野菜炒めとプロローグ①
申し訳ありません。
どうしても全体のリズムの調整をしたく11/5に全面改稿いたしました。
大まかな流れは変わっていませんが、細かいところでの修正点はあります。
ご不便をおかけして申し訳ありません。
落ちていく。
そんな陳腐な表現だけど、私はまさにそれを体感していた。
圧倒的な浮遊感。
内臓がお腹の中で暴れる嫌な感じ。
ジェットコースターのそれよりも強い不快感に、思わず身体を丸めて歯を食いしばった。
――いつまで続くのか。
そんな私の嘆きは誰にも届かない。永遠に続くような苦しみ苛まれつつ、私は頭の隅で少しだけ前のことを思い出していた。
「行ってきます」
「うん、行ってらっしゃい。今日は初の面接だっけ? 頑張ってね」
私が家を出るときに、お母さんが声をかけてくれた。
全く気のりがしない私の様子に、お母さんは苦笑いを浮かべていた。
「もう少ししゃんとしたらどう? そんなんじゃ、受かるものも受からないわよ?」
「だって……一応希望の食品系だけどさ。やっぱりちょっと違ったかなって」
「いいじゃない。商品開発とかやってるところでしょ? 面白そうで」
「そうだけど……」
玄関で靴を履いたまま立ち上がれない私の肩に手を乗せたお母さんは、優しい声でそっと言葉を紡いだ。
「茉由は、小さな料理店でもやるのが性にあってるのかもね」
「……やっぱりそう思う?」
「そりゃあね。いつも何か作ってくれる時に私達の反応ばっかり気にしてるからさ。食べて喜んでもらうの……好きでしょ?」
「うん……」
言葉に詰まってしまう私の背中をぽんと叩くと、お母さんはリビングへと入っていってしまう。
「どこに行っても気持ちはちゃんと届くわよ。だから、頑張ってらっしゃい」
「わかった……いってきます」
そういって家を出た、あの時のこと。
私――相良 茉由は、世にいう就活生だ。
もう、大学生活も一年を切った。スタートダッシュが出遅れたから、面接も何も受けることができていない。しかし、ようやく動き出そうと重い腰を上げた途端にこれだ。
ようやくこぎつけた面接に遅れそうだからと、小さな路地を突っ切ろうと思ったのが間違いだったのだ。意味も分からず、地面が抜け落ち、躓いたかと思うとこれだ。落ちている。それだけは間違いない。
そんなことを考えたのもおそらく数秒。
落ちる速度が緩んだかと思ったら、突然、どこかに放り出されたのだ。
「ぐっ――」
視界がぐらりと揺れる。
ぼやけて見えるのは、どこまでも続く草原だ。周囲は薄暗く、あまり詳しいことはわからない。
「え……、ここ、どこ?」
スーツを泥だらけにした私は、ぼんやりと周囲を見渡すことしかできなかった。
◆
あの路地裏を抜けたら、大通りに出て間もなく面接先の会社のビルが見えるはずだった。
だが、今はどうだろう。
ところどころにまとまった茂みはあるけれど、見渡す限りの草原。テレビでみたアフリカのサバンナみたいな光景が目の前に広がっている。
私は混乱する脳内を落ち着かせようと躍起になるも、結局は混乱という名の海に落ちてしまいそれは叶わない。思考は完全にフリーズしてしまい、疑問は解決されることなく積みあがっていく。
いやいやいやいや! おかしいよね!?
私、街の中にいたんだよ? それがいきなり草原に放り出されるとか――あり得ることなの? 最近の就活のトレンドは、サバイバル能力を試すレクリエーションでもやるってこと? それとも新手のドッキリですか?
関西の人が聞いたら一笑に付される程度のくだらないボケに突っ込んでくれる人はいない。
私は、自分でさえ呆れる疑問にすら、その答えを持たなかった。
咄嗟に私は鞄から手鏡を取り出し、自分の顔を映した。
うん……。いつもの私だ。
就活用に黒く染められた髪は、肩あたりのボブ。厚めに切りそろえられた前髪は実はお気に入りだったりする。地味なスーツは可愛さのかけらもないけど、中学生くらいから全く伸びなくなった背に合わせたものを親が買ってくれたものだ。これから、ずっと使っていこうと思った矢先だったのに――。
この状況はなに! 全然落ち着けないんですけど!
普段はそんなに取り乱さずどちらかというと落ち着いてるのが私なのだが、この状況だとそうも言っていられない。
少し動いたらちょっとは落ち着けるかな?
そんなことを思った私は、その場で立ち上がってみる。すると、先ほどまで見えなかった、気づくことの出来なかった状況が目に飛び込んできた。
「ひっ――」
薄暗い草原に光る無数の瞳。
犬みたいな獣の影がこちらをうかがっているのが見えたのだ。
私はおもわず走り出した。
夜道で猫に出会っただけでもびっくりするのに、あんなにたくさんの獣がこっちを見ていたら怖いに決まってる! どこに逃げるかもわからないまま無我夢中で走った。
「はっ、はっ、はぁ――」
でもいくら走っても、獣達を振り切ることなんでできない。後ろで、横で、がさがさと何かが走る音が聞こえる。
いつの間にか、周囲は真っ暗になっていた。
「誰かっ――! 誰か、助けて――」
夢中になって叫ぶけど、返事はない。だめだ、逃げきれない!
どうして! どうしてこんなことに――。
恐怖からか、涙があふれその場にうずくまりたくなってしまう。けれど、私を追い立てる獣達は待ってはくれない。茂みをかき分ける音と唸り声が徐々に近づいてくるのが分かった。
大した距離は走っていないけど、慣れないパンプスでもう足も痛い! もともと運動も得意じゃないしもう無理! 無理だよ!
心の中での叫びが聞こえたのか、獣達もここぞとばかりに私に飛びついてきた。
小柄な私を一匹の獣が突き飛ばすと、抗うことなく倒れてしまう。全身に痛みが走るが、今はとにかく逃げないと――。
再び立ち上がろうとした私の目の前には、息を切らした獣がいた。視線が絡む。逸らせない。
じりじりと近づいてくる獣の口からは、月明りに照らされたよだれが一筋、地面へと落ちた。
「あ、あぁ、ぅ……」
いつの間にか、周囲を取り囲まれていた。全身が震えて声は出ない。歯ががちがちとふれあい、全身の血の気が引いているのがわかった。
――あぁ、私ここで死ぬんだ。
そんな確信を抱いた私だったが、次の瞬間にはそんな想いを打ち砕くような衝撃が走った。
何かが飛んできたかと思ったら、目の前の獣が突然真横に吹き飛んでいったのだ。
甲高い悲鳴を上げながら飛んでいく獣の反対方向――何かが飛んできた方向を見ると、暗がりに大きな影が見える。そして、その影は、何やら大声で叫んでいた。
「逃げるぞ! 掴まれ!」
その言葉とともに近づいてくる声。そして、近づくにつれて見えてきたのは、馬にのった人だった。そこから伸ばされた手。
私は、その手を必死につかむと、ぐいと力強く引き寄せられた。私は、離すものかとその腕の主にしがみつくと、腕の主は追いかけてくる獣をあっという間に置き去りにした。
こうして、私は一命をとりとめたのだ。