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悪魔の弟子の復讐譚

作者: 星見守灯也

「先生、なにやってるの?」

「手を洗ったところ」

「水がもったいないって言われない?」

「言われるけど、必要なことだから」


 俺が先生と呼んでいる彼女は不思議な人だった。なんでも、こことは全然違う異世界にいたのだという。彼女の知識や技術は見たことのないもので、俺はやはり遠いどこかの国から来たのだと思っていた。彼女はこの国の言葉も下手だったから。


 ともかく、孤児だった俺を拾った彼女は自分の仕事の手伝いをさせた。石を拾ってきて焼いたり、液体を火にかけたり、そんなことだ。まるで石を金にできると信じている愚か者のようだったが、先生は彼らとは違うと信じていた。なぜなら、彼女は「金を作ることはできない」と言っていた。そして、「金と同じくらい役に立つことができる」と言った。


「ほら、あんたも手を洗って。こうすると病気にならないんだから」

「はいはい」


 先生は水の力を過信しているようだ。礼拝所で祈ってもらった水ならともかく、これはただの水なのに。それでも俺は言われたとおり手を洗った。


「やっぱり同じみたい」


 石を砕き、じっと見ていた彼女は言った。


「同じって?」

「私のいた世界と、世界を作る仕組みは同じ。水をつくるものがあって、石をつくっているものがある」

「水は水、石は石じゃないの?」

「こないだ重曹を火にかけたでしょ?」

「うん。水とソーダ灰になる」

「それと同じ。もっとなにかにわけられる」


 俺はテーブルの上の塩をとった。


「これも?」

「そう。それは水に入れると燃える金属と有毒ガスからできている」

「そんなもん食べて大丈夫なの!?」

「毒があるっていうの簡単なことじゃないんだよ」


 なるほどと俺はうなずいた。


「先生のいた世界でもそれは同じなんだね」

「どうもそうみたいね。この世界にも魔法とかはないみたいだし……」


 先生の言うことは時々わからないけれど、同じということが少し嬉しかった。


「ものを知ることは身を守ることだから」






 先生はたくさんのことを教えてくれた。


「これは石黄。昔から使われてきた毒。きれいな色を作れるんだけどね」


「白粉もワインもダメ。鉛が入っているから」


「これは石綿。使わないほうがいい」


「辰砂はメッキしたり鏡を磨くのとかに使うけど、出る蒸気には毒がある」


「この石は光る。これだけならそう危険ではないけれど、精製するととても危険よ」


 先生はあれもこれも危険だという。毒になるという。


「それって蛇やサソリ、キノコやトリカブトより危険なの?」

「それも危険。でも毒っていうのは、生き物か生き物じゃないか、自然のものか人のつくったものかじゃない。どれもそれぞれ毒があって、ヒトは死ぬ。塩だってとり過ぎれば死ぬ。でも、すぐに死ぬとは限らない。ときに気づかないうちに蝕まれてしまうものだから」






「ワインを飲むなだと!? 商売の邪魔しやがって!」

「いえ、その器が問題で……」

「なに言ってんだ。甘くてうまいじゃねえか」

「でも、体に悪いんです」

「死んだやつはいねえだろ」

「帰った帰った! 変なもんばっかり売ってるおかしなやつがよ!」


 先生はため息をついて市場いちばを離れた。


「砂糖も蜂蜜も量が限られていて高価。しかたないのかもしれないけど、でも……」


 なにやらぶつぶつ言っている。


「先生の力で砂糖は作れないの?」

「魔法のようにはいかないなあ……。うん、作るとしてもすごく人手が必要だしそういうのはしたくない」


 先生はたくさんのことを知っている。でも、できないこともあるんだ。


「ワインが甘かったらみんな嬉しいものねえ……」






「いたぞ、悪魔め」


 ある日、街の人が集まってきた。


「燃える銀と毒ガスを混ぜたのを人の飲ませたんだと!?」

「ワインを売るのを邪魔してきたんだ」

「メッキ職人にも指図してきた恥知らずだ」

「こんなところで毒を作って!」

「毒殺しようとしていたに違いない」

「こいつが井戸に近づくのを見たぞ!」

「私たちを殺そうっていうのかい!?」


 先生はそっと裏口に俺を連れて行った。


「逃げなさい。あなたは正しいことを知っているのだから」


 それから、ドアを開けて街の人に向きあった。俺はそれを見たきり、裏口を開けて飛び出した。なにが起こるのか知りたくなかった。見ていられなかった。


 二日後、先生の首が大通りにかけられているのを知った。俺が逃げ出さなかったら、助かっていただろうか。そんなことはない。首が二つ並んでいただけだ。ああ、でもそれでもよかったな。


 先生の家に戻ると、家は日破壊された後だった。礼拝所の神官が残ったものを記録しているようだ。砕けたガラスのフラスコ、銅の鍋、それを先生が使っていた姿が思い出された。


 俺は息を飲み、神官に話しかけた。


「毒の悪魔から助けていただき、ありがとうございます」






「これは石綿といいます。燃えない石からできたものです。ええ、まるで火蜥蜴の皮のようにね。これを粉にして壁や屋根、床に塗ると、冬でも少しの火であたたかいのです」

「ほう……これはすごい発見だ」


 それから五年、俺は礼拝所にいた。神の御術みわざを発見して、神官に伝える仕事だ。


「モルタルの混ざりもよくなりますし、これはぜひ広めていただきたい」

「ふむ。神に賜った偉大な技術、広めないわけにはいくまい」






 石綿の発見により、俺は王都の礼拝大堂に召し抱えられた。


「これは以前、農薬としてお教えしたものですが、こうすると、孔雀石より鮮やかな緑ができます。貴婦人のドレスにいかがでしょう」


「美しいドレスでいらっしゃいます。では、この白粉はいかがでしょう。ノビがよく、透明感のある肌になります」


「そうそう、水銀は堕胎薬にも使えますよ。……どうです、ご不満のある淑女がた」


「この石は夜、青白く光ります。それを精錬して、宝飾品にいたしました。宝石より安価で宝石より美しい」


 こうして王妃の信頼を勝ちとった俺は、王の側近くに仕え、意見を聞かれるようになった。


「採掘が間に合わない。ではポンプを作りましょう。地下水を全て汲みだしてしまえばいいのです」


「食糧不足ですか。ひとつの畑に二倍の量を植えれば良いでしょう。早く種をまけば、二回収穫できるでしょう」


「スズメなどの穀物を食べる鳥は害でしかない。殲滅すべきです」






「おまえの農法ではちっとも作物が取れぬではないか」

「そうですか?」

「ええい、クビだ、クビだ。出ていけ!」


 はじめに異変に気づいたのは農民だった。害虫が増え、穀物は実らず、収穫が大幅に落ちた。礼拝所にかけこんだが、そんなはずはないと一蹴された。


 次に気づいたのは職人だった。元から水銀を使うメッキ職人や鏡職人は、おかしな病にかかるものとされていた。しかし不思議なことに、白粉や染色の職人までもが胃腸の不調や手足の震えを訴えるようになった。


 最後に王の近くにいた赤子や貴婦人が死に始めた。


 俺は、それをただ眺めていた。






 あるとき、ひとりの子供が俺のもとを訪ねてきた。


「おまえはいったいなにをした?」

「俺は、みんなの望むものを作っただけだ」

「嘘だ。母さんが死んだのはおまえの作ったものを使ったからだ。悪魔め」


 勘がいいな。きちんと学べばもっと多くのものがわかっただろうに。


 この子は先生が死んだ後に生まれた子だろう。だから、本当なら関係ないのだ。関係のない子供たちまでも、俺は俺の復讐に巻き込んでしまった。まあ、これも運の尽きか。


 子供は深々と俺の腹にナイフを突き立てた。いいよ、殺されてやる。これで終いだ。


 先生はきっと、こうなることを望まなかっただろう。






 この国は荒れはてた。なにが原因か、治す方法があるのかわからないままに。

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