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離別と決意の鍋料理②

 ソフィアを送り届けた帰り、俺はぼんやりと考え事をしながら家路を急いでいた。

 このあたりはそれほど治安が悪くないといいつつも、マユを一人残していくことに気がかりがないわけではない。だからこそ、俺はやや小走りで家に帰る。


 まあ、あの店は俺が店主をつとめていると知られてはいるから、強盗などは近づいてはこない。元衛兵隊長の家に行きたがる犯罪者もいないだろう。

 そういった意味では大丈夫だとは思うのだが、絶対ではない。

 ましてや、待っているのがあのマユなのだ。

 迷い人であるマユはどこかこっちの常識とは違うところがある。だからこそ、注意してみててやらねばと思うのだ。


 そんな折、一台の馬車とすれ違った。

 ふむ。やたら高級な馬車だな。珍しい。

 俺はそんなことを思いながら店へとたどり着いた。


 店に入ると、当然のことながらいつもとかわらない。

 料理の残り香と、今まで人でいっぱいになっていた余韻がかすかに感じられる。俺は、いつもの通り片づけをしているマユに向かって声をかけた。


「マユ、戻ったぞ……マユ?」


 帰るなり、いつも顔を見せてくれるマユだったが今日は顔を出さない。不思議に思い厨房に行くと、床に皿が落ちており片付けも途中だ。 

 ざわり。

 嫌な予感がよぎった瞬間、俺はマユが使っている客室へと向かった。一段飛ばしで階段を登ると、すぐさまマユの部屋のドアを叩く。


「マユ! いるか!? マユ!」


 だが返事はない。

 俺は、再び厨房へと向かうも、見間違いではなかったようだ。やはり誰もいない。


「マユ! いないのか!?」


 俺の叫びは店中に響いているはずなのに返事はない。至る所を探しても、どこにもマユはいなかった。

 どこかに出かけている可能性も考えてしばらく待ったが、音沙汰はない。


 どういうことだ。

 やはりマユが一人でに出ていったということは考えずらい。それならば、片付けなどに手を付けずすぐに出ていくはず。

 そうなると、第三者の介入しか考えられないのだが――。


「貴族か」


 先日のおじさんとの話を思い出し、先ほどすれ違った馬車を思い出すとおもわず歯噛みした。

 

 そうだ。

 犯罪者は近づかない。けれど、元衛兵隊長の肩書に恐怖を抱かない人種だっている。ましてや、マユに興味を持っていると前情報まで持っていたのに俺は目を放してしまった。

 迂闊だった。

 完全に俺の失態だ。

 まだ決まったわけではないが、おそらくマユは貴族に連れていかれたのだろう。それが誰だかはわからないが、取り戻すのは簡単じゃない。


 マユのことを思うと、唐突に泣き顔が浮かんだ。

 そうなったら、なぜだか居ても立っても居られなかった。


「くそっ――!」


 俺は、護身用に店に置いてあった剣を掴むと、走り出した。

 

 マユを。


 マユを助けなければ。


 ◆


 俺がまず向かったのは金の羽衣亭だ。

 マユに目をつけているという貴族の噂を知っているおじさんに話を聞くべく、俺は夜にも関わらず羽衣亭を訪れた。


 羽衣亭は夜の営業もやっているため、まだ店の灯りはついていた。

 俺は、正面から中に入ると、俺の顔を知っていたのだろう。店員の一人が、さっと前に出てきて声をかけてきた。


「ジルベールさん、困ります。まだ営業中ですから、入ってこられては――」

「頼む。おじさんに、クレーズさんに会わせてくれ。急ぎの用事だ」

「ですから」

「お願いだ。一刻を争うかもしれない。頼むから、おじさんに取り次いでくれ、頼む!」


 俺は渋る店員の目の前で頭を下げた。

 それが精一杯の誠意だ。

 その姿が、周囲の視線をこれでもかと奪っている自覚はある。だが、なりふり構ってはいられなかった。マユがいない。それ以上の問題など、俺の中には存在しなかったのだから。


「ちょ――、こんなところで頭を下げられても」

「お願いだ! 頼む!」


 そう叫びながら、俺はそのまま地面に膝をついた。

 周囲のざわめきが一層強くなったのが分かった。


 それもそうだろう。

 膝をつき頭をたれるのは、本来であれば王にしか行わない行為。それを、店の入り口でやっているのだ。何事かと気になるのは当然だろう。


「そんなこと! ちょっと、立ってください、ジルベールさん!」

「おじさんに取り次いでくれ! 頼む! 頼むよ!」


 そんな押し問答をしていると、店員でも野次馬でもない声が唐突に響いた。


「おい、やめろジル。営業妨害でもしたいのか?」

「っ――!? おじさん!」

「いいから中に入れ。いい男が台無しだ」


 おじさんはそういうと、素早く店に併設されている自宅へと入っていく。

 俺は、それを慌てて追いかけていった。






「何があった?」


 おじさんはテーブルに座ると、険しい顔でそう問いかけてくる。俺は、つい前のめりになって矢継ぎ早に告げた。


「マ、マユが! マユがいなくなったんだ。おじさん、教えてくれ。マユに目をつけていた貴族の名を、すぐに」

「ま、まて。落ち着いて話すんだ。何があった――」


 俺の剣幕に気おされたのだろうか。

 おじさんはやや狼狽えながら俺に説明求めてきた。逸る気持ちを抑えながら、俺は一つずつ説明をしていく。


「……マユが突然どこかに行くなんて、俺のところに来てからなかったんだ」

「そうか。まあ、状況的に何か事件があったのは確かだろうな」

「だからおじさん……貴族の名を――」

「まあ待て。本当にその貴族がマユを連れ去ったのかもわからんし、まずは衛兵達に届け出を出してからだろう? 目撃情報もあるかもしれない。そう焦るな」


 俺は、おじさんの言葉を聞いて頭に血が上る。


「焦るなって! 焦るに決まってるだろう!? もし連れ去られてマユに危険が及んでいたらどうするんだ!」

「ふぅ……貴族が目をつけていたのはマユの料理の腕だ。少なくとも命はとられることはない。それよりも、下手に動いてこっちの立場が悪くなるほうが悪手だ。それに、もし貴族様に連れ去られたとして、料理人として召し抱えられたらそれこそ大出世じゃないか。マユにとってはいい話かもしれない」

「そんなことっ――」

「ないと言えるか? あいつは迷い人だ。後ろ盾もなにもないこの世界で、貴族という支えを得られるということは利点だろう。お前の店に住み込みで働いているという状況よりもずっと安定しているのは間違いない」

「そうだが……しかし」


 俺はおじさんの言葉を聞いて怒りを感じつつも、一理あるとそう思っていた。

 たしかに、俺の店は名前さえない料理店だ。

 そんな料理店よりも、貴族のお抱えになれば生活も安全も立場も得られる。マユにとってはいいことかもしれない。

 だが、それが理解できても、俺の中にくすぶる不快感は拭えない。

 すぐにでも連れ戻したい衝動がとめどなく襲ってくる。


「だからまずは衛兵隊に頼んで情報を集めろ。お前が育てた連中だろ? 信じてやれ」

「……わかった。そうしてみます」

「ああ。こっちでも情報は集めてみる。だから、今は帰るんだ」


 おじさんは俺の肩をぽん、と叩き小さく頷いてくれた。

 押される背中に促されるように、俺は金の羽衣亭から外に出る。空には雲がないのだろう。星が瞬き美しかった。


 けれど、そんな星空を見上げていても俺の気持ちは全く晴れない。

 無力感を感じながら、衛兵隊の駐屯所に向かおうと足を進めた。


 その時――。


「おにいちゃん」


 振り向くと、そこにはソフィアが立っていた。

 既に寝る支度を整えていたのだろう。薄手の生地の寝間着に着替えていた。女性らしい曲線が強調されており外に出る恰好ではない。


「ソフィアか。そんな恰好で外に出るな。中に入れ」

「今はそんなことどうでもいい。……マユさんがいなくなったって本当?」


 俺はその問いかけに小さく頷いた。


「それって……私を送ってくれてる間、一人だったせい?」


 その問いかけに俺は何も答えられない。

 きっと、大人として違うと言ってやれればいいのだろうが、そこまでの気持ちの整理はついていなかった。

 無言で、俯くことしかできない。


「……どうするの?」

「今から駐屯所までいって衛兵にこのことを報告するつもりだ。そこから調べて、その結果を待つことになる。それがおそらく一番いい方法だからな」

「お兄ちゃんは、本当にそう思ってる?」


 俺は、ソフィアの言葉に少しだけ苛立ちをおぼえた。

 

「どういう意味だ?」

「そのままの意味よ。お兄ちゃんは本当にそう思ってるの? って聞いたの。さっき、お父さんと話してるの実は聞こえてたんだ。だから、心配になって――」

「いいも何も! それ以外に俺ができることなんてない! それが一番いい方法なんだ! わかるだろ!?」

「でもお兄ちゃん……つらそうだよ?」


 その指摘に、俺は改めて自分がどんな顔つきをしているのかに意識を向けた。

 鏡などないが、全体が強張っているのが自分でもよくわかる。

 おじさんの話に納得したつもりになっていたが、本心は全く違うようだ。思わず顔を手で覆った。


「つらいに決まってる! マユは誰かに連れ去られたかもしれないんだぞ? あいつは迷い人だ。この世界で知り合いは俺と俺の周りに人間しかいない。そんな状況で知らないところに連れ去られたとしたら、それがどれだけ苦痛か……。それに、マユは、あいつは――」

「何よ、情けない」

「何?」


 ソフィアは、腕を組み胸を張り、こちらを見下ろすかのように見つめていた。

 その視線は鋭く、まっすぐを俺を射抜いている。


「お兄ちゃんは衛兵隊長だったんでしょ? その時からそうやって俺はつらいんだって言うだけだった? 違うでしょ? あの時のお兄ちゃんはいつだって勇敢だった。信念をもってたくさんの人たちを助けていたじゃない」

「今の俺は違う。ただの料理人だ」

「そんなことを言ってるんじゃないの! つまりはお兄ちゃんがどうしたいかでしょ!? 本当に納得できるの? もしこれでマユさんに何かあったら、後悔しないって言える?」


 そういわれた瞬間、おじさんに言われて無理やり押さえつけていた気持ちがあふれだす。

 マユを助け出したい。

 ほかでもない。俺が、彼女を助け出したい。

 しがない料理屋よりも貴族に召し抱えられるほうがいいのかもしれない。けれど、俺がそれでは嫌なのだ。


 そう、俺が嫌なんだ。

 俺が、マユと離れるのが嫌なだけだ。連れ去られたとか迷い人だとかどうでもいい。


 ただ、俺が、マユと一緒にいたいのだとその時ようやく気付くことができた。


「しかし……連れ去ったかもしれない貴族の名すら俺は――」

「エディンガー伯爵よ」

「え?」

「マユに興味を示していたのはエディンガー伯爵だっていったの。お父さんはずっと見張っていたからね。さっき、エディンガー家の馬車が急ぎ足で屋敷に戻るのも確認されたみたいだから」

「本当……か?」

「疑うならそれこそ衛兵隊にまかせたほうがいいと思うわよ? 私だってお父さんが話していたのを聞いただけだし。その馬車にマユさんが乗っていたなんて報告はないんだから」

「それでいいっ!」


 俺は、それだけ聞くとすぐさま走り出した。後ろを振り向きながら、ソフィアに向かって叫ぶ。


「ありがとう! ソフィア! すぐ戻る!」


 その言葉だけを残し、俺は全速力で貴族街へと向かった。

 エディンガー伯爵家は衛兵時代での見回りで場所はわかる。


 すぐ行くからな。マユ。


 そう強く思いながら、俺は街中を疾走した。


 ◆


 私は、走り去るお兄ちゃんの背中をじっと見つめていた。

 あっという間に小さくなっていく背中を見ていると、胸がずきりと痛む。


「よかったのか、あれで」


 後ろから声がかかった。

 その声はとても優し気で、聞きなれたもの。

 私は振り向きもせずに言葉を返した。


「うん……だって、マユさんに何かあったら私もいやだもん。それよりも、お父さんはどうしたの? いろいろしゃべった私を叱りにきた?」

「いや。そういうわけじゃないんだがな。お前に聞かれたのは俺にミスだ。それをお前が誰に話そうが叱るようなことじゃない」

「そう。なら、お父さんにいろいろ頼みたいんだけど」

「なんだ?」

「マユさんのこと、衛兵隊に伝えることってできる?」


 私はそういうと、お父さんは顔を歪めて笑った。


「はっ。そんなもん、とっくの昔に使いを出してるさ。それこそ、ジルの野郎が来る前に、な」

「さすがお父さん。それなら安心だわ」


 私はお父さんに背を向けたまま話を続けている。けど、それももう限界だ。

 震える声を隠すことが辛くなってきた。


「じゃあ、俺は戻るぞ。お前も、早く部屋に入れ」

「うん」


 お父さんが立ち去ると、その場には私一人が残る。

 それを自覚すると、今まで我慢していたものが堰を切ったようにあふれ出した。頬を伝う涙が、湧き出る嗚咽が、こらえきれず思わずうずくまる。


 あんなに取り乱したお兄ちゃんを見たことがなかった。

 感情をむき出しにしたお兄ちゃんを見たことがなかった。


 私が知っているお兄ちゃんは、いつでも冷静で落ち着いた頼れる男性だったのだ。衛兵隊長として、何があっても最善な立ち回りをして多くの人を救ってきたお兄ちゃんの姿を私はずっと見てきていた。


 けど、あんなお兄ちゃんを私は知らない。

 そのことが、私の心をさっきからこれでもかと逆なでていく。


「お兄ちゃん……。もし私がいなくなっても、同じように必死になってくれる?」

 

 誰にも聞かれることのない言葉。

 そんな愚痴のようなものをこぼしつつ、私は地面を涙で濡らしていった。

 

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