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獣は神様の夢を見る 二  作者: 遠部右喬
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その二

 圧倒的な日差しが、生物にも非生物にも等しく降り注ぐ。世界を白く染め上げる光は、同時に、くっきりとした影を浮かび上がらせ、静と動、死と生、どちらも表裏一体なのだと訴える。

 砂に覆われた大地は風で次々と姿を変え、永遠の迷宮に迷い込んだ迂闊な犠牲者を干上がらせる。この砂漠で安らげる場所など何処にもない。ただ、一か所を除いて。

 突然、砂漠の中央近くに鮮やかな色彩が現れる。人間達に「楽園」と呼ばれるその場所は、砂漠で生きる者達を隔てなく受け入れ癒す、正に楽園だ。

 清らかな水が地下から湧き出し、それを取り囲む、ここ以外で見ることの出来無い珍しい植物達。それらが落とす影は、乱暴な日差しから生物を護り、砂漠を渡る乾いた風は、水面を渡りながら涼やかに変わり、樹を揺らす。此処が数十年前まで枯れていたことなど、今では誰も想像出来ないだろう。近頃では、ここを訪れる為に、態々砂漠を渡る旅人も少なくはない。

 その景勝の地に、今は観光客どころかネズミ一匹見当たらない。

 不思議に思いつつ、クウガは誰も居ない美しい楽園を堪能した。フウガも、嬉しそうに尾を大きく振る。

〈久しぶりに来たな。もう、すっかり元通りになってる〉

「前より大きくなって、過ごし易そうだ。」

 楽園が枯れ最も荒れていた頃、砂漠で出会ったクウガとフウガは、ここで共に息絶えた。ある意味、記念の場所だ。

「あそこ、沢山花が咲いてるな。俺達が埋まってる処じゃないか? 養分が良いのかな」

〈あれから、随分時間が経ってるけど、ちゃんと分解されてるかな? 俺達の身体、前に見た時はカッサカサだったじゃないか〉

 楽し気な二人の会話に、流石のチョウキも呆れた口調になる。

「よくそんなに楽し気に自分の遺体の話出来るねえ。連れて来ておいてなんだけど、ここに来るの、嫌じゃないの?」

〈大神様は、生きものが互いの命を廻らせる様に、世界を創造されたんですよね? なら俺達の身体も、他の生きものの糧になるのは自然なことだと思います〉

「自分の番になって嫌ってことはないぞ。それに、俺は今でもクウガと一緒に居られてる。神界の皆も良くしてくれる。毎日楽しい。空になった身体が役に立つなら、文句なんか無い」

 チョウキにとって、彼等の答えは意外なものだった。何となく、生きものとは、もっと身体に執着するものだと考えていたのだ。やはり、肉体を持ったことのない自分が、地上に満ちている命達の心を理解することは難しいのだろうかと思うと、少なからぬ寂しさを覚えた。クウガとフウガの反応が、一般的と言いきれるかは検討の余地があることに、チョウキは気付かなかった。

 珍しく黙り込んだチョウキに、フウガは尻尾を振りながら能天気に声を掛けた。

「で、何を確認すればいいんだ? あ、俺達の死体か? 掘ればいいのか?」

「いや、何でよ! どれだけ酷い奴と思われてるのよ、俺。そんな訳ないでしょ。もうすぐ姿を現すと思うから、一応あの木陰にでも隠れて様子を見よう。まあ、すぐ見つかっちゃうとは思うんだけどね」

 フウガが首を捻る。姿を現すという表現で、意思を持った者が相手だと予想はつく。だが、生きているものの大半に、自分達の姿は視えない筈だ。隠れる必要があるとすれば、相手は神か精霊、若しくは……

〈一体、誰の魂を待ってるんですか? 俺達の他に、砂漠を彷徨う幽霊でも出たんですか?〉

 クウガの問いは、フウガの疑問への答えでもあった。

 チョウキが同行しているとは言え、半神前の自分達が格上である神を相手に出来るかは疑問だったし、精霊は、場合によっては神が相手であるより危うくなる可能性がある。それ程危険では無く、自分達が確認出来る相手となれば、自ずと答えは限られてくる。

「少年の推察通りだよ。でも、単なる幽霊より面倒な話だ。何せ、死者の国を抜け出して来てる魂だからね。神界でも死者の国でもまだ気付いてないけど、そろそろ地上では噂になりつつある。砂漠に、幽霊が出るってね」

「何だか聞き覚えのある話だな。それにしても、脱走とは中々やるな、新入り」

〈道理で全然人が居ない訳だ。あの、死者の国からの脱走って、何らかの処罰の対象になるんでしょうか?〉

「処罰の対象には該当しない、と思う。でもね、この件が切っ掛けで、死者の国への締め付けが厳しくなるのは、俺としては困っちゃう。

 それとね、その魂、新入りじゃないんだよ。数十年モノの魂だ」

 クウガもフウガも驚き、同時に、チョウキが「大袈裟にしたくない」と言っていた理由に納得した。幽霊騒ぎが本格化する前に脱走者を連れ戻し、何も無かったことにする心積もりなのだ。

「時間が経っても、記憶が薄れてないのか? そんなに強い未練があるのに、幽霊になってないのか」

〈確かに不思議だけど、それ以前に、その話とフウガがどう結びつくんですか?〉

 死者の国は、命ある者にとって故郷の様な場所であり、決して居心地の悪い場所では無い。死んで間もない者ならともかく、数年も過ごせば、脱走を企てる者などまず出ない。それでも、もっとしっかり監督するべきだ、という意見も神界の会議の議題に毎度の様にあがる。魂達を心配すればこその意見ではあるのだが、チョウキは「死者の国は、あの緩さが良いんだよ。それよりも、迷子を減らす制度を考えるのが先」という立場を貫いているらしい。ただ、魂の増加とそれに伴う世界の複雑化、結果的に反比例する神々の少なさ等から、どちらも未だ制度の実現に至っていなかった。

 地上に暮らす全ての生きものは、死を迎えると実体と魂が分離する。実体は他の生きものの糧となり、魂は死者の国へ向かう。

 死者の国は、様々な生き物が共存している場所だが、大きな争いは滅多に起こらない。魂は、身体を失うことで空腹や気温等を殆ど感じなくなり、様々な欲求が希薄になる。身体の快不快が影響しない故に、本質は剥き出しになり、失った身体の記憶は徐々に薄れてゆく。

 露わになった魂は、近似のもの同士で惹かれ合い、次第に集まり始める。どんな生きものだったかよりも、どんな生き方だったかが重視され、静けさを好む魂は穏やかな集団に、活動的な魂は賑わった集団にと、緩やかに繋がりつつ、それぞれ居心地の良い場所で落ち着く。死者の国で長く過ごす程、諍いが起きたり脱走者が出たりしない理由の一つだ。

 やがて、記憶の浄化が進み、新たな身体を得る準備が整うと、魂は地上に還っていく。例外もそれなりにあるが、大抵は命を巡らせ、再び大地を彩るのだ。

 だが、稀に、死者の国に逝けず迷子になる魂も居る。所謂、幽霊である。身体を失ったことに気付いていなかったり、強い未練を残していたりが原因で、死者の国への道を見付けられない状態だ。彼等も次第に記憶が褪せていくが、未練に連なることは忘れることが出来ず、曖昧な状態で地上を彷徨うことになる。そして、いずれは未練の理由も忘れ、未練を残していたという事実を未練に、更に彷徨い続ける。その多くは、永く彷徨う間に衰弱し、運良く死者の国への道を見つけたとしても、既に自力で逝く力が残っていないことも多い。それでも、最終的には何らかの形で地上を去る。

 何とか死者の国に辿り着けた魂は、活力を分け与えられ、負っていた傷は修復される。休息し、状態が安定したら、他の魂と同様、時期が来れば生まれ変わり地上に還っていく。勿論、余程の事をしでかしていない限り、彷徨っていた間の事を責められることは無い。

 未練次第では殆どの記憶を残した幽霊もいるが、逆に、そこまでの未練があるなら、そもそも死者の国にすんなりやって来れた理由がわからない。

「調べるのがめんど、コホン、時間が掛かっちゃうから、脱走者に直接聞いてみようと思ってさ。ほら、迂闊に調査して、脱走者の存在を他の神に知られたくなかったし?

 で、後をつけてみたら、この辺で何か探してるみたいだったから、声をかけてみたんだ。けど、険悪でも無いんだけど、肝心な事は中々教えてくれなくてね。ワンコ君になら教えてくれるかと思って、ここに寄るよう誘導してみたんだ。まあ、疑問も多いから、まず様子見を……来た! 隠れて!」

 チョウキの合図で、フウガは茂みに伏せた。が、何かに気付き、空に鼻を向け臭気を探る仕草をする。程無く、陽炎のようにゆらめく存在が砂漠から楽園に現れた。

 それは、大きな野犬の魂だった。犬としては大柄なフウガよりも、更に一回り大きいだろうか、黒に見える程濃い茶色の短い毛並みに、強い意思を感じさせる茶色の鋭い瞳。痩せてはいるが、よく締まった筋肉質な身体と長い脚は、速さと持久力を兼ね備えていることを充分に感じさせる。もし目にする人間が居たなら、神の使いとして崇められてもおかしくない、威風堂々とした姿だった。

 成程、相手が犬だからフウガが必要だったのかと、クウガが納得しかけた時だった。犬の魂が、フウガと同様の仕草で空気の匂いを嗅ぎ、彼等の隠れている茂みを見つめた。

 フウガは、尻尾を振りながら声を掛けた。

「頭じゃん! 久しぶりだなあ。脱走した魂って、頭だったのか。なあ、何で今になって脱走したんだ? 死んだのは、結構前なんだろ?」

「あー、やっぱりワンコ君の関係者だったか」

「俺の居た群れの頭だ。チョウキ様、気付いてたのか?」

「確証はなかったんだけどね。彼、口が重いっていうか、あんまり話してくれないんだよねえ」

『マックロ! こんな所で迷うておったのか。光る珠の御仁の仰る通り、ここに寄って正解であった』

〈え? なんて?〉

「マックロって、ワンコ君のこと?」

「うん、まあ、そう呼ばれてたな。

 なあ、頭、脱走した理由はなんだ? あ、まさか……記憶が薄くなってきての徘徊か……?」

『我を呆け老犬扱いするな!』

「まあ、急速な生前の記憶の欠損による脱走も無くは無いけど、極稀なことだし、肉体の痴呆と魂の記憶の薄れは全然違うものだよ。ねえ、おじいちゃん」

『誰がおじいちゃんか! マックロと大した歳の差は無いわ!』

〈え? なんて?〉

「前は教えて貰えなかったけど、今度こそ脱走の理由を教えてくれないかい? ワンコ君も居ることだし」 

『理由は、まあ、その……むぅ、貴殿に言うてもしかたのないことだ』

 それなりの親しさを感じさせながらも、頭と呼ばれた犬は、何故かフウガに近寄ろうとしない。それどころか、鼻に皺を寄せ唸り出した。

『この臭い……マックロ、よもや、ニンゲンなどと馴れ合うておらぬだろうな』

「ああ、クウガのことか? 頭にも声は聞こえてるだろ? 確かに元ニンゲンだけど、今は俺の相棒で……」

 フウガを遮る様に頭が吠えた。

『何を言っておる! あれ程、ニンゲンになど近寄るなと教えたではないか! 相棒だと? おぬしは騙されておるのだ! まったく、仕方のない奴だ、まだ我の庇護が必要なのか。散々言って聞かせただろう、ニンゲンなど、群れるしか能の無い、信ずるに値しない生き物なのだ』

〈え? なんて?〉

 先程と同じ科白を鋭い声で呟くクウガに、チョウキが慌てて割って入った。

「いや、少年はね、ワンコ君の恩人っていうか、人間ていうより、神様見習いっていうか……」

「そうだぞ。クウガは良い奴だし、立派な漢だ。そもそも、なんで俺が騙されてる前提なんだ。逆かもしれないだろ」

 チョウキとフウガの言葉に増々機嫌を損ね、頭は吐き捨てる様に言った。

『おぬしに騙されるようなめでたい者など、たかがニンゲンにもそうは居るとは思えん。

 そもそも、何故姿を隠して居るのだ。声だけで、立派な漢? 笑わせるな。見習いだと? 要は半端者であろうが』

〈フウガ、代わってくれ〉

 穏やかではあるが強い意思を感じさせるクウガの声に、フウガは姿を譲る。

 黒犬は掻き消え、代わりに人間の少年が現れると、流石に頭もギョッとして口を閉ざした。その隙に、チョウキがざっと彼等の事情を話す。

「ワンコ君に騙される者は居ないってのは、まったくもって賛成だけど、頭さんも落ち着いて。ワンコ君にも色々あってね。少年が姿を現さなかったのはワンコ君と身体を共有してるからで、礼儀がなってない訳じゃないんだよ」

 群れから離れ、怪我を負っていたフウガを、クウガが助けたこと。

 僅かな時間で、互いを強く想い合う様になったこと。

 その絆故に霊として彷徨うこととなり、魂が癒着してしまったこと。

 今は、神界で二魂一組で神候補と登録され、互いに助け合いながら頑張っていること。

 チョウキの話を一応聞いていた頭は、呆れた様子を隠そうともせず、クウガをじろじろ不躾に眺めた。

『立派な、などと言うから、どんな偉丈夫かと思えば、まだわっぱではないか! 我とて、死者の国で目にして、カミとやらの仕事が並々ならぬものと位は解っておる。こんな子供に務まるとは思えん』

「少年だけじゃなく、ワンコ君も一緒だって」

『マックロになど、もっと務まらんわ!』

 頭の言葉に、フウガがこっそりクウガに呟いた。

〈チョウキ様でも務まるなら、俺でも務まるんじゃないかと思うんだが〉

「フウガ、チョウキ様はとても有能でお忙しい方だって、マイア様も仰ってただろ。きっと今迄、俺達がその姿を見たことがないだけなんだ」

「君達、そういう話は、せめて俺に聞こえないところでやろうね。て言うか、何故、俺の評価はそんなに低いのかな? あっ、無視しないで」

 チョウキの不満を聞き流し、クウガは、不機嫌を隠そうとしない頭に怯まず、話しかけた。

「初めまして、お頭さん。俺はクウガと言います。確かに人間だし、色々と至らない若輩者ですが、フウガと身体を共有し……」

 頭がクウガの言葉を遮った。

『我はおぬしの頭ではない! ニンゲン如きが気安く呼ぶでな……ん? フウガとな?』

〈良い名だろ、クウガに貰ったんだ。頭も、今度からはフウガって呼んでいいぞ〉

 フウガの誇らしげな声に、頭の怒気が増す。

『我の付けてやった名が気に食わぬのか』

〈頭の名前の付け方、不満て言うより、もうちょっと何とかならないかなーとは、前から思ってたぞ。確かに俺は真っ黒だけど、もし群れに俺以外に真っ黒の仔が産まれたりしたら、その仔に何て名付けるつもりだったんだ〉

『……そやつはチビクロでよかろう』

「ワンコって、多産じゃない? 黒い仔が産まれるのが一匹とは限らないよね。そもそも、いつかはチビじゃなくなるんだし。大人になってもチビちゃんて、呼ぶ方も呼ばれる方も気まずくない?」

〈な、チョウキ様でもそう思うだろ? 頭は単純なんだ〉

 フウガの言葉に、頭は唖然とした。「此奴にだけは言われたくない」と、全身で訴える頭の空気を読み、クウガが割って入った。

「フウガ、俺達がここに来た理由、忘れてないか?」

〈そうだった。なあ、頭。記憶、かなり残ってるんだろ? それが、死者の国を抜け出した理由か? 未練を残してるのか? それなら、何で死者の国に逝ったんだ? 何で、今なんだ?〉

 フウガの問いかけに、頭は、拗ねた子供の様にそっぽを向いた。

『おぬしの知ったことではなかろう。ニンゲンの小僧と戯れるような愚かものに話したところで、我にどんな得が在ろうぞ』

〈何をそんなに怒ってるんだ〉

「取り敢えず死者の国に戻らない? 話の続きはその後で出来るでしょ? ワンコ君が送るからさ」

〈正真正銘の送り犬だぞ〉

「お、上手いね、ワンコ君」

 和気あいあいとした彼等の姿は、頭を更に苛つかせた。

『煩い! 我の事は放っておけ! もう、去ね!』

 叫び、風の様に奔り去っていった。

「去ねって……自分が去っちゃったねえ」

〈頭が本気なら、俺じゃ追いつけないかもな。あれで脚が速いんだ。それに、あの様子じゃ、追いついたところで大人しく逝かないだろうし〉

「頭さんは俺が探してくるから、君達はマイアちゃんの処に一回戻る? 心配してるだろう。解ってるだろうけど、この話はマイアちゃん以外には口外無用でね。後で楽園で待ち合わせよう」

「解りました。マイア様に報告してきます。フウガ、代わって」

 少年と黒犬は再び入れ替わり、神界へと急いだ。


「お帰りなさい。思ってたよりも早く、用は済んだのね。チョウキ様はいらっしゃらないの?」

「ただいま。悪いな、待っててくれたのか」

 休日をお気に入りの場所で過ごしたいだけよ、とマイアは微笑んだが、律儀な彼等のことだから、用が済めばきっと報告に来るだろうと、ここで待っていたのは明らかだった。それに、一体どんな用事だったのか、興味もあった。

 彼女の期待に応えるべく、口外無用と前置きをし、クウガは事の次第をざっと話した。

 最後まで黙って聞き終えたマイアは、溜息をついた。

「そこまで時間が経っていながら殆どの記憶を残しているのは、確かに珍しいわね。しかも、嗅覚もまだ残っているのでしょう? 肉体感覚なんて、真っ先に薄れていくものなのに」

「そうなのか?」

「ええ。私達が出会った時の事、憶えている? フウガは、受肉した肉体に、まるで違和感を感じていなかったでしょう? 記憶も、あの時は、最も大事な部分だけが抜け落ちていた。普通は逆なのよ。クウガなら解るでしょう?」

〈確かに、記憶は兎も角、あの頃の俺には肉体感覚は無かったです〉

「だから、色々なことが重なっていたとはいえ、貴方達が幽霊であると確信を持てなかった。フウガもお頭さんも、一言で言えば異色ね。

 ただ、記憶を保持し続けること自体は、それなりに前例があるのよ」

 親子や夫婦、或いは、深い友情や憎悪を抱いていた相手との邂逅、そういった死者の国での再会が、強い執着に結びついてしまうことは珍しくない。偶然思い出したことが、心残りに繋がることも皆無ではない。それらが強い程記憶を留め、浄化の枷となる。ただ、そう言った事例は滅多に起こらない。

 死者の国に辿り着くということは、魂が実体を失った事実と意味を受け入れているということだ。

 執着する相手との再会が引き金になるにも、死期のずれが大きければ、先に死んだ方の記憶はかなり薄れていることもある。その状態で出会えたとしても、どちらかは先に生まれ変わりを迎える事になり、結局は残された方の記憶も薄れ出す。そもそも、数多の魂が暮らして居るのだから、会いたい相手に必ず会える保証も無い。個体差はあるが、魂が記憶を保ち続けることは、かなり難しい。

「個体差もそうだし、種族差、っていうのかしら……兎に角、記憶や感覚が薄れ易い子や、逆に、忘れ辛い子達も居るわ。集団でなわばりを持つ生き物や、長命だったり、子を儲ける数が平均して少ない生きものの身体を経験すると、そうなり易い様ね」

 マイアの話を聞き、フウガは首を傾げた。

「記憶もそうだけど、何で、頭はあんなに拗らせてるんだろうな。クウガ、嫌な思いさせて悪かったな」

〈フウガが謝ることじゃないよ。ちょっと驚いたけど。お頭さんには、俺が人間なのも、フウガが庇うのも、受け入れたくない訳があるんだよ。

 でも、どうしたもんかな。チョウキ様は穏便に事を済ませるお積りだけど、お頭さんのあの様子じゃ、俺達が迎えに行っても、大人しく死者の国に逝ってくれなさそうだ〉

「それどころか、増々意固地になりそうだぞ」

 マイアが、慰めるように言った。

「私も、本音では未だに人間は苦手です。でも、貴方達のお陰で、強欲で、悪い処ばかりだと思っていた人間も、そればかりでは無いと学べました。欲深さは、情の深さと繋がっているのかもしれない、と。

 誰かを想う気持ちは、どんな生きものも同じなのでしょう。クウガ、貴方は私に気付く機会を与えてくれました。お頭さんとやらにも、貴方達の誠意が伝わる機会は必ずあるわ」

 マイアは、フウガの頭を撫でた。

「貴方達だって、生きている間は色々な事があったでしょう。記憶の浄化は、或る種、死者の特権なのです。もしもお頭さんが疎ましい記憶に縛られてるのだとしたら、とても苦しんでいるのかもしれないわ。神候補として、友として、助けてあげて頂戴ね」

 優しい女神の言葉に、フウガとクウガはやる気を漲らせた。

「ありがとな、マイア。正直、ちょっと腹立ったし困ったけど、頭には世話になったんだ。恩返しに行ってくる」

〈ありがとうございます。俺、フウガとマイア様に出会えて、本当に良かったです。よし、フウガ、行こう〉

 女神は、地上へ急ぐ黒犬の背を見送った。


 その頃、楽園を飛び出した頭は砂嵐の中を疾走していた。

 激しい風にも、体毛の一本もそよぐことは無く、干上がりそうな筈の気温も殆ど感じない。頭は、改めて己が既に肉体を失っているのだと痛感した。

 次第に走る速度が緩くなり、やがて脚は完全に止まる。砂の中で立ち尽くし、頭は不思議な気持ちで風に踊る砂を見つめた。

(よもや、忌々しい砂嵐を懐かしく感じる日が来るとは、思いもしなかったな)

 砂漠を東に行き、岩だらけの山を越えた先の草原が、頭が暮らしていた場所だった。今でも、群れの子孫達は、そこで暮らしている。

 彼等は、砂漠の西側の草原で群れを作り暮らしていたが、環境が変化してしまい、東側に移動することを余儀無くされた。そして、砂漠を越える際、群れの子犬を助け負傷したフウガを、砂漠に置き去りにすることになってしまった。それは死を意味していると、互いに解っていながら。

 生とは、危険が身近にあるということだった。ほんの少しの油断が、否、例え油断していなくても、あっという間に生は死に転じてしまう。仲間の死を悼む心は、生きる術を学ぶ強さと背中合わせだ。

 助けられた子犬は、身をもって危険を学んだ。そして、フウガの姿に感謝と勇気と悲しみを教えられ、それを糧に立派に成長した。フウガもまた、そうあることを確信しながら、自ら砂漠に残る選択をした――その後、ニンゲンの子供に助けられるとは知る由も無く、ただ己の選択の結果を受け入れたのだ。

 群れを率いる者として、あの時の選択を間違っていたとは、今でも思わない。だが、あの時、痛みで蹲りながらも、先に行くよう自分を促した黒犬の静かな眼が忘れられない。

(納得していないのは、我だけなのだな)

 頭にとってあの黒犬は、今でもフウガではなくマックロなのだ。

 マックロは、狩りが上手く、子犬達に優しかった。単純に見えて、群れの様子もよく把握していた。頭を茶化すような処もあったが、一線を引く礼儀はあった。頭とはまた違う形で、マックロは間違いなく群れの求心力だった。

 頭にとって、マックロは色々な意味で特別だった。彼等の社会では、順位は絶対の掟であり、同時に、常に変動の可能性を秘めている。だが、マックロは、子犬の頃からそういったことにあまり関心を示さず、どこか飄々としていた。掟を軽視している訳では無いが、縛られてもおらず、何時消えてしまっても不思議ではない身軽さがあった。彼等の社会では異端と言えたが、不思議と群れに溶け込んでいた。

 頼もしくもあり、手放しで認めるには経験不足でもあり、可愛くもあり、そして、少し妬ましかった。感情の渦とマックロは連動し、悩みの種だったこともあった。何時か、己の座はマックロのものになるのだと、期待と焦りを抱きもした。部下であり、仲間であり、懊悩の源であり、信頼する仲間であった。

『それが、よりによってニンゲンなんぞと……!』

 先程の遣り取りを思い出し、頭は低く唸る。人間の子供に容易く心を許したマックロも、あの子供も、許せなかった。

「そんなに人間が憎いのかい?」

 どこか悲しそうな声が、頭を現実に戻す。いつの間にか砂嵐は止み、徐々に夜の色に染まっていく空を背景に、光る珠が頭の目の前で瞬いていた。

『ああ、憎い。我のものを奪ってゆくのは、何時もニンゲンだ。何故だ? 我が弱いからか? それとも、ニンゲンは特別なのか?』

 頭は呟くようにチョウキに問う。

『貴殿はカミなのだろう? 教えて欲しい。我は、嘗ては獲物を狩る身だった。何故、狩る側と狩られる側があるのだ? 狩られる側は、生きている限り、狩られ続けなくてはならんのか?』

 チョウキは黙っていた。

『死者の国で、この世界はカミが創ったのだと聞いた。カミの理は、我には解らぬ。

 何故、我等は同じではないのだ? 皆が同じなら、こんな思いはしないで済むではないか……』

 沈黙が続く。やがて、何時になく静かなチョウキの声が、頭に答えた。

「人間が特別なんじゃない。大神様にとっては、全ての命が特別なんだ。神は、同じ命を望まなかった。同じ命が幾つあったところで、結局は一点に集約されてしまう。だから、君達は変化を受け入れられるよう創られている。神の手を離れ、互いを必要としながら、魂を、心を増やす為に。此処から見えない程遠くにある大地では、此処とは全く違う環境に適応した、君達から見たら不思議な数多の命が暮らしていたりするんだよ。

 神は勝手だと思うかい? 確かに、そうかもしれないね。

 でも、君が知りたいのは、きっとそう言う事じゃないんでしょ? だったら、その疑問の答えは、俺じゃなくてワンコ君に聞いてみたらどうかな。他の命と分かち難い程に結びついた彼なら、その疑問に答えの一つを示してくれるだろう。楽園に戻ろうよ。彼と話をしよう」

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