野良猫みたいな
夜――今日も今日とてヴェイマル侯爵と夕食をいただく。
ヴェイマル侯爵の食事のマナーはたいへん参考になるので、ちらちらと見て勉強させていただいていた。
おかげさまで、私のカトラリーの扱いもずいぶん上手くなったように思える。
高貴なお方との食事も案外悪くない、と思ってしまった。
◇◇◇
それからというもの、ギルベルトは毎晩のように私の部屋にやってきて軽食を取って紅茶を飲み、仮眠を取るようになった。
アンゼルムからは軽食まで用意してやる必要はない、って言われた。
けれども疲れている日は夕食を食べないって言うし、私の料理をおいしいと言ってくれるので、ついつい用意してしまうのだ。
ギルベルトはたいてい、軽食を食べて紅茶を飲み、少しだけ会話を交わしてから深く眠ってしまうのである。
秒で深く寝入る彼を見て相当疲れているんだな、としか思っていなかったが、日が経つにつれてこの人は本当に眠りが浅い人なのかと疑ってしまう。
「本当に猫みたいに無防備で眠るんだから」
『なんだか赤ちゃんみたいよねえ』
よほど、この部屋にある長椅子との相性がいいのか。
正直、ギルベルトが寝るには小さな長椅子で、肩はクッションからはみ出ているし、足は手すりを乗り越えて置かれている。寝心地がいいようには見えないのだが。
部屋に戻って寝台で寝たほうがいいのに、寝室に行った瞬間に目が冴えてしまうようだ。
今、この瞬間に、ここで寝たい! と強く訴えられたら何も言えない。
最初のうちは大きな音を立てないように静かに過ごしていたのだが、一度、うっかり真鍮製の文鎮を落として大きな音を鳴らしてしまった。それなのにまったく目覚める様子はなかったので、物音には気にせずに過ごすようになったのだ。
あまりにもよく眠れるので、ギルベルトは自分の部屋にある長椅子と交換しようと言い出した。
構わないというと、従僕がやってきて部屋の長椅子が運ばれていく。
代わりにギルベルトの大きな長椅子が運び込まれようとしたが、大きすぎて私の部屋に入らなかった。
別の部屋から長椅子が運び込まれ、無事解決――というわけにはいかなかったのである。
なんと、せっかく運んだ長椅子だったが、三日後には返されることとなった。
「よく眠れる長椅子かと思ったが、そうじゃなかった! 一晩中横になっていたら、体が痛い!」
そんなことを言われましても……。
どうやらここにあった長椅子と相性がよかったわけではないらしい。
ぷりぷり怒ったギルベルトは戻された寝台に横たわり、ここで仮眠すると言って熟睡した。
『ねえルル、もしかしてだけれど、この子、ここの部屋でしかよく眠れないんじゃないの?』
「私もちょっと思っていたの」
でもそれを言ってしまったら、熟睡したいからここで眠りたい! なんて言い出しそうだ。それは困る。
一応、彼は私が好きな人なのだ。一晩中ここにいられたら、私のほうが眠れなくなるだろう。
一時間後、熟睡から目覚め、妙にすっきりとした表情になった彼は思いがけないことを言ってくる。
「前から思っていたんだが」
「何?」
言いにくいことなのか、ギルベルトは視線を逸らしつつ話し始める。
「もしかしたらお前の部屋でだけ、よく眠れるのかもしれん」
「あーーー、うん」
どうやらギルベルトも気付いてしまったらしい。
「お前、変な睡眠剤とか振りまいてないよな?」
「してないから」
「紅茶とか」
「普通のお茶!」
毎晩のように押しかけて紅茶を飲んでおいて、薬の混入を疑うなんて失礼である。
「その、睡眠は大事だ」
「わかるよ」
「俺がよく眠らないと、お前も困る」
「どうして?」
ギルベルトにはよく眠ってよく食べて、いつも元気であってほしいが、なぜピンポイントに私が困るのか。
「私が知らないところで、あなたが何かから守ってくれているの?」
「違う、そうじゃなくって、楽しみがなくなるというか、なんというか」
ここでアンゼルムが何かに気付いたようだ。
『やだ! あなた、毎晩のようにここに押しかけることを、ルルがわくわくしながら待っていると勘違いしているの!?』
「いや、違っ……」
『自意識過剰ねえ。ルルはあなたのこと、毎晩餌を貰いにやってくる、可哀想な野良猫としか思っていないわよ』
「野良猫だと!?」
そうなのか、と聞かれて笑って誤魔化す。
たしかに言われていたら、ギルベルトは餌を貰いにやってきて少しだけ眠って帰る野良猫のようだった。
『小さい子どもじゃないんだから、自分でなんとかして眠りなさいよ』
「眠れないんだから、仕方がないだろうが」
睡眠について悩んでいる人は意外と多い。二つ上の姉も眠りが浅くて昼間によく眠ってしまうと話していたのを思い出す。
「ギルベルトはお昼寝はしているの?」
「そんな暇なんてあるわけないだろうが」
「そっか」
ならば余計にきついだろう。恥ずかしがっている場合ではないのかもしれない。
ただ、長椅子で眠ると体を痛めてしまうだろう。
「ギルベルトが私の寝台で寝て、私が別の部屋で眠るとか」
「なんでそうなる!」
「だってここじゃないと、よく眠れないんでしょう?」
いきなり言われても、すぐに眠れる部屋なんてないと言われてしまう。
『ギルベルト、あなたの部屋だったら眠れるんじゃないの?』
「アン、それはちょっと……」
「なんでお前のほうが嫌がるんだよ!」
「ごめんなさい」
ギルベルトの寝台でなんて、眠れるわけがないのだ。
「あなたの寝台が嫌なわけじゃないの。なんというか、申し訳なくって」
なかなかいい解決策が浮かばない。どうしたものか、と思っていたらアンゼルムがとんでもない提案をする。
『わかったわ。ルル、あなたがギルベルトの寝かしつけをすればいいのよ!』
「え!?」
「はあ!?」
私の寝かしつけでギルベルトが眠っているわけではないのに。
「アン、それは違うような気がするけれど」
『違わないわ。ギルベルトはね、ぶっちゃけると、あなたがいることに安らぎを感じているの。だからぐっすり眠れるのよ』
「なっ!?」
アンゼルムの発言を聞いたギルベルトは、顔を真っ赤に染めていく。
何か言い返せばいいのに、突拍子もないことだったので何も言えなくなったのだろう。
「でも、寝かしつけなんてしたことないし」
『寝かしつけなんて簡単よ。お腹をぽんぽん叩いてあげたり、手を握ってあげたり、夢物語を聞かせてあげたり』
そういえば私が眠れない夜にアンゼルムが寝かしつけてくれたことを思い出す。
あの日は本当にぐっすり眠れたのだ。
「たしかに、寝かしつけって効果があるのかもしれない」
『でしょう?』
ギルベルトにやってみないか、と提案してきた。
なんでだよ! と言うと思いきや、ギルベルトは素直にこくん、と頷いたのだった。
お風呂に入ったギルベルトは、私とアンゼルムが待つ彼の寝室へとやってきた。
髪の毛がまだ濡れていて、ギョッとする。いつもは従僕に拭かせているようだが、今日は私がいるので追い払ったという、
責任を取って、ギルベルトの髪をタオルで拭いてあげた。
『髪なんて自分で拭かせればいいのに』
なんかできそうにないから、というのは言わないであげた。
されるがままだったので、髪はすぐに乾く。
『ギルベルト、ルルに髪を拭いてもらった気分はどう?』
「あー、なんつーか、悪くなかった」
従僕はギルベルトの頭をぎゅうぎゅう絞るように拭くらしい。
「なんか眠くなってきたかも」
『眠りなさい、眠りなさい』
寝台に横たわったギルベルトにブランケットをかけてあげる。
よく眠れるようにぽんぽん叩いてあげると、スースーという寝息が聞こえてきた。
『嘘でしょう!?』
「眠っちゃった!」
ギルベルトはすぐに眠ってくれるいい子だった。




