ツィツェリエル嬢について
アンゼルムの先導で、長くじめじめした階段をあがっていく。
床は魔石を使っているようで、ほんのり光っていた。
地下から脱出すると、こう、なんというかそこまで広くない階下に出てきた。
国内で五指に入るくらい裕福なヴェイマル家なので、使用人が作業する一階部分もさぞかし豪華かと思いきや、そこまで広くない印象だ。
『どうかしたの?』
「いえ、なんというか、親しみのある規模のお家だな、と思いまして」
『ここは離れなのよ。本邸は庭を挟んだ向こう側にあるわ』
「離れ!?」
自主的におしおきをするためにやってきたのかと聞くと、アンゼルムは首を横に振る。
『ここはツィツェリエルの本拠地よ』
「こちらも自主的に?」
『いいえ、今の当主がツィツェリエルがここへやってきた日から、離れでの暮らしを命じていたのよ』
「連れてこられた?」
いったいなぜ? もしかしてツィツェリエル嬢は愛人の子だったのだろうか?
それとも分家の子を実の娘として育てていたのか。
などと想像を膨らませてしまったが、どちらも違っていた。
『あの子はヴェイマル家の人達と血の繋がりはないの』
「え、でも、ご子息のギルベルトと同じ赤い瞳を持っていたけれど」
『それが引き取られた理由の一つなのよ』
赤い瞳はヴェイマル家の者達の証らしい。
一応魔法鑑定で調べたようだが、血縁関係にないことがわかったという。
『赤い瞳の持ち主はヴェイマル家の特異魔法と相性がいいの。それもあって、ツィツェリエルはヴェイマル家の者らしく育ったわ』
驚いた。ツィツェリエル嬢とヴェイマル家の人達と血の繋がりはなく、さらに養子だったなんて。
そんな話をしつつ、二階へ上がる。
『ここには使用人がいるけれど、夜中に掃除や洗濯をして、朝方には帰っていくのよ。物音一つ立てないの。不気味でしょう?』
なんでもツィツェリエル嬢は神経質で、使用人が傍に侍ることを嫌っていたらしい。
『あの子、徹底していたわ。ドレスも一人で着られるように、前や横にボタンがあるものしか仕立てなかったのよ』
そういえば自分でチョーカーを着けていたという話を聞いたばかりだった。
『あなた、そのチョーカーには触れないほうがいいわ』
「え?」
『人々の中に渦巻くボースハイトを集める宝石なのよ』
無意識のうちにチョーカーに触れていたらしい。思わず「ヒッ!」と悲鳴をあげてしまう。まさかそんな物騒なものがチョーカーに収まっていたなんて。
『外してあげるわ。しゃがみ込んで』
アンゼルムは爪先で器用にチョーカーを外してくれた。
『見て、よく見たら石の中心に黒いものが小さく渦巻いているでしょう?』
ハート型にくり抜かれた美しいルビーだと思っていたが、とんでもないものだったようだ。
『これが真っ黒に染まったら、任務完了みたい』
「えーっと、ツィツェリエル嬢はどういう目的でボースハイトを集めているの?」
『さあ、わからないわ』
ツィツェリエル嬢自身が何かに使用するわけではなく、集めたボースハイトはそのまま父親であるヴェイマル侯爵に渡していたのだとか。
「もしかしてツィツェリエル嬢は、ボースハイトを集めるために、社交界でわざと嫌われるような行動をしていたの?」
『あら、あの子、そうやってボースハイトを集めていたのね。相変わらず、不器用な子だわ』
ツィツェリエル嬢がどうやってボースハイトを集めていたかは、アンゼルムは把握していなかったようだ。
「困った子よ。毎日毎日この世の終わりみたいな顔をして帰ってくるの。まだ息子のギルベルトのほうが健全な精神を持っているわ」
ギルベルトの精神が健全? まったくそうとは思えないのだが……。
『何か言いたげね』
「いえ、その、ヴェイマル侯爵子息と言葉を交わすことがあって、とても、その、粗暴なお方だな、と思ったから」
『粗暴!! たしかに、あの子は乱暴なところがあるわね』
ギルベルトの粗暴さはアンゼルムも公認だったのでホッと胸をなで下ろす。
「ツィツェリエル嬢とヴェイマル侯爵子息はどのようなご兄妹だったの?」
『あの二人はまったくと言っていいほど交流がなかったわ。陰の者同士、直感で気が合わないと察して避けていたのでしょうね』
「はあ、なるほど」
ツィツェリエル嬢は離れで暮らし、ギルベルトは本邸で暮らしていた。顔を合わせることもなかったので、おのずと関わる機会などなかったのだろう。
食堂にはすでに朝食が用意されていた。
侯爵家の朝食なんて豪華に決まっている。そう思って覗き込んだのだが、食卓にあったのは白磁の美しいお皿にぽつんと置かれた小さな丸いパン一個のみ。
ジャムもバターもない、飲み物は水のみという質素な食卓だった。
『あの子、一日のうちこれだけしか食べないのよ』
「えっ、これ、一日分の食事なの!?」
『そうよ、驚いた?』
だからこんなにも細いのか。腕はガリガリだし、指先も枝みたいだし、ウエストなんて、左右の手で掴めてしまいそうなほど厚みがないのだ。
「こんな食生活をしていたら、長生きできないのに」
『する気がなかったのよ。あの子、希死念慮の思いが強かったの』
「なっ!?」
こんなにもきれいで、美しいドレスを身にまとって、なんでも手に入るような家で育ちながら死を願うなんて……。
「ど、どうしてそのような思いを?」
『わからないわ。でも、あの子にも幸せいっぱいに暮らしていた頃があったの。でも、ある日を境に暗く落ち込むようになって――』
彼女にいったい何があったのか。アンゼルムも詳しくは知らないという。
『何はともあれ、お腹に何か入れておいたほうがいいわ。あの子、昨日は何も口にしていなかったから』
「たしかに、胃の辺りがしくしくするかも」
この状態でお腹に何か入れていいものなのか。
そのまま食べるよりも、パン粥にしたほうがいいかもしれない。
暖炉に灯された魔石の炎に、水を張った鍋を吊す。ぐつぐつと沸騰していたところにちぎったパンを投入した。ミルクと塩、コショウで軽く味付けしたら、パン粥の完成である。
『あなた、料理ができるのね』
「ええ。よく炊き出しに参加していたの」
ルネ村には定期的に流民がやってくるので、年に何度か食事を振る舞っていたのだ。
パン粥は何日もまともに食事をしていない人達のために作っていた。食欲がないツィツェリエル嬢の体にも優しい一品だろう。
テーブルに新聞がいくつも置かれているのに気づく。なんでも使用人が全紙揃えてくれているらしい。
「わあ、新聞がこんなにたくさん」
『あの子の唯一の趣味よ』
新聞をじっくり読んで、社会情勢について学んでいたようだ。
「ツィツェリエル嬢は偉いなあ。私なんて、恋愛小説の連載しか読んでいなかった」
『もしかしてエーリン先生の〝心躍らず〟?』
「そう!」
『あたしも読んでいるわ! 面白いわよね』
「ええ、本当に。今、気になるところで」
手に取った新聞には〝心躍らず〟は掲載していないらしい。
まあ、王都にくるまでの間読んでいなかったので、ネタバレとなるだろう。
パラパラと捲っていたら、我が目を疑うような記事を発見してしまった。
「え――!?」
『ねえどうしたの? 目が今にも飛び出しそうだけれど』
「待って!! 何これ!!」
記事を指差すと、アンゼルムが読み上げてくれた。
『――伯爵令嬢ルル・フォン・カステル、路上で不審死する?』
私、死んでる!? この日一番の大声で叫んでしまった。




