おとり
「何やってるんすかね、ゆき姉」
ゆきはマンションを出た後、商店街をぶらぶらしたり、大通りを歩いてみたり、カフェに入ってぼんやりとしたりしていた。それはまるで、予定のない休日を気ままに過ごしているようだった。
カフェのオープンテラス席でランチを食べているゆきを見ながら、嶋は首を捻った。
「何かを待ってる感じやな」
「何かって?」
嶋と田中は、大通り沿いのカフェを街路樹に隠れながら見張っている。
電話がかかってきたようで、ゆきがスマホを耳に当てた。嶋は自分のスマホに望遠レンズを取り付けると、画面をズームしてゆきの横顔をアップした。
「そんなことできるんか」
田中が驚いた様子で横から画面を覗きこんでいる。
「お、ひ、、、ぶり、で、、す…すいません、あ、、か…かいしゃ?し、、わ、わから…」
読唇術か……と、田中は目を見開いて嶋を見つめた。嶋はぽつりぽつりと読み取った言葉を呟いている。
「と、つ、、、ん、ご……ごめんなさい、突然ごめんなさい。ゆー、、あ、、れ、ん、、、あ…連絡ありました……あ、、、で、、、、、え、、、でん、、、い、お、、と、み、こ、、、」
そこでゆきが手で口を塞いでしまったので、嶋は「あぁ」と残念そうに言った。
「電車に飛び込みって言ってましたよ、最後」
「すごいな、圭」
と、田中が関心している。
「え?そうっすか?」
嶋ははずんだ声で答えた。田中に褒められたことが、素直に嬉しかった。
「電車に飛び込み?」
「って、言ってるように見えたっすけどね。ゆき姉が話してるとこいつも見てるんで、結構自信あるんすけど」
「穏やかな話題じゃなさそうやな」
その時、嶋のスマホに俊哉から電話がかかってきた。
ゆきはスマホをテーブルの上に置くと、皿に残っているパスタを見ながらため息をついた。もう食べられそうにない……ゆきはトレーを自分から遠ざけた。
柳田雄太……もう言いたくもなかった名前を口にしたことで、ひどく疲れた気分になった。
今切った電話の相手は柳田の大学の同級生の樋口だ。以前、街でばったりと会って就職先を聞いていたので、一か八かそこに連絡をしてみたのだった。樋口は会社を不在にしていたが、すぐに折り返し連絡してきてくれた。
「樋口です。電話をくれたみたいで……どうしました?」
「お久しぶりです。すいません、会社しかわからなくて、そちらに電話してしまいました」
「大丈夫ですよ。何かあったんですか?」
「突然ごめんなさい。雄太から、連絡ありました?」
「え?柳田雄太?いや、ないけど……あいつ、出てきたの?」
「あ、いえ……」
「そういえば、横澤が亡くなったって連絡があったんだ。知ってる?電車に飛び込んだんだって」
「え?電車に飛び込んだ?本当ですか?」
「らしいよ。俺もびっくりして。てっきりその電話かと思ったよ」
横澤は柳田と仲が良かった友人だ。柳田に変なサイトを紹介しておいて、自分は闇バイトの罠にはまることはなかった友人。
柳田が逮捕された後、柳田がゆきを恨んでいる様子だということは堀川から知らされていた。だから今回の嫌がらせは、柳田が自分に向けたものだとゆきは思っている。
横澤は、本当に自分の意思で電車に飛び込んだのだろうか……最悪のことが頭に浮かんで、ゆきは頭を抱えた。
「ごめんごめん、待った?」
背後から突然声がして、ゆきが驚いて顔を上げると、嶋が隣に座ろうとしているところだった。
「いや、仕事が長引いちゃってさ」
「ちょっと、な……」
驚いた様子で声を出すゆきの頭を右手でそっと抱き寄せると、嶋はゆきの耳元で囁いた。
「いいから、恋人のふりをしてください」
嶋は手を離すと、やって来た店員にアイスコーヒーを注文している。そんな嶋の横顔を、ゆきはキョトンとした顔で見つめていた。
「ひとりでなんて、無茶なことを。これからは、ちゃんと側にいるから」
と、嶋がゆきに笑顔を向けた。
ゆきの頬にホロリと涙がこぼれて、ゆきは慌ててそれを手のひらで払った。嶋は前に組んだ腕をテーブルの上に置くと、ゆきに身体を寄せてひそひそ声で言った。
「ボスの推測だと、俺もついでに狙われてるっぽい……なんか、彼氏に間違われてるかもって。だから、一緒にいますから安心してください」
「ちょっと……どこまで知ってんの?」
アイスコーヒーが運ばれてきたので、嶋は身体を起こした。
「君のことなら全部お見通しだよ」
店員が遠ざかると、ゆきは嶋の脇腹を指でつねった。
「いてっ!」
「調子に乗るな」
「厳しいなぁ」
二人はクスクスと笑った。
「どうせ、しょうちゃんも来てるんやろ?」
「もちろん。でも、こんなシャレた店におっさんが一人では入れないって言って、あそこ……」
と、嶋は田中がいる方向をこっそり指で示した。田中は街路樹の下でスマホを見ていた。
「あ、ほんまや……しょうちゃんって、パーカーのフードかぶるん好きやなぁ。ていうか、あの服しか持ってへんの?」
「何回も言ってる、フードはかぶらない方がいいって。でも、あれ以外の服だったら見たことあるよ。護身術教えてもらうもらう時はいつも半袖のTシャツだし」
「へぇ。想像つかへん。しょうちゃんって強いんやろ?見たことないけど。謎やわ〜ほんまは何者なんやろ」
「訳ありの格闘家とか?」
「指名手配犯かも」
「まさか」
「冗談」
と、ゆきは笑った。
「せやけどええやん、その喋り方。その方が似合ってるんちゃう?」
「あとで怒るくせに」
「怒らんよ」
嶋はにこやかな表情でアイスコーヒーを飲み干した。
「それで……このあと、どこ行く?」
「なんも考えてへん。ぶらぶらしてたら、そのうち向こうから来よるかなって」
「あぶないなあ」
「ほな、ええとこ行こうか」
「ええとこって?」
「二人きりになれるとこ」




