陽キャ流気配の消し方について
間違いない。彼女は――駅内にて、音もなく俺にぶつかってきた少女だ。
だけど、どうして。脳の理解が全く追いつかない。
一体いつからオフィス内にいたんだ。窓もブラインドも締め切った埃まみれのオフィスは、出入口の扉以外に侵入経路がない。それらが開けられようものならまず気付くはずだし、それにしても今の今まで存在感を殺し切れていたことの証明にはならない。
加えて、白峰静と称する少女は何と言った? いや、訊き返すまでもない。
捕まえに来た。その一言が表す事実は、つまるところ――、
「じゃあ、俺がいれば理解できるかな? 和希君」
またひとり、闖入者の声が聞こえたのは扉に面する壁の端、何もない持て余された一角のスペース。壁に寄りかかるようにしてこちらを見ていたのは、
「あなたは……!」
「どうもどうも。数日じゃ忘れるわけないっすもんね」
ああ、忘れもしない。俺が今この見知らぬ地の研究室にまで追い込まれることになったすべての元凶。
あの夜、街灯に照らされながら嘲笑を浮かべていた金髪の男が、あの日と変わらない格好で立っていた。
「クリス、お前まさか……」
「悪い冗談はよしてくれ。……にしても、尾行か。よく見つけられたものだよ、都合が良すぎる」
「……来る時に偶然あいつに駅でぶつかられて。その時に顔を見られたらしい」
「はは、偶然にしちゃ運が悪すぎるな……」
クリスは乾いた笑いを浮かべるが、その眼はちっとも笑ってはいない。エアストは秦野の時のようにまた欺かれたのかとクリスに視線を投げるが、彼の無実が確定すると、また一昨日のように進んで俺たちの前へ出た。
そんな彼女を見て金髪の青年は白峰の横へ歩み寄る。出口は完全に塞がれた。助けを呼ぼうにもこのビル内には人がいない。仮に呼べたところで……こいつらの相手を穏便に済ませられるかはわからない。こちらの圧倒的不利を察してか、白峰は前に立つエアストに視線を向けながら微笑んだ。
「ターゲットを匿っている人物は私と同じくらいの身長、声から察するに女性。あの女の人が、兄さんが負けた黒フードの人で間違いないよね?」
「悪役演じて悦に浸ってたら隙を突かれたの。断じて負けたわけじゃない」
「敗者の言い訳はいいってば。私が相手するから、兄さんは手出さないでよ」
「手荒な真似はしないって選択肢は?」
「ないでしょ。だって、あっちがやる気なんだから」
両者の視線がぶつかり合う。発言は大儀そうにしていながら、その表情は好戦的だ。
けれども、その体躯は筋肉質だとか、喧嘩慣れしているような印象は毛ほどにも感じられない。服装だって今時の陽キャの女子高生が着ていそうな私服だ。その身なりで一体何をしでかすつもりなのか、白峰はゆっくり一歩、二歩とエアストの方へ歩み寄った。
「名前、訊いてもいいですか?」
「エアストだ」
「エアスト……? もしかして外国人の方?」
「……どうだっていいだろう。お前らの目的は何だ。何故和希を欲しがっている」
「お名前訊いただけなのに話が飛躍しすぎてません? もっと楽しくお喋りしましょうよ。どこからいらっしゃったんですかー?」
「ふざけている暇はない。答えろ」
「せっかちだなぁ。焦らなくたって、これからゆっくり――」
刹那。
「――ッ!!」
互いの距離は僅か二メートルほど。その距離から――白峰は、目にも止まらない速さで右ストレートを打ち込んだ。
対するエアストは半身で躱し、瞬きもせず白峰の目だけを見つめている。
俺とクリスは反射的に後退り、その様子を見守ることしかできない。喧嘩においては無力な俺たちのために立ちはだからざるを得ないエアストは、白峰の細い右手首をそっと掴みながら吐き捨てるように言った。
「訊くだけ無駄か」
「わかってるじゃないですか。なら、全力で抵抗してみてくださいよッ!」
言い終わるや否や、手首は掴まれたまま白峰は左脚で高く蹴りを放つ。エアストが両腕をクロスさせて防ぐと、次は自由になった手で空手家の如く体重の乗った拳を繰り出し、合気道のように背後へ受け流されるのをわかっていたかのように、勢いを殺さず後ろ回し蹴りへと繋いだ。
数日ぶりに目にしたエアストの戦闘は、日曜日の朝に放送されている戦隊モノの役者かというほどに無駄な動きがなく、見とれてしまうほどに華麗だった。
そんな彼女に、互角に渡り合うどころか押しているようにすら見える少女が目の前にいる。
防がれた右手を引くより早く左手を突き出し、半身の体重移動を活かして肘撃ちと回し蹴りを同時に放ち、顎を狙いながらバック転を切って距離を取ったかと思えば、低姿勢で足元を狙って飛び掛かる。
この広いとは言えない一室で、攻撃の隙を与えずに跳ね回る白峰に対して、エアストは防戦一方だ。同じくらいの年頃の女子だから、もしかしたら躊躇っているだけなのかもしれないが、この猛攻を避けながら一体どこに反撃できる余裕があろうか。
「やるじゃないですか。ボディガードとしては最適ですね」
まるで型にはまらない新しい格闘技の試合でも見せられているかのような。白峰は床を蹴るようにして数歩分下がり、呼吸ひとつ乱さずにくすりと笑った。すべての攻撃を捌ききったエアストの方は、 何も言わずに睨み続けるだけだ。
片や戦いの楽しさについて同意を求めるように。片や明確な敵意を含んだ視線を突き刺すように。
求めていたものとは異なる反応を受け取った白峰は、気怠そうにやれやれと肩を竦めた。
「……ちょっと、顔が怖いんですけど。試しに笑ってみてくれません? せっかく可愛いんですし」
「黙れ。くだらない話をしている暇があったら続けてみろ」
「……あーもう、仕方ないな」
エアストは俺たちを逃がそうとこうして時間を稼いでくれている可能性もあるけれど、出口は白峰に塞がれている。先程の攻防で何度か白峰の拘束を試みていたが、それもすべて躱され反撃のもとになっていた。
俺もクリスも、きっと喧嘩の腕においては彼女らの足元にも届かない。今はタイマンで済んでいるものの、もし増援でも来られたら尚更のこと袋の鼠だ。
冷や汗を流す俺の方をちらりと見ると、白峰は嘲笑うかのように言った。
「じゃあ、こういうのはどうでしょう?」
その右手には、どこから取り出したのか、一丁の拳銃が握られている。
黒光りする物騒な造形を見たのはもう三度目になる。正面に立つエアストを通り過ぎ、その銃口が向けられたのは――彼女らの標的である、俺の方だった。
「ごめんなさい、ちょっと痛いかもですけど、我慢してください」
「なっ――!」
口答えする間もなく、引き金は引かれ――パァン!
オフィスの中に高い銃声が鳴り響き、俺は反射的に胸元を押さえた。
「いっ……!」
「和希……!?」
エアストが振り向き、焦りの表情を浮かべている。
嘘だろ。普通の高校生にしか見えない少女が、そんなに容易く人に向かって引き金を引けるものか。俺に覚悟がなかっただけで、彼女たちの世界ではそれが普通なのか。
ヒリつく痛みに耐えながら――俺は違和感を覚えた。
素人が胸を撃たれようものなら激痛に耐えられるはずがない。待つこと数秒で撃たれた胸元からはほとんど痛みが引いていた。ショックで痛覚がおかしくなってしまったのかと疑ったが、恐る恐る離した手には何の液体もついていなかった。
そもそも、撃たれた瞬間を思い返してみるけど、実銃にしては音が甲高く、衝撃も軽すぎる。サプレッサーがあってもこんなにチンケな音にはならないはずだ。
疑惑の視線を上げた先には――床に、玩具用の小さなBB弾が跳ねて転がっていた。
「何……!?」
理解が追いつかない。今の今まで素人の介入できない喧嘩を繰り広げていたのに、あいつはどうして唐突にふざけたことを。
そして、顔を上げてみて、やっと気付く。
そこに立っていたはずの白峰静は、姿を消していた。
「どこへ逃げた……!?」
俺もエアストもクリスも、全員がオフィス内を見回してみるが、どこかに隠れたような様子はないし、隠れられるような場所があるわけでもない。窓もブラインドも閉まったままで、扉が開いた音だってしなかった。天井裏か? それはない、点検口は人が全身丸ごと乗り込んでいい場所じゃない。
日光の射し込まない埃塗れのオフィスはより一層静まり返り、だんだんと自分がここにいることすら自信がなくなっていくような、不可思議な感覚に呑まれていく。
――現実感の喪失。あるべきものに対する知覚の欠如。
あたかも五感を奪われてしまったかのような虚無の空間に。
「ここですよぉ」
はっきり明瞭に響く声がひとつ。
そこにいるはずのない声が――いや、違う。
間違いなく彼女はそこにいた。一歩も動かず、出口を塞ぐように、ただ立ち尽くしていただけだった。幻術にでもかけられたかのように、俺たちが気付けなかっただけで。
正面を向いていたのなら目に入らないはずがない、そんなことはわかりきっている。なのに、そうとしか形容できなかった。
認識できた時にはもう遅い。背後から迫り来る歳相応の体躯は、油断し切ったエアストの背を蹴り抜く。彼女は受身を取るように作業デスクに手をついて宙を舞い、書類でできたタワーを崩しながらデスク裏の壁に激突した。
小さな文字がびっしりとプリントされた紙がひらひらと舞う。飛び交う数百枚とありそうなそれらを頭から被るエアストは、埃の中で咳き込みながら立ち上がった。その様子を見て、白峰はわざとらしく驚いて見せる。
「見事ですね。でも、次は受身も取らせませんよ」
「……お前、何をした」
「種明かしですか? やだなぁ、今教えたら、次引っ掛かってくれなくなるじゃないですか」
心底楽しそうに笑いながら、彼女は両手を組んで軽く伸びをする。余裕の色を存分に滲ませた表情で、エアストの視線を撥ね退けながら。
「超能力、って信じてます?」
たっぷり数秒おいてから、彼女は問う。
突拍子もない奇問に聞こえるそれは、俺がこのオフィスに来た小一時間前、隣で呆然としている科学者にされた質問と同じだった。
――まさか。胡散臭くてもひとりの科学者が仰々しく語っていた話だ、小さな可能性として、ひょっとすると、もしかしたら、奇跡が起こるとすれば程度に留めていたものが、本当だったとするならば。
「通常の人間にはできないことを実現できる、科学的には合理的に証明できない不思議な能力。信じられないかもですが、たまに生まれながら超能力に目覚めてしまう人がいるらしいんですよね」
「……何……?」
「と言っても、派手なものばかりじゃないです。例えば私は――気配を消す能力。より正確に言うと、他人の五感に干渉して、自分の存在を察知させなくする能力ってところですかね。一度気を逸らす必要がある上に見破られることもありますし、接触されれば一発で気付かれちゃいますけど。便利な超能力ってわかりやすく穴があるんですよねぇ」
エアストでさえ現実からかけ離れた発言に対して返答できずにいる中……俺はやっと納得がいった。
今さっき俺たち全員は、玩具の拳銃に気を取られてしまったことで白峰の姿を見失った。その時、彼女が塞いでいた出入口の扉が目に入らなくなっていることにさえ注意が向いていなかった。たまに見破られるというのは、そういった他の人や物との関係性から見出せたのかもしれない。
そして、駅での出来事。彼女は、音も気配もなく俺に接触した。俺の不注意だったと言えばそれまでだが、人の声も靴音も反響し放題のあの場所で、近づく音にすら気付けないことがあるだろうか。
何より、俺と白峰がぶつかって彼女の持ち物が散らばった時、歩く人々は誰ひとりとしてこちらを見ていなかった。見て見ぬふりをしながら奇異の視線を浴びせるのが得意な日本人が、だ。それは即ち――比喩でも何でもなく、彼女が気配を消し去っていたからだと結論付けるだけで腑に落ちた。
彼女が人差し指でくるくると回している玩具の拳銃で、また気を逸らされてしまえば即座に能力が発動する。そうでなくても、彼女から視線を逸らすというだけで、思わぬ方向から反撃を受けかねない。
……何が超能力者だ。ただのインチキじゃないか。異能なのだからもっと炎を出すとか水を操るとか、見た目通り飛び抜けて非現実的な攻撃を想像していたが、現実は小説ほど浪漫を映し出してくれないのだと思い知った。
この前に読んだ小説の内容を思い出す。あの時の展開についていけなかった読者が、程度は違うとはいえ現実で異能に遭遇してついていけるはずがない。異能なんてフィクションだ、そんな言葉こそ今となっては戯言に過ぎないのだ。
この状況下で勝つためにはどうすればいい。ラノベであればここでエアストも超能力に目覚めて激熱展開と来たところだが、現実にそれを求めようなどどだい無理な話だ。
あり得ないはずの現象を目の当たりにしてしまい、唖然とするほかなかった俺たちに対して勝ち誇った笑みを浮かべていた白峰は――次第に表情を曇らせていった。
彼女の視線を追ってみて、その意味を理解する。デスク横から進み出たエアストは――重心が、不自然に右に寄っている。
「……怪我してるんですか?」
「……っ」
核心を突く不機嫌そうな一言に、エアストは少しだけ顔を歪ませる。まだ塞がりきっていないのに、無理に動きすぎたのだろう。あれだけアクロバティックな攻防を続けていれば、予想できたことだ。それでも構わないといった様子で、エアストは再び俺たちの前に立ちはだかった。
「今できた傷じゃないですよね。怪我人相手に闘ってもアンフェアじゃないですか。先に言ってくださいよーそういうの」
「……情けのつもりか?」
「違いますー。……いや、違わないかもですけど。私は純粋に全力であなたを倒してみたいだけで、弱いものいじめをしたいわけじゃないんですよ」
やる気が削がれたと言わんばかりに、白峰はため息をついて首を振る。
何がしたいのか全く真意が読み取れない。俺を確保したいなら、さっさと邪魔なエアストを倒して強引に攫えばいいのに、彼女はそれをしようとしないどころか戦意喪失するとまできた。
それは俺の確保を諦めたということか。いや、せっかく追い詰めておいて美味しいところを見逃すなんて馬鹿のやることだ。なら、他にもやりようがあると言っているのか。
――待て。何かを忘れている気がする。
エアストと互角以上に闘えて、彼女を引き止められるだけの力を持つ少女がいる。
エアストの相手はそいつに預けて、隙を狙って本命を狙うことは難しくない。
――白峰静は囮。ならば、本命を狙うのは。
「ま、そういうこと」
もはや忘れかけていた声が聞こえたのは、背後から。
カシャン、という音とともに、金属でできた輪の中で背中側に回された両手首が拘束される。
「静が使えるんだから兄の俺も使えんのよ。マジで気付かなかったでしょ?」
それが手錠だと気付いて振り返ると、金髪の青年が人の良さそうな笑みを浮かべてこちらを見ていた。
声も出ず、当然両手が使えなければ殴り掛かることもできない。隣では、狙いではないクリスも同じように手錠を掛けられていた。ますます彼らの目的がわからなくなる最中――青年は俺の耳元に口を近づけて、
「大人しく言うことを聞いて。和希君の家族や友人に、迷惑かけたくないでしょ?」
「……何、を……」
「俺たちの情報収集能力は君もよくわかってるはずだ。だから、抵抗はしないでくれると助かるよ」
言うまでもない。これは、脅迫だ。
それだけ告げて青年はまた下がると、整った顔でにこにこ笑顔を浮かべる。俺たちから引き離そうとしてかエアストが飛びかかろうとするが、後ろから殴り掛かった白峰の拳を交わすようにしてまたそちらへ向かい直る。それをよしとして白峰は拳を引っ込め、青年の方を見た。
「ってか目的は和希君の確保であって、その子を倒すことじゃないんだけどさ。そこのところ覚えてる?」
「だからやめたんでしょ。兄さんの準備が終わったと思って」
「いや、俺はずっと待機してたんだけど。さっきの言い草だと、その子が怪我してなかったらずっと闘り合ってたんじゃないの?」
「……まあ、ちょっとやりすぎたのは認める」
白峰は頬をふくらませて、不機嫌そうに床を蹴る。その様子だけを見るといかにも普通の少女らしく、つい数分前まで激闘を繰り広げていた張本人だとは思えないのが腹立たしい。
「さて、じゃあ和希君と……関係者だから、君と、あとハカセにもついてきてもらおうか」
「僕の頭が不出来なようで恐縮だけれど、状況が飲み込めない。君たちは何者なんだ。何が目的で米石君を追っていたんだい?」
「着いたらわかりますよ。ハカセ、特にあなたならね。いいから黙ってついてきてください」
「待て、何のつもりだ! 和希を離――」
「エアスト。ごめん、今はじっとしていてくれ……頼むから」
「な……」
俺の諦めきった表情を察してか、エアストは愕然としていた。それも仕方ない、出会った時から今までずっと俺のことを救おうとしてくれていて、やっと助かる道が見い出せたところで窮地に追い込まれ、傷を隠してまで庇っていたその本人から諦めの言葉を告げられたのだ。
俺のために身を擲つ覚悟までしてくれていた彼女にとってそれは、裏切りにも等しい行為と言える。でも、今はこうする以外の方法が思いつかない。彼女には悪いけれど、更に無関係の家族や友人たちを巻き込むわけにもいかないから。それは、また後で話させて欲しい。
「じゃ、行こうか」
白峰がエアストの手首に手錠を掛けたのを確認して、青年はオフィスの扉を開ける。俺たちは為す術もなく彼に続き、エレベーターで一階に降りると、外には黒塗りの車が停まっていた。車種には疎いので何と言うのかはわからないが……お子様を持つご家族がよく乗り回しているイメージの強い、六人乗りのタイプだ。娘を二人持っている姉も、似たような車に乗っていた。
運転席には、何となく見覚えがあるような気がすると思えば、確か始まりの日に青年の取り巻きの中にいたようないなかったような、スーツの男が座っている。青年は彼と少し話をした後、黒い布帯のようなものを持ち出して俺たちのもとへ戻ってきた。
「これからちょっと言えないところに行くんでね。着くまでの間、目隠ししててもらうよ」
「人目につかないやばいところってことですか」
「ま、そうね。そう長くかからないから我慢してくれな。何なら寝ててもいいから」
青年は意地悪く冗談めかして言うが、そう呑気でいられる場合じゃないと突っ込む元気もなく、俺はため息で返事をした。
まずエアストが白峰に目隠しを付けられて、ふたり一緒に中部座席へ乗り込んでいく。次にクリスと俺が同じように帯を巻かれた上で後部座席に押し込まれた。最後に助手席のドアを閉める音を響かせたのが青年だろう。広さにも座り心地にも文句はなかったが、これから向かう場所だけが気がかりだった。
目隠しを付けられる寸前のエアストの目配せだが……彼女は、まだ諦めていない。きっとまた隙を見て俺を助け出すつもりでいる。しかし、今まさに敵の懐に飛び込もうというのに、そのチャンスがそう訪れるものとは到底思えない。
誰の力も借りられなかった。
俺たちは敗北した。
今日、俺はどうなってしまうのだろう。
不安に心が支配されそうになる中、俺の苦労を知る由もないエンジンは唸り声を上げ、旅の終わりの方向へと発進していった。




