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新しい仲間

「そういうわけだから、二人ともよろしくな」


と、次の日俊哉は、田中を嶋とゆきに紹介した。


 田中は新しいパーカーとズボンを身につけていた。お客さんと接する以上、身だしなみには気をつけてほしいと俊哉に言われ、前払いで渡された給料で揃えてきたものだった。髪の毛も綺麗に整えられており、以前よりもずいぶん若く見えた。


「田中さんって、下の名前は?」


 ゆきが尋ねると、


正一(しょういち)


と、田中は答えた。


「じゃあ、しょうさんって呼ぼうかな?」


「正一なのに、しょうさんってややこしくないっすか?()()()()って」


と、嶋がクスッと笑いながら言った。


「ほんまやな。ほな、しょうちゃんでいい?」


「なんでもええよ」


「嬉しいなぁ。やっと関西弁の同僚できたわ。ボスもお嬢も地元ここのくせに標準語やし、圭ちゃんはようわからんし」


「ようわからんって……」


「圭ちゃんのは、エセ関西弁やねん」


「そうっすか?」


「その、()、どうにかならんの?」


「ならないっす。癖なんで。そんなん言うんやったら、ゆき姉も年上の人にタメ口は、やめた方がいいっすよ」


「私が敬語なんかしゃべっとったら、気色悪いやろ」


「まあ、なんか企んでる感あるっすね」


「あほ。殴ったろか」


「あ、パワハラですやん」


「お互い様やろ」


「朝からうるさいな、お前らは。とりあえず圭、これを田中さんと一緒に行ってくれ」


と、俊哉が書類を嶋に手渡した。



「大丈夫?ボス」


 嶋と田中が出ていくと、ゆきは怪訝な顔で言った。


「何が?」


「しょうちゃん、悪い人ではなさそうやけど、絶対訳ありやで」


「仕方ないだろ。瑠美がどうしてもって」


「お嬢、ああいうのが好みやったりして。強い人好きやからなぁ」


「は?」


と答えた俊哉の声は、少しいらついていた。これは触ったらあかんところや……と、ゆきは肩をすくめ、引き出しから書類を取り出して仕事をし始めた。


「ところで、二人はどこに行ったん?依頼なんかあった?最近はボスの予定がわからんくて、相談の予約は受けてなかったのに」


「面接だよ」


「あ、そっか。圭ちゃんの時もそうやったね」


「先生の判断次第だな」


「ひょっとして、不合格を祈ってる?」


「どうかな……」


「不合格になったらどうするん?」


「瑠美が、自分のボディーガードになってもらうって」


「えっ?」


と、ゆきは書類から目を上げた。


「やばっ、マジで言っとるん?」


「マジなんじゃない?」


 俊哉は靴をぽいぽい飛ばしながらソファに横になると、ふてくされた表情で目をつむった。


「ちょっと、あと三十分くらいでお客さん来るんやから、そんなところで寝んといてくださいよ」




 嶋と田中は電車とバスを乗り継いで、海の見える丘に立つ高級老人ホームに来ていた。


 老人ホームの広々とした敷地内は、すべてに手入れが行き届き、まるで宮殿に来たかのような優雅な時間が流れている。


 受付で記名を済ませた嶋が、田中に書類を渡しながら言った。


「じゃあ、これを堀川先生に渡しといてください」


「堀川先生?あぁ、堀川探偵事務所……?」


「そうっす。探偵事務所の先代のボスに、この書類を渡しに行ってください。先生は今、中庭にいるみたいなんで」


「なんで俺一人で?」


「そういう決まりなんで」


「なんやねん」


「行ったらわかりますって。このまま真っ直ぐ行ったら、中庭に出る扉があるんで。あと、フードはやめといたほうがいいっすよ。見た目が怪しいので」


 事務所を出てから老人ホームに来るまでの間、パーカーのフードをかぶっていた田中に嶋は言った。そして、納得いかないという表情の田中の背中を、嶋は「さあ早く」とぽんと押した。田中はフードを取ると、仕方なく歩き出した。


 受付を過ぎると、応接室、カラオケルーム、ビリヤード場、シアタールームといった共用スペースが並んでいた。そして敷地の中央にある庭園を囲むように三階建ての居住スペースがあり、爽やかな日差しがガラス窓を通して建物の中に差し込んでいた。


 田中がガラス越しに堀川の姿を探していると、一人の老女が近づいてきた。田中がその老女に気づくと、老女は満面の笑みで、


「まこと君、来てくれたんやね」


と言い、田中の手を握りしめた。


「嬉しいわあ」


「人違いやで、おばあちゃん」


 田中は驚きつつも優しく言った。


「何言うてんの、まこと君やないの。お母さん、あんたの顔間違えるわけないやん」


 すると、職員が慌てて飛んできて田中に謝った。


「ごめんなさい。久恵(ひさえ)さん、違うよ。この人、まことさんと違うよ。まことさん、去年亡くなったでしょ」


「何言うてんの。いじわる言わんといて」


「ごめんなさいね」


と、職員は再び田中に謝った。


「別に、大丈夫ですよ」


と、田中は職員に言うと、久恵に笑顔を向けた。


「母さん、元気にしとったか?」


「ああ、私は大丈夫。あんたは?胃が痛いって言うとったやろ。ちゃんと病院行ったんか?はよ行かなあかんで」


「行った、行った。どうもなかったで。僕は大丈夫」


 久恵は田中の手をずっと握りしめたままだった。そしてその手を引っ張って、自分の部屋に連れて行こうとしていた。


「ゆっくりしていき」


「母さん、ありがとう。でも僕な、もう行かなあかんねん。仕事抜け出して会いにきたから」


「そうなん?」


「また会いに来るしな、大丈夫やから」


「そうか?」


 久恵は田中の手を離した。田中は久恵が職員に連れられて部屋に入るまで笑顔で見送っていた。


 久恵を部屋に入れると、職員が田中のところにやってきて「ありがとうございました」と深々とお辞儀をした。


「久恵さんの息子さん、胃がんで去年亡くなったんです」


「僕、似てるんですか?」


「少し、似ています」


「そうですか、それなら良かった」


「良かった?」


「僕もほんの少しは親孝行できたんかな」


「え?」


「いや……」と、田中は襟足を掻いた。


「僕、堀川さんに会いに来たんですが」


「ああ、先生なら中庭に。ここから出れますよ」


 職員は、中庭に通じるガラス戸を開けた。田中は職員に向かって軽くお辞儀をすると、中庭に出た。


 色とりどりの花が咲き誇る中庭を見渡すと、グレイヘアの老人が一人ベンチに座っていた。背もたれ付きのベンチのため、田中からはその頭しか見えなかった。


 田中は老人に近づくと、後ろから声をかけた。


「堀川さんですか?」


 老人は何も答えなかった。そして、ゆっくり身体を傾けたかと思うと、どさっと前方に倒れ込んだ。


「えっ……」


と、驚いた田中が駆け寄ろうとした時、ベンチの下から誰かが飛び出してきて、田中に向かって何かを投げつけた。反射的にそれをよけた田中が、バランスを崩しそうになった身体を立て直しつつ投げられた物の行方を目で追うと、ダーツの矢が地面に刺さっているのが確認できた。


 しかし、田中が体勢を立て直しきれていないところに、ダーツを投げた男の足が横から入り、田中は地面に叩きつけられた。


「なんやねん……」


 ベンチに倒れていた老人の姿はもう消えていて、田中の前には長身の男が仁王立ちしている。田中は起き上がって胡座をかくと、ため息をついた。


「俺、あんたに喧嘩吹っかけられる覚えはないんやけどなぁ」


「立て。お前になくとも、俺にはある」


「俺、意味もなく喧嘩すんのが一番嫌いやねん」


「自分の命が狙われている、それで十分だろう」


「いや、意味ない。俺は自分の命なんか、もうどうでもええねん」


 長身の男は、座ったままの田中に再び横から蹴りを入れたが、全く防御を取らなかった田中は、横に飛ばされてしまった。


「立て」


と長身の男が言っても、田中は起きあがろうとはしなかった。


「なら、あれならどうだ?お前が戦う意味になるだろう」


 男の視線の先では、スーツを着た男が、ついさっき田中が出会った久恵を片腕で抱え込み、久恵の頭に拳銃をつきつけていた。


「は?」


「これでもお前には理由がないと?」


「しゃあないなぁ……」


 田中は首を左右に動かしながらゆっくり立ち上がった。


「わかったわかった、喧嘩すればええんやろ」


 木の影から二人の男が飛び出してきて、田中の後ろに立ち、田中は三人に囲まれる形になった。


「おい……喧嘩やったら、一対一でかかってこんかい」


 田中は、真っ先に動き出した左斜め後ろの男の攻撃を軽くかわすと、その男の背中に片腕をつきジャンプしながらもう一人の右側の男の首元に蹴りを入れた。その一撃で右の男は失神して倒れ、田中は着地しながら背中についていた手で男の首元をつかみ、背負い投げで地面に叩きつけた。


 すると長身の男が田中に覆い被さるように襲いかかり、田中を捕まえると右腕で首を絞め始めた。暴れたものの、長身の男はびくともしない。田中は腕を伸ばして長身の男の髪の毛を掴んで力の限りに引っ張った。


 ぶちぶちっと音がして、長身の男が悲鳴とともに力を緩めた。その隙に田中は下に逃げ、長身の男の足を取って倒し、上に乗っかって男の首元を左手で押さえ込んだ。


「おい、堀川さん。このままこいつをおとしてしまっても大丈夫か?」


 田中はそばに刺さっていたダーツの矢を抜くと、二階のガラス窓に向かってそれを投げつけた。


 二階のガラス窓から中庭の様子を眺めていた堀川陽三は、目の前のガラスに当たって落ちていくダーツの矢を見ながら嬉しそうに口角を上げた。


「想像以上だ。本当に五十歳か?」


 堀川はそう呟くと、ガラス窓を開けた。


「やめてあげてください。明後日には格闘技の試合があるそうですので」


 そして、堀川は軽快な足取りで下の階に降り、中庭へと入って行った。


「いやあ、素晴らしい」


と、嬉しそうに言いながら近づいてきた堀川を、田中はじろりと睨みつけた。それぞれの階で、人々がガラス窓の近くに寄り、拍手を送っている。


「何だ、この余興は」


と、田中は倒れている長身の男の手を取って立ち上がらせた。


「あなたの就職試験ですよ。お見事です。文句なしの合格です」


「冗談でしょ」


 気絶している男を長身の男が肩に担いで、もう一人の男と共に建物の中へと消えて行った。


「タフでなければ生きていけない。優しくなければ生きていく資格がない」


「キザな台詞……まさか、マーロウに憧れて探偵になったとか言うんじゃないでしょうね」


「いけませんか?私の座右の銘でしてね。あぁ、久恵さんもご苦労様でした。さすがでしたよ」


 久恵がにこにこしながら田中に近づいた。


「素敵なエチュードでしたわ」


「エチュード?」


「台本のないお芝居のことですよ」


「久恵さんは、元劇団員なんですよ」


「あなたも初めから俺を騙していたんですね」


「ごめんなさいね。でも、本当に素敵でしたよ」


 そう言うと、にこにこ笑いながら久恵も建物の中に戻って行った。


「人が悪い。先代のボスがそんな人やったとは思いませんでしたよ」


 堀川は、ほっほっほっと笑うと、首を縦に振りながら言った。

 

「いたずら好きでしてね。事務所には私の最高傑作がありますから、今度俊哉くんに見せてもらってください」


「誰かが怪我でもしたら、どうするつもりやったんですか」


「あなたはきっと、これが茶番だと気付くと思っていました。どこで気付きましたか?」


「ダーツの矢……命を狙うとしたら、ナイフでも投げたらいい。あと、ガラス窓の向こう側からたくさんの人の視線を感じたんで」


「素晴らしい。前職は何を?」


「日雇いで工事現場とか」


「いえ、その前のことを聞いています」


「ずっとそんな感じです。あきませんか?」


「いいえ構いません。瑠美さんのご推薦ですので、特に問題はありません。しかし、どこでそんな武術を身につけられましたか?」


「ジャッキーチェンに憧れて」


 堀川は目を丸くして田中を見ると、「愉快、愉快」と言いながら笑った。


「気に入りました。よろしくお願いしますね」


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