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離別と決意の鍋料理③


 俺は走った。


 ソフィアの言う通りだ。

 俺は衛兵隊長だったころ、常に後悔しないよう最善を尽くしてきた。あの頃は今よりも冷静だったような気もするが、そんなことは些細な問題だ。

 俺は、俺が嫌だからマユを取り戻しに行く。

 それが事実であり、変えようのない真実だ。

 頭では利口でないことも分かっている。ただの一介の料理人にできることなどないかもしれない。けれど、それでもじっとしてはいられないのだ。やれることをやる。やりたいことをやる。

 今の俺にはそれしかできない。

 理由はわからない。けれど、今はそれだけしか考えることができないのだ。


 俺は魔法――身体強化魔法を使えるため、あっという間にエディンガー伯爵家の屋敷の前にたどり着いた。息を整え、背筋を伸ばすと門番に声をかける。


「夜分にすまないな。少し聞きたいことがあるんだが」


 声をかけると、二人いる門番は俺のことを訝し気に眺めてくる。それはそうだろう。このような時間に庶民が貴族の屋敷を訪ねるわけないのだから。


「なんだ、お前は。ここをエディンガー伯爵家の屋敷と知ってのことか?」

「ああ。そうだ。今しがた、ここに誰かが連れてこられただろう? 俺はそのものの保護者だ。連れて帰りたい」

「保護者だと? そんなものは知らん。それに、エディンガー様は誰かを連れ去るような犯罪など犯さない。帰れ」

「ふむ……そうか。なんとか確かめることはできないか?」


 地面を見ると、新しい馬車の轍が目に入る。

 少なくとも、今しがた馬車がここを通ったことは間違いないようだ。確かにその馬車にマユが乗っていたかどうかはわからない。けれど、俺の勘が言っている。ここにマユがいると。

 すると、横にいるもう一人の門番が何かに気づいたかのように口を開いた。


「おい、それってさっききたお客様のことか? 何やらメイドたちが準備に忙しいって騒いでいたぞ?」

「そんなわけないだろう? こいつの恰好をみろ。平民の客など、夜中に招くわけがない」

「それもそうだが……」

「た、頼む。その客の名前を教えてくれないか!? マユという女性を探しているんだ、頼む」


 俺は二人に向かって頭を下げるが、門番の反応は芳しくない。


「すまないな。俺達じゃ客の顔をみることすら名前を知ることもできないんだよ」

「たかが門番だからな」

「そうか……わかった」


 そういうことなら仕方ない。

 状況的にマユが連れ去られた可能性は確かにある。もし間違いであれば俺はきっと極刑も免れないだろう。だが、いまやることは動くこと。自分の信念と直感を信じて動くことに他ならない。

 であるならば――。


「お、おい、なにやってんだ、お前!」

「本気か!?」


 俺は、手に持っていた剣を鞘から抜いた。そして、二人に向けてその切っ先を向ける。


「俺はジルベール。元衛兵隊長のジルベールだ。俺はマユを連れ戻さなければならない。押し通らせてもらおうか」


 久しぶりに全身に纏う魔力にある種の高揚感を覚えながら、俺は目の前の門番を睨みつけた。


 

 

 

 二人の門番の意識を奪うのはそれほど難しくはなかった。

 一般的な衛兵程度の腕まえであるならば、俺の敵になるはずもない。すぐさま屋敷の中に入ると、いるはずのない俺に、使用人の面々が悲鳴に近い叫びをあげる。


「誰ですか、あなたは! すぐに立ち去りなさい」

「おい、見張りはどうした!? 門番は!?」

「衛兵隊にすぐに伝えるんだ! ご主人様を守れ!」


 すぐさま屈強な男達が数人、俺を取り囲む。メイドや執事達は、急な事態に対応するべく屋敷を走り回っていた。


「何者かは知らぬが、伯爵様の屋敷に入り込んで無事に済むとでも思っているのか?」

「危害を加えるつもりはない。俺は、マユという女性を連れ戻しにきただけだ」

「そんなものは知らん! 叩き出せ!」


 飛びかかってくる男達を避け、腹に一発ずつ剣の柄を突き刺していく。

 それだけで悶絶するほどの痛みだが、同時に魔力を相手にぶち当てると容易く意識を狩ることができるのだ。もちろん、死なないように手加減が必要だが。


 あっという間に数人の男を倒すと、俺は屋敷の奥へと向かっていく。


 すると、俺が登ろうとしていた階段の上から一人の男が現れた。

 壮年の男は、その衣服や佇まいからおそらくはここの主人だと思われる。周囲の使用人達が必死に俺の前から遠ざけようとしているから間違いはないのだろう。


「誰だ、お前は」

「俺はジルベール。しがない料理屋の店主だ」

「何が目的だ?」

「マユという女性を探している。ここに連れてこられたと聞いてやってきた」

「ふむ……そうか」


 男はなにやら考え込むように顎に手を当てると、目を細めてこちらを睨んできた。

 その視線は、死線を幾度も乗り越えてきた俺でさえ気圧されるものだったが、俺も負けじと睨み返す。


「大事な女性を取り返したいと、そういうことか」

「ああ」

「だとしたら愚策だな。こうも大っぴらにやって来ては、気づいてくれと言っているようなものだ。気づかれたらその女性が害されるとは思わなかったのか? 浅慮だな」


 あまりにも的を射た指摘に、思わず声を荒らげる。


「それでも! 俺はじっとしていられなかった。いなくなったマユに気づき、目をつけている貴族のことを思い出した。衛兵隊の権限では介入が難しい場合もある。だから来たんだ。それに――」

「ふむ」

「この屋敷の全員を叩きのめして、マユを連れていくことくらいは、まだできる。俺は、俺のすべてをかけてマユを守ると決めたんだ。さぁ、返答を。マユはここにいるのか? いないのか?」


 俺が男に話しかけると、なにやら顔を不自然にしかめながら不用心にも俺に近づいてくる。

 だが、斬る理由のない男に暴力をふるうことはできない。俺と男は至近距離で睨み合う形となった。


「まだ若いな。情熱だけでは人は救えないのがわからんか?」

「それでも俺は後悔したくなかった。大事な人を取り戻すのに、理由などいらない」

「そうか。大事な人だというが、そのマユという人物はお前にとってなんなのだ?」

「マユは、俺の――」


 男の問いかけなど無視すればいい。

 そう思ったにもかかわらず、聞かれた問いについ考え込んでしまった。


 マユは俺にとってのなんなのか。

 たしかに、思わず飛び出してここまで来たが、答えに相応しい言葉を俺は持っていなかった。

 数か月前にやってきた迷い人であるマユ。

 一緒に店を盛り立ててきたマユ。

 何気ない会話に、笑顔を返してくれたマユ。

 拙い俺の包丁さばきをみて、苦笑いしながらも練習に付き合ってくれたマユ。 

 たった数か月にもかかわらず、俺の中で思い浮かべるマユは、さまざまな表情をしていた。その記憶は、俺にとってかけがえのないものだ。

 両親を失い、店さえも失いかねなかった俺のところに来てくれたマユは俺にとっての救いだった。

 いつしか、いなくてはならない――そう思える存在へとなっていたのだ。


 そんなマユが俺にとっての何か。


 今更ながら気づいたが、そんなこと決まっている。一つしかないじゃないか。今まで自覚していなかったが、それを言葉に出すことできっと俺自身にも何かがはっきりと形作られるだろう。


「マユは……俺にとってのマユは、ただ一人の大切な人だ。一生をかけてでも守りたい人だ。だから、俺はここにきた」

「ふむ。よい目だ」


 男は俺の言葉を反芻するように頷くと、数歩後ろに下がった。


「さて。一つ聞きたいのだが、お前はマユという女性のことをそんな風に思っているからこの場での行いが許されるとでも思っているのか? 私が一言、お前に罪があるといえば、この町では生きていけないだろう。別の町に逃げても追われるのは変わらない。そんな境遇に大事な人を巻き込んでもいいものかな?」

「ここに来たのは俺の意思だ。彼女は関係ない。それこそ、俺はマユの意見を聞いて判断したいんだ。俺といてくれるのか、それとも違うのかを」

「つまり、彼女に振られたら一人捕まるのを受け入れるということか?」

「その通りだ」


 俺は迷いなく言い切って男を見据える。

 すると、男は険しい顔を崩すと途端に笑みを浮かべ、しまいには声をだして笑い始めた。

 俺は、なぜそんな反応をされるのか全くわからず困惑していると、男は苦笑いを浮かべながら息を吐く。


「いやはや……元衛兵隊長のジルベールといえば、冷静沈着でどんな事件もあっという間に解決する男だと聞いていたが、今のお前はただの馬鹿じゃないか! はははっ、まあ、そんな馬鹿が私は嫌いではない。もちろん、狂ったわけでも独りよがりすぎるわけでもなく、どこか冷静な部分を持っているのがなおさら良い」

「は?」

「門番が気を失ったのは余計だが、無断で連れ去った非は私にもある。お前の罪には目をつぶろうじゃないか。なぁ、マユ殿? あとはあなたとこの男の問題だろう? 来なさい」


 男の言葉に促されて出てきたのは、つい先ほどまで顔を合わせていたマユだ。

 そんなマユが顔を真っ赤にして姿を表した。


「あ、あの、ジルさん」

「マユ! 無事だったのか!」


 思わず俺はマユに駆け寄ると、マユはその小さい身体をさらに小さく縮こませてしまった。


「大丈夫か? 怪我はないか?」

「は、はい。大丈夫なんですけと……その恥ずかしくて」

「恥ずかしい? って――!?」


 俺もようやく気付いたが、あの言葉は告白にしか聞こえない。

 顔を赤らめるマユにつられて俺も動揺してしまったが後悔はしていない。きっといつかは伝えていた言葉なのだろうから。

 だが、返事を聞くにもまずはマユを連れ戻すのが先だろう。俺は、マユの肩をつかむとできるだけ怖がらせないよう微笑みかけた。


「マユ、何かされたか? 怪我はないか?」

「はい、それは大丈夫だけど――」

「ならよかった。さっきの話はおいおい話せばいいと思っている。とりあえず、今日は帰ろう。さぁ――」


 帰る。

 その言葉を聞いた瞬間、マユの表情が少しだけ強張るのが分かった。

 そして、そのまま俺を見上げると、どこか申し訳なさそうに言葉を落とす。


「ジルさん……私、ここにいようと思います。わざわざ来てもらって嬉しかったけど、やらなきゃならないことがあるみたい」


 そういったマユの顔は、今までみたどの表情よりも大人びて見えた。 

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