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呪い子アリス  作者: 星鹿灯流
6/10

呪い子アリス

 のろいは言葉としては、悪感情によって生まれる「相手に不幸が訪れる願望」を総じて表す。

「死ね」とか「地獄に落ちろ」とかいう単純で過度な悪態を「呪いの言葉」と表現したりするのは、見たことがある人も多いんじゃないだろうか。いわゆる常識の範囲での呪いはこれらのことだろう。

 そこに僕の漫画で得た程度の知識を付け足すならば、超常の存在の機嫌を損ねたり、それらに害をなしたりすることで罰として与えられる、明確に害意のある呪いがあったりして。あとは魔女とか陰陽師とかが大掛かりな儀式で他人を殺したり痛めつけたりする呪いとか。絶対普通に殺した方が速いだろって時でも漫画の中の彼らはなぜか呪いを使う。


 百聞は一見に如かず。論より証拠。昨夜から懐疑的な態度を取り続けていた僕をして納得せしめるには、何よりまず見せる方が速いとでも判断したらしい。

「アリスにとっては、ただ睡眠が多く必要になるだけの呪い」そう言って彼女は、クッションを抱いた格好でベッドに横になり、目を閉じた途端に寝息を立て始めた。さっき買ったばかりの服に早速シワをつけている。

 アリス以外にとっては違うのだろうか。なんとなく首元に違和を感じ、無意識に手を当てる。何故だか僕は、その呪いの一端をすでに目にしているような気がした。

 そして、その予感のようなものに呼応するみたいに、視界に異常が起こる。


 フッと暗くなる。明かりが不規則に明滅するように、まだ陽の光で明るいはずの部屋がノイズを帯びる。

「なん、だこれ……っ」

 黒いもやが部屋に充ちていく。発生源はアリスの身体か、その周りのみ特に靄が濃い。気づけば彼女が眠るベッドはまだらの闇の中に溶けていた。

 頭が追いついていない感覚がする。とはいえ、いくらパッとしなくてもここまで明らかなら間違えないだろう。これは超常の出来事だ。異常な事件だ。思わず漏れる声も、自分の声と思えないくらい上擦っていた。

「アリスっ!」

 その上擦った声で呼んではみたものの、意味は考える暇もない。先のアリスの言葉が真実なら無事なのは間違いないだろうけれど、だからといって感情がセーブできるわけでもなく。呼び声に反応は無し。最早もはや届いているのかさえ怪しい。

 急にアリスの言っていた魔女だなんだという話がリアルな感覚を伴って僕の頭の中に反響し始める。

 靄に感情が揺さぶられるように、頭を掴まれ持ち上げられ首の骨が悲鳴を上げているかのような恐怖の感覚が、速くなっていく心臓の鼓動にシンクロして血管から巡っていく。全身に行き渡る。手の先足の先まで震えが伝播でんぱする。

 視界が回る。少し前が見えない。靄は部屋に充ちていた。

 だから気づくのが遅かったのだろう。


 小さい足がすぐ近くに見えた。いつの間にか起き上がっていたアリスが、こちらに向かって立っていたらしい。

 僕は、恐怖のせいだろう、膝をついていた。立ち上がることもできず、低い姿勢から彼女の顔を見上げる。アリスは、靄も、着ていた服も纏わず、着替えの時に見た下着姿で立っていた。

 言葉が出ない。感嘆符さえ僕の口の中、喉の奥に引きもっている。

 アリスが背に回していた手をこちらに向ける。

 手にはナイフが握られていた。小型の万能ナイフ。僕が趣味で買ったもので、最近使ったのはいつだろう、同僚が瓶ビールを手に提げて遊びにきた時か。

 当然、刃は出ている。照明の光を受けて銀にきらめく。それをアリスは逆手に持って両腕で目一杯振りかぶり、僕の方へ振り下ろす、そのモーション一つ一つがひどくスローに見えていたが、回避するための精神力は既に恐怖に削りきられた後だった。


 ナイフが、反らした首の喉元に、刺さる。


「ストップ」

 制止の声が掛かり、僕の左の手首が小さく柔らかな手に掴まれた。そのまま僕の手からナイフがぎ取られ、刃が畳まれた状態でテーブルの小物入れに投げ入れられる。

 僕は膝をついたままほうけるしかない。

 靄は部屋から消えていた。ベッドは無事だ。アリスは服を着て僕のそばに立っていた。少し屈んで僕の顔を覗き込み、ボーッとした表情で僕の目を見据えてくる。口が小さく開いていてキスを求めているように見えるが、これが彼女のデフォルトの表情なのがだんだん分かってきた。念のため言っておくが、下着姿ではない。服を着ている。

「楽しんだ?」

 どうにも他人の混乱する意識の中に斧を投げ入れる癖がアリスにはあるらしい。泉の女神は出てこないぞ。もう質問の意味が全然わからない。死ぬかと思った、というかアリスが止めなきゃ大怪我は免れなかった。それを楽しんだかと?

 これは皮肉か、皮肉だな。

「ああ、もう……おかげ、さまで」

 混乱したまま答える。なかなかパッとしない返答だ。

「そう、よかった」

 呟いて僕のそばを離れ、まるで定位置のようにベッドに座る。それを追って視線を動かすと、夕暮れの窓の外、ベランダの手すりにカラスが一羽留まっているのが見えた。

「よく、ない、し……」

 頭が痛い。吐き気がする。死に瀕する恐怖とはこれほどまでに恐ろしいものなのか。僕の人生、パッとしない死に方をするんじゃないかと常々思ってきたけれど、この恐怖が生きていれば少なくとも自殺はしなさそうだ。

「アリス……っ」

 名を呼ぶ。問いが出てこない。言葉を紡ぐはずの脳が声帯と徒党を組んでボイコットを起こしている。

 しかしそれでもアリスには伝わったらしい。

「幻覚」

 単語で返事が来た。もっと説明しろよ。

 無言で睨むと、アリスは眠そうな顔で続きを口にした。

「アリスの呪いは元は二種類の呪いだった」


 呪いは、重なれば変質する。両方の性質を引き継ぐものもあれば、一方が他方に呑まれることもある。アリスの場合は前者に近いが、魔女であるがゆえにそこからさらに変質したという。

「一つは、望む夢を見せ、目を覚ますことを拒ませる呪い」

 母親からは、いばら姫のように眠り続けることを望まれ。

「もう一つは死の幻覚を見せ、幻覚に沿う形で自死の行動を取らせる呪い」

 父親からは、人魚姫のように自ら死ぬことを望まれ。

「それと、アリスにある呪いに抵抗する力、魔力」

 自分は生まれから魔女の力という望まぬものを持ち。

「全てが合わさって、こうなった」

 どうして強く生きていられるのだろうか。いや、強くはいられないのか。パッとしない僕では、アリスの心の奥までは知ることも推し量ることもきっと出来はしないのだろう。


「つまり、アリスが眠るたび、周りの人が望んだ幻覚の中で自殺する、そんな呪い」

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