人助け
酷い出血だ。すぐにどうにかしないと死んでしまうだろう。
病院へ連れていかなければ、と思ったがその暇はない。
「呼吸を落ち着かせてください。すぐに傷を塞ぎますので」
なんとか動揺を押し隠し、集中する。
手のひらに魔力を集中させ、呪文を唱えた。
「傷つきし存在の痛手を癒やし賜え――エナジー・ヒール!」
それは神官達が使う一般的な回復魔法とは少し異なる。
エナジー・ヒールとは術者の魔力を生命力に変換させ、相手を回復させる魔法なのだ。
私達カステル家や領民のほとんどが使える特異魔法で、傷ついた仲間達を癒やすために奮う助け合い精神から生まれたものだと聞かされていた。
エナジー・ヒールの効果で女性の腹部の傷は塞がった。
「大丈夫ですか?」
女性の顔を覗き込んだ瞬間、すぐに気づく。
彼女はツィツェリエル嬢に絡まれていたご夫人だ。たしか、名前はアンナと呼ばれていたような。
「あなたは……」
「に、にげ、て」
「え、逃げる? 誰からですか?」
「お――」
言いかけた瞬間、まるで舞台の緞帳が下ろされたあとのように、視界が真っ暗になる。
「え、何」
どっ!! と背中に強い衝撃を覚えた。誰かの悲鳴も聞こえる。
生臭いにおいが鼻孔を刺激し、吐き気を覚えた。
全身に鳥肌が立ち、震えが止まらない。
そして痛みに襲われる。
「ああ、あああああ、あああああああ!!!!!」
いったい何が起こったというのか。視界からの情報がいっさいないのでわからない。
「ふふ、あはははは!」
『ギギ、ギギギ、ギャアアアアア!!』
ざまあみろ、という女性のヒステリックな叫び声と、不気味な叫びを耳にしたのちに、私の意識はぷつんと途切れた。
◇◇◇
ひんやりと冷たい石畳の上で目を覚ます。
「うう……」
少しだけ身じろぐと、全身が痛い。それだけでなく寒いしお腹も空いている。
いったいどうして私はこんなところで眠っていたのか。
昨晩の記憶を蘇らせようとしたものの、頭がずきんと痛んだ。
せっかくの社交界デビューだったのに、記憶が曖昧だ。
リナベルと楽しくお喋りし、ヴェイマル家のギルベルトに絡まれたけれどエルク殿下が助けてくださって、そのあと拝謁式で会話し、なぜか一緒にダンスした。
そのあと私は恐れを成して逃げ去り、軽食ルームでシャンパンをいただいて……。
記憶がぼんやりしているのはシャンパンのせいだろう。そうに違いない。
そのあと私は――。
『あら、目覚めたの?』
艶のある男性の声でハッとなる。聞き覚えのない声だった。
『こんなところに監禁するなんて、相変わらず酷い父親よねえ』
「酷い、父親?」
いつもと違う声にギョッとする。酒焼けでもしたのだろうか?
喉にそっと触れた瞬間、チョーカーのようなものに触れてびっくりする。
高そうなレースに宝石がついていた。こんなもの、装着していない。
「えっ、えっ、何?」
『どうしたの? らしくもなく慌てて』
「身に覚えのないチョーカーが!」
『あなた、それ、自分で着けていたじゃない』
「いやいや、そんなはずは――」
ここで周囲が明るくなる。部屋の魔石灯が灯されたようだ。
『ちょっとしっかりしなさいよ』
そう言って私の顔を覗き込んできたのは、モフモフとした大きな猫ちゃん。
「猫ちゃん……猫ちゃん!?」
四フィート九インチ(百五十センチくらい)はある巨大猫だ。
逆三角形の形のいい耳に、しなやかな体、美しい毛並みに高貴なお顔立ち。
太い足は魅力的だが、前足に大きな傷が走っていた。それの影響か、少し足を引きずっているように見える。それも注意深く見なければ気づかない程度のものだった。
森の奥地に住むオオヤマネコすらここまで大きくない。
何より人間の言葉を喋っているところから普通ではなかった。
『何よ。化け物でも見るような目であたしを見て』
「ば、化け物というより、化け猫!?」
『失礼ねえ……あら?』
再度、大きな猫ちゃんは私を覗き込む。
顔に髭が当たってくすぐったかった。
『驚いたわ。こんなこともあるのね』
「あの、何か?」
『あなた、ツィツェリエルではないわね?』
「ツィツェリエル嬢!?」
この大きな猫ちゃんはいったい何をおっしゃっているのか。私がヴェイマル家のツィツェリエル嬢なわけがないのに。
『まあ、自覚がないのね。可哀想に』
「自覚?」
『そうよ。これを見て』
そう言って大きな猫ちゃんは前足で大きな円を描くと、そこに鏡が出てきた。
その鏡に映ったのは――。
「ええええええええ!?」
美貌の女性。間違えるはずがない。
鏡に映し出された美女はツィツェリエル嬢だ。私の姿はどこにもなかった。
私の動きに合わせてツィツェリエル嬢も動く。
これを意味するのは、ひとつしかない。
「私、ツィツェリエル嬢になってる!?」
私の言葉に、大きな猫ちゃんはこくりと頷いた。
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