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つまらない。醜い集団。特に女子の集団は。紡の好きなのは、凛としてそれでいてしたたかさを持つ、強い人。
「近江さん、待ってよ。ちょっと逃げないでよ」
全く、飽きもせずこの人は、何を言いたいのだろう。
紡は振り向き、答えずにじっと見下ろした。ぼわぼわに髪をくせっ毛のまま膨らませている西月さんは、「女性」として紡の好みではない。男子がどう思うかは想像外だが、紡からすると、食指の動かないタイプだ。
「さっきからずうっと観てたけど、近江さんってどうしていつも、クラスのことにもっと関わろうとしないわけ? クラスの中で友だち作ろうとしないわけ?」
「別に、それは関係ないでしょう。これから用事あるの、お疲れ様」
簡単に答えておけば放っておいてくれる。いつもそうだった。一日中、授業で当てられた時以外は話をしない。休み時間はひとり、図書館か中庭で本を読む。もしくは黙って空を眺める。それで十分紡の時は埋まった。ひとりぼっちが気持ちいい、ってことにどうして気付かないのだろう。
「ちょっと待ちなさいよ。このままでいいと思ってるの? あと一年なのよ。あと一年で卒業じゃない。せっかくクラスのみんなが仲間に入れてあげようって言ってるのに」
「別に、関係ないから」
全く疲れる。この人……西月さんには、頭の悪い人たちといることの苦痛が想像もつかないのだ。成績がどうのこうのというわけではない。西月さんは成績も悪くないらしい。一緒に話していると時間が黒く染まってくるような気がして、早く吐き出したくなるのは、どうしようもない。早く、お姉ちゃんに会いたい。今日は始業式。一刻も早く学校を離れて、「アルベルチーヌ」でお姉ちゃんの黒いワンピースのフリルを触りたい。
「近江さん、いろいろ事情があるのは分かるけど、A組の仲間として、最後の一年くらい一緒にがんばろうって気持ちになってもいいじゃない。そりゃあ、近江さんはいろいろ大変だっていうの、わかるつもりだけどね。でも」
「これ以上話があるのだったら、紙に書いて下さいな。それでは」
口と顔のかもし出す空気が消えるだけでも、だいぶ楽に交わせる。それに場所も場所だ。生徒玄関のすのこで靴を履き替えた。茶色のローファーは、校則違反だ。一番足にすくりとなじんでいた。
「近江さん!」
すっとんきょうな声を出すもんだから、周りの連中の視線が釘付けになる。ささやいている奴もいるし、噂話の種にするのかじいっと眺めている奴もいる。男女問わず、騒ぎの内容には並々ならぬ関心をお持ちらしい。
「萩野先生だって、心配してるのよ! この前だって私に、近江さんのことを仲間に入れてあげてくれないかみたいなこと言ってたのよ!」
──一応、あの人も担任。義務なんだもの。評議委員さんにはそのくらい言い訳しておかないと示しつかないものね。
この辺、「あの人」に怒りは感じない。ご苦労様、それだけだ。紡は耳たぶを軽くつまむと、少し気合を入れた。黙らせよう。
「あのね、西月さん、これから忙しいの。とにかく先に帰るわ。別に私は、クラスのみなさんがコネ入学だからどうのこうのって思っているわけではないの。コネって言葉を口にするのは、西月さん、あなたが持ち出すからじゃないのかな、って思うんだけど、違う?」
丸い顔がずんずん膨らんでくる。女として、「欲情」できないタイプだ。いや。
「何、変なこと言わないでよ! みんながコネA組って馬鹿にされているのがどんなに悔しいことか、想像つかないの!」
「自分が悔しいからといって、私も同じだと思い込まないでね。とにかく、お疲れ様」
さらりと流すのが紡の主義。もっとこてんぱんにやっつけるという手も選べないわけじゃないけれど、エネルギーがもったいない。
すのこの上で足を踏み鳴らしそうだ。両手を拳骨にして怒り心頭。西月さんを背に、紡は玄関を出た。すっかり桜も満開だった。青潟の春は遅いものだけど、今年は一週間ばかり桜の満開時期が早まったらしい。自転車置き場に向かい桜の花びらをサドルから払った。
「近江ちゃん、ごくろうさん!」
紡を「ちゃん」付けで呼ぶ男子はひとりしかいない。イントネーションもおちゃらけている。笑い声というおまけすらついている。かたくなった首をほぐすよう振った後、紡は振り返った。A組評議委員の天羽くんがにやにやして待っていた。
「こんなところに自転車つけてたの」
「そうなんでーす。今日は近江ちゃんの隣りかなと、期待してたってわけっすよおん」
「天羽くんも、ずいぶん観察力がするどいのね」
まんざらでもない。女子に対しては思いっきりチェックが厳しいつもりだけど、男子についてはお付き合いの対象外なので、許容度の幅が広い。絶対タイプじゃない、と言い切ることのできる男子もいないわけではないけれども、まあ、贅沢は言わない。馬鹿でなければ十分だ。天羽くんは今のところ、紡の基準点以上を行く男子だった。
「今週の土曜、錦町の寄席に行くつもりなんだけど、今度近江ちゃん、ご一緒にどう?」
「落語ね。悪くないわね」 「おフランス好みの近江ちゃんにそうもいっていただけるとは嬉しいねえ!」
素直に喜んでいる。紡も落語に関心がないわけではない。「セシル」だからといって、必ずしも日本の伝統芸能を嫌っているわけではないのだから。「おフランス」ってところも天羽くんらしい。芸人好きのおちゃらけ好き。応援団の団長風硬派。ブレザーよりも学生服が似合うタイプだろう。それでいて普段は「いやん、ばかん、とかいっちゃってええ〜」と、紡にはよく理解できないギャグをかましているのだから世話がない。もっとも最近は考えるところあって、おちゃらけも押さえめにしているようだった。
──まあね、ああいうことがあったらしょうがないわよね。お疲れ様。
さっき玄関でわめきちらしていた怖い顔の女子を思い出し、天羽くんにに同情したくなった。
「でも、天羽くんも大変よね。あのクラスであと一年、一緒に委員やっていくっていうのはね」
あえて、西月さんのことを口にはしなかった。彼にとっても過去の汚点だろう。
「俺が選んだことだしなあ」
「あら、妙に真面目に返事ね」
「一度冷めると、とにかくとことん氷点下ってやつっすか」
またおちゃらけつつ、ついてこようとする天羽くん。残念ながら本日の目的地「アルベンチーヌ」は男子禁制。途中でさよならだ。ちゃんと着替え用のキュロットスーツも、駅内のロッカー内に用意済みだ。お姉ちゃんには、男子と歩いているところなんてみられたくはなかった。天羽くんもそれはわかるだろう。「そのくらいの覚悟がないと、元彼女と同じ委員なんてできないわよね」
「あ、そのことなんだけど、いいかなあ」
天羽くんは、ひょこっと話のトーンを変えた。ラジオの落語番組を真剣にエアチェックしている、今時珍しい男子生徒なのに、結局こいつも評議委員。真面目なんである。真面目なのは、放送時刻ちょうどに「今日の演芸」の録音ボタンを押す、それだけにとどめてほしい。
「明日、委員決めになると思うんだけど、俺、近江ちゃんを指名するから」
「は?」
思わず、お間抜けな一言を発してしまった。「今期の評議委員のことなんだけど、西月の代わりに、近江ちゃんにするってもう、決定してるんだ。あ、大丈夫! ちゃんと『お兄さん』には、そのこときっちり話しているし、西月も納得済みだ。ま、しばらく女子たちがうるせえだろうが、その辺、どうせしゃべらないからいいだろ?」 なぜ『お兄さん』のところを強調するのか。評議委員に選ばれるもなにも、寝耳に水。水かけられてもどこぞの女子と違って、ヒステリックにわめかない、なるようになるのが紡の主義だ。
「私が、評議委員に選ばれるわけないじゃないの。民主主義の時代よよ。委員を決める場合、大抵は持ち上がりでしょ。いくら西月さんが納得したからといって、他の女子がそんなこと、納得するわけないじゃないの」
「ノンノン、実はだね。もう手は尽くしてあるのだよ」
今度はきざに、腰に手を当て、まぶたの側で人差し指を揺らす天羽くん。
「うちのクラス、女子が一名少ないだろ? 去年の夏以降、男子十五名、女子十四名」
──ああ、退学した人いたもんね。
「仮に女子が反対したとして……近江ちゃんもお付きあい上、辞退したとして……でも、男子が一名多ければ、それで民主主義は成立。多数決、一票差で近江ちゃんに決定」
「なあに考えているのよ。ばっかみたい」
怒る気にもなれない。通常の女子だったら 「ふざけないでよ! 私、そんなこと絶対認めないから!」と叫ぶところだろう。紡はそんなことしない。ちらっと、「評議委員」という役柄を当てはめてみて、どうやって化ければいいかを考えるだけだ。面倒だ、という答えだけ。お姉ちゃんと会う時間が減りそうなだけ。どうせ選ばれても無視して本をめくっていればいいだけのこと。ふうっとため息をついて、肩をすくめた。
「あらら、文句言われるかと覚悟して、全身防備できたってのに、あっさりと」
気抜けした格好でまた、おちゃらけ天羽くんに戻った。
「こちらは口利く気、さらさらないから、そこまで天羽くんが手を回したのならばそうなるでしょ。私が決めることじゃないわ」
「そ、そこまでクールに言われると、俺としても困るよなあ」
「だったらやめるように、天羽くん、手を回し直したら?」
「男がすたるっての。それよか近江ちゃん、寄席に行こうよ、すっげえいいぜ。俺、今まで関西系のこてこてギャグに命かけてたけどもう人生変わった。やっぱ、日本の心は落語、漫才、漫談だっての」
「日本に住んでいる外国人に失礼よ。日本の心って日本人の心にしかないって思われるわよ」
別に腹を立ててみたわけでもなく、紡はさっさと自転車を引き出した。桜の花びらが風とともにかばんの上に落ちた。黒に桜色。風情、というよりも奇妙だ。
「難しいこと言うよなあ」
「喧嘩を売っているわけではないの。ただ、たまたま日本という国に生まれたからといって、誰もが日本の心ってものを持っているとは限らないのよ。だったら演芸好きの外国人がいたらどうするのよってことを言いたいの」
「さすが近江ちゃん、頭いいよなあ」
──分かっているんだかいないんだか。
でもまあ、落語も、悪くはない。日本語を耳で聞き取る能力がある人間ならば、楽しめる。約束したらあっさりと天羽くんは引いた。 「ありがと、じゃあこれから評議委員会あるから教室もどるわ、あ、それと、『お兄さん』には寄席のこと、内緒にしろよ。せばあ」
手を振ったり、笑顔を向けたりはしない。自転車駐輪場の向かいから見える窓によじ登り、天羽くんだけがひとりはしゃいでいた。ああいうところを男子の姿で見るのは悪くない。問題は、女子がやると気持ち悪く感じる、それだけのことだ。紡の好みはうるさいのだ。
「なんか、セシルが寄席に行くなんてしんじらんなあい」
もちろん、お姉ちゃんを誘うなんてことはしない。口の軽さは折り紙つき。誰と会うとかそう言うことまでは決して言わない。とある組のとある男子から、デートのお誘いを受けたとだけ報告をしておいた。でないと、お姉ちゃんとうっかり顔を合わせた時、に誤解されてしまう。やきもち妬かせるのも悪くないけれど、「あの人」に報告されたら別の問題が生じるじゃないか。
「でも、悪くないでしょ」
紡はがら空きの店内で、コーヒーフロートの上に乗っかったアイスクリームをすくった。自分の口に入れようと思ったが、考え直しお姉ちゃんの口元に差し出した。もちろんぺろんと口の中。
「冷たい。気持ちいい」
「でしょ、人がなめさせてあげると何倍もおいしいのよ」
今日のお姉ちゃんは珍しく真っ赤なエプロンドレス姿だった。
「私も、まんざらでないってことよ、お姉ちゃん」
「あら、でもなんだか意外。青大附中では女子にお姉さまって追っかけられるのがセシルの将来だと思っていたのにね」
お姉ちゃんの言いたいことは想像がつく。つまり、少女歌劇の男役スターをイメージしていたのだろう。髪型だけだったらそうだろうが、運悪く紡の顔立ちは少し猫っぽい。女の匂いが目だけで漂ってしまう。ひらきなおっているからその辺は、自分らしくメイクしてみたりしているけれども、女子たちからは憧れの対象にならない。
「ま、私は女子しか興味ないけど」 「ねえ、セシル。じゃああんたが最近気に入っている子ってどんな子なの?」
少し考えた、男子よりも女子に対する要求が高い。側にいて、お姉ちゃんとしたようにべとっとしたい相手……いないわけじゃなかった。しかし好みの子に限って、早めにばかな男子とくっついてしまうのはどういうことなのだろう。紡は決して女子同士で……お姉ちゃん除く……べたべたするのを快いと思わない。その点非常に好みがうるさいことを自覚している。気に入った子以外とはお付きあいをしたくない。しかし、紡の美的概念と合致した少女については、できれば鑑賞するか適度なお友だち関係でありたいと思う。残念ながら、その相手がひとりしかいなくて、それもよりによって……っていうのが許せない。
「すぱすぱっと返事して、言いたいことすっきり気持ちよく言うタイプの子だったんだけど。世の中、男と女の世界だから不利よね」
個人の名前は決して出さない。
──お姉ちゃんに言うもんなら、一瞬のうちに情報伝わっちゃうじゃないの。
お姉ちゃんは大好きだ。ただ、その口だけは信用できない。もし紡の生死がかかっていることだったら別だろうが、恋愛感情なんてものはきっとそのうちに入らないにきまっている。
「同じ組の子?」
「まさか、別よ別。A組なんかにいるわけないじゃないのよ」
長めに切りそろえたボブショートの、D組評議委員の子を思い出した。入学式の頃から目をつけていた。残念ながらすでにお手つき。他クラスというがネックだった。
──よりによって、なんでああいう相手を選んだんだろうな、ずっとレベル高いって自覚持てばいいのにね。 彼女の付き合っている相手は、ふさわしくない。教えてあげたいが残念、やっぱり話す機会がない。
「それよりお姉ちゃん、この前言ってた『E組』のこと教えてほしいんだけど、いい?」
「もう、勝手にパフェ頼んだりしないでよ。どうせ私がおごらされるんだから」
「うわ、自分の分は自分で払うつもりだったのに、わあいよかった」
わざと子どもっぽく、肩にもたれて甘えてみる。苦いコーヒーではなく、甘いパフェ。このあたりがお姉ちゃんにアピールする、微妙なコツだ。
「私たちの方には『放課後二時間ずつ補習する教室』としか情報が流れてこないのよ。今はそれほどでもないけれど、またコネコンプレックス持っている子が騒ぎ立てるたら、うっとおしいったらないんだから。大変なのよ。私もかまってられないし。もし、ある程度知っていたら、いい子ちゃんぶってたしなめるって手もあるでしょ。私、これでも、担任の妹、なんだもの」 そんなことほんとはちっとも思っていない。聞いたところでばらすつもりもない。紡が知りたいのはただ、「あの人」の本年度行動予定だった。どこでしっぽを出すか、どこでしくじるか、その辺をしっかりと見極めてやりたい。それだけだ。
「そうね、セシルはその辺、立場があるかあ」
コーヒーゼリーがかかった原色系のパフェが運ばれてきた。お姉ちゃんと一緒にパフェスプーンですくいあい、食べあった。こういうことをうちでもしていたけれど、やっぱりおおっぴらに「あーんして」と言い合うのは気持ちいい。気持ちいいことが一番好き。
「あの人、もともと理系学部で教員免許も持っていたけど、本当は養護教諭の資格もほしいと思っていたみたいなの。ひとり、その関係で詳しい人がいるそうね。暇さえあれば話を聞きに行っていたみたいなの。ええっとだれだったっけ、お年を召しているらしい人よ。今年定年退職で、今はなぜか講師で残っているって言う、ほら」
「駒方先生しか今年退職した先生いないけど」
あまり詳しいことは知らない。終業式の挨拶で見た時は頭が真っ白で、きれいに七・三に分けていた先生だった。評議委員会の顧問をずっとしていたとか。あれだけ歳いっていると、学校内での力関係も相当なものだろう。もっとも授業が美術ということもあって、紡には週二回程度顔を合わせる程度の人だった。関心はない。
「そう、その人だったはずよ。あの人、いつもそういう問題については語ってくれるんだもの。好きよね、物好きっていうのかしら」
──クラスでは、当り障りのないことばかりしゃべっているくせにね。「あの人」は。 教壇の上で白衣姿、一問ずつ前日に問題を当てておく。みんなは答えをそのまま写し、当日を待つ。当てられた生徒は問題をさらさらと黒板に書いた後、解答と説明を待つ。忘れてきた人、間違えた人、やる気ない人、特段責めるわけでもなく、「あの人」はただ分かりやすく説明を続ける。二次方程式、因数分解、空間図形、確率統計、無駄話もせず、ただ数値がどうしてこのような道にたどり着くのかを、簡潔に伝えようとする。
──教師としては馬鹿じゃないと思うわ。
いくら「あの人」のことを悪く評価しようと思っても、教師としての能力を低く見積もることはできなかった。実際、紡も決して数学が得意な方ではなかったし、「あの人」のおかげでだいぶ理解度が高まったことも否定できない。満点続きの数学テスト、決して自分のために手加減してもらっているのではなく、授業のノートを読み返して「あの人」の説明を思い起こせば頭に入る、それだけのことだ。
お姉ちゃんのひとり語りに耳を傾けながら、紡は自分のパフェを口に入れた。冷たくてちょっと苦い。コーヒーゼリーの成分がきっと濃いのだろう。
「セシルの学年って、確か筆記よりも面接の点数が高く評価されて合否が決まった年だったみたいね。それで一部の受験生の親からクレームが来て、次の年からは筆記最優先に切り替えたらしいのよ。それはこの前話したわよね」
「聞いた。コネ入学は露骨に出来なくなっちゃったのね」
「セシルだったら普通に受けても受かっていたわよ。だからレベルの高い生徒は一学年下にたくさん集まっている。けど、その分情緒的に問題があるかなって子もたくさん入ってきちゃったのが問題となっているみたいなのよね。授業中騒ぐとか、泣くとか、文句言うとか。早い話、親のしつけがなっていない子が多すぎるらしいわ」
──ああ、そうね。そういう子、いるって聞いたわ。
「成績とそういうところは比例しないものなんだってことよ。青大附中の『紳士であれ、淑女であれ』とはなかなか重ならないわね。そこで、全学年でそういう困ったちゃんを集めたクラス『E組』をこしらえて、クラスでもてあましている問題児を全部集めてしまおうという案が出たんだって」
──問題児?
同じクラスに似たような連中を集めてなんになるのか、という疑問はある。現在の三年A組なんてその対象そのものではないか。と紡は思う。縁故入学者中心のクラスにおいて、何かいいことがあったのだろうか。お互い、どういう繋がりで入学してきたかを必死に隠しあい、西月さんのように「そんなことない!」と言い張り、かえってどつぼにはまる。そんなことの繰り返しではないだろうか。 「問題児ってどういう人たちのことなの?」
「さっき言った、授業妨害はなはだしい子ども、授業についていけない子、精神的に不安定すぎて他の生徒に迷惑をかける子、それと、まあおおっぴらには言えないけれど、コネ入学であまりにも相性が合わない子、とかとか、そういう感じよ。春休み中にあの人と、ええっと駒方先生? と相談して、保護者に連絡を取ろうとしたのよ」
なんだか途中で問題が生じたのだろうか。はっきり聞きたい。紡はパフェスプーンに、すっかり溶けたアイスクリームをすくい上げた。のっかっているさくらんぼはお姉ちゃんにあげよう。
「ところがね、連絡の仕方がまずかったらしいわ。私も笑っちゃったんだけど、保護者の人たちがそんなやり方、はいそうですかって受け入れるわけないじゃないのよって。猛反発食らってしまって、結局『E組』で受け入れることをOKしてもらったのは二人だけ。一年の男の子と女の子、各ひとりずつよ。名前までは聞かなかったけれどもね。学校で電話するのはまずいということで、あの人、うちからこっそり連絡取ってたわよ。私が耳澄ませているの気付かなかったみたい」
──お姉ちゃんの地獄耳!
もし、結婚していまだにお姉ちゃんの得意技「盗み聞き」に気付かないでいるのだったら、「あの人」本当におめでたい人だ。
「しかたないので方向転換。露骨に『E組』とはつけないで、他の課外授業関連のサポートをするための常設教室、ということにしたの。ほら、他の能力が優れている生徒を、青大附中の場合、附属高校とか、大学とかで授業受けさせるじゃない? そういう生徒たちのサポートを『E組』で行うということにすれば、妙なこと勘ぐられないでも済むし。カモフラージュってところかしらん、あ、セシル、私にも一口ちょうだい」
わかっている。さくらんぼの柄のところをつまんで、お姉ちゃんの口にぽとんと落とした。十二歳下の自分が言うのもなんだけど、尖らせた唇が赤くて、可愛い。
紡が家に帰ったのは夕暮れ間際だった。染みだらけのエプロンで手をぬぐう母に
「お姉ちゃんと会ってきたから」
とだけ伝え、部屋にこもろうとした。
お姉ちゃんがいなくなってから二年間、家の中の空気がどすんと重くなったような気がする。一刻も早く抜け出したい、本当だったら一人暮らししたい。でもだめだろう。親が許してくれるわけがない。呼び止められた。
「紡、今日始業式なのに、なに荷物抱えているの」
「関係ないでしょ」
「なくないわよ、親なんだから。ほら見せなさい、見せられないものあるの」
きびすを返して荷物を背に回した。さっき着替えてきたワンピース。あれはお姉ちゃんに見立ててもらってこっそり手に入れたものだ。母の好みなんかではない。トレーナーにジーンズのスカート、もしくはTシャツにカーデガン。いかにも中学生らしい格好をするようにうるさく言う母と、会話するのは意味がない。
「関係ない。実力試験の勉強しないといけないから、食事、部屋の外に置いておいて」
「紡、待ちなさい!」
背を向けた時、取り上げられたバックの中をぱららと床にぶちまけられた。
「あんた、なんなのこの、いやらしい服!」
やっぱりそうだ。母にとっては、中学生らしいという基準にそぐわない服はみな、「いやらしい」のだ。お姉ちゃんがこういう格好を好んでいるなんて、想像すらしていないに違いない。
「関係ないでしょ。返して」
「いけません! あんたには服ちゃんとしたのあるでしょう!それになんでそんな格好を」
「だって、お姉ちゃんからもらったんだもの」
「かの子が?」
あまり使いたくない。お姉ちゃんに迷惑かかるのがかわいそうだから。でも、この家に一人ぼっちで置いておかれているわが身を考えれば、そのくらい言い訳しても許されるだろう。紡は母の手が緩んだ隙に、すばやくワンピースを拾い上げた。
「もっと子どもらしい格好しないとだめだって言ってるでしょう! かの子とあんたとは違うんだからね。ほら、何着ているの」
「全部お姉ちゃんからのもらい物だから、触らないで」
お姉ちゃん、という言葉。いい子ちゃんの振りをしつづけ、「あの人」を初めての人だと思い込ませて結婚してしまった、かの子お姉ちゃん。陰でどんな悪いことをしてきたか、紡だけが知っている。夜中に抜け出して、アバンチュールを楽しんできたことも、数え切れないほど。あとで寝物語に教えてもらった、あれやこれや。
母はきっと気付かないままだろう。「いやらしいこと」なんて、お姉ちゃんにはかかわりのないことなんだと思っていたに違いない。
別に今はいやらしい現実を母に突きつける気もないので、いつものようにわかりやすく、言い訳することにした。
「お姉ちゃん、もらい物が多いみたいよ。友だちの服がちょうど私に合うからってことで、くれただけ」
「本当に?」
「本当よ」
嘘はつきなれている。いまさら罪悪感感じる暇もない。
紡はしっかり目と目を合わせて、頷いた。
「しょうがないわねえ、あとでかの子に聞いておくけれどもね、あんたももう少し、中学生らしい格好をしなさいよ。皇人さんが観ているから大丈夫だろうけれども」
勘違いもはなはだしい。母は、娘の旦那がしっかり義理の妹を監視していると思い込んでいるのだ。当たっていないとは言わないが、監視カメラの外し方くらい学んでいないわけがない。
「じゃあ、勉強しなくちゃ」
青大附中生の特権、「勉強しないと授業についていけない」という理由ををちらつかせ、紡はやっと部屋に戻ることができた。母から押し付けられた、スーパー1000円均一で手に入れたらしいトレーナーとジーンズが衣装ケースの中に詰まっていた。今時、小学生だって恥ずかしくて着ないような、ハート型のやすっぽい絵柄。「すぐに着られなくなるのはもったいない」という理由でもって、サイズはぶかぶか。気に入らないものを身に付けると気持ちが落ち込むので、母の前以外では決して着やしなかった。駅前のロッカーが紡にとってはベスト洋服ダンスだった。
赤、白、青。トリコロールカラーにまとめたスケジュール手帳を取り出した。ノートが白、そして赤いボールペン。紡なりのこだわりだった。今週の土曜は授業が終わった後特段予定もない。白いノートの空き地に書き込もうとした。どんなかっこうで行くつもりなんだろうか。ひそかに楽しくなってきている。肩を回して軽く体操した。
──天羽くんが、もし女子だったならば付き合いを考えないこともないんだけどな。
決して嫌いなタイプではない。男子の範疇、という点で行けば、いい奴だと思うし、親友でもいいかな、という気はする。女子たちにももてるだろう。二学期までのキャラクターを保っていられれば、もっと人気ものでいられただろうに。かわいそうな奴だ。今は西月さんとのごたごたがからんで、女子たちからも無視こかれている。評議委員の立場で、クラスから総スカンというのはかなり立場悪いだろう。別に女子たちとつるむつもりもないし、天羽くんが悪いとも思えないので、紡は平気で話をしていたに過ぎない。向こうは多少、スケベ意識が覗いているかもしれないけれど、前々から「私は男子より女子好みだから、その辺忘れないでね」と釘をさしてある。誤解はされないだろう。
本当に惜しい。もし紡が男子好みだったら一発でOKしてあげるのに。天羽くんくらい男子としていい奴はいないと思うのだが。やっぱり紡は、お姉ちゃんとの誓いを破れないわけである。
天羽くんといえば一年、二年の頃はひたすら関西系のしょうもないギャグをかまして、周りから顰蹙を買っていた。黙っていたら、ガクランの似合う応援団風の顔に見えるのに、しょっちゅう受けを狙うものだからしまりがなくなってきている。
「はちまき締めて学生服借りてくれば、下手なギャグを飛ばすよりも受けるわよ」
と言ってやったことがある。
「卒業式後には必ず、近江ちゃんのリクエスト、受けつけまっせ」
というのが返事だった。二年の二月末のことだった。
もっとも紡には、天羽くんが投げかけるギャグのほとんどが理解不能だった。もともとバラエティ番組を面白いと思えない感覚の持ち主だ。いきなり身体をくねらせて、「あ、ああっ、感じる、感じるう〜」とポーズを取られても、よくわからない。たぶん流行しているネタなのだろう。周りの女子たち……特に西月さんあたり……が懸命に手をたたいて
「天羽くん、やるう! かっこいい!」
と叫んでいるのが理解不能だった。話し掛けられればそれなりに返事もする。でもそれだけというのが、今までのつきあいだった。
いつからだろう。
──天羽くんが関西ギャグを卒業したのは。三学期に入ってからだわ。
冬休みに何か転機が訪れたのだろう。大体理由は想像がつく。天羽くんは一切、こてこてのギャグを飛ばさなくなった。もともと評議委員という真面目な側面がありながら、本質芸人だった天羽くん。いきなり関心が「落語・演芸」に切り替わったらしい。
落語や演芸ならまだ、紡の理解範疇だった。しょっちゅう紡の席に寄ってきて、
「昨日のラジオ寄席聞いたんだけどさあ、『子別れ』泣けるよなあ」
とか、話し掛けられても、西月さんよりは冷静に対処できた。妙に気に入られてしまったのは予想外だったが、悪くはない。お馬鹿な女子よりも、男子連中の頭のいい子の方が話していて楽しい。
だからといって、別に女子を無視したわけではなかった。話し掛けられたらそれなりの返事はする。でもそれだけだ。西月さんがやたらとつっかかってくるようになったのは、三学期に入ってから。天羽くんとごたつき出してからのはずだ。
──振られたからって言って、私に八つ当たりするのは、やめた方いいんじゃないの。
お姉ちゃんがいた頃よく聞いていた、古い洋楽のテープを引っ張り出して聞いた。もちろんラジカセでヘッドホンで。フランス映画の主題歌集らしい。カセットケースそのものが行方不明のため、どういう題名かはわからない。たゆたゆとした、鼻ごもりの柔らかいリズムが耳に流れてきた。
天羽くんが紡に話し掛けるようになった時期。三学期。
西月さんがしつこく紡をつっつくようになった時期。三学期。
A組評議委員がふたり、形を変えてしつこく迫ってくる理由って。
想像つかないわけではない。ただ面倒なことには関わりたくないから、今日も目を閉じるだけのことだ。
──いくら私が女子好きだって言っても、頭の悪い女子よりまともな男子の方がましよ。
他の人には黙っていよう。決めて、紡は手帳に予定を入れた。「錦町・寄席」とだけ書いておいた。