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夢のような時間

 どうして私と? そんな気持ちがわき上がる。

 私の実家は裕福でない伯爵家で、歴史も他家に比べて浅い。

 エルク殿下が私と関わっても、これっぽっちも得なんてしないのに。

 疑問符はてなが大粒の雨のように降り注ぐ中、私はすぐにお断りしよう! と思った。

 主催者側の言う最初の一曲というのは皆の前で踊るダンスのことである。

 つまり、注目を浴びるという公開処刑のような時間なのだ。

 きっと会場中にいた有権者の女性達は自分がダンスに誘われるのではないか、とドキドキしていただろう。

 それが私みたいなどこの馬の骨かもわからない女をエルク殿下が選んだとなれば、がっかりを通り越して殺意を抱くだろう。

 幸いにも、私は目の前に置かれたお菓子を眺めるだけでもドキドキできる。

 だからエルク殿下から得られるときめきや胸の高鳴りは、他の女性達に譲渡したい。

 拳をぐっと握って己を奮い立たせた瞬間、エルク殿下の背後にいる臣下達の存在に気づいた。

 彼らは私に「お断りするな!」「殿下に恥をかかせるな!」と書かれたボードを掲げていた。

 お断りするな? 恥をかかせるな?

 そんなの知らない。むしろ私と踊ったほうが恥をかくはず。

 ただ、この大勢の前で誘いを断ったとなれば、皆からの顰蹙ひんしゅくを買いそうだ。

 断っても、受け入れても非難を浴びるのである。

 どちらの社会的な死を選ぼうか、と考えている間に楽士団の演奏が始まってしまった。

 エルク殿下は優雅な様子で手袋を嵌め、有無を言わさず私の手を取り、会場の中心を目指して歩き始める。


「あ、あの!」

「大丈夫ですよ。リードしますので」


 ダンスを習ったのは三年前。王都へ舞台を観にきたときに叔母から習った。

 筋がいいと褒めてもらったものの、それ以降レッスンなどには通っていない。

 というか、ルネ村に社交ダンスを教えられる講師などいるはずもなく。

 そうこうしている間にホールドの姿勢を取られる。

 ぐっと接近されたので、恥ずかしくなった。

 その後、私は操り人形のように踊らされる。

 くるくると忙しなく回っているのに、周囲を取り囲む女性陣の阿鼻叫喚な様子を捉えてしまった。

 早く終われ、早く終われと祈りを捧げてしまう。

 ダンスが終わった瞬間、私は深々とお辞儀をし、ほほほと機嫌よく微笑んだ。その後、通常のダンスが始まったので人がわらわらと押し寄せてくる。

 そんな混乱に乗じて逃げてしまった。


「ルル嬢、お待ちになってください!」


 エルク殿下の制止するような声が聞こえたものの、止まるわけがなかった。

 これ以上、付き合っていられるか。そんな思いで会場を飛び出す。

 長い廊下を歩きながら、なぜ? なぜ? な~ぜ? と疑問ばかり覚えてしまう。

 混乱状態なので、冷静に考えられない。

 立ち止まったのと同時に、メイドが扉を開いた。


「どうぞ、お楽しみくださいませ」

「え? こちらは?」

「軽食ルームでございます」


 人込みに疲れた人や、会話をしたい人達がゆっくりできるスペースらしい。

 先ほど食べ損ねたお菓子なども用意されているという。

 こんな場所があるなんて知らなかった。このまま故郷に帰ったら、どうして夜会のごちそうを食べなかったのだろうか、と後悔するだろう。

 もうひとりの私が「いいからもう帰れ!」と訴えていたものの、アパートメントに戻っても食べるものなどない。空腹で帰宅したら損だろう。

 そう思って少しの間お邪魔させていただく。

 軽食ルームはけっこうな広さだった。実家のホールよりもずっと広いだろう。

 さすがにパーティーが始まったばかりだからか誰もいない。つまり、貸し切りというわけだ。


 るんるん気分でお菓子のコーナーに近づこうとしたが、その前にしょっぱい軽食セイボリーに目を奪われる。

 挽き肉パイにベーコンとキノコのキッシュ、チキンの香草グリルに野菜ケーキケークサレ――!

 そのどれもが洗練された盛り付けがなされていて、どれもおいしそうだ。

 お腹がペコペコなので、こちらもいただこう。

 軽食をいただいていたら、シャンパンが運ばれてきた。

 こんないいお酒なんて、年に一度飲めるか飲めないかだろう。

 ありがたくいただいた。

 かなり強いお酒なのだろうか。目の前がぐるぐる回る。

 どうやら私は一杯のシャンパンで酔っ払ってしまったようだ。

 いろいろ味わいたいのに、食欲も失せてしまう。お皿に装った料理をなんとか押し込み、水で流し込む。なんとももったいない食べ方をしてしまった。

 気分も悪くなってきた。

 ここまで酔っ払ってしまうのも初めてである。もう帰ったほうがいいのだろう。

 ふらふらの足取りで軽食ルームを出たところに、黒い影があって叫びそうになった。

 そこにいたのは、ヴェイマル家のご子息ギルベルトだった。

 彼は凄んだ顔でとんでもないことを言ってくる。


「おい、王弟に相手にされたからと言って、調子に乗るなよ!」


 いったいなんてことを言うのか。

 調子に乗っていたら会場に残って今も周囲の人達からちやほやされているだろう。

 シャンパン一杯で酔っ払ってしまったし、お菓子は満足に食べられなかったし、ギルベルトには嫌味を言われてしまうし、散々である。

 ただ、ここで言い返したらヴェイマル家を敵に回しかねない。

 ここは何も反応しないのが一番だろう。

 黙ってギルベルトの隣を通り過ぎると、「おい、無視するな!」という怒号が聞こえた。

 追いかけられたらどうしよう、と思ったものの、彼の声は遠くなっていく。

 ホッと胸をなで下ろしたのだった。


 十一月の冷たい風を肌に感じながら、そうだ、徒歩で王宮までやってきたんだった、と思い出す。

 急に夢から覚めたような感覚となった。

 そういえばリナベルに何も言わずにきてしまった。けれども彼女はダンスをするのに忙しいだろうから、よかったのかもしれない。

 あとで謝罪の手紙を送ろう。そんなことを考えつつ、下町のアパートメントを目指した。

 しばし歩いていると、道ばたに蹲っている人を発見してしまった。


「え、嘘!!」


 急いで駆け寄って声をかける。


「大丈夫ですか!?」

「うう、ううう」


 お腹を押さえている。ドレスを着ている女性なので、おそらく同じパーティーに参加した人だろう。


「待っていてくださいね。すぐに――」


 そう言った瞬間、女性は私の腕を掴んだ。

 その手がぬるり、としているのに気づく。この辺りは街灯が並んでいて、明るさは充分だった。そのため、女性の手が何で濡れているのか気づいてしまった。


「血!?」


 女性の腹部を確認すると、たくさんの血で濡れていた。

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