論争に勝つって、そんなに大事?
現代ではインターネットが普及して、いろいろな情報に触れることができます。それはとても便利で良い事だと率直に思うのですが、若干気になることもあります。それは、ネット上のコメント欄などで、論争になっているケースです。その中で、やたらと語尾に’www’を付けたり、反論できるならやってみろと挑発したり、相手が沈黙すると嘲ったりする人を良く見かけます。然しながら、そういう人に限って、物事の見方が一面的である事が多く、共感しにくかったりします(私は自分自身も含め、総てに対して懐疑的な見方をしてしまうので)。自分の方が優位である事を印象付けたいのでしょうが、見ていて逆に痛々しいです。折角良い意見を述べているのですから、もっと謙虚な書き方をした方が好感が持てるのになぁ、等とついつい思ってしまいます。実際、一個人が直接的に体験できることなどは限られており、発言の基となる情報の多くは間接的なものであり、断言できることなど多くない筈なのですから。
その点、ソクラテスが言うように己の無知を自覚する事はとても大切なことだと思うのです。「無知の知」という言葉を知ってはいても、それを実践している人は少ないように感じます。
私の場合、自分の考えや感想をストレートに言葉にしますが、その内容が絶対に正しいなどとは思いません。自分が間違えている可能性を自覚しつつ、その場合は誰かが正してくれるという前提で話します。ですから、相手の意見に真摯に耳を傾けるように心掛けています。
個人的な経験から言いますと、論争に勝ったからと言って、得られるものはあまり多くないです。せいぜい、自分の意見が間違っていないらしいという安心感(?)ぐらいのものでしょうか。逆に、負けた場合の方が、多くのものが得られます。自分の知らなかった情報、自分とは異なる視点、自己の考えの甘さや論理構成の不十分さ・矛盾点、等々。例えば、昔所属していた会社の研修で、’組織攻防戦’と銘打った論争(論戦かな?)のシミュレーション的なゲームがあり、そこで賞などを頂いたのですが、ちっとも嬉しくありませんでした。論争に勝ちはしたものの、そこから得られたものが多くなかったからです。
そんなわけで、論争に勝つって、そんなに大事?