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大学

 テナントビルの駐車場に停めてある車の運転席で、嶋はホットドッグにかじりついていた。朝ごはんに、駐車場から歩いて一分ほどの所にあるコンビニで買ってきたものだった。


 後部座席では、背もたれ側に顔を向けて田中が横たわっている。喜多川が出勤する時に起こしてくれと言って何も食べずにすぐに眠ってしまった。夜中は、嶋に仮眠をとるようにと言い、自分はずっと喜多川の監視を続けていた田中だった。


 やっぱりこの人、普通じゃないよな……後部座席で小さく丸まって眠っている田中を横目でちらっと見つつ、嶋は野菜ジュースをストローで吸い上げた。




「いつもパンしか食べてないよね」


 記憶の中で、クラスメイトの美春(みはる)が嶋に呼びかける声が聞こえた。


 高校三年の時、同じクラスになった今村(いまむら)美春は、嶋に野菜ジュースを差し出した。


「ノート見せてくれてありがと。これ、お礼」


「野菜ジュース?」


「嶋くんはいつもパンしか食べてないから。野菜もとらなきゃだめだよ」


「厳しいね、今村さん。」


「私、管理栄養士になるのが夢だからね」


「へぇ……すごいね」


「嶋くんは?何を目指してるの?」


「僕は……高校卒業したら就職する」


「私なんかより成績良いのに?」


 嶋は、にこっと笑った。


「勉強するよりも、早くお金がほしいんだ」


 大学へ行きたい気持ちもあったが、それよりも経済的に独り立ちする方が嶋にとっては優先事項だった。


 でも未練はあった。高校三年のある日の昼休み、図書室で全国大学図鑑を手に取り、それをチラチラとめくって眺めていた。キャンパスライフか……楽しいんだろうな……嶋は図鑑の最後の方にあった、陽城大学のページで手を止めた。《《ようじょう》》という名前が、なぜか心に引っかかったからだった。


(ようじょう……ようじょう?……ようじょうしょ……)




「陽城署?」


 シスター山本の声が玄関の方から聞こえきて、三歳の嶋圭介は廊下で立ち止まった。


「どこの……え?そんな遠くからはるばる長崎まで?それはご苦労様でございます」


 シスター山本の声は聞こえたが、玄関の扉の向こう側にいる人の声は、圭介には聞こえなかった。


「えぇ、確かにここで十八になるまで暮らしておりました……いいえ、ここには来ておりません」


「男の子なんですが、三歳の」


 男の人の声が圭介にも聞こえた。圭介は廊下を歩いて玄関が見える所まで出て行った。


 玄関の外から中を覗き込んでいる男の人と目が合った圭介は、その場で固まった。振り向いたシスター山本が見たこともないような怖い顔をしていたからだった。


 近づいてはいけないと感じ取ったが、圭介は緊張で奥の部屋に戻ることもできなかった。


 男の人が圭介に向けている視線を遮るように、シスター山本は横に動きながら男の人の方に向き直った。


「ここにいる子供達は皆、事情があってここにいますが、彼らに罪はありません。彼らは皆、無垢で純真な子供達です。誰が彼らを傷つけることができるでしょうか。私は祈ります。あの子供達に、そしてわが子を手放さざるをえなかった大人達に、神の御加護がありますように。神は私たちを大きな愛で包み、導き、悪より救ってくださるでしょう」


 男の人の後ろにもう一人誰かがいたようで、その人が何かを話していたが、圭介には聞こえなかった。


「えほんのひろば、はじまるよ」


 その時、五歳児のなっちゃんが来て圭介の腕をとり、奥の部屋へと引っ張って行ったので、その後のことは覚えていない。ただ、その男の人がその後、施設に来ることは一度もなかった。




 図書室の棚に、全国大学図鑑を戻すと、嶋は「陽城」と呟いた。あの時のシスター山本の表情が脳裏に焼き付いて離れなかった。あれは自分を連れ戻しに誰かが来たに違いない……高校生の嶋はそう考えた。自分のルーツが陽城市にあるのかもしれない。ひょっとしたら、お母さんがそこにいるのかもしれない……


 そうして高校卒業後、嶋は陽城市にある電子部品工場に就職したのだった。




「あ、田中さん、田中さん、喜多川が出てきたっす」


 嶋の声に、田中はむくっと起きると、すぐに車から出ようとした。


「あ、待って……ボスを殴った犯人が捕まったって、さっき連絡きました」


「誰だった?」


「長木っす」


「そうか」


と、田中は頷いた。


「それやったら嶋くん、病院には行かんと、大学で喜多川を見張れるか?ひとりで」


「今までもひとりで尾行してきたんすよ、これでも」


「ええか」


と言いながら、田中は静かに車のドアを開けた。


「尾行するときは、俺を尾行していた時の二倍は距離を置け。嶋くんは背が高いから、余計に目立つんや。あと、その目力の強さをどうにかせえ。周りの景色に溶けこむ努力をせなあかん。空気のような存在になることやで」


 田中はするりと車から出ると、静かにドアを閉めてマンションの敷地内へと消えて行った。


「やっぱりスパイっしょ」


と、嶋は呟きながら車のエンジンをかけた。

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