魂の入れ替わり
なぜ? なんで? どうして?
新聞には被害状況が詳細に書かれている。
「腹部に大きな傷があり、出血による失血死……?」
記事を読んだ瞬間、お腹から血を流した女性の記憶が蘇ってくる。
そうだ。あのとき私は大広間で見かけた女性を助けたのだ。
「あの人と同じ傷――うっ!!」
頭がズキン! と痛む。これ以上考えたら頭が割れそうなくらいだった。
『ちょっと大丈夫なの!?』
「ううっ――!」
灯りが一瞬で消えたかのように、私の意識はぶつんと途切れてしまった。
◇◇◇
ふわふわ夢見心地で覚醒していく。
極上の毛並みの枕――かと思いきや、アンゼルムの太く長い尻尾だった。
「わあ!」
『あら、お目覚め?』
「私、どうして?」
『何やらぶつぶつと独り言を言って、突然倒れたのよ』
「そう、だったんだ。いったいどれくらい意識を失っていたの?」
『五分くらいだったかしら?』
なんだかずいぶんと長い時間、眠っていたような気がするのだが、そんなことはなかったらしい。
『自分に関する記事を読んで、ショックだったのね』
「あ……」
なんだか悪い夢をみているようだった。けれどもツィツェリエル嬢の卵みたいななめらかな輪郭に触れ、長い指先とすべすべの手の甲を確認すると、これまでの出来事は現実だったのだ、と嫌でも理解してしまう。
『辛かったらこの事実を魔法で忘れさせることもできるけれど』
「いいえ、大丈夫」
私が死んでいたのは紛れもない真実なのだ。忘れたからといって、どうにかなるわけではない。
呼吸を整えてから、新聞の記事をもう一度確認する。
読み返しても、私が腹部に深い傷を負って失血死したことに間違いはなかった。
どのようにして死に至ったのか、という記載はない。不審死の一言で片付けられていた。
『腹部への深い傷って、絶対に犯人がいるに決まっているわ』
「いったい誰が私を殺したのでしょう?」
『心辺りは?』
「あー……」
胸に手を当てて考える。すると、エルク殿下と言葉を交わしただけでなく、ダンスまで踊った件が浮かんだ。
『王弟と会話した上に、ダンスのパートナーにまで選ばれたですって!?』
アンゼルムはただでさえ大きな瞳を瞠目させる。
『王弟といえばいまだに独身で、物腰は柔らかいのに勇猛果敢に戦うギャップの男前じゃない! 国中どころか、いろんな国の姫君が結婚相手にしたい男ナンバーワンって話だったのよ!? そんな男を独り占めするとなっては、殺意も抱かれるはずだわ!』
「やっぱり、そうだよね……」
殺害の動機はエルク殿下と親しくしたことによる嫉妬、なのだろうか?
「ただ、魂が入れ替わって最終的に助かっているのが、よくわからない点なんだけれど」
『たしかにそうね』
もしも私が憎くてたまらないのであれば、ツィツェリエル嬢との入れ替わりなんぞしなくてもいいはずだ。
「え、ちょっと待って。私の本体が死んでいたってことは、ツィツェリエル嬢は!?」
『死んだんだと思うわ』
「そんな! 酷い!」
私と入れ替わったせいでツィツェリエル嬢が命を散らしてしまうなんて。
そんな残酷な運命が存在していいものなのか。
「うっ――!」
胃からこみ上げてくるものを感じたが、中はからっぽだったので何も吐き出せなかった。
何もかもが気持ちが悪い。人の命を弄んで、何が面白いのか。
『でも、よかったのよ』
「え?」
『あの子、ずっと死に場所を探していたから』
家族の愛にも恵まれず、社交界では悪女だと囁かれ、信頼をおける相手なんていなかった。そんなツィツェリエル嬢の人生をアンゼルムは語る。
『最後はルル・フォン・カステルとして、皆に悲しまれながら埋葬されていくのよ。それってあの子にとっては幸せなことだわ』
「でも、そんなことって――」
『いいの、あなたは気にしないで、ツィツェリエルの体で元気に生きてちょうだい』
きっとアンゼルムは私が気に病まないように言ってくれたのだろう。
「ツィツェリエル嬢はきっと、アンが傍にいて、嬉しかったと思う」
『あら、そうかしら? あの子、あたしが話しかけるたびに嫌そうな顔をしていたのよ』
「それでも、気にかけてくれる存在がいるというのは、とてもありがたいものだから」
アンゼルムは常にツィツェリエル嬢を気にかけ、優しい言葉をかけていたに違いない。
今もそうだ。アンゼルムが冷静に話を聞き、ツィツェリエル嬢やヴェイマル家についての情報を開示してくれるので、なんとか精神状態を保っているのだろう。
もしも独りだったら、と考えると恐ろしい。
「今、いろいろ考えてもどうにもならないよね」
『そうよ』
「だったら――」
テーブルに置かれたカトラリーを手に取り、すっかり冷えてしまったパン粥を食べ始める。
『えっ、ちょっと大丈夫なの?』
「ええ、平気。なんだかお腹が空いたように思えるの」
いまだ、胃がしくしく泣いているような気がするのだが、体が空腹を訴えているような気もしている。今、食べておかないと衰弱状態になってしまうだろう。
私が突然パン粥をもりもり食べ始めたので、アンゼルムは口をあんぐりと開けていた。
けれども途中から、噴きだすように笑い始めたのだ。
『あなた、面白い子ね! この状況で、食べ始めるなんて』
「だって、体は食事が資本だから」
なんとか平らげることができた。この調子ではここ数日はパン粥のような消化によさそうな食事を続けたほうがいいだろう。
『あなた、強い娘なのね』
「自然豊かな場所で育った雑草魂かも」
『踏まれたら逆に強くなるってやつ?』
「ええ、そう」
『いいわね、雑草魂。そういうの、あたしは大好きよ』
そう言ってアンゼルムは私の額に額を合わせてくる。
家猫がしてくれるような親愛の印みたいで、なんだか嬉しかった。
『あなたさえよければ、契約しない』
「アンと私? どうして?」
『あなたの人生を、見守りたくなったのよ』
アンゼルムがこうして契約を持ちかけるのは、ヴェイマル家の初代当主以来らしい。
とてつもなく光栄なことである。
『この先、いろいろ助けてあげるわ。対価はあなたの人生を覗き見る、ってことで』
「期待に添えるかわからないけれど」
『心配しないで。出会って少ししか経っていないのに、すっごく楽しませてもらったから』
この先ツィツェリエル嬢の体を借りて生きていくことになれば、アンゼルムの助けは必要だろう。
「私でよければ」
『交渉成立ね』
アンゼルムの額に魔法陣が浮かんだ瞬間、私のおでこが熱くなる。
これが精霊の契約印なのだろう。
『これからよろしくね、ルル』
「私の名前、それでいいの?」
『ツィツェリエルもルがついているから、ルルの愛称でも問題ないはずよ』
「ありがとう」
これから先、私の名前なんて忘れ去られるのだろう、と思ったがアンゼルムはルルと呼んでくれるらしい。これ以上、嬉しいことはないだろう。
そんな感じで、私は大きな猫ちゃんことオオヤマネコ精霊アンゼルムと契約を交わしたのだった。