サンドイッチと親の影②
「それはそうと、びっくりしたなぁ。まさか、出会って初日にジルが雇うことを決めるなんて」
ハンスさんはそんなことを言いながら、カウンターで頬杖をついている。手元には、ジルさんが用意してくれた水が置いてあった。「あれ? お酒は?」というハンスさんに無言で叩きつけらえたものだった。
「ずっと一人でやってきたのにどういう風の吹き回しだい? まさか、マユの可愛さにぐっときちゃったとか?」
「馬鹿言え」
ジルさんは、野菜の下手を器用にハンスさんの額にぶつけていた。ぶつぶつと文句を言いながらそれを拾うあたり、普段からこんなやりとりが行われているのだろう。私は、そんな気安い関係をうらやましく思う。
っていうか可愛いって、その、お世辞だってわかりますよ。うん、本当に。
「さっきは否定したが、たしかにマユは迷い人かもしれない。それこそ、信じられないことを昨日はやってたからな」
「ふぇ?」
「料理のことだ」
ああ、と胸の中で納得した。
たしかに、ジルさんが言うような文化だとしたら、私がやっていることは異質だろう。
魔力がない世界とある世界。それぞれでこうも料理の考え方が違うとは。
「え? どういうこと? マユは何かをやったのかい? 魔力を込めるってことを知らないって話だったけど」
「それだけじゃない。まあ、そうだな……ちょうど試作を作ろうと思ってたから味見役でもやってもらおうか」
「それって、毒見の間違いじゃない?」
ハンスさんが顔を歪めながらジルさんに声をかけているが、ジルさんはそ知らぬ顔で私を呼ぶ。それに従ってカウンターに入ると、そこでエプロンを渡された。
「正直、うちの店は流行ってない。それこそ、店の維持すらままならない状態だ」
突然、店の経営事情を伝えられ私は困惑した。まぁ、たしかに、お客さんは見当たらないから察してはいたけど。
「だから、こいつは生まれ変わるこの店の客、第一号だ。こいつの度肝を抜かせてやろう。こいつの反応を見れば、俺達の考えが勘違いじゃないってことも証明される」
にやりと笑みを浮かべたジルさん。
私は、驚くハンスさんを想像して、おもわず楽しみになってしまった。私は両手を握ると大きく頷いた。
「はい! やってやりましょう!」
「お、お手柔らかに」
何か不安げなハンスさんを後目に、私はカウンターの内側の調理場を見ながら、少しずつわくわくしてきたのを感じていた。
きっと、安心できたからだろう。
なんの後ろ盾もない状況で、きっとジルさんがなら力になってくれると。そんなことを勝手に思ったからだ。うん、なら私もジルさんの力にならないとね。
「では、何を作りますか? ジルさん。ここの看板メニューとかありますか?」
「いや、今はない。親父がやってたころは、色々とあったみたいなんだが……あ、実はな……この店は、親父の店だったんだ。料理に込めるのが上手くてな。繁盛してたんだよ。今じゃ全然考えられないけどな」
そうつぶやくジルさんに、私は視線を合わせる。
「俺と違って、親父は料理にしか魔力を込めれなかったけど、その分味も最高だったんだ。おふくろと一緒に切り盛りしながら……この店は笑顔で溢れていたんだ。けど……けど、な。親父もおふくろも死んじまった。だから、俺が継いだんだけどどうにもうまくいかない。魔力を込めるのは、俺も得意だと思ってたんだけどな」
突然の告白に、私は言葉をはさめない。
ご両親がなくなっている? ジルさんの年がいくつかわからないけど、私とそう変わらない。だからこそ、ご両親も若かったと思うし、それはもう辛かったんだろう。思わず、胸元で拳を握りしめてしまう。
だが、私の気持ちとは裏腹に、ジルさんは穏やかな笑みを浮かべていた。
「よし……なら、親父が良く作ってたあれなんかはどうだ? パンに具材をはさむ簡単な料理なんだが……食べやすいって商人とか冒険者の連中にも人気だったものだ。昼時なんか、すっごく売れててな――」
つまりはサンドイッチってことだよね?
うん、それならそんなに大変じゃないからすぐできるだろう。
「じゃあ、作りましょうか! お父さんの思い出の料理を」
「ああ、頼んだ」
そう言われ、私は思わずガッツポーズをした。
◆
「それでは、早速始めましょう!」
ジルさんと簡単な打ち合わせをした後、私は調理に取り掛かった。火は、昨日と同じように不思議たおまじない――詠唱というらしいが、それさえ唱えれば火が付く仕組みだ。魔導コンロというらしい。
ジルさんに続いて、「小さな灯よ、舞い出でよ。そして……我の願いを聞き入れたまえ」と言ったら火がついた。おぉ、さすがの異世界クオリティ。
火のつけ方をマスターした私は、早速材料を物色し始める。
えっと、これがパンでしょ? あんまり白くないし堅いけど、これしかないんじゃ仕方ない。私は、人数分のパンを切り分けると、それをわきに置いておく。
辺りをみるといくつか野菜が置いてあって……うーん、これってレタスかな? そういえば昨日の野菜炒めのベーコンもあったから……あとは。
「ねぇ、ジルさん。卵と……あと調味料ってありますか?」
「卵か。待ってろ。今取ってくる。調味料は、そうだな……うちはそれくらいしか置いてないんだ」
「えっと、塩だけ、ですか?」
「塩だけだ」
ジルさんは私にそう告げると、さっさと調理場の外へと言ってしまった。鳥小屋でもあるのだろうか。
っていうか、私は文化の違いに驚愕してしまう。調味料が塩だけって。本当にここの料理は魔力に頼りっきりなんだなぁ。
そんなことを思いながら、私は下ごしらえを始めた。
私は、レタスを水で洗った。それをざっくりと手で切ると、そのしゃっきり感に驚いた。
まるで、手で切る瞬間、弾けるように水滴をちらした。葉っぱがツヤツヤ光っている。ハリと弾力があるそれは、見るからに新鮮なのが分かった。そのレタスの水を簡単に切ると、次はパンである。固めのパンは薄めに切ったのだが、軽く火で焼いていく。
ここであまり焼き過ぎると、噛めないほどになってしまうから、ほどほどに。
そして、すでに食べたことのあるベーコンの登場だ。あぁ、昨日のは本当に美味しかったなぁ。
そんなことを思いながら、私はベーコンを薄く切っていった。そして、フライパンそれを敷き詰めていく。
「ほら、卵を持ってきたぞ」
「はい。では、こっちにもらっていいですか? あ、そうだ。そういえば、お酢とかあります? なければ、すっぱい果実とかでもいいんですけど」
「あるにはあるが……酢を味付けに使うのか?」
「それ以外に何に使うっていうんですか。あ、ありがとうございます」
私はジルさんからお酢を受け取る。匂いをかぐと、確かにこれはお酢だ。思っていたのと同じでありがたい。
さっそく持ってきてもらった卵を割ると、白身と黄身に取り分けた。そして、黄身だけをボールに入れると、そこにお酢と塩をいれて勢いよく混ぜる。だが、すぐに疲れてしまったので、ここは男でを借りることにしよう。
「あの……ジルさん。ちょっと手を借りてもいいですか? これを混ぜてほしいんですけど」
「ん? こうか? いつまで混ぜればいいんだ?」
「いいって言うまでです。私は油を入れていきますから」
そして、少しずつ油を入れていく。すると、だんだんと白濁し始め、粘度が上がってきた。
そう、こうして出来上がるもの。サンドイッチには欠かせない調味料――つまりはマヨネーズがこれで出来上がるのだ。
思ったよりも重労働なそれをジルさんに丸投げして、私は、ベーコンの焼き具合を見た。
「ねぇ、マユ。ベーコン焦げそうになってるけど大丈夫かい?」
カウンターの向こうからこちらを除くハンスさん。
まあ、普通はそう思うよね。けど、このベーコンはまだまだ焼かなきゃいけないんだ。
「いいんです。このまま、ベーコンから出た油で、焼き揚げみたいた状態でじっくり焼いていきます」
「へぇ……なんだかいい香りだね」
ベーコンは焼き始めると、脂身から油が流れ落ちる。焼き色がついたら普通は十分なんだけど、私はそれよりももっと焼くのが好きだ。
油がこれでもかと落ち、その油がベーコンを揚げていく。すると、ベーコンの縁はカリカリになっていき、香ばしさもひとしおだ。ずっと焼き続けてパリパリを極めてもいいんだけど、一歩手前で私はやめる。ジューシーさも残しておきたい。
私がベーコンを焼き上げ横を見ると、そこには額に汗をにじませるジルさんがいた。手元のボールをみると……うん、ちょうどいいみたい。
「ジルさんも、そこまででいいですよ。ありがとうございます」
「はっ、はっ……これが本当に美味いのか?」
「それはもう! これがないと生きていけない人もいるくらいです」
その言葉にジルさんは訝し気にボールを覗き込むが、味見はさせない。どうせならびっくりしてほしいからね。
私は、軽く焼いたパンに、出してもらったバターと出来上がったばかりのマヨネーズとたっぷりと塗った。
そこに、レタス、カリカリにやいたベーコンをこれでもかと乗せて、パンで蓋をする。
よし! これで完成だ!
「ベーコンレタスサンドイッチの完成です!」
私は、それをハンスさんとジルさん――どうせなら雇い主にも味見をしてもらわないと――の前にそれらを出したのだった。