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 正式発表になる前に、立村評議委員長はすべてを「あの人」……狩野先生……と、駒方先生から説明を受けていたらしい。ショックを押えつつも、紡たちが押し入った教師用研修室の中で先立って「交流サークル」の主要メンバー西月さん・杉本さんに告知を行っていたということだったらしい。後で詳しく天羽くんが教えてくれた。

「立村の奴、すげえ落ち込んでたなあ。そりゃそうだわなあ」

 ──そりゃそうでしょうよ。

 女子を通じた噂によると、水鳥中学生徒会との交流会は、立村評議委員長が後輩の杉本さんのために計画したものだという。評議委員を降ろされて行き場を失った杉本さんと、同じ立場の西月さんをセットにして「交流サークル」の主要メンバーとして置こう。それが目的だったという。なるほど、それは頷ける。見た目にたがわず、意外と頭はいい奴だ。

 ──だったら、どうしてあの棒読みナイスバディーの彼女と付き合わないのかしら。なんで、清坂さんと。

 非常にいらだたしい。清坂さんに変なことをしたいと妄想しているわけではない。清坂さんくらいレベルの高い女子には、もう少しランクアップした相手と付き合ってほしいだけだった。

「でもさ、話聞いたら、E組って掃き溜めクラスじゃないって説明を受けてて、とにかく手伝いとか補習とか、そういう細かいことをいろんなクラスの奴が集まってやるほらほら、『学童保育』ってやつっすか。そういう感じらしいよな。近江ちゃんが思っているよりももっとやわらかい内容かなと」

「何言ってるの。表向きに決まってるでしょ」

 紡は切り捨てた。きちんと説明しておきたかった。

「E組を学校内の保育所だって割り切っているんだったらいいのよ。本当のところは、少し問題ありの生徒を集めるために、カモフラージュとしてふつうの生徒を蒔き餌にしているだけ。いくら問題児だからって『あなたは情緒不安定です。E組で勉強しましょう』なんてね、いきなり言われて冷静に受け止められると思う?」

「俺違うもんな」

「私もそうよ」

 思わず笑った。

「まあ委員長も予定が狂って大変だろうけれど、そういう運命だったと思えばいいのよ」

「運命なのはいいけど、今度は三年の俺たちに仕事が回ってくるってことでもあるんだぜ。どうしますかいな、おねーさん」

 いきなりくねくねし始めるのはまずいんじゃないだろうか。放課後、たまたま玄関で顔を合わせ、すのこに上がったまま話をしていた。評議委員の場合、いつも授業が終わると適当に空き教室を占拠してだべりあっていたというが、三学期以降三年同士ではそういうほのぼのした付き合いがなくなってしまったと聞く。もちろん男子、女子に分かれてつるむのは今まで通りらしい。たぶん天羽くんと西月さんとの間に起こった出来事のからみだろう。

 頭の悪い女子同士でたむろするのをこよなく嫌う紡は、用事が無い限りさっさと帰らせてもらっている。清坂さんとだけ、話をするのだったらまた話は違うだろう。でもいやなものはいやだ。それだったら天羽くんや他の男子たちと気兼ねないおしゃべりをしていた方が楽。

「とりあえず、私は何していればいいわけ?」

「修学旅行のしおり準備と、バスの中の席順、その他いろいろ、俺が頼んだことだけでいいっす」

 全部天羽くんがやってくれるはずだ。女子だからといって甘えるのはいやだが、天羽くんがそういうのは好きらしいので任せることにしていた。せっかくの西月さんの申し出をあっさり断った以上、知らんぷりしているわけにもいかない。

「でも、大丈夫。俺これでも評議委員三年目」

「私三ヶ月目」

 学校を出て、しばらく学校周りの学生街をうろついていた。古い木造の建物がぎっしりと詰まっていて、猫しか通れそうにない小道の狭さがうっとおしい。天羽くんの家は学区がふたつ離れた、近いんだか遠いんだか微妙な距離のところにあった。いわゆる、「お屋敷街」。刑務所かと思わんばかりの高い塀とか、何世紀前かのヨーロッパにタイムスリップしたような建物とかがゆったり並んでいる。お姉ちゃんがどふりふりのファッションで決めて歩いても違和感のない街だ。

「それはそうと、最近気になることってあるかなあ、近江ちゃん困ったことねえか」

「ないわよ別に」

「別にって、本当か?」

 天羽くんはブレザーを体育着と一緒にボストンバックの中に詰め込んでいた。ゴールデン・ウイークが終わっていきなり気温が上がって、男子のほとんどは授業中ブレザーを脱ぎワイシャツの袖をまくっていた。ネクタイを外すか、もしくは一切つけないか。ひとりきちんとブレザー姿を保っている「あの人」と評議委員長様にはご苦労さんと一言いってやりたいものだった。

「女子、うるさくねえか」

 ──やはりね。

 ここぞとばかり、あっさり答えてやった。

「それがね、意外なのよほんっとに。なんもない」

「女子同士ってねちっこいだろ」

「ううん、私もしつこく絡まれたらかったるいなあと思ってたんだけどね、全くもって、静か」

 肩をすくめて、外人さんの「お手上げ」ポーズをしてみせた。天羽くんも真似をする。なんだかお笑い芸人のお間抜けな顔で口を開けると笑える。本物の落語よりも、天羽くんの瞬間芸の方が爆笑もんだと感じるのは、紡の笑いに対する感覚がずれているからだろうか。

「これはたぶん、なんだけど」

 ひとつ、気になっていた事実を告げておいた。

「どうやら陰で、西月さんが女子たちを止めているらしい」

「はあ? それまたびっくりだあ」

 自分で問題の種をまいておいて、驚くのもなんだと思う。

「天羽くん、てっきり西月さんが私に嫌がらせすると思っていたんでしょう」

「いや、まあその」

「だから、結局交際記者会見もやらなかったんでしょう」

 公約違反。ファミレスで担任の「あの人」の前で誓った「三年A組内評議委員同士交際会見」は、一切行わなかった。

 一晩考えて、天羽くんなりに身の危険を感じたのかどうかわからないけれども、とりあえず一緒に帰るということで証明することにしようとしておいた。まあ見え見えのばればれで、最初のうちこそひそひそ攻撃はなはだしかったけれども、いつのまにか収まった。

「いや、やっぱさあ、テレビで昔のスケバンドラマ観てて、こえーっと思った次第」

「なあんだ」

「けど、何たくらんでるんだろうなあ。そっちの方が危険だ。近江ちゃん、気、つけろよ」

 たぶん天羽くんの性格上、一度熱が冷めたらすぐにさよならだろうと見積もっていたので、あまりべたべたしないようにしていた。功をなしたのか、天羽くんは自分の方から懸命に時間を作ろうとしてくれた。別に無理にしなくてもいいのだが、ネタも飽きないし落語の知識も豊富だしってことで、一緒に帰るのを楽しみにはするようになってきた。

「いつも思うんだけど、天羽くんなんでそんなに、昔の彼女を嫌うわけ?」

 黙った。男っていつもそうだ。都合悪くなると黙ってごまかす。

「別に私には関係ないけれどね、天羽くんって他の女子にはふつうに話をして平気でしょ。なのになんで、西月さんにだけ親のかたきみたいな態度を取るんだろうねえって不思議に思ってたわけよ。今の私には西月さん何も文句言ってこないし、それに」  

 言っちゃっていいのだろうか。迷ったけれど言っておいた。

「彼女、暗くなったみたいね。三年で評議から降ろされてから一気に」

「そんなの知ったことじゃねえよ」

「そうね、どうでもいいことよ。ただね、私も今後評議委員として意識しなくちゃいけないわけでもあるでしょ。うちの『お兄さん』にも、二人目のクラス退学者、出させたくないからね」

「ああ、退学者出しているクラスってうちだけなんだよなあ。さすがコネA組ってとこだ」

 紡があえて西月さんの話題を振ったのには訳がある。

 決して天羽くんの嫉妬心をあおりたかったからではない。そんな非効果的なことして何が楽しいというのだ。紡はこれでも男心の扱い方をお姉ちゃんから教えてもらっている。

「ひとまず昨日、立村委員長になんで私が、E組の裏事情暴露したかわかる?」

「単に同情したからじゃねえのか」

 ──同情、か。

「委員長、数学関連の学習障害抱えてるからね」

「あいつも開き直ってるから、俺たちも結構ネタにしちまうけど」

「見た目に比べてたくましいわね」

 放課後の補習が必要なのは立村評議委員長だということを、紡はすでに早い段階で聞いていた。もちろんかの子放送局からの情報でもあるけれども、何度か生徒指導室に委員長が呼び出されて、「あの人」と一緒に閉じこもっているのを目にしていた。

「明らかに科目別でついていけない場合は、生徒ひとりに、担任以外の先生がついて、ワンツーマン指導するらしいのよ。立村委員長、菱本先生と折り合い悪いでしょ」

「ああ、もう修羅場らしいぜ。去年の夏、宿泊研修ではタイマン勝負張ったしな」

「けど、うちの担任とはうまく行っているらしいので、三年から個人指導するようになったみたいよ」

 立村委員長からも話を聞いているらしい。天羽くん、頷く。

「歳の割に奴も苦労してるからなあ」

「別にそんなのどうでもいいけど」  

 結局はごまかされてしまったような気がした。無理やり新作落語についての話題……どうも現代の風潮を扱った落語のことらしいが、その辺よくわからない……を一気にまくし立てられ、半分流していた。

「とにかくしばらくは何も考えないでいいから。じゃあ」

 別れ際に二本指で投げキッスをするのもどうかと思う。

 紡はまっすぐうちの方へ歩き出した。


 お姉ちゃんとも最近は会っていない。なんだか天羽くんと帰るようになってから、お姉ちゃんも気を遣ってくれているみたいだった。やきもちを妬かれるかと思ったけれどそんなでもなかったし。なによりも「アルベルチーヌ」の存在を「あの人」が知っていることに失望を感じたからかもしれない。  

 ──しかし、やっぱり気持ち悪いわ。

 ぽちゃぽちゃの愛らしいといわれる顔の持ち主たる西月さんに対して、二年二学期までの熱の上げようたらもう、天羽くんすごかった。紡もクラスの恋愛沙汰は見るともなしに見て楽しんでいた。天羽くんと西月さんのカップルは三年間決して壊れることないだろうとみな思っていたはずだった。実際付き合ったのは二週間くらいだったらしいが、それまで限りなく両思いに近い行動たるや、そりゃあもう、シングルには目の毒としか思えなかった。

 評議委員どうしがくっつくというのは珍しいことではない。

 言うまでもなく、D組の立村委員長と清坂さんがいい例だ。

 たぶんその線を狙ったに違いない。しかし世の中うまくいく例ばかりではない。

 何かのきっかけで二人の間に亀裂が走り、一方的に……この辺は天羽くんのわがままだと言われているらしいが……縁を切られ、必死に西月さんがご機嫌を取ろうとして玉砕中というのが現在の状況だった。

 三学期始まってから現在までだから、五ヶ月近く経っているというわけだ。

 ──見苦しいわ。

  「けなげ」にも「いじらしく」も映るのだろう。

 女子たちの多くは意見をひとつとして、

「小春ちゃんかわいそうすぎる! あんなに尽くしているのに、あんなに謝っているのに、ちっとも小春ちゃんが悪くないのに、なんであんなひどい態度取るの?」

 だった。残念ながらその意見に与しない紡は口を閉ざしてきた。いくら未練が残るとはいえ、された相手だったら当然逃げる。  

  無理に「おはよう!」と笑顔で話し掛ける。

 天羽くんが露骨に無視するにも関わらず、無理に給食を多く盛り付けてやる。それも天羽くんの好物肉じゃがとか、カレーとか、いかにも自分はわかっているのよと言わんばかりの顔をしてだ。

 一言でも「ありがとう」とか「悪い」とか返事をしたら最後、とことんくっついてきて、話を引き出そうとする。結局「近づくなよ!」と怒鳴られて退散する。「いじらしげ」な目でじいっと見つめながら。

 どんなに嫌がられようが、どんなに疎ましがられようがめげずに、文句一つ言わずにアプローチする根性。それには素直に感嘆する。上に挙げたのはすべて天羽くんに対しての行為だが、もともと分け隔てなく西月さんは、気持ち悪いくらい笑顔で接するよう心がけている人だった。八方美人で誰にでもいい顔する性格らしいが、天羽くんに振られて以来それが一層強まった。評議委員だった頃は、紡に対して「コネ」についてつっかかってくるし、無理にクラスになじませようとするし、とにかくうざったかった。

 周りの男子からも何気なく意見を頂戴していた。評議委員としての情報収集の一環だ。

 とにかく「うるさい女子は嫌い」なのが男子の多くだろう。愛嬌のある顔が好みという奴はいないわけでもないらしい。天羽くんとくっつくのは時間の問題だとみな思っていたみたいだった。他人様のこと、どうでもいいみたいなあきらめだろうか。

「いやなあ、西月さんも真面目でがんばりやで評議の鏡ってのはいいんだけどなあ」

「あそこまではりきられると、俺、逃げたくなるんだよなあ」

 本音だ本音。女子たちとは意見が違うかもしれない。紡は逃げたくなった天羽くんの気持ちがよおくわかった。と同時に、三年になってからとうとう評議を降ろされ、一気に地味になってしまった西月さんが、一気に受けよくなったらしいことに溜飲を下げたりもした。男子は単純だ。うるさい女子が大人しくなり、男子にひれ伏すと妙に満足感を覚えるものらしい。そして、同情と恋心をドレッシング化して、サラダにして食べるらしい。

 ──ああやだやだ。結局、演歌に出てくる女って感じじゃないの。

 生理的にああいうタイプはだめだ。そそられない。


 制服のブレザーはどうも紡にとって子どもっぽ過ぎた。だから本当は駅のロッカーで着替えていきたい。「アルベルチーヌ」に寄りたいとは思わなかったが、駅前あたりの商店街で服を見ていきたい気はあるのでまずは変身するためロッカーに向かった。

 色つきリップとチークをちょっとだけ頬の斜めに入れ、いざ出陣。デパートから本屋から、適当にいろいろ入って物色していった。大人っぽく見えるせいか、周りの視線がなぜか鋭い。中学生とは思えない格好だろう。やっぱり今日も体にぴったり添った、ロングのクリーム色ジャンバースカートに半そでのカットソーを羽織ることで決めた。

 花屋に寄ってみた。お姉ちゃんが好きそうな薔薇が店の奥にたっぷり飾ってあった。高そうだ。刺が怖いし、さわりはしなかったけれども。黄色い薔薇、黒っぽい薔薇、白い薔薇、ピンクの薔薇、いろいろだ。お姉ちゃんは実家にいた頃、一度もこういう派手な花を部屋に飾ったことがなかったという。いつもお母さんに、

「仏壇にお供えできる花にしなさい」

といわれていた。紡も、自宅に花を買うという習慣を持ったことがない。

 ──今度、お姉ちゃんの誕生日に買ってあげようかな。

 やっぱり、薔薇を贈る相手は、お姉ちゃんしかいない。紡が何気なく薔薇の列から離れた。出たとたん入れ違いに、青大附属の制服姿の男子がひとり、入って行った。違法駐車している。路肩に少し乗り上げる格好で、黒い車が停まっていた。やたらと角張った長い丈の車だった。たぶん外車だろう。

 ──うちのクラスの男子かな。 コネ入学関係かもな。

 車でランクを測るのもなんかとは思う。でも直感でやはりぴんとくるものがある。青潟という街は広いようで案外狭い。特に、コネA組に集まるような家庭の人たちは、同じ階級に属していることが多いらしい。紡なんかは全くの別世界としか思えないような集まりが結構あると聞く。

 車の中にはめがねをかけた黒い服の男性が座っている。いかにも、「おぼっちゃまを護衛するガードマン」の図である。繰り返すが、A組においては珍しい光景ではない。

 隣りの佐川書店前で様子を伺っていると、やがてブレザー制服の男子が一輪、赤い花を片手に出てくるのが見えた。紡の存在には気がつかない様子だった。うつむき加減で、花を包んだビニールシートと、おっぽのところを来るんだ銀色のアルミホイルがきらきら光っていた。

 ──片岡くんか。

 助手席にもぐりこむと同時に車は発進した。後ろから観ると、他の車と比べて格段金のかかっている代物だということがよくわかった。  

 片岡司。近隣では有名な高級婦人服チェーン店の社長子息と聞いている。それだけだったら決して珍しいことではない。ああ、コネ組だからそういう奴も集まるのね、とため息をつくだけのことだった。金持ちの息子といっても特段、目立つような金の遣い方をするわけでもないし、他のクラス連中とほとんど同じ振る舞いをしているから、言われない限りわからないだろう。医者の息子、娘、作家の息子、娘、いろいろいるけれども、A組ではあえてお互いの家庭について口を開かないように心がけているようだった。紡からするとこっけいに見えるのだけれども。

 ルックスも悪くない。多少じめじめした雰囲気はあるけれども、よけいな事件さえ起こさなければもう少し明るい未来が開けていただろう。なのに他の女子たちにとってはどうも、肩からのぞいたブラジャーの紐みたいな存在としてうざったく思われていた。紡もできればかかわりをもちたくないと思う男子のひとりだった。天羽くんじゃなくて片岡くんだったら、瞬時に交際申し込みを断っていたに違いない。 彼は「下着ドロ」なんだから。


 一年の夏休み入る直前の、体育の授業後だった。 A組とB組合同で男女別れて授業が行われていた。たまたまその日はプール開きということもあって、みな紺色のスクール水着姿で、まだ冷たい塩素水の中に飛び込んだものだった。かったるい授業だが、ひとりで泳いでいられるのが好きで、紡はのんびりとクロールを楽しんだ。

 プールから上がり着替えようとした時だった。女子更衣室のあちらこちらから、やたらと着替えを入れたかばんをかきむしる音が響きわたった。ひとりふたりではなく、ほぼ全員と言っても過言ではなかっただろう。「ない?」「え? ないの?」「どうしよう……」声がだんだん泣き声に変わるのを聞きつつ、紡は着替え用に用意してきた下着をつけたことを覚えている。まだ小学校から卒業して三ヶ月の女子たちは、身に付けてきたものをそのまま使用しようと思っていた子が圧倒的に多かった。必然、女子更衣室がパニックに陥ったのも無理はないだろう。

 女子体育クラス三十人弱の中で、二十人前後の女子生徒たちが、パニック状態に陥り女子更衣室から出られなくなり、当時の評議委員西月さんが先生に助けを求めにいった。無視して紡はひとり教室に戻った。静かな教室の中、男子たちの興味しんしんたるまなざしに答えたっけ。

「女子更衣室にね、下着ドロが入ったのよ」と。

 


  最初は警察に届けようという話も出ていたのだが、次の日いつのまにか立ち消えとなってしまった。どうやら犯人は捕まったらしい。学内の男子生徒。しかし男子生徒の将来のことも考えて、あえてもみ消す形を取ったという。紡たちに公式発表されているのはここまでだ。  

 悪事とは一瞬にしてばれるものだった。

 数日後、

「犯人はA組の片岡くんだ」

という噂が広まった。 単なる噂ではなく裏付け調査の上での情報だった。

 情報は紡が流したものではない。「あの人」……狩野先生……がその件でひたすら走り回っていたのと、なぜか車で片岡くんのうちにでかけてその夜家に帰ってこなかったらしいとか、そういう話はかの子お姉ちゃんから聞いていた。七割方本当だろうとは思っていた。入学当初から女子たちをねめっちい目でじろじろ見ていたことはよく覚えているし、状況証拠も残っていたという。すでにこの頃から紡は女子たちから距離を取っていたので、どうでもいいことは口にしていない。

 片岡くんが女子たちの下着類をかばんに入れて持ち出そうとしていたところを、他クラスの誰かが見咎めてすぐ、現行犯で先生に捕まったという。すぐに生徒指導室に連れて行かれすわ退学か?と大騒ぎになったらしい。

 ──そんな足のつくようなことしでかしてばかみたい。

 紡の本音はその程度だった。関係ないのだからどうでもいい。しかし、被害にあった女子たちにとっては、いろいろな意味で屈辱だったし、何よりもそういう下劣な欲望を持っている男子がクラスにいること事態許せなかったという。それゆえに取ったA組、B組の女子たちの手段とは、「徹底無視」だった。

 女子だけだったらそれで済んだだろう。男子たちの制裁はさらに上をいった。

 天羽くんもその辺については口を濁している。たぶん男子全員を残した状態で、弾劾裁判なるものが行われたのだろう。青大附中でこれは珍しいことではない。先生には内緒で評議委員、もしくは規律委員が裁判官となり、罪を犯した同級生を裁く。決して学校では許される行為ではないけれども、わりと日常的に行われている。

 はたして片岡くんがその事実を認めたのか、そこで一発二発鉄拳制裁が行われたのか、その辺は定かではない。ただそれ以来、男子たちからも片岡くんが「いていないような存在」として扱われるようなったのも、仕方ないことだろう。「下着ドロ」でかつ、プラスアルファーの問題が絡んでいるとかいないとか。紡は関心がなかったので、その辺口にも出さずにいたのだが。

  クラスの連中がしている「無視」という制裁は陰険だと思う。 二年間経ってもこの状態というのは情けないものがあると思う。中でも不快だったのは、当時クラスで絶大なる権力を誇っていた西月さんのいい子ぶった行動だった。クラスで「無視」イコール「いじめ」に近い行動が行われていたら、正義感の強い彼女のことだ。腹も立つだろう。女子たち、男子たち、特にいとしの天羽くんに対して懸命に、

「本当のことかわからないうちに、勝手に犯人扱いすることはよくないわよ! なんでみんなそんなことを無理やり文句言うわけ? 男子も男子よ! せめて女子からかばうようなことしなさいよ!」

 担任たる「あの人」も、西月さんと同じ考えだったらしい。陰で懸命に片岡くんを面倒みたり、いろいろしていたらしいけれど、それは当然だ。だって担任なんだから。青大附中の教師として給料もらっているのだ。そのお金でお姉ちゃんの洋服だって買ってやっているのだ。どんどん働いてもらいたい。

 しかしながらだ。

 片岡くんが「下着ドロ」の犯人ではない、という頑ななまでの思い込みはなにを根拠に言っているものなんだろうか。本当に西月さんは、片岡くんがそういう奴でないと信じているのだろうか。証拠も揃っていると聞く。下着ドロ現行犯の片岡くんが青大附中に在籍していられる理由は、会社社長のお父さんが多額の寄付金を奮発して頭を下げたかららしい。他クラスならともかく、A組において「寄付金」という言葉はもはや自然に受け止められていた。

  男子たちが憤ったのは「下着ドロ」という行為ではなく、「金」でもって自分の罪を打ち消そうとした姑息な性格にあったのではないか。

 悪いが、片岡くんに同情する気はさらさらない。  これみよがしに「下着ドロ」とつぶやく気もないが、かばってやりたいとも思わない。

 ──かばう振りして、そうしている自分に酔う方がもっと醜いわ。

 片岡くんを嫌いつつも、評議委員としての義務と正義感でもって、しらじらしく行動している西月さんを見るたび、鼻で笑いたくなる。

 ──そんなにかばいたかったら、もっと接近すればいいのにね。天羽くんが今まではいたから、何しても「まあ、天羽の彼女だし」と言われてきたけれど、今じゃあフリー。天羽くんにも一切無視されている現状だもの。本当に片岡くんをかわいそうだと思うのだったら、付き合ってあげたら? そんな気さらさらないんでしょ。自分が安全なところにいて、せっかくだから同情してあげてるだけ。ああ、やだやだ。そそられない。

 片岡くんを見ただけでなんだかじっとり気持ち悪くなってきた。そこんところ、やっぱり自分も女の子だと感じた。

 西月さんとは正反対に、自分の好きな相手が受け悪いにも関わらず、想いを貫いている女子だっている。D組評議の清坂さんがそうだ。あれだけ可愛い顔とさっぱりした性格だったら、男子なんて……もちろん女子も……よりどりみどりだろうに。何もより好んでアイスキャンディー面の立村委員長なんて選ぶことないだろうに。誰もがそれは感じているはずだ。語学こそトップクラスだがそれ以外は可もなく不可もなく単純計算すら電卓がないと生きていけないような男を合えて選んだ気持ちを、正直理解できるとは思えない。しかし、周りの雑音を一切無視して、自分の惚れた相手一筋に生きようとする性格は、ぐんと紡の気持ちをそそらせる、そそらせる。

 ──私も花買って帰ろう。

 自分の部屋の中だけだったら、一輪挿しで十分。白い百合を選んだ。


「紡、ちょっと来て」

 部屋にこもっていつものようにヘッドホンで雑音をシャットアウトしていた。母が耳からヘッドホンを外そうとするまでは気付かなかった。

「うるさい、何か用なの?」

「ほら、これね、紡に似合うかと思って」

 ──またなの?

 下手に洋裁が好きだと、うっとおしいものを押し付けられることが多くなる。紡が思うに、手作りの良さとかアットホームとかいうものは、相手からしたらうざったいことこのうえないのではないかと感じる。いかにも小学生向けの春っぽいワンピース。ピンクのストライブだった。おなかのあたりに切り替えがついている。襟も丸く、ところどころミシン糸のつった後が残っている。

「最近あんたも、地味な服ばっかり着て、陰気に見えてしかたないからねえ。もう少し明るい色目のものなんてどうかなと思ったのよ」

「いらない。こういうの好きじゃないから。お姉ちゃんのお下がりで十分」

 一瞥して、すぐに階段を昇ろうとした。がしっと肩を捕まれた。

「ね、着るだけ着てみてよ。お母さん昨日徹夜してこしらえたんだから」

 ──好きでやってるんでしょ。関係ないわよ。

「お母さんあんたのために、眠い目こすって作ったのよ。お父さんもこれだと喜ぶわ」

 ──別にお父さんのこと喜ばせたくて着ているわけじゃないし。

「紡にはきっと、こういうタイプのお嬢様っぽいのが似合うと思うわ」

 ──たわし頭のどこがこういうの似合うっていうんだろう。黒くシックな方の着こなしが私は好きだけど。

 会話がかみ合わないのは昔から。無理にけんかをしたくないので、紡は少しだけ妥協することにした。着るだけ着てみた。袖が長すぎる、スカートが中途半端なラインで留まっている。ふくらはぎの一番足太く見えるラインだった。しかもウエストの切り替えがちょうどお臍のあたりにぴたっとくっついていて、妊婦のようだった。うまく言えないけれど、幼稚園のスモッグを無理して今着てみたような印象だった。首だけちょんぎって、体だけ子どもにしたらぴったり合ったのかもしれないが、十四才の身体にはそぐわなかった。

「あらら、ほんっと似合ってる! 可愛い! お母さんはやっぱり見る目あるのよ。いつも着ている陰気臭い、葬式に行くような格好よりも、こういう華やいだ感じの方が向いているのよねえ。これから着るものそういうのにしなさいよ。ねえ」

 白々しくも母は、懸命にピンクのワンピースのよさについて語っておられる。聞き流すのは簡単だけど、この機会にきっぱりと言っておいた方がいいような気もした。

「私は嫌いなの」

 紡はその場で脱ぎ捨てて、シュミーズ姿のまま部屋に戻った。いつものように鍵をかけ、鏡に下着姿の自分を映してみた。まだまだ身のついていない身体で、お姉ちゃんのやわらかさには程遠いけれども、意に染まぬ服を身につけている時よりははるかにきれいだと感じた。

「紡、なんでそんなあだになるようなことするの! お母さん一生懸命縫ったのよ! お母さん一生懸命あんたのために作ってあげたのよ、なのになんで、なんで」

 ──いつものことだわ。

 泣き落としにかかる母。もちろん縫うに当たって、さぞや苦労したことだろう。もともと洋裁のような細かいことは苦手な母だ。娘を思う心さえあれば、きっと多少の手作りの粗などは関係ない、きっと喜んでくれると勘違いしていたのだろう。紡に対しても、お姉ちゃんに対しても、同じだった。伝わらないと泣いて説得しようとする。泣いて脅してだめだったら今度は、若干譲歩して機嫌を取ろうとする。思わずOKを出してしまうと、つけこむように自分の要求を押し付けようとする。お姉ちゃんの結婚式だってそうだった。あれだけ、レストランウエディングをしたがったお姉ちゃんがなぜ、いかにも旧式な結婚式会場を選ばねばならなかったのか。しかも白々しい花束贈呈なんてやらねばならなかったのか。銀のシャープペンシルとボールペンのセットを引き出物にしようと決めていたのに、なぜ金の七福神置物に代わってしまったのか。すべてはお姉ちゃんのドレスを理想のものにしたゆえの妥協点だった。お姉ちゃんはどうしても、お気に入りブランドの可愛いドレスを着たかった。和装なんてしたくなかった。たったひとつの条件を通すためにお母さんの要求をすべて飲まねばならなかった。招待客のほとんどが父の知人関係だったため、お姉ちゃんの友だちは二次会にしか呼べなかったことだってそうだ。

 自分のしたいことを押し通すためには、その倍、条件を飲まねばならない。

 この家で生き延びるにはそれしかなかった。

 「あんたのためを思って」「あんたに似合うから」その言葉を妥協して、その隙間から自分のほしいものを手に入れるため努力しなくてはならないこの家。親だから嫌いになるなんてこと、あるわけないというけれど大嘘だ。紡も、お姉ちゃんも、生まれ育ったこの家と両親を憎んでいた 。


 ──心を込めて作った不細工な代物よりも、機械で大量生産された完成品の方が私は好き。

 白い百合をさした一輪挿しに微笑みかけ、紡はもういちど、ヘッドホンを耳に当てた。



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