涙
レオの捜索を三時間ほどした後、瑠美、ゆき、嶋の三人は、行きつけの居酒屋『だん』のカウンターに横並びで座っていた。
「見つからないもんっすね」
スルメをかじりながら嶋が言った。
「当たり前やん。ウチら、ペット探偵やないんやから」
と、ゆきがぐびっとビールを飲み干した。
「そんなのあるの?ペット探偵?」
「あるある、ペット捜索専門にしてるとこ。なんかノウハウでもあるんかなぁ」
「人を探すより難しそうだね」
瑠美はチューハイを少し口に入れた。最初の乾杯で飲んだビールが空きっ腹に染みて、一気に酔ってしまったので、飲むペースを抑えていた。
「人を探すのも、大変っすよ。自分の意思で逃げている人を見つけるのは」
と言ってから、嶋はカウンター越しにだし巻き卵を注文した。
「確かに。私も見つからないもんなぁ」
「なになに、お嬢。誰探してんの?」
あっ……と、瑠美は首を横に振った。
「誰も探してないよ」
その時、焼き鳥が運ばれてきたので、「食べよ、食べよ〜」と、瑠美は嬉しそうにパクリと口に運んだ。
「熱っ!」
「そんな急いで食べるからやん。ほら、チューハイで冷やし」
言われるがまま、瑠美はチューハイをグビグビっと口に入れた。
居酒屋『だん』は、とにかく食べ物がおいしい。駅の南側にあり、居酒屋なのに定食もあって、子供連れで来る人も多い。
今も、良い匂いを漂わせながら運ばれていく焼き魚定食を見て、嶋が唸った。
「うわぁ、まじ?大将、今日、筍ご飯あるんすか?」
大将はにやりと笑った。
「うまいぞ。おすすめ。それより瑠美ちゃん、大丈夫かい?」
大将の言葉に嶋が横を見ると、瑠美がテーブルに突っ伏していた。
「ゆき姉、駄目じゃないっすか。お嬢は酒弱いんすよ。大丈夫ですか、お嬢?」
嶋が瑠美の肩をトントンと叩いてみても、瑠美に反応はなかった。
「まじ、これ、執事の湊さんに怒られるんじゃないっすか、俺ら」
「その前にボスに殺されるって」
と、ゆきは笑った。
「大丈夫やって。なぁ、お嬢、意識あるんやろ?ちょっとふらふらってなっただけやんなぁ」
ゆきが背中をさすると、瑠美がガバッと顔を上げた。その顔を見たゆきと嶋は驚いてのけぞった。
「泣いてる」
瑠美の顔は涙でぐしゃぐしゃになっていたのだ。
「どないしたん?」
ゆきが聞いたが、瑠美はまた突っ伏して嗚咽した。
「やば、泣き上戸やったん?まだビール一杯とチューハイ半分しか飲んでないのに、こんなんなる?」
「そういえば、お嬢って、今まであんまり飲んでるの見たことないっすよね。いつも最初のビールが最後まで残ってる感じで。ひょっとして、こうなるのを知ってて、飲むのセーブしてたんじゃないっすか?それを、ゆき姉が飲ますから」
「ちょっと、私は飲ませてへんよ。お嬢が勝手に飲んだんやん」
瑠美は、泣きじゃくりながら顔を上げると、隣にいる嶋のシャツの襟ぐりをぐっと掴んで自分の方に引き寄せた。
「な、なんすか?」
「見つけたい。私、見つけたい」
「おっと、あぶないあぶない」
と、ゆきは嶋から瑠美を離した。
「大丈夫、大丈夫。お嬢、落ち着いて。とりあえず、お水飲もうか」
瑠美は、ゆきが差し出してくれた水のコップではなく、まだ半分残っているチューハイのグラスをつかむと、それをぐっと口に入れた。
「あぁ、あかんあかん」
ゆきが瑠美からチューハイのグラスを奪い取ったが、もうチューハイは残っていなかった。そして瑠美はまた嗚咽し始めた。
「酒癖わるっ!」
と、ゆきは笑った。それから、「よしよし」と瑠美の背中をさすった。
「なんか、お嬢、溜め込んどるんやな。ストレス発散とかしてないんやろ?自分の中だけでは消化できひんもんがあるんやったら、ちゃんと吐き出さんとあかんねんで」
瑠美は、うんうんと頷くと、大将が差し出してくれたティッシュ箱を受け取った。
「ほら、落ち着いて、深呼吸」
ゆきの言葉に、深呼吸しようとした瑠美だったが、また涙がどっと溢れてきたので、ティッシュで顔を押さえた。
「あかんか。まぁ、そしたら、泣くだけ泣いちゃえ。付きおうたるわ」
瑠美の涙はなかなか止まらなかった。ずいぶん時間が経って、三人の他にはお客さんも数人になった頃、ようやく涙が止まった瑠美はテーブルに頭を付けた。疲れ切ってしまって力が全く入らなかった。そんな瑠美の背中を、ゆきは優しくさすっていた。
「ゆきちゃん、私ね、見つけたいの」
ふと、瑠美がつぶやいた。
「何を?」
「私を助けてくれた人」
「誰?助けてくれたって、何?」
「私ね、六歳の時に誘拐されたの」
「は?ほんまに言うてるん?」
「本当。知らない人に連れて行かれて。でも、その時、違う事件の捜査でその犯罪者集団?半グレ?みたいな人を調べてた刑事さんが、そのアジトに潜んでて」
「助けてくれたん?」
「うん。二人だけで。怖い人いっぱいいたのに、全員捕まえて」
「ヒーローやん」
「うん」
「で、その刑事さん探してるんやな」
「一人は自殺して、もう一人は行方不明」
「は?自殺?行方不明?」
「物騒な話っすね」
と、それまで黙って聞いていた嶋が言った。
「何か事件絡みっすか?」
「よくわからない。調べたけど、元同僚の人とかにも会って聞いたんだけど、みんな言葉を濁して、何も教えてくれないんだ」
「探してるってことは、お嬢はその行方不明になった方の刑事さんを探してるんやな?」
「そうだよ。私を抱きかかえて、悪い人から守ってくれた人」
その時、嶋の携帯が鳴った。嶋は画面を確認すると、素早くその電話に出た。
「あ、ボス。もしもし。あ……え?今からっすか?いえ、大丈夫です。……はい、わかりました。すぐに行きます」
「ボスから呼び出し?」
「はい。俺、いくらっすかね?」
と、嶋は立ち上がりながら自分の前のテーブルを見渡した。
「いいよいいよ。今日はうちのおごりや」
「まじっすか。ありがとうございます。じゃ、行ってきます」
と、嶋は急いで店から出て行った。
「優しい」
「まぁ、圭ちゃんまだ給料安いからなぁ」
ゆきは少し残っていたハイボールを飲み干すと、大将におかわりを頼んだ。
「優しい目をしてたんだよ」
「あぁ、その刑事さん?」
「幼い頃の記憶のはずなのに、今でもはっきり覚えてるんだよ。優しくて、強くて」
「でも、なんでその刑事さんを探したいん?探してどうしたいん?」
「どうしたいんだろう。わからない。はじめはね、きちんとお礼が言いたいなって思ったんだ。中学一年の時に、その人がいた警察署に行って。でも、警察官って、異動があるでしょ?だから、そこにはもういなくて。でも、その人の名前を出すと、みんな妙な顔をするの。そんな人知りません、関わりたくありません、みたいな態度をとるの。でも、中学生の私には、それ以上探しようがなくて」
瑠美は、また溢れ出してきた涙を拭った。
「なんか、やらかしたんかなぁ」
と、ゆきはピーナッツをポンと口に入れながら言った。
「ちょうどその頃、お兄ちゃんが騒ぎを起こして勘当されたりしたから、いろいろ大変で」
「あ、ボスがやらかしたんか」
「それから、私が高校生の時に、堀川探偵事務所にお兄ちゃんが入ったんだけど、そのおかげで私も堀川先生と知り合うことができて……頼んだんだ、先生に。刑事さんを探して欲しいって。お兄ちゃんには内緒で」
「あぁ、なるほど。大ボスに頼んだんや。せやけど、大ボスでも居場所はわからんかったってこと?」
「わからなかった。わかったのは、行方不明ってことと、元相棒が自殺したってこと。それから噂話」
「噂?根拠のない悪口ってやつ?」
「根拠のない悪口だが、嫉妬や怨念で捻じ曲げられて、真実が姿を変えたものでもある」
「それそれ。大ボス、よう言うてたな」
「その刑事さんが、相棒を殺して逃げたっていう噂」
「え?まじ?」
「根拠のない悪口」
瑠美は口を尖らせた。涙が頬を伝った。
「いや、お嬢。お嬢はその刑事さんのこと、どんだけ知ってるん?ほとんど何も知らんやろ?六歳の時に助けてもらっただけやん。そんなに思い詰めんでもええやろ?」
「あの刑事さんが、そんなことするわけない。あの人の目は優しかった。声と言葉は暖かかった。あの人の笑顔は……」
と、言葉を詰まらせた瑠美に、ゆきは「ありゃ」と声をあげた。
「まじ?初恋やん。しかも、今でも好きなんやろ」
新しく運ばれてきたハイボールをぐいっと飲むと、ゆきは首を横に振った。
「やめとき、お嬢。アニメの主人公に恋するのと一緒やで。いや、それがあかんとは言ってないで。せやけど現実とちゃうやん。湊さんに認めてもらえるくらいの人を探さなあかんねんで。その刑事さんが見つかったかて……」
「違うよ。そうじゃないよ。私はただ会いたいだけ」
「それって、恋とちゃうん?考えてみいや、二十年は経っとるんやろ?今、その刑事さん何歳くらいなん?」
「たぶん五十歳くらいかな」
「おっさんやん。独身とは限らんし」
「だからね、違うんだって。恋とかそういうのじゃないの」
ゆきはため息をついた。
「せやけど、あの大ボスなら、真実を突き止められたんちゃうの?」
「それが……途中で父にバレちゃって。怒られて、監視が酷くなって、学校と家との往復以外は許されなくなって」
「ありゃりゃ、それはあかんな」
「堀川先生にまでご迷惑をおかけしちゃった」
「なるほど。お嬢が事務所に遊びに来るようになったんって、ほんま、あのでっかい家を出てからやもんな。その頃には、もうとっくに大ボスは引退してて、高級老人ホーム。どうしようもないなぁ。ボスに言うたら、余計にややこしいことになりそうやし。シスコンやから」
「え?なに?シス……」
「なんでもない、なんでもない。ところで名前は?その刑事さんの」
「佐伯剛志さん」
「写真は?大ボスからもらった?」
「警察にいた頃の写真なら見せてもらったけど」
「大ボスが持ってったんか……記録、調べてみよか?」
「無理だよ。過去の資料が入った金庫の鍵は、お兄ちゃんが持ってるんでしょ?こんな話、お兄ちゃんにはできないよ」
「確かになぁ。なんか手掛かりとかないん?見た目の特徴とか」
「それなら、ここに」
と、瑠美は自分の左の首元を指差した。
「ここに黒子が三つあったの。ちょうど夏の大三角形みたいな形で」
「夏の大三角形?何それ」
「星だよ」
と、瑠美は、クスッと笑った。