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 ──「アルベルチーヌ」に連れて行きたいよう。


 待ち合わせ場所は視聴覚教室だった。よく、英語の発音練習関連で自習をしたい時とかに使用許可を貰い、使わせてもらう。二人席で、机上にはテープ用カセットとヘッドホンが備え付けられている。一応間は板で聞こえないよう区切られているけれども、横顔すべて隠れる程ではない。密談するにはいい場所だった。清坂さんにも了解を得て、この日、ふたりっきりのデートもとい、相談を持ちかけることができた。めでたいことである。 ケーキやお茶が出ないのが残念だ。紡も本当だったら「アルベルチーヌ」にお誘いして、ふたりでゆっくり語らいたい。しかしながらあの店の正体がばれてしまった時のリスクも計算しなくてはならない。なにせ清坂さんには彼氏がいる。レズビアンというものに対して免疫があるかどうかもわからない。ただやたらと女子の多い喫茶店ねと思われるならまだしも、たまに見かける口移しのお食事とか。そういうのを見られようもんなら速攻、縁を切られる可能性がある。最初はまず、無難なところでしめたかった。

「お待たせ! 近江さん」

 先に席について、ヘッドホンをかけて考え事していた紡の肩を清坂さんはぽんと叩いた。

「やっぱり、人がいるところだとまずいもんね。声かけてくれてありがと」

 ──全く疑ってないわね。 紡は曖昧に笑った。清坂さんの髪型が可愛いとか、しゃべりかたが甘えてないのにやわらかくて心地いいとか、いろんな言葉が頭の中に思い浮かぶ。でも半分以上は内緒にしなくてはならないものばかり。男子では……もちろん天羽くんにだってこんな気持ちにはならないのに。かろうじて自分の中で許可の下りた言葉だけを使った。

「清坂さんって、いかにも少女って感じだよね」

「しょうじょ?」

 ぴんとこなかったみたいだ。小学校時代の友だちにもいなかったタイプだ。同世代の女子が持つ、チーズを焼いた時のようなねばっこさがないし、においもない。なのに話しているとこくのあるうまみがある。不思議な味わいだ。

 清坂さんはかばんを机の上に置き、椅子に腰掛け、それごと紡の向かいに移動した。

「私も、近江さん大変だろうなあって思ってたの。だから、こうやって話せてよかった」

 ──私と話せてよかったって、ほんとに言ってくれてるのかな。

 たぶん若干、紡の望んでいることとは異なるだろうけれどもしかたないと思いつつ、紡は素早く話を進めることにした。外は曇っていた。久々に冷えた空気が漂っていた。

「私も、評議委員会の内部事情あまり他の人に聞けないし、本当だったら聞く気もないんだけど、ただ自分が巻き込まれてしまった以上、しょうがないのよね」

 高揚気分をごまかしたくて、髪の毛の先をつんつんしごきながら紡は切りだした。

「けど、事情が事情だし、他の人たちも私のこと嫌っているみたいだし、なかなかね」

「そんなことないよ。近江さんかっこいいって、うちのクラスの人たちみんな言ってるよ」

 ──かっこいいって言ってくれるのは、清坂さんだけでいいのに。

 本音が人差し指の痙攣でばれないように、紡は同じしぐさを繰り返した。

「それに担任との関係もいろいろあるし、なかなか聞けないのが歯がゆくもあったわけ」

「うん、わかる、わかるなあ」

 こくこく頷くのが、なぜ清坂さんだと嫌味に感じないんだろう。大きな瞳を覗き込むたび、巨峰のおいしい奴と同じく一気に口に放り込んでしまいたくなる。

「だから言うんだけど、私が入る前に、うちのA組評議同士の間で何があったのか、清坂さんが分かる範囲内でいいんで教えてほしいのよ」  

  簡単には返事をしないかもしれない。もし教えてくれないのだったら別の方法を考えるのみ。答えに期待はしていなかった。目をそらさないで清坂さんが考えこんでいるのを紡は、楽しみつつ待った。

「あの、すっごく言い方難しいんだけど、近江さん、いつから天羽くんと、なの?」

 ──やはりね。

 今の三年女子評議に嫌われている理由がそれだ。一、二年と仲良し同士だった西月さんのことを考えるとそりゃあそうだと思えなくもない。無難に答えておこう。

「付き合いかけられたのは四月頭。でも、周りの人が騒ぐほど付き合いらしいことしてないわよ。うちの担任も公認だし」

「えっ、狩野先生も!」

 なぜそこで驚くのか。意外なところですっとんきょうな声を上げ、口を押える清坂さん。

「そう。たぶん、評議の天羽くんと付き合えば、私もクラスに溶け込むんじゃないかと計算していたんじゃないの? まあ、男子とはしゃべること多くなったから、お得だと思えないこともないけれどもね」

「近江さんって、なんというか、面白い考え方、するよね?」

 可愛い。ほんっと、食べてしまいたいくらい可愛い。艶やかな髪の毛を思いっきりなでなでしてあげたい。男子たちの性衝動というものがもし自分と重なるのだったら、きっとこれこそ「そそられた」状態だろう。つばを飲み込みつつ紡は話を逸らした。でないと、教室に今ふたりきり。

「たまに寄席に行ったり、落語の話、したり。ちっとも、清坂さんたちが委員長としているようなこと、してないけどね」

 最後の一言は少々、ジェラシーが混じっていた嫌いもあり。

 すぐに清坂さんの頬が、熟れる直前の林檎と同じ、淡い赤に変わっていくのを、紡は面白く眺めた。さて、あのうすのろ評議委員長は清坂さんにどんな悪いことしているんだろうか。

「あ、あのね、近江さん。それでもうひとつ聞いていい?」

 今度は清坂さんが話を逸らした。やはり、あまりふれられたくないことらしい。

「小春ちゃんとは、あまり話、することないの?」 「あるわけないじゃない。私が天羽くんを、たらしこんだって思い込んでいるんだからね。こちらとしては迷惑なんだけどね」

 この辺は本音だ。女子評議たちにはさんざん悪口を言っていることだろう。クラスの女子たちにはいい子ちゃんぶって、紡に手を出さないように言い募っているらしいけれども、どこまでその演技が通用するのだろうか。衝撃的事実「片岡くんが深草少将だった」事件も公にされつつあり、さらに西月さんの立場は悪化しつつある。これ以上落ちるところのない片岡くんに比べ、まだ元評議委員のプライドの残る西月さんにはしんどいところだろう。

「でもそれはしょうがないことよね。近江さん、小春ちゃんを傷つけたくて言ったわけじゃないんだもの」

「今後のA組のこと考えると、私も大人になってうまくやっていかないとまずいかな、とは思うのよ。だから聞きたかったの。冬休みに、西月さん、何をやらかしたのかなあって。私の見たところだと、二年二学期まではほんと、あの二人目に毒な程いちゃいちゃしていたのに、冬休みが終わったとたん、ああでしょう。人に迷惑をかけないのだったらそれでもいいんだけど、こちらも当事者になってしまった以上、なんとかしなくちゃいけないし。それに」

 言葉を切って、ささやいた。別に聞かれて困る人がいるわけでもないけれど。

「天羽くんは、言ってくれないし。男子って変だよね。こういう聞かなくちゃいけないことに限って、口にしてくれないよね」

 どうやら思い当たる節があるらしい。清坂さんは大きく頷いた。

 ──あの委員長、いったい清坂さんを泣かせること平気でしているのかしら。

 また、ちりちりと、痛いところが出てきた。それが何なのか判断できないうちに、清坂さんは語り始めた。評議委員会と、天羽くんと、西月さんとのことを。


「評議委員会では、毎年冬休みに『ビデオ演劇』ってものをこしらえるのが慣わしになっているの。これは知ってるよね。たまに教室で観たりすることもあるしね」

 ──ああ、あれね。立村委員長がシャーロック・ホームズになったって奴。

「去年は『忠臣蔵』で、今年は『奇岩城』。毎年そうなんだけど、二年が中心になって、全クラスの評議委員と一緒にこしらえるのよ。今年は違うけれども、大抵の年、評議委員って入れ替わりがないから、ほとんどツーカーで話が通じるのよね。いわば、演劇部の代わりって感じかなあ」

 噂には聞いたことがある。やたらと演劇好きな先輩がいて、その人の命により、自宅のビデオカメラやらデッキやらを用意して、学内でビデオ撮影を行っていたらしい。しかも、わざわざダビングを繰り返して画像を劣化させつつ、一本の物語を構成するという。それだったらもっと本格的に自主映画をこしらえるよう、学校側に相談すればいいのに。なんだか中途半端でばかげていると紡は感じていた。

「確か、アルセーヌ・ルパンのものよね」

 大体見当がついた。このあたりの事情は前々から聞いていた。クラスの女子たちと、西月さんがしゃべっていた言葉でぴんときた。

「そうなの。ルパンが天羽くんで、恋人役が、小春ちゃんだったの」

 ──なるほどね。やっぱりそこなのね。

 クラスでも、また委員会でも公認のカップルだったら、そういうキャスティングもしゃれの一つとして楽しめただろう。いきなりの大崩壊がなければ、楽しく打ち上げを行ってお仕舞いになっただろうに。知りたいのはその先だ。

「私も『奇岩城』読んだことあるけれど、確かルパンの恋人って、レイモンドとか言ってたような気、するんだけど」

「そうなのそうなの。レイモンドがね、ラスト、ホームズに撃たれそうになったルパンを守るために飛び出して、殺されてしまうの」

 「ホームズ」という言葉を口にしたとたん、また頬がほんのり赤らんだのは、くだんのシャーロック・ホームズ役が立村委員長だったことにも関係あるだろう。確か「名探偵ホームズ」と「怪盗ルパン」の作者は全く別で、国もイギリスとフランス、ということで違うはずなのだけれど、なぜいきなり出てくるのかわからない。面白いともなんとも思わない本だった。

「ふうん、ということは」

 紡は指先で机の上をなぞった。丸く、小さく。

「そのキャスティングをしたってことは、まだ天羽くんと西月さんは仲たがい、してなかったってわけ」

「もちろん! だって、私たちもそんなことになるなんて、考えてもみなかったんだもん!」  

  少し背中を丸めるようにして、清坂さんは紡を見上げた。チワワみたいだ。可愛い。

「近江さんは知らなかったと思うんだけど。私たち評議委員の中では暗黙の了解っていうのかな、小春ちゃんと天羽くんはもう公認のカップルで、くっつくのも時間の問題なんだって思い込んでいたとこがあったの。小春ちゃんも、やっぱり意識していたみたいだし、天羽くんだって」

 言葉を切った。少しだけ目つきが厳しくなった。

「そうよ、どう考えたって、小春ちゃんのこと好きだって行動、してたわよ」

「まあね、私もそう思うわ」

 共感した。

「今の彼女になっちゃった近江さんには、ほんっとにごめんなさい、って感じなんだけど、でもそうなのよね。天羽くんもいっつも小春ちゃんに話し掛けて、にこにこしながら受けないギャグを飛ばしていたのよね」

「ああ、今は忘れ去られた関西系のギャグね」

 小首をかしげて清坂さんは尋ねた。

「近江さんには、白々しいギャグ飛ばしたりしないの?」

「ぜんぜん。全く関心なくなった見たいで、今は日本伝統の落語とか演芸を愛しているみたい」

 すっかり言葉に詰まってしまったらしい。清坂さんが黙ってしまうのは淋しいので、紡は促すことにした。

「それで、『奇岩城』では何があったの?」

「うーん、撮影している時は何もなかったような気、するのよね」

「西月さんははしゃいだりしていなかったの? 見苦しいくらい騒いでいたとか、うっとおしいくらい天羽くんにくっついていたとか」

 思い当たるとすればこのあたりだろう。振られた今でも、しつこく天羽くんに尽くしているのだから、もし両思いだったならばその倍、数千倍はパワーアップしていたはずだ。言葉を濁したところを見ると、清坂さんから見てもそれは感じられたのだろう。両手をこぶしにして顎の下に置き、また上目遣いに紡を見つめた。

「くっついていたかどうかは別だけど、小春ちゃんは嬉しかったと思うよ。だから、その、私たちも応援してたし。できるだけふたりっきりになれるようにって努力していたしね」

 ──清坂さんたちも、応援?

 ひっかかった。顔に出たのだろう。清坂さんの顔に緊張が走った。

「応援って、何を?」

 わかっている癖に、聞いてしまった。後悔しているのかもしれない。うつむいていた。

「私たち、ううん、私が、小春ちゃんのことを応援してしまったの。だからきっと、それがまずかったのかもしれないって、思ったの」

 ──後悔しているなら、私のことだけを応援して!

 これはさすがに言えなかった。かわりに紡はため息をついて見せた。清坂さんのざんげをもう少し聞くことにした。


「最後の場面は、最後の最後に撮ることに決めてたの。ルパンとホームズの一騎打ち、というか、ホームズがルパンの乳母を……それ私だったんだけど……人質に撮ってピストルを向けて、その時レイモンドが飛び出してきてホームズに撃たれるって場面。ルパンだった天羽くんが、レイモンドだった小春ちゃんを抱きかかえてアップになって終りになったんだけど、ふつう終わった後みんな舞い上がるじゃない? 盛り上がるじゃない? ばんざあいとか、終わったあー!とか言うじゃない? 天羽くんだけがしらけたままだったの。主役なのに、なんでかしらっとした顔して、小春ちゃんをおっぽっといて出て行こうとしたの。ルパンのシルクハット被ったまま」

 よくわからないが、どうやら天羽くんはクランクアップするまで、西月さんと公認カップルのままでいたかったらしい。

「あの派手な帽子どうやって仕入れたの?」

「衣装係、私だったから全部作ったのよ」

 ──じゃあ私の服とかも作ってよ!

 関係ないことに気が取られるのが悪いような気がする。

「じゃあ天羽くんはずっとしらけっぱなしだったの?」

「そう。いつもだったらもっとくだらないギャグ飛ばしたり騒いだりするじゃない? しかも主役よ? みんな気を遣っていろいろ話し掛けたりするのに上の空っていうのかな。小春ちゃんがいつものように『天羽くん、もっといつもののりで盛り上がろうよ!』って声をかけたとたん、いきなり怒鳴り始めたの。あんな天羽くん、見たことなかったからみんなびっくりしちゃって」

「怒鳴ったって、一体何を?」

 想像つかない。

「『お前の顔を見るとむかむかしてくるんだよ、半径三メートル以内に近づくな』って。最初、私たちもきついギャグをかましているのかって思ったのよ。最近そういう毒舌がはやってるのかなって。でもすぐにそんな問題じゃないって、あの、その、立村くんが気付いたみたいで」

 「立村くん」と発音した時にまた赤くなる。あのなよなよした男にどこを捕まれているのだろうか。紡は時々いらだった。

「委員長が割って入ったのね」

「そうなの。天羽くんかなり荒れてて、小春ちゃんも泣いちゃって、しばらく修羅場になっちゃって。その後、ビデオが完成するまでは天羽くんもあまり噛み付かなかったらしいんだけど、ずっと小春ちゃんのことは無視。小春ちゃん、何がなんだかわからなくってすっかりおろおろしちゃってて、女子たちがかばってて。ちょうどね、三学期から水鳥中学との交流会準備なんかもあって、ばたばたしていてて私もよくわからないんだけどね」

「理由はなに?」

「そうよね、理由よね」

 改めて考え込むしぐさをするってことは、清坂さんもよくわからないのだろう。今の話からすると、天羽くんが西月さんに愛想を尽かしたのはかなり早い段階だったってことだろう。ただ、「奇岩城」のビデオ撮影が終わるまでは義務としてうまくやるよう努力していたのか。評議委員としての自覚はしっかり持っている。でも、義務を果たしたとたん何かがはずれたかのようになってしまったということか?

  理由だ、何よりもそのわけを紡は知りたい。

 清坂さんはしばらく無言で唇をへの字型にしていた。

「それがわからないのよ。小春ちゃんも悩んでいたのよ。『私が直せることはなんでも直すから、そのわけを教えて』って一生懸命天羽くんに聞いていたの。でも、全然話を聞いてくれなかったって。評議委員会よりもクラスのことをもっと一生懸命にやれば、見直してくれるんじゃないかって思って、小春ちゃん、クラスの問題についてどうすればよい方向に進むかどうかを、狩野先生に聞いていたみたいよ。駒方先生にも相談していたし。女子って、男子のことで悩んだらクラスの運営のことなんて全然考えないよね? 小春ちゃんは違ったの。もしかしたら天羽くんは評議委員会のことばかりに熱中していた自分にうんざりしたんじゃないかなって思って、小春ちゃん、できるだけクラスに貢献しようって思ってたみたいなの」

 ──逆効果、って奴よね。

 大体読めた。そういうことか。

 紡はそっと、ポケットに隠し持っていたコーヒーキャンディーを取り出した。

「これ、あげる」

「わあ、嬉しい、近江さんも、話わかるのね!」

 ──そりゃあ、清坂さんだもの。


 冬休み中に何が起こったのかが分かれば、三学期以降のふたりがどうして険悪となったのか、さらに言うならなぜA組の縁故問題についてあそこまで西月さんがやっきになったのか、おのずと見えてくる。

 天羽くんがどうして西月さんを露骨に嫌うようになったのかはさておくとする。見捨てられて慌てた西月さんが、自分の勝手な解釈により、クラスへ滅私奉公すればきっと振り向いてくれるかも、と考えたのも納得だ。あの人らしい考え方だ。素直に引いて、もう少しほとぼりが冷めるまで待てばよかったのに。天羽くんだって感情にかまけて叫んだだけかもしれないし、少し大人しくなってくれればその時に、また考え直したかもしれない。

 「クラスのために」何かすればきっと天羽くんは見直してくれる。

 そんなわけないのに、と紡なら思うだろう。自分を見捨てるなんて、悪いけれども男として見る目ないただそれだけの奴なのだと、軽蔑してやればよかったのだ。クラスで目立たないようにしてくれれば、西月さんにふさわしい奴が出てきて、その人と恋に落ちたかもしれない。いくらなんでも、下着ドロの片岡くんレベルまで、男子ランクが下がるなんてことはなかっただろう。引き際が要は悪かったってことだ。  

  二年間、天羽くんの側にいて、その辺の好みも気付かなかったのだろうか。

 紡だったら一日寄席をご一緒しただけですぐに気付いたけれども。

 鈍い女子なのだろう。


「そういうことなのね。わかったわ」

 キャンディーを口に放り込んだまま、もごもごと紡はつぶやいた。

「三学期以降やたらと、西月さんがA組のことを、コネクラスじゃないってわめき散らす理由がぴんとこなかったのよ。清坂さんもすでに知っていると思うけれど、A組は自他ともに認める、コネクラスよ。私がその代表だもの。みんな暗黙の了解で隠しているのをどうして、ああもひっぱりだそうとするのかしらねって」

「この機会だから聞いていい?」

 どうぞどうぞ、清坂さんの質問だったらなんでも答える準備有り。

「近江さんって、どうして青大附中に入ろうって思ったのかなあ? ううん、今の話じゃないけど、まさか自分のお兄さんが三年間担任になるなんて、思ってもみなかったでしょ。私だったらやだなあって思うわよ。それに、近江さんなら普通の試験を受けても簡単に受かったんじゃないかって思うけどなあ」

 もっとも。紡としては、成績順位をちゃんとチェックしてくれていた清坂さんに感謝したかった。 「たぶん、お姉ちゃんが『あの人』と結婚しなかったら、私も青大附中に入ろうとは思わなかった」

 言い切り、もう一度葡萄の房のような黒い瞳を見つめた。おいしそう。

「お姉ちゃんが結婚したのは三年前なのよ。私が小学五年の時。私、お姉ちゃんのことが大好きで、赤ちゃんみたいだけど思いっきり泣いてしまったのよ。お姉ちゃんを取らないでって。お見合い結婚だったから親の反対はなかったけれども私があまりにも強引に反対するから、お姉ちゃんも一時期結婚をあきらめようとしてたのよね」

 他人事のように言う。

「みんなが私の周りで説得に回って、そりゃあもう大変だったのよ。まあ私も、あれだけわがまま言った後だし、もういっかって思ってね。何十回目かの説得にあらわれた『あの人』に言ったのよ」

「なんって?」

「お姉ちゃんのだんなさんにふさわしい人かどうか、三年間見極めるため、お兄さんのクラスに入れてほしいって、わがまま言っちゃったってわけ。まさか本気で青大附中に入れてもらえるなんて思ってなかったから言えたことだけどね。うちの母親がそれを本気に取って、青大附中の縁故入学の伝を捜し始めたの。ここだけの話だけど『あの人』、お姉ちゃんに骨のずいまで惚れぬいているから、私ひとり押し込むことなんて悪いなんて思わなかったんだろうね。きっと。それにもともと青大附中はコネ入学にそれなりの基準があるらしいし」

「それなりの基準ってなあに?」

 あまり話したことはないことだ。清坂さんにだけは何でも話してあげたい。

「寄付金よ。それも宝くじとかで一時的に寄付するんじゃなくて、毎年、こつこつと学校に寄付金を入れる人とか、大きな会社の社長さんとか。大学の教授さんとか。試験だけは普通に受けさせるけれども、面接とかで確認して、ある程度下駄を履かせてあげたりとか、あと受験させなくても推薦入学という建前でもって入れるとか、いろいろ裏があるらしいわ。私は『あの人』が義理の兄にならない限りまず無理だったと思うけれどもね」

「でも、狩野先生って、学校の先生だってだけでしょ? それで入れてくれるようなことするの?」

「学校の先生の場合、特別枠っていうのがあるんですってよ。なんでも、教師の親戚とか子どもとか、そういう人の場合だとまず身元が安心だというのが一つでしょ。それに加えて学力もそれなりに把握できているでしょ。いくらなんでも、九九もろくに言えない奴をそのまま入れるわけにはいかないから。その中でもって、安心だと思える人を入学させられるわけだから、かえってメリット大きいのよ」

 九九の話題はまずかった。清坂さんの顔をうかがうがそれほどでもないので安心した。

「そうなんだあ、やっぱり本当に、コネってあるんだあ」

「私の場合だと、それに加えて、『あの人』の実家が黄葉町の方にある旅館だっていうのもあるみたい。あの辺では有名な老舗旅館らしくって、顔も利くしね」

「黄葉町の方って、わあ、私、去年の宿泊研修で行った」 

 いろいろあったらしい宿泊研修のことはあえて触れないで置いた。

「じゃあ、ひそかに狩野先生ってお金持ちなのね」

「そうね。お姉ちゃんは一応、玉の輿よ。青大附中の教師としての給料がどのくらい出ているのかはわからないけれど、たぶん、『あの人』の親がかりで生活しているんじゃないかって、うちの親も言ってるわ」

 この辺は母親からの情報だ。お姉ちゃんのように金遣いの荒い女を嫁さんにしているのだから、いくらお金があっても足りないだろう。所詮彼も金持ちのぼんぼんなのだと思う。

「なんだか、狩野先生のイメージ、変わりそう」

「変わっていいわよ。どうせ『あの人』、学校では味もそっけもないミルクキャンディーの顔を替える気ないんだから。白衣着て歩いている姿って地味よね。お姉ちゃんの前ではケーキをお土産にして、ご機嫌とっているんだものね、しょうがないわ」

 


 紡がひたすら知っていることをしゃべり続けているうちに、いきなり天井の蛍光灯がぱたぱたっと消えた。

 もともと視聴覚教室は、暗闇で映像を見ることも多いので、暗幕型のカーテンが圧倒的に多い。カーテンを開けたままでも、黒の要素があちらこちらに散らばっていることもあって、すぐに暗くなる。

「やだなあ、誰だろ、近江さんちょっと待っててね」

 照明スイッチは、教室の中にあるはずなのに、変だ。清坂さんが立ち上がって、戸口のスイッチをなでるようにした後、扉を開けた。

「貴史、あんたなんでいるのよ!」

 ──貴史って、誰よ誰。

 悪いことしているわけじゃない。でも隠れたくなってしまった。首を机ついたての陰にうずめて声だけ聞き取ろうとした。

「何って、お前立村が血相変えて探してたぞ。こんなところで何してるんだよ!」

「ちょっと友だちと話していただけよ」

「立村と先に約束してただろ? あいつ、ずっとロビーで待ちぼうけしてるぜ。たぶんくるだろうって思ってるみたいだぜ」

「別に立村くんと、待ち合わせの時間決めたわけじゃないもん! 帰っててもいいって言ったもん!」

「お前、それって非常識って奴だろ。あいつあの調子だとずっと、分厚い本読んでロビーに座ってるぜ。一言、声かけてくるくらいのことしろよ」

「じゃあなんであんた、私がこんなところにいるなんて思ったのよ」

「知らねえよ。なんとなくドア開けてみたらお前が景気良くしゃべりまくってたから、近づいて呼ぶのやべえなって思って」

「だからって回りくどい呼び方することないじゃない! 人がいるのよ!」

「うるせえな。早く話し合い終わらせて、立村のところ行ってやれよ。それともなにか? あいつに聞かせられないこと、しゃべってるのかよ!」

「うるさいのはあんたよ!」

 しばらくやりあいが続いた後、

「じゃあ、あとで行くから。あんた先に帰りなさいよ、もう、ばか」

 思いっきりドアを閉めた。しまり際に、

「ばかなのは美里だろ!ったくもう世話かけさせるなや!」

 非常にテンションの高い会話が途切れた。


 清坂さんは腕時計と、教壇上の掛け時計を交互に見上げ、ちょっぴりすねた顔でもって戻ってきた。

「ごめん、近江さん。ほんとはもっと話聞きたかったんだけど。また今度でいい?」

「いいけど、どうしたのよあの男子」

「うん、うちのクラスの奴なんだけどね、おせっかいなのよ。あいつ」

 ──もしかして、噂の羽飛くんって奴?

 紡もその辺は若干、耳にしていた。会話の間に気付かなかった方がまぬけだ。清坂さんの彼氏が立村評議委員長というのは公認の事実。でもそれはカモフラージュで本当の彼氏は、幼なじみの羽飛くんではないかというのが噂として流れていた。他クラスのことなのでよくわからなかった。運動関連の行事では花形の羽飛くん、というのは知っているけれども、それ以上の関心はもてなかった。

 でも、清坂さんのことを「美里」と呼び捨てにするところからして、何かがある。

 彼氏たる立村委員長ですら、「清坂氏」とよくわけのわからない言い方をするだけだし。

 清坂さんは、紡が黙っているのを機嫌損ねたせいだと思ったらしくさらに続けた。

「あいつね、委員長と仲がいいからやたらと私につっかかってくるのよ。なによ、今日は近江さんと約束があるから、立村くんにも帰っていいって言っておいただけよ。なのになんで貴史がくちばし突っ込むのかしら。よけいなお世話よね。ごめんね」

 どうやら清坂さん、紡との約束を最優先してくれたということらしい。立村委員長との待ち合わせをキャンセルしてまで、というのが非常に嬉しい。紡は笑顔で首を振った。

「いいわよ。私も変なこと、聞いちゃって。また、こうやって逢ってくれる?」

 「逢う」という漢字を使ったつもりだったが、清坂さんにはまだ「会う」としか伝わっていないだろう。ニュアンスが通じあえない、悔しい。

「いいわよ、今度は女子同士、ゆっくりできるところにしようね!」

「いいお店知ってるのよ。『アルベルチーヌ』って喫茶店、知ってる? ケーキがおいしいのよ。今度、ぜひに」

「うん、ケーキおいしいとこならどこでも行く!」

 紡がすっかりにんまりしたくなった瞬間、ドアが再び開き、じろっとにらみつける奴がいた。目と目が合った。噂の羽飛くんの姿がはっきり見えた。紡は指を差した。

「なあに? え、まだいたの、貴史ってば!」

 ちらっと姿を見せただけで、羽飛くん本人は入ってこなかった。怒鳴る清坂さんが、いきなり後ずさりしたのは次に立村委員長の姿を認めたからだろう。立村委員長がすっかり戸惑い加減で、おずおずと入ってきた。すぐに紡の姿を見つけて軽く一礼した。相変わらず溶けそうな白い顔をしている。

「あ、り、立村くん、ごめんね。いいのに、帰ってても」

「うん、そのつもりだったんだけど、羽飛がさ。ああ、でも近江さんと話していたんだったら、そうだよな。邪魔してごめん」  

  いつもながらあっさりした、それでいて人の顔色を覗き込むようなしぐさをする委員長。向かい合わせに立っている清坂さんも少し不満げに口を尖らせている。

「もう、貴史に何言われたか知らないけど、こっちだって困るんだから」

「うん、わかった。じゃあこれから帰る」

 さっさと帰って欲しい。さすがよくわかっている。そう思いきや、

「いいよ、せっかくここまで待ってくれたんだから。一緒に帰ろ」

 いったいどうしたのだろう。この切り返し。  清坂さんの顔はまだむくれていたけれども、かばんを机から降ろすと紡に振り返りながら、

「じゃあごめんね。今日のことは内緒にしとくから。今度こそ、おいしいケーキのお店でね!」

 立村委員長の肩に寄り添うようにして視聴覚教室を出て行った。申しわけなさそうに振り返り、斜めに首を下げるのは立村委員長だ。握りこぶしふたつくらい背が高いけれども、あの調子だと清坂さんに追い抜かれるかもしれない。ご用心、とつぶやいてみた。

 最後に扉を閉める時、また色黒のスポーツ刈りに前髪だけやたらと長い奴の顔がちらついた。目が合った。どことなくきつくにらまれたように感じた。どうも、羽飛くんという奴には嫌われてしまったようだ。


 ──とりあえず、わかるところはわかったってことかしらん。

 紡はポケットに残っていたコーヒーキャンディーをもうひとつ、口の中に放り込んだ。  解けてかりかりと噛み砕くまではここにいようと思った。

 清坂さんも紡に関してはかなり高い関心を持ってくれていたようだった。他の評議委員女子が冷たい態度で接するのに、清坂さんだけは一生懸命声をかけてくれたから。でも、評議委員同士の付き合いもいろいろあるだろうから、表立って話をすることはできなかった。こうやってこっそりと語り合うのが関の山だった。収穫はどっさりだ。最後の最後で委員長が出てきたのは誤算だが、内緒にしてくれると清坂さんも言ってくれたし、それはそれでよしとしようと思う。

 ──けど、なんなの、あの、「美里」って呼び捨てにする奴。

 立村委員長が来た時にはさほど心配もしなかったのだけど、名前をいきなり呼び捨てにしてぽんぽんリズムよくかけあい漫才をやらかした相手には、どうしようもなくびりびりと来てしまった。よく顔を覗き込んだわけではないし、紡の直感に過ぎないのだけれども、明らかに羽飛くんという「幼なじみ」、ただものではない。

 ──まあいいわ。誤算は誤算で。なんとかなるわ。

 苦味ばしったキャンディーを、早めに奥歯で噛み砕いた。


  西月さんが二年の三学期以降、評議委員としての活動を活発化させ、「A組はコネクラスじゃない!」ことをかなり力強く訴えはじめたのは気付いていた。たぶん他の連中もそれは感じていただろう。反面。天羽くんは全くといっていいほど協力をしていなかったように思う。評議委員会内で行われている例の、「他中学との交流準備」関連で外部との交流活動には積極的だったらしいが、その辺の情報がクラスには降りてきていないので、紡は知らないままでいた。クラスは西月さんによって牛耳られていたかのように見えた。

 たぶん、そのあたり、うざったく感じていたに違いない。天羽くんはお笑いネタが好きであけっぴろげに見えるけれども、隠すべきところは隠すし、しつこく迫られると露骨にいやな顔をするタイプだと思う。紡もその辺を察知してうまく交わすように心がけている。骨ではない。紡と同じ感覚の持ち主だと理解すればいい。西月さんにそれは難しい問題だったらしい。

 それにもうひとつ。紡に対して西月さんは懸命に、「協力してください!」と訴え、ホームルームにおいても懸命にわめき散らしていた。本人からすると、「訴え」ていたのだろうが、紡には騒音にしか聞こえなかった。もしかしたら、三学期末あたりで、自分が評議委員から降ろされることを覚悟していたのかもしれない。

  西月さんのおめでたくねばっこい性格からすると、後釜が紡になることも、勘付いていたのかもしれない。三学期以降現在にいたるまで、天羽くんの行動からすると、ありそうなことだ。

 いや、天羽くんの心がすでに、紡の元へ先走っていることも、勘付いていたのかもしれない。やたらと紡に絡んできたのは嫌がらせだろうか、それとも、自分の跡を継ぐ次期評議委員に対しての「教育」を施すつもりだったのだろうか?

 ──わかんない。そんなこと。どっちにしろ、こっちには迷惑にならないようにしてよね。

 こくん、と噛み砕いたキャンディーをつばと一緒に飲み込んだ。

 紡は駅前近隣のおいしいケーキの出る喫茶店をお姉ちゃんに教えてもらおうと決めた。

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