閑話 ジルベールの独白
俺の名はジルベール。
親父が残した店の店主をしていた。
というのも、半年ほど前。親父とおふくろは死んだ。流行り病だったらしい。
俺は、イーヴァルの街の衛兵隊に所属していたのだが、他の街に遠征に出ており、死に目には会えなかった。苦しまずに逝ったことを後から聞いた。
親父は料理屋をやっていた。
かなり競争の激しいイーヴァルの街中で、親父の店はそれなりに繁盛していた。昼間は商人や冒険者達が腹を満たしに、夜は仕事を終えた奴らが酒を飲みながら騒いでいた。親父は笑顔で飯を食べる奴らをみて、同じように笑顔を浮かべていたのが印象に残っている。
どんなにむしゃくしゃした奴らも、親父の料理を食べると笑顔になるのだ。
幼いころからそれをみていた俺は、そんな親父を誇りに思っていた。
だからこそ、この店を潰したくなったんだ。
料理なんて、ほとんどしたことがなかったが、それだけの想いで俺は衛兵を辞めて、この店の店主になったんだ。
最初は、常連が来てくれていた。きっと気を使ってくれたんだろう。
まあ、俺も魔力を込めるのは得意だったから、料理もそれなりの味になった。だが、だんだんと客は離れていく。曰く、「美味いんだけどさ、なんか親父さんと違うんだよな」、そういって皆が去っていった。
俺は、料理なんてできない。
だが、魔力を必死で込めれば、それなりに普通に食べれるくらいの味にはなる。もちろん、調理をすることでもっと美味くなるとは思うが、そんなに手をかける暇もなければ必要もない。この店は大衆向けだ。別に見た目や彩りで腹が膨れるわけじゃないから、とにかく安く、量を確保して味は魔力でどうにかした。
最初のころは安さと量に惹かれてやってくる客がいたが、それも今じゃほとんどいない。
味に関しては、正直、その辺の店と変わらない。けど、客が寄り付かないのは他に理由もあるんだろう。だが、それは俺にはわからない。俺は、親父にはなれなかったのだ。
そんなある日、俺は一人の女性を拾った。
魔力を込めることも知らない不思議な女性だったが、ハンス曰く迷い人だろうと。
そんなわけあるか! と思ったが、確かに、その恰好といい、佇まいといい、不思議な感じはする。現に今も、親父が作ってた料理を作ってもらっていたが、何をやっているかさっぱりだった。
親父の料理を見続けてきた俺ですら、わけがわからない。
そうして、マユが満面の笑みで出してきたのは、かつて親父が作っていた料理にとても似ていた。
そして、驚いたことに、マユが料理に魔力を込めたのだ。俺が魔力を込めればいいと思っていたから、それはうれしい誤算だった。魔力を込めるのもそれなりに大変なのだ。
そして、ようやく俺はベーコンレタスサンドイッチと呼ばれた料理を口に運んだ。
これはうまい!
間違いなく親父の料理よりも!
そんな感想を抱きながら、俺はあっという間に食べきった。
本当に美味かった。こんな料理、食べたことがないというレベルで。
不安とは裏腹に、大満足の結果。俺は、感想を彼女告げようとしたその時、ふと胸が妙に暖かいことに気づいたのだ。
親父とおふくろが逝ってから感じたことのない温もり。
空腹だけでなく、寂しさや悲しみまで包んでくれそうな、そんな温もりを感じていた。
これは……親父の料理を食べた時と、同じ――。
そう思った瞬間に、意図せず涙が流れていた。
客に言われた「なんか、親父さんと違うんだよな」という言葉。俺は、身をもってそれを感じていたのだ。
魔力だけではない……心を込めた料理の持つ美味しさと温もりを。
見上げると、そこには俺を心配そうに見つめるマユがいた。
その顔を見ていると、なぜだか胸が締め付けられるような気がしたのだ。
◆
そして、マユが作ったサンドイッチ。
それは俺の店の売れ筋となった。……といっても、これしかメニューはないのだが。
日々、嬉しそうにサンドイッチを頬張る客。最初は、これで店が維持できる、としか思っていなかったがだんだんと不思議な感情が芽生えていくのが分かったのだ。
楽しい。
サンドイッチが買われることではなく、客が笑顔になること。これをみていると自然と笑みが生まれた。衛兵時代には考えられなかったことだが、誰かが嬉しそうに食べているのを見ると、ほっとした。
自分が込めた魔力。あぁ、これは間違っていなかったのかもしれない。自分が認められたような、そんな気がした。
そんなことを思いながら隣を見ると、マユは客よりももっと笑顔でサンドイッチを作っていた。
俺なんかじゃ、きっと真似できない包丁さばきと手際のよさで、あっという間にサンドイッチを作っていく。俺は、その手伝いと魔力を込めるだけだ。当然、魔力を込める疲れはあるが、確実に俺以上の仕事量だったマユは、俺以上の何かを感じながら料理を作っているんだと思う。
楽しい、だけじゃない、何かを。
そう思ってから、俺はつい視線でマユを追ってしまっていた。
料理をするところはもちろん。
掃除をしているところ、マユが料理を食べているところ、朝起きたところ、疲れてテーブルに突っ伏しているところ、真剣に料理に向き合っているところ。
たくさんの表情がそこにはあった。そんなマユを見ながら俺は不思議に思ったのだ。どうしてたった一人、この世界に放り出されてそんなに笑えるのか。俺だったら笑えやしない。不安で押しつぶされそうになるだろし、見るものすべてを敵だと思ってしまうだろう。
だが、マユは最初こそ、おどおどしていたが今じゃはっきりとものを言うし、喜怒哀楽もしっかり表現する。俺にもものおじせずに意見を言うところはとても好感がもてた。……衛兵時代はよく怖がらせてしまい、ハンスに小言を言われていたこともあったからな。
そんなマユの強さがどこからくるのか。それはわからなかったが、俺自身、その姿にとても憧れた。
一人で立って、そして自分の料理の力で目の前の問題を突き破っていくマユの姿に。
だから俺はあんなことを口走ってしまったのかもしれない。そう――マユに近づきたくて野菜の切り方を教えてくれなどという、失言を。
「ちょっ! ちょっとまって! ジルさん! そうじゃない、そうじゃ!」
包丁を振りかぶった俺を必死で止めるマユ。
いや、なんで止めるんだ? 刃物はこうするものだろう?
「剣を使う時はこうするんだが」
「剣って……。よく考えてくださいよ。お父さんはそんな風に包丁を使っていましたか? そんなんじゃ、まな板だけじゃなく下の調理台まで真っ二つです!」
「むぅ……」
「だからね。ほら、こうして――」
そういって、俺に手にマユがそっと小さな手を添えてくれた。
小さく、細い。そして柔らかい手が、俺の無骨な手を包み込んだ。
驚いてマユをみたが、なぜだかマユも同じように驚いていたようだ。普段から大きい目が、よりぱっちりと見開かれている。
「あ、あああああ、あの、こうやって、力を抜いて、ゆっくり!」
「こ、こうか?」
「そうです。そんな、かんじで……」
そのまま、何度か野菜を切る。
俺とマユの手は触れ合ったままだ。なぜだか、急にぎこちなくなったマユの緊張が、俺にも伝わってくる。
そんなことを何度か繰り返していくうちに、ようやく野菜の切り方がわかってきた。力を入れず、野菜に逆らわない。無理やりではなく、包丁の重みを利用して、そっと……。
ようやく俺の切り方が見れるようになってきたのか、マユは手を放して横から口を出すようになった。
この年になって、年下に指導を受けるようになるとはな。
ふと、マユを見ると、いまだに顔が真っ赤になっており、その初心な様子におもわず笑みがこぼれた。
強いだけではない。年相応――いやそれよりも幼いかのような女性がそこにはいたのだ。
その姿を見て、俺はようやくマユのことを知ることができたと思った。
一人、この世界で強く生きていくマユに憧れたが、それはマユの一部分でしかなかった。
本当は、普通の女性なのだ。
すごい料理の技術を持っていようが、迷い人だろうが、それはマユを装飾する一つの材料でしかない。
俺は、そこじゃない、本当のマユのことをもっと知りたいと自然と思った。
この世界でたった一人。強く、健気に立っているマユを、守ってやりたいとそう思うようになったのだ。
――そんな話を、ついぽろっとハンスにしたことがあった。
「えっと、つまりジルは、マユにメロメロで骨抜きにされててお姫様で一生守ってやりたい的なナイトになりたいってこと?」
その瞬間、俺はハンスを殺してやろうと心に決めた。