エアストが斜め後ろに飛び下がると、先程まで彼女がいた位置のすぐ右、密着していたかのような距離にルアの姿が現れる。
もしナイフでも持っていれば確かに命を狙えた距離感だった。今回はたまたま相手が武器を持っていなかっただけで。この短時間で、超能力という名の絶望的な力の差を思い知らされたのだった。
雷豪や白峰の例であれば、気配を消す――言い方を変えれば他人に自分を認識させなくするわけだから、メンタリストの如く心理術を介して相手の認識力を狂わせているのだと、無理矢理自分を納得させられなくもない。超能力の原理なんてわからないし、不特定多数が相手となるとさすがにフォローしきれないが……ひとつの可能性として留めておくこともできるわけだ。
それに対して――こいつは何なんだ。念力は使えるわ、金縛りにもかけられるわ、憑依して支配権を奪うだけに留まらず記憶まで見放題、おまけに物理攻撃は通用せず透明にまでなれると来た。
……勝てるビジョンが全く見えない。攻撃が通らない相手をどうやって倒せばいい。先程エアストの身体ごと貫通するところを見てしまったのだ、どこかへ逃げられたとしても障害物を無視して追ってくることだろう。三上の時と同じように、憑依した目撃者の記憶を漁りながら。
「……私を倒したいなら雷豪のように金縛りにでもかければいいだろう。何故それをしない。何が目的だ」
立て続けに宙を舞っていく長机や椅子を踏み台にして飛び越え、時に身を屈め、華麗に避けながらルアを中心に半円を描き、俺たちの盾になるべく戻ってきたエアストが疑問を零す。
その質問にルアは答えない。答える必要もないといった態度で、ふふっと小さく可愛らしい笑みを浮かべたのと同時にまた周囲の長机も宙に浮く。
その様子を見て――しばらく沈黙していたクリスが、腕を組みながらゆっくり息を吐いた。
「……憑依、念動力、そして霊体化……いや、まさかね」
「何か知ってるんですか……?」
「証拠も信憑性もない聞き伝だが……そんなとんでもない異能を持つ超能力者には心当たりがある。それも個人ではなく、大勢。小さな集落ごと、ほぼ全員が高い超能力適性を持ち、その能力を生まれながらにして受け継いでいるという話だ」
俺が催促したのに対し、記憶の糸を辿るように話し始めた彼の表情は至って真剣だ。
初対面の時のように冗談を言っている様子はない。どちらの彼が一体本当のクリスなのか、それすらわからなくなるくらいの雰囲気に俺が気圧されているのにも気付かずに、彼は眉を顰めて呟いた。
「……でも、あり得ない。だってその集落は数年前にもう――」
「そろそろ飽きてきました」
その続きを遮るように。
冷たい声が発せられた直後、腕組みを解きかけたクリスが静止する。
「……!?」
声の主を見やろうとすれば、エアストさえもが構えようとした右腕を腰より上にも上げきれずにいる。本人たちが意図的にそうしているわけではないことは、対峙している少女の佇まいを見ればすぐにわかった。
いつの間にか、こちらへ歩み寄ってくる少女の顔から少女らしい微笑は消えていて。
「『倒したいなら金縛りを使えばいい』――簡単に勝負がついてしまうのはつまらないと思っていましたが……やっぱりどうでもいいです」
「あ……?」
「私が会いに来たのは……あなた、なんですよ?」
小さく口元を緩め、真意の読み取れない眼差しが俺を射抜く。
来るな。俺たちをどうするつもりだ。
口ではどうとでも言えるだろうが、今となっては時間稼ぎにもならない。
クリスの発言が気に障ったのか、その詳細を憶測する余力はないが、結果としてこの目に映る絶望は、大型連休前の金曜日、雷豪たちに追い詰められている時と似ていた。
非力な子供の相手でもしているかのようにこちらを弄べるほどの力を持つ者は、その気になれば弱者を仕留めることに苦労するはずがない。
俺は汗の滲む右手を開き、そしてまた閉じて握り拳を作ってみる。俺の身体は辛うじてまだ動く。でも、仲間たちは総じて動きを封じられてしまっている。助けを呼ぶこともできない今、俺が誰かを頼ることなど不可能だった。
やるなら得意のポルターガイストとやらで一撃だろうに、彼女は情けのつもりかそれをせずに一歩、また一歩と歩み寄る。
この状況で俺ができることなんてあるのか。
相手はラノベの世界から飛び出してきたかのような超能力者。対する俺は何の力も持たない一般人。
先程の攻防のおかげでモノは散らばり、すっかり荒んでしまった食堂の中を見渡しても解決しないことくらい理解している。それでも焦燥感に駆られていれば他に何ができるわけでもなく後ずさる俺は――、
ふと視界の端に、一抹の違和感を覚えた。
今頃俺たちが豪華な料理を迎えて談笑しているはずだった、食堂の一角にある長机。その周辺に置かれていた椅子も長机も、威力不十分に見える小皿でさえポルターガイスト御用達の道具と化していたのに、唯一それらだけが微動だにせず、長机の上に鎮座している。
最早考えている暇などない。
俺は元来確実性のない選択肢が苦手だった。されど今回ばかりは因果を頭の中で証明するより先に、藁にも縋る思いでそれを掴む。
その中でシャンデリアの灯りが反射しているのを見た瞬間、僅かに彼女の表情が凍ったのを、俺は見逃さない。
「それ以上……近づくな!」
「……っ!?」
俺は手に取ったカラトリーケースを振りかぶり、彼女に向かってフリスビーのように横投げで放った。
蓋のないそれは中のナイフやフォーク、スプーンを空中に投げ出しながら飛び、彼女から逸れていくように軌道を描く。
エアストやクリスはこの想像が及びもつかない行為に呆然としていることだろう。心理的ストレスでついに気が狂ってしまったのかと勘違いされているかもしれない。あるいは、最後の抵抗さえ大きく外して気の毒に思われているかのいずれかだ。
けれど、俺の狙いは。
「痛……っ」
本来なら遠心力に基づいて遠くの床に放り出されるはずの食器たちのうちひとつのナイフだけが、壁に妨げられたかのように弾かれて飛ぶことを諦め、その真下へ音を立てながら落ちた。
直後、彫像のように静止していたエアストの右腕がぴくりと動く。その反応さえあれば十分だった。
「エアスト!!」
俺が声を張り上げてその名を呼ぶと、彼女は振り向きざまに頷きながら地を蹴った。赤い瞳が捉えるのは勿論正対しているルア――ではなく、手前に落ちる銀製のフォーク。
飛び込むようにしてそれを拾い上げると、勢いを殺さぬように片手でハンドスプリングを決め、そのままルアの左手首を――確かに掴み、カーペットの上に張り倒した。相手と自分の手の間に、たったひとつフォークを挟みながら。
「……なるほど。幽霊も退魔の標的になるんだな」
「……っ」
成功させた本人すら驚嘆の言葉を述べているが、そうしたいのは俺も同じだった。
飛ぶナイフを弾いた壁とは他の何でもなく、ルアの身体だ。至極当然のことのように思えるが、それは彼女が普通の人間であった場合の話。
でも彼女は幽霊のように何もかもすり抜け放題のチートの具現化である。なら、どうして今床に伏す事態になっているのか。
『銀は銀イオンによる殺菌作用がよく働く金属だ』
『そこから転じて、銀は神聖なもの、魔除けだとか退魔の道具として利用されたりもしたね』
明確な科学的根拠なんてありゃしない。科学者が教えてくれた史実に素直に従ってみただけに過ぎないのだから。
――便利な超能力には、わかりやすく穴がある。数時間前の白峰の言葉が脳裏に過ぎった。
強すぎる力が暴走しないように天が施したかのような。非現実的な超能力と、非現実的な抑止力に呆れながら、俺はため息をついた。
「形勢逆転だな」
「……いいんですか? そんなに近づいて。私の最初に見せた能力、忘れたとは言わせませんよ?」
「お前にナイフが当たった時、私の金縛りは解除された。それに、今お前はすり抜けることも透明になることもできない。これに超能力で干渉することはできないし、触れている間は超能力自体が使えないんだ。違うか?」
「……してやられちゃいましたね」
「今日のところは大人しく帰るか、それともここに捕まるか選べ」
「選ばなかったら?」
「いずれここの人間が来る。ただじゃ済まないだろうな」
勝利を確信しながら冷酷に処分を告げられても、ルアはあっけらかんとした態度を崩さない。何か算段でもあるのかとエアストも疑問に思っただろうが、左右の手首は地に押さえられているし、何より喧嘩慣れした相手に対してこの体勢だ。
戦況が変わらぬまま数秒したところで、ルアはゆっくりとした口調で続けた。
「私の能力の弱点が見破られたのは初めてです。まぐれとはいえ……感服せざるを得ません」
「わかったから、大人しく確保されろ」
「でも……それはできない相談ですね」
その時、ガタン、とどこからか物体のぶつかり合う音が聞こえる。その発生源はこの視界内にはないように見えた。
厄介な念動力は銀製フォークの力で封じられている。開けっ放しのドアの向こうに誰かがいるわけでもない。振り向くもクリスが行動を起こしたわけではなさそうだし、一体どこから。
そうしてふと正面に視線を戻した時――、俺はその異変に気付く。
「――エアスト!! 上だ!!」
「――ッ!?」
瞬時にエアストが横に転がり出ると、コンマ数秒前まで彼女がいた位置に長机が落下し、位置エネルギーの減少が生じさせた衝撃に耐えきれず一本の脚が本体を離れて飛んでいった。
見上げると、高い天井に取り付けられたシャンデリアに、もうふたつほどの長机がアンバランスに引っかかっている。
ルアは自分が捕まることを想定してか、攻撃を続けることで意識を逸らしながらシャンデリアの上に長机を積み重ね、自重で滑り落ちる時限式の罠を仕掛けていたらしかった。
その発想に脱帽する前にルアの安否を確認するが、当然のように彼女の姿はもうそこにはなかった。すり抜けも透明化もできる彼女のことだから今更何も不思議ではない。
獲物を取り逃してしまったことに焦燥しながらエアストの名を呼びかけようとして――俺たちはもう一度絶望を味わわなければならないのだと悟った。
「……軽いですね、この身体」
まるで別人のように――実際に別人ではあるのだが――柔らかで裏のある微笑みを浮かべるエアストの表情は、この数日で見た中で最も不気味だった。
くるりと一回転しながらその身体を見回し、ついでに必要なのか彼女本体と比べれば明らかに慎ましやかな胸をなぞったりしてみてから、見知った顔でこちらへ向き直る。
その視線の先に立つのは、喧嘩なんて全く経験のないであろうクリスと俺のふたりだけ。
憑依している状態で銀は効くのか、でも食器はすべてカラトリーケースごとあちらへ散らばってしまった。絶体絶命の境地に立たされていると、廊下から複数の足音が響き始め、やがてそれが大きくなったかと思えば入口に人影が現れた。
「――動くな!」
「――大丈夫ですか、エアストさ――!?」
そこに立っていたのは、いつの間にか喋らなくなったかと思えば気配を消して直接増援を呼びに行っていたらしい雷豪と、エアストの表情を見て唖然とする白峰、そして雷豪の部下らしき不揃いな服装の数人の男たちだった。
確か、ルアはここに来る過程であらゆる主要システムを落とし、ここまでの通路すら塞いでしまったと言っていた。雷豪は仲間に連絡しつつ、彼らと復旧作業を急いでいたということか。
いつになく真剣な表情に焦りの色を浮かべている雷豪の手には、エアストのロングコートのポケットに入っていたような自動拳銃が握られている。法だとかライセンスだとかはこの際置いておくとして、今、何より問題なのは。
「待ってくれ! 彼女は――」
「わかってますよ、ハカセ。……クソッ、一足遅かったか」
傍から見れば数で大きく優り、出口も塞いでいるともなれば大変有利な戦況に見えるかもしれない。
だが、たったひとりの敵が操るのは知人の身体だ。この状態ですり抜けや透明化が使えるのかはともかく、無闇に攻撃する勇気は俺にはない。対テロ組織の人間であってもそれは変わらないらしく、雷豪は拳銃を下ろすことしかできずにいる。一般の民間人を銃撃してしまえば、彼の立場も無事では済まないだろうから。
「なあ、今回は見逃してやるからその子の身体返してくれない? こっちも大事にしたくないんだよ」
「……」
「正直、その子を人質に取られたんじゃ降参だ。でも、直に対超能力者の特殊部隊が来る。俺らなんか足元に及ばないマジモンのスペシャリストだよ。そうしたら君も無事では――」
「部外者は、黙っていてください」
苛立ち混じりのエアストの声音とともに、雷豪の口元が硬直する。
――しまった。雷豪たちには、彼女に銀が有効だということが伝わっていない。それに、せっかく増援に駆けつけてきてくれた全員がその場に拘束されたかのように動かなくなっている。……あの金縛りの能力は、一体何人にまで有効なんだ。
無意味で哀れな援軍を満足げに見やってから、ルアはこちらに視線を戻した。
――かと思えば、軽いステップを踏むようにしてこちらへ迫る。望みを断たれた俺達には命乞いの暇すら与えず、自分はその状況を楽しんでいるかのように微笑みながら。
二の腕を掴まれてからは一瞬だった。押し返そうとはしたもののもう遅い。少女の細腕に力負けする自分の筋力を嘆いた時には、既に床の上に押し倒されていた。
「その顔。もっと、よく見せてください」
数日前、俺が躓いてエアストを押し倒してしまった時と、演者が入れ替わったシチュエーション。
ただ確実に異なるのは、今俺を支配している感情は羞恥や後悔ではなく、恐怖と焦燥であることだった。
エアストの身体を操るルアは俺の身体に跨り、生気がないと揶揄される俺の黒い瞳をまじまじと覗き込んでくる。
対する赤い瞳の奥では一体何を考えているのか。不気味な視線から逃れようとしても身体が言うことを聞かず、再び彼女の金縛りにかけられてしまったことに気が付いた。
「やっぱり。あの人に、そっくり」
やがて、彼女はぼそりと呟く。
聞き取れなかったわけではない。密着しているほどに距離が近いのだ。
なのに咄嗟に反応できなかったのは……言葉の意味が理解できなかったから。
思えばこいつは、顔を見せたその瞬間から今に至るまでずっと、目的をぼかし続けている。わざわざ対テロ組織の本拠地に乗り込むのだから相当の理由がありそうなのに、『興味がある』『会いに来た』だなんてラブコメチックな台詞しか吐いていないのだ。
彼女の真意と、先程の発言との関連性。それを問い質そうとしたものの。
「……、おい……っ」
「ふふ、可愛い……♪」
変に擽ったさを覚え、首は固定されているため眼球だけを下に動かしてみると。
エアストの細い指先を、俺の上半身の上に滑らせている。雷豪たちと比べると頼りない胸筋や腹筋を確かめるように、不規則に踊る柔らかな手つき。
幽霊らしく何らかの呪いを刷り込んでいるのかとも一瞬考えたが、やはり違うと断定した。根拠には乏しいけれど、どこか嗜虐的な雰囲気がそれを否定する。
「……な……何なんだよ……」
「……米石和希さん」
「……?」
やがてそのねちっこい動きを止めると、彼女は俺の名前を呼ぶ。
そして、一呼吸置いてから。
「私と……一緒に来てください」
その言葉は、ますます俺の脳を混乱させた。
結局は彼女も俺を連れ去るのが目的だったのか。しかし、秦野の指示に背いているようなことも言っていた。支離滅裂だ、一体何がしたいのかわからない。
勿論イエスと答えるつもりはないが……気に障らないか恐れつつ、俺は記憶を辿って口を開いた。
「……最初、俺の身柄はどうだっていいって」
「今、気が変わりました。善は急げ、と言いますから」
「だから、何が目的なんだよ」
「……それは――」
「さすが姐さんだ。ご協力、助かりました」
突如として、聞き覚えのない男の声が遮る。
この数日間で多くの人と知り合い、その声を聞いてきた。その中の記憶にない声となれば、と入口の方を見るが、彼らの表情から別人のものと察する。
ならば一体誰が。その答えを示すように、床に散らばる長机のひとつがガタリと音を立てた。
「派手にやられてこのザマだ、俺らだけだったら無理だった。でも、姐さんは敵を操れるんだ。その上、姐さん本体にはダメージがない。……その能力があれば、安全に各個撃破できる、そういうことですね」
長机の陰から姿を現したのは、エアストが撃破し、気絶させていた黒服のひとり。ひび割れたサングラスを外しながら起き上がり、代わりにその手に取られたのは――拳銃だった。
不穏な空気に威圧されて口元が震える。
彼との間合いはそう遠くない。よほど才能がなくはない限り、少なくとも外しはしない距離。
その銃口は、ゆっくりとこちらへ――エアストの身体を操る、ルアの方へと向けられる。
「まずはその目障りな黒髪の女を……殺す!!」
人差し指が引き金にかけられて――そこからは、まるでスローモーションの世界だった。
このまま引き金が引かれてしまえば、彼女の身体は鉛玉に撃ち抜かれることになる。被害者の身体の持ち主はルアじゃない、俺を何度も助けてくれたエアストだ。
仮に今の状態でもすり抜けが発動するのであれば杞憂に終わるが、確証がなければ彼女は助からない。もしルアが支配権を放棄したとしても、エアストが自力で避けるまでには至らないだろう。
また、俺は何もできないのか。
この数日間、エアストの力を借りてばかりで、自分の問題を自力で解決できたことは一度としてなかったくせに、彼女に恩を報いることすらできなかった。そんな彼女を俺の都合でもし死なせてしまったら――俺は、罪悪感に苛まれながら生きていく覚悟なんて持てる自信はない。
既に俺の身体は動いていた。
何度だって自慢できることだが、俺は普段から明晰夢を見慣れている。
明晰夢というのは、夢の中だと自覚して行動できる、けれど身体を動かすことを意識しすぎると目が覚めてしまうほどには浅い眠りの時に見る夢だ。
脳が半覚醒状態にあるにも関わらず唐突な目覚めを迎えると、当然身体はついていけずに金縛りになる。一時期には日常的にその体験をしてきた俺は、金縛りの抜け出し方だって経験則として身に染みついていた。
まさかそれが知人の命の危機に役立つだなんて、過去の俺はまさか思いもしなかっただろう。
身体が自由を手にしたのは、引き金が引かれた後だった。
白峰が持っていた玩具の銃とはまるで違う、火薬の重い炸裂音が響き渡る。
起き上がった俺は咄嗟に彼女を押しのけ、そして庇うように背を向ける。
そのまま倒れ伏せるまで余裕があればよかったのだが。
「…………う……っ!」
直後、腹に想像を絶する激痛が走り、一歩遅くその場に倒れ込んだ。
背中が燃えるように熱い。呼吸をするのも苦しい。自分が撃たれたと悟るのに、わざわざ血を見る必要はなかった。
「――てめえ!!」
「……がッ!?」
雷豪の怒号に続いて、ダァン――! と銃声が響き、先程の男が呻き声を上げる。どうやら彼らの金縛りも解除されたらしいが……とてもそれを喜べる状況でないのは明らかだ。
「米石さん……米石さん!!」
「白峰君、落ち着きたまえ! 雷豪君、ここに救護隊はいないのかい!?」
「わかってますよ! 今呼んでます!!」
様々な声音がいずれも切羽詰まっているように飛び交い、俺の顔を覗き込む紺色髪の少女は顔を青白くしながら額に冷や汗を浮かべている。出会って間もない他人だというのに、随分情に厚い子だと、そう思った。
映画では一発二発撃たれた程度じゃ死ななかったり、海外のニュースでは凶器を持ちながら暴走した市民を止めるために警察側は何発も要したりというのは見たことがある。
実際はどうなのだろう。急所に当たっているかとか、出血量にもよるだろうが、今の俺に判断することは不可能だった。
そういえばこうしてまで守ろうとした彼女はどうなったのかとゆっくり首を回せば……一メートルほど先に、エアストの身体が倒れていた。
俺の覚悟が無駄になったわけではないということは、彼女に出血のないことが証明している。何を考えているのかは最後までわからなかったが、恐らく中身のルアがこの場を去ったのだろう。思い返せば、三上の時も憑依を解除すると本体は気絶していたようだったから。
エアストの無事が確認できただけで、不思議と心は安堵した。
こんなことでしか役に立てない俺よりも、ここまで他人のために行動できる彼女の方がずっと必要とされていることは自明だ。そんな彼女を守れただけで、満足感に浸るには十分だった。
明晰夢へ入る瞬間を認識できるように、次第に視界と意識が薄れていく。
白峰やクリスの呼びかけに応じる気力も尽き――
俺は、そのまま目を閉じた。




