【第2話】英雄裁判(前編)
パチン、と指を鳴らす音で目覚めると、そこはひどく薄暗い空間だった。
「お目覚めですか?」
目の前には大き目のシャツをゆるく着た若い男が立っていて、こちらを見下ろすように顔を覗き込んでくる。周囲に溶け込むような黒い髪と、鮮やかな赤い目がひどく印象的だった。自分が粗末な木の椅子に座らされていることを認めながら、ゆっくりと周囲を見回した。すると男の背後にはやはり若い女が二人いたが、どちらかと言えば控えめな方の女性の顔に視線を移した時、思わず驚きの声を上げていた。
「君は……カトレア!? まさか、だって君は……」
「死んだはず、ですか?」
若い男が言葉を引き継いで、それから少しばかりシニカルに笑った。
「確かにその通りなんですけどね。でもあなたがそれを言うのはおかしな話だ。だって、あなただってとっくの昔に死んでいるんですから――レオ・レクリファスさん。ここは今も『英雄』と呼ばれているあなたの霊廟の中だ」
今から百年ほど前。隣国からの侵略を受けた際、常に最前線で戦った最も高名な将軍である彼を人々は「英雄」と称えた。カーナ砦の攻防で遂には命を落としてしまったが、その功績から人々は後に故郷であるこの街に霊廟を建て、彼に感謝しその冥福を心から祈ったと言う。
「その英雄譚は今も親から子にと代々語り継がれ、平和を取り戻した現在、ここは訪れる外国人にとっても有名な観光スポットとなっています。ご自分の亡くなった状況と今の時代について、ご理解いただけました?」
「……戦争が終わったことと、今が百年後の世界だということは何となく。それでは、今ここにいる私は死人ということか?」
「さすが、飲み込みが早い。あなたも彼女も、ネクロマンシーの秘術で俺が仮蘇生しました」
「ふぅん……まるで本当に、生き返ったかのようだ」
拳を閉じたり開いたりしている英雄に、ユニアスは「腕が良いんで」とさり気なく自慢した。
「なるほど、ネクロマンサーか……差し支えなければ名を訊いても?」
良く見れば十代にも見える若い男は、意外そうに目を瞬きながらもすぐに答えた。
「ユニアス・ジャックフォード。因みにそっちは助手のアーデルハイトです」
助手だと紹介された少女に軽く一瞥して、レオはすぐにユニアスの方に視線を戻した。
「ジャックフォード……私でも知っている。名門中の名門だな」
「恐れ入ります」
肩をすくめるその背後の見慣れた姿に、レオは再び目を奪われた。
「……カトレア」
小さく名を呼びながら思わず手を伸ばすと、カトレアと呼ばれた二十代前半くらいに見える金髪の女性はびくりと身を固くした。隣に控えていたアーデルハイトが落ち着かせるように寄り添い、ユニアスは二人を守るようにレオの前に進み出た。
「すみませんが、俺の許可なく依頼人に話しかけないでもらえます? 彼女は、ひどく怯えていますので」
「依頼人、だと?」
「そう、彼女――カトレア・スノーは俺の依頼人です。彼女は、かつて戦時中に砦で殺された。あなたはその事件の、ただ一人の証人というわけです。あなたの墓は、今から真実を問う裁きの庭となる」
ユニアスはそう言うと、芝居がかった様子で優雅に一礼した。
***
「ちょっと待ってくれ、良く意味が呑み込めないのだが。そもそも、あの戦争で亡くなった人間はカトレア一人では……」
混乱して首を振るレオに、ユニアスは気の毒そうに頷いて見せた。
「無理もありませんよ。蘇ったばかりで、時代の空気にも馴染みませんよね。そうですね、まずは深呼吸でもしてください」
「いや、そういうことではなく」
「深呼吸じゃ足りません? それじゃあひとつ肩でも揉みましょうか」
背後から両肩を掴まれて、慌てて振り解きながらも人の体温を感じることに驚いた。
「自分が死んでいるとは到底信じられないな、あまりにも生前のままだ。私が戦場で相手にしたことのある死者は、血が通っているとも思えず、それこそ化け物のような姿だったが」
「それは、術がおざなりで不完全な状態だったんですよ。本来の秘術は、生前と変わらぬ姿を再現し、死者を救うためにあるもの……話が逸れましたね。本題に戻っても?」
「ああ、すまない」
再び正面に回ると、ユニアスは改めて自らの生業について説明した。
「あまり知られていませんが、ネクロマンサーの正業は無念を残して亡くなった死者の魂の救済です。実を言うと俺はこの街に越してきたばかりなんですが、着いて早々彼女の嘆きの声を拾いましてね。まあ正確には、先に気づいたのはアーデルハイトの方だったんですけど」
助手と紹介された少女が、表情は変えずわずかに胸を張ったように見えた。それに苦笑しながら、ユニアスは言葉を続けた。
「カトレアは、あなたと同じ時に砦で怪我人を診ていた看護師だったそうですね。攻防戦になった際、医師や看護師が先に避難した中、最後まで患者の世話をしていたために逃げ遅れて亡くなったとか。その行動から、人々は彼女も英雄と同等に扱うべきと、遺体はあなたの霊廟に共に眠っていた。この街の歴史ではそういうことになっています」
「歴史では?」
「そう、事実は違った。依頼人の話では、彼女は襲撃の当日ではなく――その前日の夜、砦で何者かに殺されたのだそうです」
「――馬鹿な!!」
ガタン、と椅子を揺らして立ち上がったレオの肩を、ユニアスは宥めるように押さえた。
「まあ、落ち着いて。あなたは馬鹿なと言ったが、そもそも依頼人が嘘を吐く理由がありますか?」
「それは……」
「しかも、死後百年経っても成仏できないほどに己の死を受け入れられず、その魂は今もこの世をさ迷っている。俺はネクロマンサーとして、このことを放置することはできません。ただ、あなたや彼女にとっては昨日今日のことでも、現実には百年も昔のことです。今さら証拠とか、関係者の証言など望むべくもない。そもそも、当時砦にいた人々は全員亡くなっています」
「では、どうすると?」
「要は、依頼人が満足できる結論に辿り着ければそれで良い。だから、まずは彼女の話を全て聞いて、その上で知っていることがあれば証言してほしい……いかがです?」
レオはしばらく考えているようだったが、結局はユニアスの提案を受け入れた。
「分かった、私にできることであれば協力しよう。ただ役に立てるかどうかは疑問だが」
「ありがとうございます」
気が変わらないうちにとでも思ったのか、被せるように礼を言うとユニアスは静かに微笑った。