Chapter.2 「離別」
湿気と陰鬱とした回廊を、コツリコツリと歩く音が響く。回廊に点々と灯る蝋燭の火が心もとないが、暗闇をものともせずに目的の場所へ真っ直ぐに向かっているのがわかる。迷宮のような回廊を更に進むと、祭壇がある。足音の主は周囲を警戒しながら、誰もいないことを確かめると祭壇の裏側にある階段を下りていった。
階段の先には扉がある。扉を開くと、そこは生贄の間がある。黒衣のローブを纏った者が立っている。青白い炎が灯る蝋燭。炎は水面を漂うかのように揺れて、悪魔を象った像を濡らしている。
「宗師様。ご報告したいことが。」
足音の主が口を開くと、
「全て解っているよ。」
と、不気味なほど朗らかで穏やかな声が言った。
祭壇には十二体のナニカが祀られている。空白の一席を残して。
「死の幻影種がやられてしまったことは、別に驚きはしなかったよ。それよりも、“ヘルメス”の犬どもは全く以て役に立たなかったねぇ。せっかく忠告してあげたのに、おっ死んじゃうんだもん、笑っちゃうよねぇ。どうしよっか。」
「宗師様、《《そのこと》》でお話がございます。」
「そのことって、どんなことなのかなぁ? あぁ、わからないわけじゃないんだ。ボクは頭がいいからねぇ。そんな安易に指示代名詞を用いられたら100個くらい候補が浮かんじゃうじゃないか。」
宗師は急に声色を変えて、足音の主に瞬時に距離を詰め、刃物を喉に押し当てながら、
「てめぇ、ボクに余計な頭を使わせてんじゃねぇぞ。報告は単刀直入に、四文節以内で報告しろっつったよな。殺すぞ、“異教徒”。」
と、威圧した。しかし、足音の主は物怖じしている様子はない。
「・・・申し訳ございません。報告します。“特務機関”が“ヘルメス”と接触するようです。」
威圧した態度が一変し、先ほどの朗らかな様子に立ち戻ると、宗師は刃物をしまい、満足気な表情で愉快そうに藁っていた。
「あの男が動いたんだねぇ。サンシベリア特務機関第六主席、“リゲル・ウィンズ・バルト”。対してヘルメスの狂犬、オルトロス・ザ・ハウンドドッグ。物語が大きく動き出したと思わないかい?」
「死の幻影種ほどのモンスターを討伐できる冒険者はそうおりません。特務機関の連中・・・もしくはヘルメスの裏切りではないでしょうか。」
「それはないさ。君、新聞は見なかったのかい? 小さな街の出来事だからね、大きく報じられてはないけど。どうやら、たった一人の謎の英雄が倒したみたいだねぇ。」
「となると・・・警戒すべきでは。」
「もちろん、そうだけどさ。お前はどんな人物だと思うかい、エーレジア? その謎の英雄ってやつの正体。」
「・・・まさか、宗師様。お気づきなのですか。その謎の英雄の正体が。」
「あれほどの強モンスター、普通なら集団で挑むものだろう? それをいとも簡単に、たった一人で倒した。伝説級のかの“英雄”さながらの強さだと思わないかい?」
「・・・まさか。」
「そうだとしたら・・・実に面白いねぇ! そうであってこそ、我ら“魔笛の奏者”の敵に相応しい!」
青白い炎が勢いよく燃え盛る。揺らめく炎に照らされて、悪魔を象った像が鮮明に見える。その御神体を黒く染め上げて、べったりとこべりつく液体が滴っている。
十二体の首が並べられた祭壇に、宗師が向き直る。
「嗚呼、我らが愛しき力の王よ・・・貴方の与えてくださった“魔笛”を以て世を混沌とし、悪しき頂点の平和をもたらします。貴方様への供物はあと一体となりました。新生の乙女の首を一刻も早くお供え奉りたいと存じます。貴方様の復活も、間もなく叶うこととなります。」
再び祭壇に不気味な藁い声が響き渡った。
足音の主は藁い声の響く生贄の間から外へ出た。
「呑気なものだ・・・。それにしても、伝説級の英雄とは信じがたいが・・・調べる必要はありそうだ。全く・・・一体どのような猛者なのか。きっと百戦錬磨の武人であるに違いない。」
――宿場町ラ・ステラ。
「・・・寝付けん。」
夜、豪華な宿屋、そこそこな宿屋、無難な宿屋、背に腹は変えられない宿屋・・・さまざまな宿屋を回ったが、結局満室で泊まることができず今に至る。冒険者サポート施設通称“教会”で出会ったヘルパー、リクに頼んでここに泊めてもらうことになった。・・・とはいえ、四畳半程度の部屋に押し詰め状態とは想像もしなかった。そして、なぜ男子たる俺は、部屋のど真ん中で女性陣に囲まれて寝ているのだろうか。寝返り、寝息、汗の臭い。女性経験浅はかな男子代表たる俺の覚醒状態を支援するには十分であった。
「うーん・・・セイレン様ぁ。むにゃむにゃ・・・。」
寝言混じりの寝相の悪さ。クエスは探知機でも付いているかのように、避ける俺を自動追尾して追いかけてくる。今夜は逃げ場はない。敢え無く捕まることとなってしまった。このあとのことは、あまりにも刺激的過ぎたため、ご想像におまかせすることにした。
クエスの横四方固めからどうにか抜け出した俺は、夜の酒場に繰り出すことにした。この世界に来て数日立つが、現実の世界と同じように空腹もするし喉も渇く。特に、毎晩飲んでいたウメェシュの日課が、酒を恋しくさせたからだ。
酒場は賑わっていた。深夜を回るくらいの時間だろうか、それでもなお老若男女問わず各々酒を嗜んでいた。やせ細った男がテーブルの上でダンスしながら飲んでいる光景は、実際に見ると実に楽しい気分になれるものだ。
「そういえば・・・昨日倒したやつのドロップがあったっけか。」
モンスターを討伐した後に手に入るアイテムは、なにやら古ぼけた様子の剣であった。おそらく、ゲームと同じように鑑定を行うことでどんな武器なのかがわかるのだろう。それにしても、実際はこんなボロボロな感じで手に入るのか。
「スキル“古剣鑑定”。」
本来は全ての武具鑑定は、町にある鑑定士に依頼するか、鍛冶職クラスを習得した者でなければできない。しかし、剣士のクラスを習得していれば、剣の鑑定のみ可能になる。
スキル“古剣鑑定”を使った剣は、その本当の姿を浮き上がらせていった。
「そうか・・・これは確かベルクレイモア・・・。女性専用装備って設定だったけど、運営が導入できないままサービス終了したんだったっけな。」
「へい、らっしゃい! 冒険者の旦那、いい装備持ってるねェ!」
剣を眺めていたところに、恰幅のいい店の主人らしきおじさんに声をかけられた。
「そ、それほどでも。時にご主人。その・・・梅味のこう、シュワっとした感じのお酒って・・・ないですかね?」
「ウメ・・・? シュワっとした感じなら当店自慢の《《ルービー》》がおすすめなんだがねェ。あんた、どこの出身の人だい? この辺の酒じゃないだろう。」
「どこって言われると非常に答えづらいんですが・・・。とにかくこう、酸っぱい果実を甘いもので漬けて発酵させたお酒が飲みたいです! できればシュワっとしていてほしい!」
「なぁおやっさん、そりゃあれじゃねぇか? バイロの実のサワーのことじゃないか?」
店主のおじさんが困惑しているところに、二人組の戦士風の男たちが声をかけてきた。
「あぁ、それか! ならすぐに出せるとも。旦那、それでいいかい?」
そう言いながら同意を待たずして店主は去っていった。代わりに、例の二人組が俺の席に座ってきた。
「バイロサワーが好きだなんて、ちょっと女々しい趣向だなぁあんた。」
二人組のうち、青髪のツンツンヘアーの男が馴れ馴れしく話しかけてきた。
青髪の男は体つきがしっかりとしており、ちょっとゴロツキのような見た目ではあるが、戦士らしき風貌を漂わせている。もう一人の方は店の主人よりも恰幅があり、スキンヘッドで顔に傷がついていた。
「なんだあんたたちは・・・俺は可愛い女の子以外の相席はお断りだよ。」
「まぁそう固ぇことを言うなや。どこも席が一杯なんでね。あんたの好きな酒のこと教えてやったんだから、お互い様だろう?」
二人はサンシベリア国騎士団直属の戦士で、なにやら偉い人がラ・ステラに用があって護衛をしに来たらしい。酔った勢いで見ず知らずの旅人に要人がいるなんて話をするなど、三流もいいところだ。
今はその要人は会談中で、共の立会が認められず酒場に迷い込んできたらしい。
せっかくなので、田舎から出てきた身分であるということにして、この世界の出来事や変化を尋ねることにした。
どうやら、今巷ではテロ行為が横行しているらしく、都市部郊外問わず非常に物騒なのだそうだ。この前討伐した死の幻影種も、もしかしたらそのテロの一部なのかもしれない。しかし、どうやって・・・。
「ところであんた、さっき鑑定していた剣・・・ベルクレイモアって代物じゃないか?」
「あ、あぁ。コイツは偶然手に入れた物で。」
「その剣は、ちょっとやそっとじゃ手に入らない代物なのだ。」
何やら知っている、というような表情で、恰幅のいい男のほうが言った。
「すまんねぇ、俺の相棒は忍耐強くないもんでなぁ。お前さん・・・ただものじゃないだろう。田舎から出てきた騎士って話はちぃっとばかし信じられねぇ。」
「お前は、死の幻影種を討伐したはずなのだ。そうでなければ、その剣を持っているはずはないのだ。」
この二人は何かを掴んでいる。その上で俺に接触してきたに違いない。敵か味方かもわからない以上、まだ派手に動くわけにもいかなかった。
「あぁ、警戒しなさんな! 俺たちは怪しいもんじゃねぇ。お前さんならこちらの情報をくれてやってもいい、そう思ってなぁ。」
「なぜ見ず知らずの、素性もわからない俺に情報を渡す?」
「そりゃあお前さんが強者だからだ。秘められた“英雄”のオーラってのがプンプンしてらぁ。そんな殺気見せられたり、俺たちのようなゴロツキの一般人が死んでも手に入らないような剣を魅せられりゃぁ・・・」
「協力を求めたくなるのである。」
「なるほど・・・あんたたちはただ俺の素性を知った上で話をしているだけではないみたいだな。狙いはなんだ?」
日付も変わり、少しずつ店内も静かになってきた。
青髪の男は酒を一気に飲み干し、喉越しを楽しんだあと、落ち着いた様子で再び話を始めた。
「お前さん、“魔笛”って知ってるか?」
「どんなモブでもボス属でもランダムに召喚できる神器級アイテムである。」
「あんまりおっきな声じゃ言えねぇが、その“魔笛”ってのを使って、街でテロをやってる連中ってのがいる。名前は“魔笛の奏者”。魔王崇拝の異端教徒たちだ。先日お前さんがぶっ倒したあいつ、死の幻影種も、恐らくそいつらが召喚しやがったものだ。」
「その“魔笛の奏者”と、俺と、なんの関係があるんだ?」
「そりゃそうさなぁ。お前さんは少なくとも、常人レベルでは単騎で倒せないモンスターを一人で倒しちまった。まぁ、そんなレベルであることはモノホンの一般人は知る由もねぇが。この事実を“魔笛の奏者”が知ったらどうなると思う?」
「少なくとも、命を狙われるのである。奴らが崇高な目的だと自負している行為を穢したのである。」
「まぁ、職務上俺たちはお前さんを守るために動かにゃならんのだが・・・その強さだ、逆に俺たちの方が守られちまう。そんなのは王国戦士としてあまりにも情けねぇ話だろ? だから、お前さんにも協力してもらって、“魔笛の奏者”を見つけたらぶっ潰してくれってお願いする方が、筋が通ってるって思わねぇか?」
あまりにも身勝手過ぎるとは思ったが、確かにそうかもしれないとも思った。対象を狙うテロリストがいて、その対象がテロリストと同等に渡り合える実力の持ち主であるならば、テロリストから撃墜してもらいに行くようなものだ。彼らからしてみれば、火中に飛び込む虫のような感覚なのかもしれない。
「あんたの強さを見込んでの頼みだ、よろしく頼むよ。あぁ、その代わり、今日の酒は王国騎士団の奢りにしといてやるから、ありがたく思えよ。それと、俺の名はジェイド。こっちのでかいのはカプリコだ。また会うことがあれば、今度はこんな仕事の話じゃなく、べっぴんさん侍らせて楽しもうぜ!」
一方的な男だった。ジェイド、カプリコ。王国騎士団がもうすでに俺をマークしていた。そして、死の幻影種を討伐したことにより知れ渡った男の存在が、“魔笛の奏者”という魔王崇拝の教団にとって脅威であるという事実も生まれた。
当面どうすればいいかわからず、ミリヤの転職に付き合っていたが、このままではミリヤたちにまで危険が及ぶ可能性があるだろう。胸が締め付けられている感じがする。妙な胸騒ぎがしていた。
店主はなぜか酔いつぶれて寝てしまっていた。あれだけ賑やかだった店内が、静寂に包まれていた。階段を昇ると、未だ青白く輝く月が街を照らしていた。
「明日の朝、別行動を伝えよう。しかし・・・なんて説明すればいいか。」
「・・・や、やっぱり、行っちゃうんですね。」
店を出たところに、ミリヤがいた。
「・・・ご、ごめんなさい。起きたらその、セイレンさんがいなくて、探しに来たら・・・その・・・会話を・・・。」
「そうだったのか。」
ミリヤはまだあどけない女の子だ。実年齢で言うと12,3歳くらいだろう。そんな女の子が、この世界に生まれ、身寄りもなく生きていくことが、どれだけ過酷で、どれだけ寂しいことかは想像に難くない。
「・・・行かないで。」
「・・・。」
「・・・行かないでください。」
「・・・そういうわけには・・・いかない。」
「・・・わ、私、強くなりますから! 足でまといにならないように、り、立派な剣士になります! だから・・・一緒にいさせてください。私を、ひ、一人にしないでください。」
うつむきながら、手をもじもじとさせていた。今にも泣きそうな表情が、さっきとは違った重さで胸を締め付けた。
思わず、俺はミリヤの頭を撫でていた。
「いいか、ミリヤ。俺たちはまだ、たった3日ほどしか一緒に過ごしていない関係だ。」
厳しく跳ね除けよう。冷徹に。孤独になったとしても、この子には生きていて欲しい。そう思った。
ミリヤは口を締めながら、何かにじっと耐えていた。
月明かりに照らされて、耐え難い孤独を憂う雫が零れ、キラキラと輝やいていた。
時々微かに漏れる嗚咽が、更に俺の心を咎めた。
俺は耐えられなくなった。
「でもな、俺はお前のこと、家族のように大切に思っている。俺には兄弟なんていないけど、なんか、妹ができたみたいで嬉しかった。」
ミリヤの嗚咽が強くなった。いくつもの雫が抑えきれずに流れている。
冷徹を貫こうとする意思を完全に打ち崩すには十分すぎる量だった。
「俺は、“魔笛の奏者”を必ずぶっ潰してくる! そしたら、また一緒に旅をしよう、な?」
「・・・だ、だめ! そんなこと・・・セイレンさん、死んじゃうよ! そんなの嫌!!」
俺の心を槍で貫くような叫びだった。真っ直ぐな心の声が、自分の心に響き渡った。これまで無表情に近かったミリヤが、涙でくしゃくしゃになった顔を見せながら叫んでいる。
現実でこんなことがあっただろうか。身寄りもなく、仕事で心をすり減らせていた日常の中で、こんなにも純心に触れることがあっただろうか。
何故か、俺の目からも涙が溢れていた。
「・・・せ、セイレンさん?」
無意識に、ミリヤを抱きしめていた。
「ありがとう・・・俺、そこまで大切に思われたことなかったから・・・本当に嬉しいよ。」
「・・・。」
抱きしめていたミリヤを離した。
朧げな表情でこちらを見つめている。
「だからこそ、俺は君を守りたい。俺と一緒にいれば、君は・・・。」
「・・・。」
こちらを見つめていた視線を落とし、落胆しているのがわかった。
「そうだ・・・。なぁ、ミリヤ。明日は転職だろ?」
「・・・うん。」
「ちょっと早いけど、転職祝いに、これやるよ。ホントは転職したあとに渡そうと思っていたんだけどね。」
俺は、さっき鑑定したベルクレイモアを手渡した。ベルクレイモアは俺には装備できなかったし、女性専用装備という設定上、ミリヤが持ってしかるべきだろう。剣士クラス以上でしか装備できないが、この剣を装備できれば、ベルクレイモアの凄まじい性能がミリヤを守ってくれるに違いない。
「・・・お、重い・・・。ほ、ホントにこれ、もらっていいの?」
「あぁ。剣士に転職したら、装備できるようになるよ。」
ベルクレイモア。“ベル”とは、美しい女性を表す言葉だ。今はまだあどけない少女だが、いつの日か、可憐な女剣士として、立派な姿が見れますように。