【第6話】相続紛争(後編)
「でけー……」
カーバンクルの邸宅前で、ユニアスは素直に感嘆して口笛を吹いた。
「そう? こういうアパート、他にもある」
アーデルハイトのずれにずれた感想に呆れて、つい自分の持ち物でもないのに本気で言い返す。
「アパートと一緒にすんじゃねーよ! つーか、庭とか池とか、敷地面積全然違うの分かるだろ。ここにあんたと、嫁き遅れの末娘だけで住んでたの? 持て余すねぇ」
「嫁き遅れとは言わんでやってくれ、アンヌはとても自由な思考の娘で……」
「理由とかどうでもいいわ、そんじゃ行くか」
「あ、ちょっと待ってくれ」
「なに?」
「わし、まだこのままでいいのか? 体があった方が娘や家の者に説明がしやすいと思うが」
「まあそうかもしんないけど、いきなり死人が訪ねてきたら大抵は腰抜かすかペテン師だと疑われるのが関の山で話どころじゃなくなる。秘術は、大勢の証人が見ている前でやるのが一番効果的だし――それに」
「それに?」
「俺の一番の見せ場なわけだから、できれば劇的にやりたい」
「……」
目立ちたがるネクロマンサーというものを、ハインツは初めて目の当たりにした気がした。本当に任せて大丈夫なのかといささか不安になったが、ユニアスはさっさと玄関のベルを押していた。
***
それから数時間後、二階の最も大きな客間にハインツの娘三人が会していた。三女のアンヌが「遺産の話し合いをしたい」と二人の姉に使いをやった結果だが、長女のグレーテも次女ミリアも詳細については何も聞かされていなかったため、待たされた挙句アンヌがその場に現れると口々に不満をぶちまけた。
「遅い! 何してたのよ」
「そうよ、自分で呼び出しておいて」
「どうも、ちょっと準備に時間がかかってしまって。あら、大事な話なのに義兄さんたちは一緒じゃないの?」
「仕事に決まっているでしょう。あなたはいいわよね、親のお金で昼間からふらふらしていられて羨ましいわ」
グレーテの皮肉を、アンヌは平然と受け流した。
「姉さんたちだって働いてないじゃない。だから急な呼び出しにも対応できたんでしょ?」
「一緒にしないで! 私もミリアも妻として母として家庭を守っているの。あなたとはまるで違うわ」
顔を見合わせて頷き合う姉二人に、アンヌは小首を傾げて見せた。
「そう? でも私は、暇を持て余して昼間からお茶やお酒をお供に愚痴を言い合う集会なんてまっぴらだし。使用人のいる裕福な家庭の主婦が普段やってることって、それだけでしょ?」
「な、なんて言い草……!」
「落ち着いて、姉さん。アンヌ、言い過ぎよ。姉さんに謝って」
末妹の発言に自身も腹が立ったものの、このままでは話が先に進まないとミリアは仲裁に回った。アンヌはきょとんとしながらも、
「ごめんなさい、私つい本当のことを」
と、あまり謝罪とは思えない言葉と共に軽く頭を下げた。
「あんたね!!」
「姉さん、ここは堪えて……」
長女だからと甘やかされて育った姉と、年の離れた末っ子だからと奔放に育てられた妹。その間に挟まれて一番苦労した状況を今更のように噛みしめながら、ミリアはひたすら場を鎮めることに専念した。金の分配さえ決まってしまえば、この土地を離れて夫や子供と静かに暮らすこともできる。そんな打算を頭の中で巡らしていると、不意に音を立てて部屋のドアが開いた。
「随分と騒がしいな、良い年した大人がそろいもそろってみっともない」
「みっともなーい」
聞き覚えのある若い男女の声に慌てて振り向いたグレーテは、その姿に愕然とした。
「あ、あなた、何で……」
「何か? 初対面ですよね?」
とぼけたようなユニアスの反応に、はっとなり一瞬で同調した。
「そ、そうね。ごめんなさい、知り合いと勘違いして」
「ユニアス、あれうちに来たババ……」
「いやー、にしても立派なお屋敷ですよねー」
空気をまったく読まないアーデルハイトの口を手で塞いで黙らせると、ユニアスは愛想笑いを浮かべながらアンヌに近づいた。
「全然呼ばれないから来ちゃったけど、予定通り進めていいの?」
「ああ、いいわ。やってちょうだい」
「それじゃ遠慮なく」
「ちょ、ちょっと待って! 誰よあなたたち!」
「俺はユニアス、ネクロマンサーです。先日亡くなったお父上の依頼で来ました」
一人完全に蚊帳の外のミリアの声に最低限で応じて、ユニアスはアーデルハイトに持たせていた布に描かれた魔方陣を足元に広げた。
「ここ、立って。そうそう。詠唱終わったら受肉するんでよろしく」
無人の空間に話しかけている異様な様子を問いただす暇もなく、呟かれる言葉と陣の上を彩る淡い光に目を奪われているうちに、そこに形作られた人型が見覚えのある人物として現れたことに三人そろって驚いた。
「お、お父さん……!」
「おお、やっとおまえたちにも見えるのか。さっきからずっと彼の側にいたのにな。しかし久しぶりの体は重いな」
遺体に着せられたとっておきのスーツのボタンを一つ開け、フランツ・カーバンクルは満足そうに笑った。
***
「ほ、本当にお父さん? 本物……?」
「疑うなら、触って確かめるといいぞ。ほれ」
恐る恐る近づいた娘たちは、服の襟を確認したり頬を触ったり手を握ったりと思い思いに触れた挙句、紛れもなく亡くなる直前の父親の姿そのものであると合意したようだった。ネクロマンシーの秘術を目の当たりにしたのはこれが初めてで、一般的な知識として聞いていたより遥かにハイレベルな現象に、驚愕するほかなかった。
「やっぱ、この瞬間が俺的に一番輝いてるよな」
「誰もユニアスのこと、見てないけど」
「あー……じいさん、再会を喜んでるとこ悪いけど目的は忘れないようにな」
アーデルハイトの突っ込みは無視してさり気なくこの場の主導権を握ると、契約の方に話を誘導した。
「そうだな、すまん。おまえたちがわしの死後に遺産のことでもめているのを見かねてな。彼に頼んで、こうして直に仲裁に来た。実の姉妹なのだし話し合いで上手くやってくれればと思っていたが、やはり弁護士の言う通り遺言書は遺すべきだったな」
「仕方ないわ。だって姉さんたち、欲張りなんだもの」
しれっと姉二人を非難するアンヌに、すかさずグレーテが大声で反論した。
「あんたって子はぬけぬけと! 独り身のくせに、屋敷に固執するあんたの方がよっぽど強欲でしょうが!!」
「だってここは、お母さんの思い出が残る唯一の場所だもの。姉さんに任せたら、好き放題改築して台無しにしてしまうでしょう? 私はただ、保存のために渡したくなかっただけ」
「その割に、屋敷以外の金銭も三分の一の取り分を要求したじゃない」
「仕方ないわ、屋敷の維持にはお金がかかるんだもの」
「それはあんたが、生活水準を落としたくないとか我儘言って使用人の数も減らさないからでしょうが」
「長年仕えてくれた彼らを簡単に切ろうだなんて、やっぱり姉さんは冷たいのね」
「そういう問題じゃ……!!」
「ああ、もうやめなさい。他人様の前で」
見かねたハインツの静止に、二人はぴたりと口を閉じた。それから次の間に控えさせた顧問弁護士を呼ぶと、これから自分の言うことを正式な遺言として紙にしたためるよう指示をした。三人がじっと見つめる中で、ハインツは厳かに口を開いた。
「まずこの屋敷だが、競売にかけて売却する。使用人は、アンヌが新しい暮らしをして行くのに必要な者数名を残して辞めてもらいなさい。次の勤め先で困らないよう、紹介状は全員に書くししばらくは困らないだけの十分な退職金も支払おう」
「お父さん……!」
思わず立ち上がったアンヌを、ハインツはそっと手で制した。
「おまえが家族の思い出が残るこの家を大事にしていたことは良く分かっている。でも姉さんたちもとうに出て行って、独りで住むにはさすがに広すぎるだろう? おまえもここらで、自分の足で立つ生活を始めなさい」
「お父さんは、本当にそれで良いの? お母さんとの思い出がなくなってしまっても」
「なくなりはしないよ。おまえたちや母さんと過ごした日々は、決して。形あるものだけが、すべてではないから」
「……そう。ならいいわ、言う通りにする。私、欲張りでそうしていたわけではないから」
再度反論するようにグレーテをねめつけ、アンヌは再び腰を下ろした。
「次に会社だが、あれの権利は社員に還元する。代表については公平に投票で行えばいい。おまえたちは、経営に一切関わることは許さん」
「ど、どうして!?」
今度血相を変えて立ち上がったのはグレーテだった。その反論を予期していたのか、ハインツは諭すように言った。
「前にも言ったが、おまえに経営の才能はないよ。加えて宝石の知識もない。余計なことをすれば会社が傾きかねん。大人しく、今の経営陣に任せておきなさい。彼らは優秀だ」
「で、でも、ここまで大きくしたのはお父さんの手柄なのに。それを全部、他人に与えてしまおうと言うの?」
「わしは始まりと、あとは場を提供しただけだ。ここまで大きくなったのは、皆の力だよ。ましておまえは、何も貢献していないだろう? 血族と言うだけで今更上に立とうなんて、おこがましいというものだ」
「……」
さっと青ざめた娘に、ハインツは口調を和らげて続けた。
「おまえが夫に選んだクラークも、商才はないが真面目で勤勉な良い男だ。身に余る立場や責任を敢えて背負いこむようなまねはせず、家族みなで仲良く暮らしなさい。そして時々は、妹たちのことも気にかけてやりなさい。どうあってもおまえたちは姉妹で、おまえは長女なのだから」
「……はい」
がくりと椅子にへたりこんだ姉を、その場で最も影が薄く存在していた次女のミリアが気遣うように横から手を握った。はっと顔を上げたグレーテは、ばつが悪いように笑った。二人の様子を見て、ハインツは満足そうに言葉を続けた。
「そして最後になるが、諸経費を差し引いた残りの金銭については三人で平等に分けなさい。さて他に、何かわしが忘れていることがあったかな、ミリア?」
「屋敷に残された遺品については、好きに分けても構わない?」
「ああ、もちろん。わしが分配してやらなくても、喧嘩をしないならば」
「もう大丈夫よ。ね?」
互いに頷き合う姉妹を確認して、ハインツはこの上なく満足そうに笑った。
「ああ、これでもう思い残すことは……おっと」
うっかり昇天しそうな勢いだったが、大切なことを思い出したハインツは大急ぎでユニアスを手招きした。