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ある日曜日

 ある日曜日。


 富田(とみた)瑠美(るみ)は、朝7時に鳴ったインターホンで目が覚めた。


 あくびをしながらモニターを確認すると、思った通りの人物が写し出されていて、瑠美は大きなため息をついた。


「おはようございます、お嬢様」


 瑠美が玄関のドアを開けると、スーツ姿の老紳士が頭を下げていた。


「ちょっと……」


 瑠美は慌てて老紳士の腕を取り、部屋の中へと引き込んだ。


「湊さん、それはやめてって、前にも言ったでしょう?隣に聞こえちゃう」


「申し訳ありません」


 湊は玄関で再び頭を下げた。


「でも、ここまでどうやって入ったの?いつもは、エントランスから呼び出すのに」

 

「先週お伺いした折に、正面玄関の指紋認証を登録していただきましたので、スムーズに参ることができました。お恥ずかしながら、年をとると、どうも少しせっかちになるようでして、少しでも速くお嬢様のお部屋に伺いたいと思ってしまうのです」


「え?どういう事?それって、まさか、管理人さんに私のことを話したりしてないよね?」


「はい。お話いたしましたので、登録していただけました」


「ちょっと、やめてよ。勝手に入らないって約束したじゃない」


「もちろんでございます。ですからインターホンを鳴らしました。お嬢様、相変わらずの朝寝坊ですね」


「だって今日は日曜日だよ?」


 失礼いたしますと言いながら、湊は部屋に上がり込み台所へと入った。


 あっ、と瑠美は天を仰ぐ。流しには、昨日使った皿やフライパンが、そのまま置いてあったのだ。


「お嬢様、昨夜はお疲れだったのですか?」


 湊は皿を洗いながら、部屋の中を見渡した。洗濯物が床に散乱し、その中に本が何冊も積み重なっていた。


「そうそう。遅くまで、判例を調べていたから。湊さん、いいよ、後で自分でするから」


「お嬢様。お嬢様が後でするとおっしゃって、おやりになったためしはありませんよ」


「昔の話でしょう?」


「いえ、そうでもございません」


「湊さん、今日はお説教をしにきたの?」


「いいえ。今日は、大事なお話があって参りました。早く身支度を整えてきてくださいませ。朝食をご準備致しますので」


 富田家は、先祖代々の資産家で、瑠美は5代目当主の長女として産まれた。18歳の時に母親を亡くし、24歳の時に父親も亡くした瑠美は、10歳上の兄と共に相続を放棄し、財産、会社経営等すべてを叔父に譲った。


 自分の死後、瑠美が相続放棄することに薄々勘付いていた父親は、湊に瑠美の世話を頼んだ。


 五十年以上富田家に仕えてきた湊にとって、瑠美は自分の孫と同じくらい大切な存在だ。頼まれなかったとしても、自ら瑠美の執事となるつもりだった。


 しかし、瑠美はそれを拒んだ。充分過ぎるほど富田家に仕えてくれている湊には、もう自由になってほしかったのだ。


 二年前、瑠美は湊に言った。


「湊さんは、富田のために何十年も働いてくれたじゃない。もう大丈夫だよ。私の執事になるっていう話は、私が断れば、無しになるでしょう?もうお父様はいないのだから」


「私は、旦那様に雇われた身でございます。お嬢様の執事としての報酬も、すでに旦那様からいただいております。ですから、旦那様がお亡くなりになったからといって、お嬢様の執事を辞めるつもりはございません」


「私が、その必要はないと言っても?」


「はい」


「私は、お父様から湊さんを解放したい。お父様に恩があることは知っているけれど、もうその恩は充分に返してくれた。湊さんには、これからの人生、自分のために生きてほしい」


「お嬢様」


と、湊は微笑んだ。


「そのように思っていただいていたとは。私は幸せ者でございます。お嬢様、旦那様は確かに私の恩人ですが、恩返しのためだけにお仕えしていたわけではございません。人徳に恵まれた旦那様にお仕えできることは、私にとってこの上ない喜びだったのでございます。

これからの人生、自分のためにとおっしゃるのであれば、なおさら、お嬢様のお側で働かせていただきたく存じます。それこそが私の望みなのです」


 湊の熱意に根負けした瑠美は、毎日来ないこと、できれば週に一回以下で、という条件付きで、湊が執事となることを受け入れたのだった。


 瑠美が身支度を整えてリビングに戻ると、テーブルの上には、朝食が準備されていた。


「大事な話って、何?」


「それは、後ほどお話いたしますので、まずは朝食をお召し上がりくださいませ」


 瑠美はテーブルにつくと、ホットコーヒーを啜った。


 おいしい……瑠美は鼻からふわっと抜ける香りにうっとりとした。スーパーの特売で買ってきたコーヒー豆なのに、湊の手にかかれば高級豆のようになる。


「湊さん、私の執事はやめて、喫茶店でもやらない?お兄ちゃんの事務所があるビルの1階がテナント募集してるのよ」


「お嬢様、ご冗談が過ぎます。私はもうすぐ七十五になるのですよ」


「七十五歳には見えないよ、全然。二十歳は若く見える」


「それは、ありがとうございます」


 そう言いながら、湊はてきぱきと動き、部屋を片付けていた。


「片付けくらい自分でするから」


「お嬢様のお食事が終わられるまで、時間がありますので。それに、すぐに私を追い出そうとなさいますので、今のうちにできることをさせていただきます」


 瑠美は、苦笑いを浮かべながら、トーストを口に運んだ。


「私より、お兄ちゃんのところに行ってあげてよ。昨日、お兄ちゃんのマンションに行ったけど、ひどい部屋だった」


「それはできません。旦那様から禁止されております。旦那様は俊哉(としや)様を最後までお許しにはなりませんでした」


「そうだね。でも仲直りだけはしておいてほしかったな」


と、瑠美はため息をついた。

 

「死んでしまったら、もうどうしようもないよ。勘当されるようなことをしたお兄ちゃんが悪いのはわかるけど」


 湊は部屋の片付けを終え、散らばっていた服を抱えて洗面所に向かった。


 待って……と瑠美は慌てて立ち上がると、湊から服を奪いとった。


「さすがに、洗濯は自分でするから」


「それは、失礼致しました」


 瑠美が洗濯機に服を入れていると、湊は風呂場の掃除を始めた。


(早く朝食を食べてしまわないと、話が進まないわ)


 瑠美はテーブルに戻ると、トーストとハムエッグをコーヒーで流し込むように食べ、素早く皿を片付けた。


 風呂洗いが終わると、湊は鞄から白い封筒を三通取り出して瑠美の前に置いた。


「これは何?中を見ていいの?」


「もちろんでございます」


 瑠美は一番上の封筒を開け、中身を取り出した。手紙のように折りたたまれた紙とL版の写真が一枚入っていた。写っているのは知らない男の人だ。瑠美は嫌な予感がしながらも紙を開いてみた。


「釣書」


「はい」


「お見合い?」


「はい」


「しないよ、私」


「お嬢様」


「あのね、湊さん。私は今、佐野先生の下で修行中なの。研修も終わって、弁護士としての一歩を踏み出したばっかり。そんな時に結婚なんてするわけないでしょう?」


「お嬢様、弁護士をお辞めになる必要はありません。この方々は皆、お嬢様がお仕事を続けられることを知った上で、是非にと仰っているのです」


「いや、そういう問題じゃなくて」


「御家柄は、御三方とも申し分ございません。隆之(たかゆき)様を通してご紹介いただいた方々です」


「叔父様から?」


「はい。しかしながら、釣書だけでは何もわかりませんので、私の判断で素行調査をさせていただき、全く問題のないこの御三方に絞らせていただきました」


「全く問題のない人なんて、この世にいないと思うけど」


「お嬢様、私が申しているのはそういうことではなく……」


「わかってる、わかってるよ。きっと素晴らしい人たちね、家柄も学歴も職業も。でもいらない、私は」


「お嬢様。もう二十六歳ですよ。あと四年もすれば三十です」


「それが何?」


「何って……失礼ながら、お嬢様、今まで恋人がおられたことはありましたか?」


「そりゃあ、私だってそれなりに……」


「それなりに?」


「恋くらいはしてきたわよ」


 湊はため息をついた。


「三十を超えると、縁談の話もだんだん少なくなります」


「何よそれ。女性蔑視ね」


「事実でございます」


「どうして結婚を強制するの?そんなの個人の自由でしょう?」


「もちろんでございます。しかしながら、私、旦那様よりお嬢様の結婚についても言いつかっております。良縁に恵まれるように手配すること、また、わるい虫が付かないように見張っておくようにとも言われております」


「嫌です」


「お嬢様。この件に関しましては、私もお譲りできかねます」


 瑠美は両手を組み、しかめっ面で釣書三通を睨みつけた。


 資産家の息子、寺の副住職、大企業の副社長……


 瑠美は釣書と写真を封筒に戻すと、三通とも湊に差し出した。


「まだ四年あるじゃない、三十まで。もうちょっと待って。自分で見つけるから」


「ご自分で?」


「必ず見つけるから」


「お嬢様、お見合いの方が安全でございます」


「安全って……恋愛だったら、どこの馬の骨とも知れない男に、なんて古いこと言うんじゃないでしょうね」


「その通りでございます」


「わかった、湊さん。じゃあ、私が選んだ人をわるい虫だと湊さんが判断したなら、その時はハエ叩きでも持ってきて排除してくれて構わないから。とりあえず、少し私に猶予をちょうだい」


 瑠美は封筒を湊の鞄に突っ込んだ。


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