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 ──やっぱり、可愛い子を見るのは目の保養だわ。

 教壇の上では、評議委員長がひたすら静かに説明をしつづけている。六月以降予定されている、他中学との合同交流会についてだった。三年なんだから修学旅行の準備もしなくてはならないだろうし、準備で忙しいはずなのに、この学校どこか抜けている。もちろん修学旅行のしおりつくりとか、バスの席順決めとか、その他各クラスそれぞれの事情を鑑みた指令などなど……その辺はみな天羽くんにまかせている……やるべきことはたくさんある。なのにだ。

 ──どうして、清坂さんみたいに可愛い子が、あんな彼氏選んだんだか。

 三年A組となると、窓際の一番端っこに席がある。隣りの天羽くんは、両腕くんで、たまに汗をハンカチで拭いている。ゴールデンウイークが終わったばかりだっていうのに、おかしな話である。汗っかきなんだろうか。噺家さんみたいに、手ぬぐい常備の方がよくないか?

 紡は、使っていないポケットティッシュをまるのままぽんと置いた。

「なにそれ」

「見ている私も暑苦しくなってくるから、第三者の迷惑にならないうちに」

「サンキュ」

 鼻で軽く笑い、頬杖をついた。

 窓辺の席には、てんとうむしが這っていた。真っ赤な背中に白い斑点。いかにも代表的な小さな虫。シャープの先でつついてひっくり返して遊んだ。

「と、いうことで、六月以降の合同交流会は、生徒から希望者を募り、ひと教室借りて行うというのはどうでしょうか」

 天羽くんの追加情報、「あの人」……狩野先生から聞きだした情報、などなどをあわせてみると、この「合同交流会」というのは以下のことらしい。

 公立の水鳥中学生徒会と青大附属中学評議委員会とは、去年の学校祭あたりから交流をはじめていたという。もちろん正式な交流ではないけれども、今年に入ってからは活発に互いの学校を行き来し、六月の正式始動について準備を行ってきたという。

「立村が意地になって計画立てたからなあ」

 ──あの人も、ミルクキャンディーの血統ね。

 顔色の冴えない、制服がだいぶぶかぶかしている肩の細さ。なんだか背中だけ見ると女子そのものだ。顔も、女子だったらきっと美少女だったんだろうが、男としてのよけいなあくが浮かんでいてすべて台無しだった。細い唇なんだけど、顔の骨が露骨に出すぎている。眼が細いのか大きいのかわからないのは、二重なのに一重に見える顔だからだろうか。とにかく、評議委員長の顔を見るたび、「あの人」を連想するのは自分だけだろうか。

「なんでそんなことする必要あったわけなの」

「俺が原因」

 ぽそっとつぶやく天羽くん。あまり聞かないでほしいのだろう。

「だけど、私、知ってるんだわ」

 ちらっとヒントだけ残しておいた。もっと聞き足そうな天羽くんの顔だけど、この辺は他人様にも影響を与える言葉ばかりだから、口には出せない。

「なんだよ、思わせぶりな」

「ヒントは、E組」

「E組?」

 ──ははん、知らないな。

 側にいる評議委員会顧問の先生はパイプ椅子に腰掛けて、足組んだまま居眠り中だ。永年評議委員会を守ってきた駒方先生が退職した後任だという。なりゆきでなっちゃったって感じだ。駒方先生は評議委員会に関して、何もしていないように見えて細かい仕事を全部引き受けてくれたらしい。天羽くんの言い方によるとそうだが、よくわからない。

「まあ、見てなさいよ。明日あたり衝撃的な発表があるはずよ」

 立村評議委員長が二年の新井林くんを指名して、教壇の側に呼び出した。聞こえないように小声で話をしている。素直に頷いて、何かしゃべっている新井林くん、ずいぶん踏んぞりがえっているように見えた。後輩の取る態度じゃない。

「じゃねえよなあ」

 天羽くん、少々ご機嫌斜め。唇への字口。

「堂々としていていいじゃないの」

「近江ちゃんはああいうタイプ好みかよ」

「別に」

 紡はさっきのてんとうむしを探した。机の上に転がっていたのに、いつのまにか飛んでいってしまった。太陽のある方が虫は好きなのだ。


 『かの子放送局』によれば、評議委員会における合同交流会関連重大発表は、今日明日中に行われるはずだという。

「あのね、あの人の日記読んでたら書いていたのよ」

 二十九にもなって男のくせに、こまごま日記をつけるのもどうかと思う。机の引き出しに鍵をかけてしまってあるらしいが、お姉ちゃんの性格を知らないおめでたい人だとだけ言ってあげよう。お姉ちゃんは針金を鍵穴につっこんで、あっという間に開けてしまう。天才だ。職業間違えなくてよかった。

「なんかねえ、青大附属のE組構想なんだけど、いろいろ悶着あったらしいのよ。けど、ゴールデンウイーク明けにはひとまず形もついたということで、始動しようということになったみたい」

「へえ、さすが直情報」

 ──厳密にはそうでもないけどね。 

 「E組」……いわゆる「特別補習クラス」という表現が正しいだろう。青大附中では、試験選抜でもって「大学」もしくは「高校」の授業をいくつか受けることができる。大抵は英語や数学、その他芸術科目が中心だ。今、教壇の上で「交流会」について語っていた立村評議委員長も、二年の頃から大学の英文科授業を取りに通っていると聞く。なぜかD組の生徒が多いのは、やたらと個性的な感性の持ち主が多いからではないかということである。

 今までは各生徒の担任がまとめて面倒を見ていたのだが、近年、かなりその数が増えてきてひとりひとりにきめ細かな指導やアドバイスが出来ない状況になりつつある、のだそうだ。そのため、特別授業を受けている生徒たちをサポートするためのクラスを常時用意しようというのが、表向きの理由だ。さすがに現役の教師だと、自分のクラス関係や事務作業などで手一杯だということで、退職したばかりの駒方先生に講師として入ってもらい、教室をひとつ分けてもらって、そこで面倒を見てもらおうということになったらしい。以上、お姉ちゃんのお言葉だ。

「でもね、本当のことは知ってるわよねえ」

「困ったちゃんのはきだめ」

「ぴんぽーん」

 お姉ちゃんも笑った。紡も笑った。まさにその通り。


 さすがに今は、天羽くんには言わないで置いた。どうも天羽くんは、同学年の男子評議たちとかなり仲良しで、かなり打ち解けた話もしているらしい。立村評議委員長がどういう扱いをされているか、本当のことを聞かされたらきっと驚くだろう。別に紡としてはどうでもいいけれども、評議委員会で無理に波風立てる気はない。

「それでは、今日はこのあたりで終りにしたいのですが、よろしいですか」

 顧問の先生がめんどくさそうに頷いた。気持ちはわかる。暑苦しい人がいるとうんざりだ。ミルクキャンディーのくせにだらだら溶けている。

「では、明日に三年の評議委員は、昼休み図書館に集まってください。一、二年は新井林の指示にしたがってください。以上です」

 教壇から降り、軽く三年の男子連中……当然天羽くんも入っている……に目礼しながら、立村くんは前から四番目の席に戻った。隣りで麗しの美少女・清坂美里さんになにか話しかけている。美少女という称号はこの子のためにあるもの。別に紡は手を出す気、さらさらないけれども、ミルクキャンディーな彼にはもったいないとつくづく思う。

 ──ほんっと、惜しいよなあ。性格もしゃきしゃきしているし、顔もすっきりしていて気持ちいい感じ。ねちっこさがないよね。ああいう子と一緒のクラスだったら、私もかなり、クラスでふつうの女子になっていたかもなあ。環境だわ。

 肩に少したれるくらいの髪を、今日はきちんとそろえている。おかっぱ髪くらいしか見たことないけれども、もう少しみつ編みにするとか、前髪をわけて額を出したりすると、もっと響くものがあるだろうに。いや、思いっきり紡と同じくらいのベリーショートにしてみたら、思わぬ発見があるかも。できれば美容院に連れ込んで、紡好みのスタイルに変身させてあげたい。

 評議委員に選ばれると聞かされた後、さっそく妄想させていただいたのはD組の女子評議委員、清坂さんのことだった。いっちゃあなんだが、紡にとっては青大附属に入学して唯一の目の保養だった。頭のいい可愛い子は貴重だ。他の三年女子評議ふたりが紡に対してつっとんげんなのに対して、やっぱり清坂さんは親切に教えてくれる。天羽くんも驚いていた。

「なんかなあ、近江ちゃんほんと女子好みなんだよなあ。清坂見ている時の眼怖いもん」

「そういう趣味なんだからしょうがないじゃない」

 ちゃんと最初から釘をさしてあるのでその点、楽だ。

 ──やっぱり天羽くんはあたりだったかもな。

 紡はノートを閉じた。天羽くんが他の男子たちに二言三言交わした後、

「ほんじゃま、おさきに失礼いたしやす」

 とおどけて挨拶をした。男子と女子、何となく分かれて集まっている中、D組の評議委員カップルだけが、

「お疲れ様」

 と声をかけてくれた。やはり評議委員長とその彼女。紡についていろいろ考えることはあるのだろうが、礼儀は守ってくれている。

 廊下を出て、天羽くんは時計をちらっと見た。デジタルの、やたらとごてごてしたものがくっついているものだった。きっと高い。男子ってこういうのがやたらと好きだ。

「重そうねえ」

「これ、計算機もついてるし、世界の時間もわかるんだぜ」

「ふうん、使ってるんだ」

「時差の計算とかもやれるしさあ」

 なんの必要があるのか紡にはわからないので、聞き流しておいた。でも何も言わないのも悪いんで、

「修学旅行を海外にすれば、天羽くんが全部仕切るってことになるわけね。なかなかじゃないの」

 さらっと答えてやった。

「あっそっか。修学旅行かあ。準備だなあそろそろ」

「悪いけど私、ほとんどわかんないからね」

「そりゃ困るぜおねえさん。相方なんだからその辺はお手伝いたのんまっせ!」

 ──やらないとまずいだろうなあ。まあいいわ。天羽くん、この調子だと自分でどんどんやってくれそうだしいいかな。

 紡はやっぱりやる気なかった。

 三年A組の教室に寄ってみた。誰かいたらさっさと素通りするつもりだったけれど、誰もいなかった。修学旅行の前にはまず中間試験があったり、高校進学時の選抜試験準備などもからんでたりして、いろいろと忙しい。さっさと帰ったのだろう。青大附中は入試がないから気楽で良いと言われるけれども、結構面倒なことは多いのだ。

「ちなみに、普通科? それとも英語科?」

「英語科なんて地獄行きたくねえよ。あそこは立村くらいだろ、ストレートで受かるのってば」

「ああそうか、選抜試験の場合、英語の内申と配点が高いんだよね」

 コネがどうのこうのなんて、些細なことに思えてくる。立村評議委員長は語学関連の能力がただもんではなく、たぶん現在五ヶ国語くらいはマスターしているのではと噂されている。その能力をどこに使っているかというと、主に洋楽のライナーノート翻訳だという。もったいない話である。

「まあいいっすよ。どうせ近江ちゃんもそうだろ」

「どうせコネ頭なんだから、贅沢言わないで置くわ」

 ある程度の点数さえ稼いでおけば、すんなり受かるだろう。そのくらいの目星はついている。かなりいいかげんな言い方だけどそういう学校なんだから仕方ない。

「ところでさ、近江ちゃん、さっきのことなんだけどなんだよ」

「なに?」

「言いかけたこと」

 なんだろう、忘れている。

「ほら、E組がどうのこうのってな。なんだよ。それと立村がどうのこうのってのも」

 ──意外と覚えてるものね。この人も。

 紡は肩をすくめて、西洋人のように両手を挙げて見せた。

「だめ、こればかりは発表されてからのお楽しみよ。きっと来週あたり、委員長、青ざめてるわよ」

「E組と立村とってどう繋がるんだよ」

「天羽くん、今度は推理小説マニアになることをお勧めするわ」

「やあだね。俺に推理ものは鬼門なんだ」

「思い出したくない過去、ね」

「ちくしょう」

 軽く流し合う中にも、きりきりと天羽くんへの過去を突っ込みたくなる自分に気付く。紡も意識して言ったわけではない。無意識って怖い。

「まあいいわ。私には関係ないもの」

 生暖かい風が吹いて来た。かばんを、男子みたいに背中に背負う格好でポーズをつけ、紡は教室から出た。いつも紡の方から動くことにしている。後を追うのが天羽くんだ。

「近江ちゃん待てよ」

「気分を変えて、ちょっと別方向から帰ってみる?」

 さっき天羽くんが尋ねた謎は、直接眼で確かめてもらった方がいいだろう。時間もそろそろちょうどいいころだろうし。一階に下りて、生徒玄関から反対方向にある家庭科室、技術室の並びを通ることにした。以前は教師用の研修室とかいうことであつらえられていた教室が今、がら空きのはずだ。そして今、誰かいるはずだ。

 ──お姉ちゃんの情報が間違っていなければね。


 廊下から、教師用研修室と呼ばれる教室の前に立った。技術室の次。職員室の手前だった。学校祭の時にたまに展示室として使用される程度で、臨時の食堂コーナーとしてPTA関係の人たちがラーメン、カレーライスなどを出していたくらいだろうか。

「ここに誰かいるのかよ」

「いるわよ。天羽くんが会いたくないかもしれない人が」

 思いっきり顔をしかめている。だいたい見当ついたのだろう。

「なんだよ、近江ちゃん俺なんか悪いことしたかよ」

「してないわよ。質問されたから、答えてあげるだけ」

 人差し指を立てて、しーっと合図してみた。

「さっき言ったでしょ。E組というのができるってこと。そのとばっちりがこの部屋に来ているのよ」

「この部屋にとばっちりってなんだよ。あの、なんだよ俺と関係あるのか?」

「あるといえばあるけれどないといったらないわね」

 扉に耳をつけて盗み聞きなんて面倒なことはしない。ひそひそとした気配だけで、生徒たち同士でいろいろ話をしていることだけは窺い知れた。たぶん男子、女子、半々で三、四人程度だろう。勘違いだったらごまかせばいいだろう。

「ちょ、ちょっと近江ちゃんまずいんじゃねえの」

「いいから」

 一秒だけサービスで笑顔。すぐに冷却した。金色のノブをひねった。

 ──やっぱり、あたり。

 真っ白い顔で教壇に腰掛けているのは立村評議委員長。真ん前の席で仲良く並んで座っているのは西月さんと二年の女子。やたらとバストだけがふくよか過ぎて、あどけない顔とほそっこい手足とが不釣合いな、着せ替え人形みたいな女の子だった。

「あらら、悪い」

 後ろの方で天羽くんが頭をかきかき、いきなりアホネタをかましたそうにしている。

 紡は振り返って、めっとにらんだ後、評議委員長に近づいた。顔を上げて、何か言い足そうに口を開けている。紡たちが入ってくるまで三人で密談していた様子だった。邪魔されたかっこうの西月さんは、紡の後ろにいる天羽くんを申しわけなさそうに見ていた。紡のことは視界に入っていないらしい。

「委員長、少し差しいったこと聞くようなんだけど、いい?」

「差しいったこと?」

 ちょうどその話題で暗い顔していたんだろうに。みんなお見通しだったけれども紡は黙っていた。あくまでも親切心でやってきたというスタンスを崩したくない。

「昨日うちの兄が話していたのを聞いてしまって、なんだか悪くて」

 ──厳密にいうと、お姉ちゃんからなんだけどね。

「きっと委員長たちもショック受けてるんじゃないかなと思って探してたのよ」

 この辺はフランクに。三年編入評議委員ということで、立場としては紡、弱いはず。でもそのあたりをうまく仲取り持とうとしてくれている。まあ中身はアイスキャンディーなんだろうが、彼氏にするわけでもないんだから関係ない。ビジネスでひきたててもらえるのならばありがたいことだ。

「ショックって何かな」

 まだ様子をうかがおうとしている立村評議委員長。無理やり笑顔を作っているが、片方の頬が引きつっている。

「言い方悪かったわ。単刀直入に言うとね、E組のことなんだけど」

「E組?」

 委員長よりも早く尋ね返したのは西月さんだった。紡に首をかしげて、

「どうして近江さん、それ知ってるの?」

 全く、頭の悪い女子だ。ちょうど今話していたことだってばらすようなもの。隣りの「バスト限定ナイスバディー」な二年がじっとにらみすえている。なんだかねめっちい。

「一応、兄だから」

 西月さんは黙った。去年だったらもっと噛み付いてきたのだろうが、三年に入り、正式に評議から降ろされた段階で見事に大人しくなった。ある種の男子たちにはそれが好ましく思われたらしく、フリーの彼女を狙っているらしいという声も聞く。紡からしたら、世の中好みっていろいろあるのね、と思うにとどまるが。扉を背にちらちら眺めている天羽くんをまた眼で追っていた。

 立村評議委員長はこくんと頷き、天羽くんに身振りで閉めるよう合図した。

「わりい、内密だもんな」

「ま、そういうことだ」

 男子同士で話す会話は、紡の時よりも疲れが色濃く出ていた。ストレス溜まるだろう。紡は伸びかけた前髪をつまんで細くねじった。閉まる音と同時に天羽くんと並んで机に腰掛けた。西月さんの視線は相変わらず控えめだった。

「他校との交流グループを解散しろって話を出されたんでしょう。たぶん、顧問に」

 面倒なのは嫌いなので、まずは単刀直入に切り出した。動かない三人に、わかったことと決め付けて話を進めた。

「いきなりのことで、たぶん驚いたんじゃないかとは思うけど、私は早い段階で噂として聞いてはいたのよ。ただその頃は、評議委員会ともあまり付き合う気なかったし、関係ないしってことで、話さなかっただけ。その点は申しわけなかったわ」

「いや、それは当然のことだからいいよ。でも、この話、狩野先生から聞いたのか?」

 慎重な姿勢を崩さない。立村評議委員長は背筋を伸ばして、げんこで膝を何度か打った。

「そう。知ってるよね。私の姉があの人の結婚相手だって」

「一応は」

 唇かんで、頷いている。有名な事実なのだから当然だ。

「やはりこれから先のことを考えて、委員長に報告しておいたほういいかなと思ったわけ。もちろん悪い情報ではないし、信じる信じないは委員長の判断だけど、どうします?」

 天羽くんと男子同士の視線交差。足をぶらつかせている天羽くんは鼻の下を一本指でこすった。

「もし、かまわないようだったら教えてほしいな」

 なるほどこうきたか。取引を持ち出されるかと思ったのだけれども、委員長はあっさりとOKを出してきた。

「じゃあ、一応私の知っている範囲で言うとね」

 紡は西月さんと一年の女子、ふたりに視線を送った。

「西月さんたちにも関係あることだから、聞いてもらっていい?」

 こっくりと頷いた。やはり評議委員落選というのは、プライドもあっさり放棄してしまうものらしい。えへんと咳をしたのは天羽くんだった。

「四月前から水鳥中学と交流を行うことは決まっていたらしいし、その辺は学校側も納得していたんでしょ」

「ああ、去年の十月から少しずつ話を進めていたしな」

「それで、委員長としては学校内の人たちにも交流を深めてほしいからという理由で、評議委員会から分離した『交流組織』をこしらえたわけよね」

「天羽から聞いているんだ。すごいな」

 皮肉っぽいけれどもその辺は無視だ。

「そのこと、四月前に、誰か先生たちに話さなかった? たとえばうちの担任とかに、何かの拍子で口走ったりしなかった?」

 うつむき加減で思い当たる節を探すべく、指を折っている。はたと思いついた、とばかりに手の甲で膝を打った。

「狩野先生には話したかもしれないけれど、もう交流そのものが決まった時期だったからそれほど隠す必要もないと思ったしさ」

 ──やっぱり。そこが甘いのよ。

 立村委員長が諸般の事情で、「あの人」の特別補習授業を受けているのは知っていた。その辺は触れられたくないだろうから内緒にしておいた。天羽くんにも、西月さんにも、そしてナイスバディーの彼女にも聞かれたくないだろう。

「あと、駒方先生にもしゃべらなかった?」

「そりゃあ、もと評議委員会の顧問だから報告はしているよ」

 ──抜けてるわ。

 思いっきりみえみえのため息を吐いてみせた。

「このふたりだけよね。あとは誰にも話してないわよね」

「ああ、うちの担任なんかにはひとっことだってしゃべってない」

 立村評議委員長はD組である。熱血青年教師・菱本先生のクラスだ。ちなみに「あの人」と菱本先生が同年代だとは、信じがたい。

「よりによってってとこよ。あのふたりがE組の中心となる予定だったんだから。きっと委員長から得た情報と、どっからかわからないけれど聞きつけた噂と混ぜ合わせてこういうことにしたのね。大体見当がついたわ」

「ちょっと待ってくれないか。近江さん」

 表面上は落ち着いたまま、立村評議委員長は静かに尋ねた。

「俺の聞いている限りだと、E組とは一年から三年の、特別授業に出る連中のフォローをする場所だって話だけど。違うのか?」

「それは表向きよ」

 全く分かっていない。やっぱりこいつは清坂さんにはもったいない。

「もちろん大学の講義などを取る人の手伝いをしてくれたりとかもするだろうけれど、本当のところは違うのよ。つまり、授業についていけなかったり、教室に入れなかったりする生徒たちの溜まり場みたいな形になるのよ。駒方先生、退職したのになんでこの学校にいるかっていうと、その生徒たちの面倒を見るためなのよ」

 視線が痛い。ホルスタインな彼女がじっと紡の顔を見据えている。

「いわゆる、行き場の無い人たちを集めるための場所よ。ほら、うちのクラスA組、去年退学者だしちゃったでしょう。それがうちの兄もかなり心に響いているらしいの。自分が結局悪かったんだって落ち込んでいるらしいのよ」

 この辺の事情も知っているが、あえて口にしない。立村評議委員長が、苦笑いしている理由もよくわかる。天羽くんも大体見当ついているらしく、くすっと笑った。

「先輩がばかなことをしたあれですね」

 口に出すなよ、と言いたい。抑揚のないまっすぐなしゃべり方の二年女子。委員長もその子に対してだけはなぜか柔らかい笑顔で頷いている。

「忘れたい過去はいろいろあるね。それで?」

「それにA組は、いわゆるコネクラスだし」

 反応を西月さんで確認する。二ヶ月前だったらひっぱたかれただろうが、黙っている。いいことだ。うつろな目でうつむいている。

「いろいろ学力なんかで問題あるらしいのよ。それ、一年、二年でも同じ人がたくさんいるということで、駒方先生がその子たちの面倒を見るために走り回り始めたってわけ。担任だって忙しいし、手も回らないしってことで、放課後に補習がしやすくなるように教室を確保して、いつでも相談にきたり勉強したりするようにってことにしたみたいなのよ」

 委員長、だんだん眼光が鋭くなってきている。なにやら思い当たる節があったらしい。

「そうか。そういうことか」

「ただ、露骨にそういう生徒に声をかけるといろいろ問題が起こるでしょ。プライド傷つけられたとかなんとか言われて。父母にも文句言われたらしくってしかたなく、学校側としてはこっそり人を集めようとしたらしいのよ。問題ある人、ない人、純粋に高校・大学授業の補習が必要な人、いっぱい集めて、生徒たちが自由に出入りできる場所にしようとしたらしいのよ。だから、E組に通ってくれと頼まれた生徒がかならずしも問題児であるとは限らないのよ。先生たちもそういうことは明らかにするつもりはないらしいしね」

「なるほどな。だからか。杉本、そういうことだよ。よかったな」

 杉本、と呼ばれたナイスバディーの二年女子は、当然と言った顔で答えた。

「当たり前です。私、変じゃないですから」

 ──この子が杉本さんなんだ。

 吹き出したくなるのをこらえつつ、本題に入った。

「これからさらに話がややこやしくなるんだけど覚悟してね。このE組企画の関係で、おそらく他の生徒たちにはしわ寄せが来るだろうし、時期的に修学旅行とかも重なっていて、一般生徒はきっと忙しいって判断になったらしいのよ。それで、現在の『交流サークル』は一度解散してもらい、評議委員会のみの活動ということで持って行ってくれって結論になったらしいのよ」

「ちょっと待て。なんで『交流サークル』と関連あるんだ?」

「それは、委員長、あなたがしゃべったことに関連があるのよ」

 とどめをゆっくり刺すことにした。

「つまりね、委員長がいろいろと『交流サークル』について話をしている間に、うちの兄、あと駒方先生は相談したらしいの。他の中学校と交流するよりも、むしろ学内で交流してもらう方が先決じゃないかということをね。もちろん来年以降、水鳥中学との交流会を他の生徒集めてやるのもありだとは思うけれども、とりあえずはE組をきっちりとやって、それからでも遅くはないんじゃないかとね。また、評議委員会内部でもどんどんやりたがっている層がたくさんいるはずだから、今年一年は委員会のみで交流活動を行ってほしい、そういう結論になったらしいの。これは本当よ。兄が話していたわ」

 「兄」だなんて、よくもまあしゃあしゃあと言えちゃうものだ。自分でも感心してしまう。もし「あの人」が聞いていたら喜ぶだろうか。紡のことをなんとしても懐かせようとしている行為がなんともいえず、もちょこいのだ。

「評議のみで交流か」

「そう。どうせ委員長ひとりでこの件は進めてきたようなものでしょ。天羽くんからも聞いたけれど、水鳥中学の生徒会副会長とも連絡個人的に取っているって聞いたしね。だったら、あまり中間組織を使わないで、じきじきに進めたほうがいいんじゃないかってふたりで思ったらしいのよ。むしろあれは、善意じゃないかな」

 唇をかみ締め、立村委員長はゆっくりと天井を仰いだ。だいぶ外も黄金色に染まりつつある。誰かが覗き込みにこないだろうか。職員室も近い。

「近江さん、ありがとう。だいたい話が見えてきた」

 立村評議委員長は両手をついて教壇から立ち上がった。かくんとうなだれたかっこうで、目の前の女子ふたりに告げた。

「と、いうことで原因はつかめたよ。俺が口軽すぎて、駒方先生によけいな気を遣わせてしまったってだけなんだ。決して、交流サークルをつぶしたいとか、杉本のことを追い出したいとか、そういう意図じゃないってことだけははっきりしたよ。西月さん、ごめんな。なんか俺のせいだよな」

「そうですね、先輩が悪いんではないですか」

 また抑揚のない跳ね返し。杉本さんは目がぶっこわれるのではと思うくらい強い視線でにらみつけている。やはり噂は本当だったのだと、紡は思った。

「ごめんな、杉本。でもまあ、こっそり手伝いなどお願いすることは必ずあると思うから、その時は頼むな」

 隣りで肩をすくめる天羽くん。杉本さんのことをあまりよく思っていないらしい。下手なギャグをテレビ番組で見ていて、「けっ」っと笑いたくなる時にするようなポーズだった。

「私は当日あのお方に会わせていただければいいんです」

「それはそれでまた考えような」

 なんでこの委員長、杉本さんにだけはへらへらしているのだろう。妙に段差を感じる。清坂さんとふたりでくっちゃべっている時はごくごく普通の同級生顔だというのに。付き合っているという雰囲気が感じられないカップルということで有名な清坂・立村D組コンビ。それに比べて自然すぎる笑顔とあふれんばかりの甘い視線はなんだろう。気持ち悪すぎる。

 ──まあ、別に私には関係ないし、それはそれでいいけど。

 ふと、西月さんの遠慮がちなしぐさが気になり、ちらと見た。

 おずおずと、両手をからめて肘を付いた。神に祈りを捧げるポーズに似ていた。ちょっとうつむき、紡に向かい、

「近江さん」

とささやいた。

「何か?」

「あの、もしね、評議委員のことで、何かわからないことがあったら、私、手伝うから言ってね」

 ──あらら、ずいぶん下手に出たじゃないの。

 ほんと、三ヶ月前の偉そうな態度はどこいったんだろう。別にそれで困ることはない。こっちの方が助かるけれども、かえって不気味という感じもする。

「別に私、手伝ってもらうことないと思うけど」

 さらりと返した。

「でも、あの、修学旅行のしおりとか、そういうのあるでしょう。いろいろ面倒だって去年の宿泊研修旅行の時も思ったし、だから」

 ──うっとおしいなあ。だからなんで、関係ない話している時に持ち出すんだろう。やっぱり頭の悪い人はいやよね。

 紡が一言、きっぱり拒否してやろうと口を開いた、その時だった。


「評議委員同士でそういうことは決めることだ。関係ない奴は口出しするな」

 凍った声だった。天羽くんが紡の傍らに立っていた。ブレザーのポケットに手を突っ込み、いかにも憎憎しげに繰り返した。

「もう評議委員は俺と近江ちゃんだ。あんたとやった二年間よりはるかにいい出来のもの作るから、よけいなこと考えるなよ」

「あの、邪魔する気ないの。ただ、私にできることがあれば」

 食い下がろうとする西月さん。でもかつての覇気はなかった。か細く、一言「喝!」と怒鳴ればしぼんでしまいそうな気力状態だった。こんなんだったら紡の言葉だけで十分だっただろうに。少し哀れだった。止めておいた。

「やめとけば、天羽くんも大人げないよ」

 残念、やっぱり天羽くんも男だった。紡の止めを無視してさらに続けた。

「今の話で『交流サークル』がなくなっちまって、残念しごくっつうのはわかるぜ。立村があれだけ情熱燃やしていたんだから、俺もかわいそうだなとは思う。けどな、だからといって関係ない奴にまた、評議の仕事を邪魔されるのだけは迷惑なんだ。やめてくれよ」

「私邪魔する気なんてない」

 声が震えてきた。まずい、このままだと泣いちゃうだろう。本気で止めないとまずい。首を除けぞらし、もう一度、

「やめなよ」

と繰り返した。

「あんたには杉本の世話をするっていう仕事があるんだから、それだけに専念しろよ。そうした方が評議委員会の、それとA組のためになるんだ」

 ──杉本さんって、あの少しおかしい子だよね。

 なんとなく話が紡にも繋がってきた。でもまずはやめさせようと、今度こそ紡がきっぱり叱ろうとした時、先手を取られた。立村評議委員長が一言、

「天羽、これ以上言うな。後で電話するから今日のところは帰れ」

「けどさ、立村お前だって」

「A組と杉本とは関係ないだろ。早く行け」

 有無を言わせぬ口調だった。これからE組に押し込まれるであろう女子ふたりを、なんとかして守りたいらしい。

 噂に聞いていた、「立村委員長巨乳好み説」は本当らしい。


 くだんの杉本さんはというと、ぷいと反対方向を眺めていた。どうやら、自分に都合の悪いことは聞き流すことができる才能を持っているらしい。涙をためてぐぐっと天羽くんを見つめている西月さんとは違い、かなり図太い。

 ──やっぱり、そうなんだ。お姉ちゃんの言ってた通りだわ。

 今の二年に、情緒不安定な女子生徒がひとりいて、E組をこしらえるにあたって対象生徒として選ばれたというのが、杉本さんという子だと聞いていた。学年トップの成績だが、人間とのコミュニケーション能力が欠落していて、すでに青大附中卒業後は公立高校へ進学しろとのご沙汰がでているとかいないとか。また、西月さんと同じく、一年時は評議委員だったが担任桧山先生の判断により降ろされたという逸話も持つ。専門の病院で検査を勧められたという噂も、お姉ちゃんを通じて聞いている。なんで「あの人」がそんなことまで知っているのか不思議だが、教師なのでその辺はいろいろあるんだろう。もちろんそんなこと言いふらしても、紡にはなんの得にもならないので言わないけれども。

 天羽くんが、

「立村は杉本のことめちゃくちゃ猫可愛がりしてるからなあ」

とぐちっていたのを聞いたことがある。たぶん、立村委員長の甘い視線はその辺に理由があるのだろう。


「それでは今日のことなんだけど、内緒にしておいてくれる、委員長」

「わかった、どうもありがとう」

 要は天羽くんにこれ以上杉本さんについての悪口を言ってほしくないのだろう。

 紡は天羽くんにこれ以上西月さんを興奮させるようなことを言ってほしくなかった。

 ──だって、うっとおしいじゃない。今日こんな面倒なことしてわざわざ立村委員長に教えてやった理由ってなんだと思ってるのよ。

 廊下を出て、いきなり「ちくしょう!」と怒鳴る……聞こえない程度にだが……はちょっと大人気ないと思う。やっぱりそこんところが中学男子の弱さなんだろうか。全くもうと思いつつ、紡はポケットからのどあめを一つ取り出した。

「すうっとするよ」

 無言、じいっと顔をにらんでいる。やれやれ。

「ほんとはケーキとお茶がベストなんだけどね、さ、行こ」

 まだ腹の虫納まらない天羽くんをなだめるなんて無駄なことはしない。放っておくに限る。背中を向けてそのまま手を振った。あわてて追っかけてくるのが足音で分かる。紡の手から、緑色のあめをひったくった。乱暴に小袋を開けた。口に放り込んだ。飲み込んだ。

「薄荷がきついからあとで咽ひりひりするんじゃないの?」

 しばらく咽を両手でさすり咳き込んでいたが、やがておさまったらしくほおっとため息をついた。

「近江ちゃん、お前さあなんで」

 あんなことしたの?と聞かれるかと思って答えようとしたら、

「胃薬みたいに腹のなかすうっとさせてくれるんだろうなあ。女子のくせに」

「あらら、女子だからでしょ。失礼な」

 ──西月さんとではすうっとしなかったのね、ずうっと。

「今度はちゃんと口の中でなめれば」

「ありがとうございます」

 ちゃんと両手で押し頂くように、天羽くんはのどあめを受け取った。


 生徒玄関に出て、すのこから降りて外に出た。

「あれ、今ごろ学校に来る奴いるね」

「どれどれ」

 逆光を浴び、黒い影がずんずん玄関に近づいてきた。ブレザー制服だから、青大附中の生徒だ。ジャージでないところみると運動部系ではないらしい。

「ははあ、片岡か」

 すれ違う時やっと顔を識別できた。同じA組の男子・片岡司かたおかつかさくんだった。

 天羽くんの唇が微妙にゆがんだような気がした。

「片岡あのな」

 ひょろひょろともやし体型の片岡くんが、おびえたように振り返った。光りのあるところを求めるそれこそもやしのようにだった。

「まだ、西月、教師研修室にいるぜ」

 片手になにか、銀色のアルミホイルで包んだ針金みたいなものが見えた。よく観察すると、花一輪か。赤い花であることはわかったが種類なんて見当つかない。紡が見つめているのに気付いて慌てて隠している。別に取ったりしないのに。

「じゃあな」

 返事もしないで片岡くんは、生徒玄関に吸い込まれていった。


「あいつ、きっと西月を迎えに行ったんだぜ」

「別にいいんじゃないの」

 めんどうで返事をするのもかったるい。口の中に自分の分の飴玉を入れた。

「そうだな、いいよな!」

 妙に明るい口調に、紡は思わず天羽くんの顔を覗き込んだ。

「そうなれば完璧だよな!」

 嫌味でもなんでもない、素直に喜んでいるのが見て取れた。紡の目に狂いさえなければ、天羽くん、強くそれを願っているとしか思えなかった。


 ──下着ドロの片岡くんに、ねえ。

 二年前の騒ぎを思い出し、紡は天羽くんの真似をして肩をすくめた。

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