プロローグそのさん
田舎へ帰った夜、すっかり引っ越しの作業を終えて、ひとり、海まで来ていた。
田舎の夜は早い。越して来たこの街は多少開けているので繁華街などはちょっと遅寝だが、海沿いは夜の静寂が広がっていた。
俺が生まれ育ったのはここの二つ、三つ隣くらいの町なのだが、それでもこっちへ来てみると、帰って来た、という感じがした。
砂浜に立って星を眺める。こうして静かに星を見上げるのはずいぶんと久しぶりな気がする。あちらでは星を見る余裕がなかったのかもしれない。環境と自分の変化に振り回されて空想をやめてしまっていたのか、自分の好きな物さえわからなくなってしまっていた。
確か自分は星もすきだったな、なんて考えながら、あれはなんて星だったか、昔の知識を思い出そうとしていると、後ろから声をかけられた。
「君も海を見に来たのかい?」
声の方へ振り向くと、制服に深い赤の外套を羽織った小柄な女性が立っていた。
「いえ、俺は星のほうを」
答えながら俺は女性の短めの髪の毛先が風にそよいでいるのを見ていた。綺麗な女性でなんとなく、顔を直視できなかったので、すぐに星に視線を戻した。
「なんだ、ボクと同じで海を見ているのかと思ったら、君は上を見ていたのか」
そう言いながら女性も、空を見上げた。
「ボクは山羊座なんだがね、どの辺りにあるんだい?」
「あ、俺も山羊座です。山羊座は確かまだ見えないですよ」
むむっ、と、残念そうにした彼女の挙動が、なんだか無邪気に見えて可愛らしいなと思ってしまった。多少年下に見えるのだが幾つくらいなのだろうと考えているときに、彼女の着ている制服に気がついた。
「あの、その制服、東高ですよね?」
今の時期に制服を着て歩く新入生はいないだろうから、年上かな。
「そうだよ。三年になるんだけど、君も東高かい?」
やっぱり先輩だった。
「はい、4月から東高生です」
「おお、後輩か。ボクは四戸流華だよ。よろしくね」
先輩はこちらを向くと、手を差し出して来た。多少照れくさかったが、握手に応えながらこちらも名乗った。
「えっと、竜飛好夜です。一応、よろしくお願いします」
遠慮がちに言うと、先輩は微笑みながら答えた。
「一応ってなんだい?こういう偶然にはね、積極的に乗っかっていかないと。何かを逃がしちゃうよ?」
はぁ、と、どうすればよいかわからないでいると、何事かを思案したのちに先輩が言った。
「君は入りたい部活とかあるのかい?」
聞いたところによると東高では、必ずどこかの部活に所属しなければならないらしい。かといって俺には特にやりたいこともなかったので、天文部か、なければどこか活動がゆるいところに入ろうかと考えていた。
「実はボクはね、ミステリー研究部の部長なんだがよかったら入部しないかい?」
推理小説とか詳しくないんですがと言ってみたが、どうやらそういう部活ではないそうだ。
「オカ研みたいな感じさ。ただ、今は部員がボクしかいなくてね。だからまぁ、何か楽しげなこと考えようぜ!って感じのゆるい部活さ」
オカルトは確か星と同様に好きだった記憶がある。昔、ノストラダムスの予言が流行っていた頃、まだテレビや雑誌でも幽霊やら宇宙人やら、そんなものの特集が組まれることも多くて。そして、そのような話を俺は気に入っていた。信じていたわけではないが、何か好奇心がくすぐられるから。
何だか先輩の謳い文句にわくわくしてしまった。
それに、今、部員は先輩一人だという。俺は人が苦手なのだが、なんとなく、この先輩と一緒ならいいかもなんて思った。
「俺、入ります」
先輩は心の底から喜んでいるような無邪気な笑顔を見せた。俺はこの先輩に惹かれているのかもしれない。
ひとつ、高校への楽しみが増えた。
そして、入学式の日が来た。
ざわざわとした中、自分のクラスへ行くと、懐かしい顔がふたつあった。しかし俺は照れからなのかなんなのか、声を掛けることができず、放課後に声をかけるつもりなのだと自分に言い訳をした。
そして放課後。どうやら二人とも席を立たずに待っているようだ。
脳内で第一声をシュミレーションしてみたが、気さくな感じもテンション高い感じも、やっぱり照れくさい。
どうにも出来ずに二人をチラ見してみた。すると二人が無言で近づいて来た。
「久しぶりの再会なのに声もかけずにチラ見だけってどういうことだ!」
灯希は笑いながらそう言って俺の髪を手でくしゃくしゃとやった。
「また三人で集まれるなんて思ってなかったよ……」
交綾は笑顔を作りながら目尻を軽く拭っていた。
「ってか帰って来たなら連絡しろよな」
なんだか二人の変わらないあたたかさに、さっきまで悩んでいた自分が馬鹿らしくなってしまった。
「いや、入学式とかそういうの色々落ち着いたら、町の方へ行って挨拶しようと思ってたんだよ」
本当は挨拶に行くのも不安だったのだ。あまりにも二人が変わっていたり、俺のことを忘れていたり。そんな風だったら嫌だなと、尻込みしてしまっていた。
「でも、よっちゃんちょっと変わったね」
昔と同じようによっちゃんと呼んでくれたことが嬉しかったのと同時に、変わったといわれてドキッとした。
「確かに。好夜、昔はもっと元気というか、積極的だったべ?」
「ちょっとね、自意識過剰になっただけだよ」
と、灯希の言葉に答えた。俺はそのように自己分析していた。
ちょうど、転校して都会へ行った時期。周りは自分の知っていた世界とは全く違っていて、そして周りの人たちにとってそれは、当たり前の世界だった。なんとか適応しようと空回りを続けていたら、いつのまにか他人と自分を意識しすぎるようになっていた。そして、声も低くなっていた。
「好夜くんはちょっと思春期をこじらせてしまっただけで、心根は何も変わってないさ。だよね?」
ふいにそんなことを言われてびっくりした。三人で声の方へ顔を向けると、流華先輩が居た。
「先輩、何でここに?」
驚きながらたずねてみた。先輩は手に持っていた本をひらひらさせながら答えた。
「いやね、北山くんから借りてた本を返しに来てみたら好夜くんがいたのさ。ボクもびっくりしたよ」
北山とは俺らの担任の先生のことだろう。先輩の手にしている本は深海生物の本だった。本当に海が好きなんだなぁ。
「お、おい、なんで好夜は綺麗な先輩と既に仲良しになっているんだ?」
小声で俺に訊いてきた灯希に先輩自ら、偶然会ったこと、俺がミステリー研究部に入ることを伝えた。
「君たちも入らないかい?ちなみに顧問は北山くんだよ」
「面白そう!私、入部します!」
交綾は即答した。灯希はあたりを見回していた。見れば周りは上級生による部活の勧誘が始まっていた。
「うーん、他に面白そうな部活もないし、また三人でつるめるならいいか。俺も入ります。」
流華先輩、もとい、部長に連れられて部室へ向かっている途中に、北山先生に会った。
北山先生は顔色が悪く、不健康な感じに見えるが、穏やかな話し方でなんとなく人の良さそうな先生だ。
「北山くん、君から借りてた本は教卓の上に置いておいたよ。あと、君のクラスの子らが、入部してくれた」
「おぉ、そうなのかい?竜飛くん、三厩くん、洞内くん。四戸くんと仲良くしてあげるんだよ?」
むしろボクが仲良くしてあげるんだよー!と部長が元気にツッコミを入れていた。
皆一様に、何かが始まるというようなことを予感しているようだった。