思いがけないお誘い
ギルベルトの姿はあっという間に消えてなくなる。途中から隠密魔法を展開し、目には見えない結界の中を通り抜けていったのだろう、とアンゼルムが解説してくれた。
「あの人、その、失礼かもしれないけれど、小物臭がするというか、なんというか、そう思っていたんだけれど、実力がある人だったんだ」
なんだかしっかり失礼な発言になってしまった。きっと本人が耳にしたら激しく憤るだろう。
『そうね。なんだか近寄りがたくて厄介な男だと思っていたけれど、意外と単純で扱いやすそうな感じがあったわ』
深く関わっていないと、人となりというものはわからないものである。
礼儀がなく荒々しくて乱暴な人というイメージだったが、今のギルベルトの印象は素直になれない成人男性だ。それを聞いたアンゼルムが噴きだすように笑った。
『素直になれない成人男性だなんて! 本人が聞いたら顔を真っ赤にして怒りそう!』
「うっかり口にしないようにしないと」
それはそうと、ギルベルトの呼び方について聞いておきたい。
「ねえ、アン。ツィツェリエル嬢はヴェイマル侯爵子息のことをなんて呼んでいたの? お兄様? それとも他人行儀にギルベルト様?」
『ギルベルトの呼び方? 何もないわ。というか、まったく交流がなかったし、会話もなかったから、お互いに名前を口にすることなんてなかったと思うの』
「そ、そうだったんだ」
なんというか、冷え切った兄妹関係なんだな、と思ってしまった。
『それはそうと、あのギルベルトに恋愛小説を二十日分も頼むなんて、笑いそうになったわ』
「だって、必要な品はあるか? って聞いてくれたから」
この機会を逃したら、私は永遠に連載に追いつけないだろう。
「全話切り抜いて大切に保管していて、移動中は何度も読み返していたんだ」
『作者冥利に尽きることをしていたのねえ』
連載前、不定期で短編を掲載していた時代からのファンで、あまりの面白さにドリス紙の感想コーナーに手紙を送ったくらいだ。
『ああ、あの感想コーナーを読むのも好きよ』
「皆、自分のことのように感情移入しているから、熱いんだよね」
送った感想は連載が掲載されているページの枠外に小さく掲載されている。
私は〝都会知らず〟というペンネームで数話に一回ドリス紙に感想を送っているものの、載ったことはない。
「あ――」
『どうしたの?』
「いえ、叔母のアパートメントに〝心躍らず〟の切り抜きを置いていたな、と思って」
『もしかしたら押収品として持って行かれている可能性があるわ』
「ああ、持ってこなければよかった!」
『いずれ書籍になるだろうから、というのは慰めにはならないわね』
「書籍! そうだった」
アンゼルムのその言葉であっさりショックな気持ちが薄くなる。
「そもそも大切なものは旅先に持ち込むべきじゃなかったんだ」
馬車での暇つぶしが〝心躍らず〟を読むことしか思いつかなかったのだ。
今振り返ると、編み物や刺繍だってできたのに……。
『というか、動く馬車の中で本を読んで、気持ち悪くならなかったの?』
「ぜんぜん平気なの」
『羨ましい限りね』
アンゼルムは初代当主と馬車で旅をしていたらしい。その中で、毎回新聞チェックをしていたようだが、しょっちゅう車酔いしていたという。
『その当時も面白い恋愛小説が連載されていたのよー』
「なんて作品?」
『〝風を嵐とする〟よお』
「ああ、あの有名な舞台の!」
『時を経て舞台化までいっていたのね』
「そうそう。名作だよね」
ひとしきり〝風を嵐とする〟の感想を言い合っていたら、扉が叩かれた。
やってきたのはミセス・ケーラー。
「少しいいかしら?」
「はい」
「エルク殿下からルルさんに伝言が届いて」
やはりこの待遇は間違いだった、という内容なのか。ドキドキしつつ待つ。
「突然だけれど――」
「は、はい」
「食事を一緒にいかがですか? ですって」
「はい?」
「エルク殿下はルルさんを晩餐に誘いたいようなの」
えーーーーーー、なんで!? と叫ばなかった私を褒めてほしい。
いったいなぜ、エルク殿下は私を食事に誘うのか。一介の使用人にそこまでするのは驚きである。
「あの私――」
エルク殿下と食事できる立場になんていない。恐れ多いのだ。
そう答えようとしたら、ミセス・ケーラーがやってきてから姿を消していたアンゼルムが耳元で囁いた。
『ねえ、いい機会だから、ツィツェリエルについて話して、反応を探ってきたら?』
「――!」
エルク殿下が何か情報を隠している。
それについてツィツェリエル嬢ならば詳しく説明せずともわかっているはずだ、とギルベルトは言っていた。
情報を探るだけならば、ギルベルトにもできる。あえてツィツェリエル嬢に頼んだということは、二人の間に何かあったのかもしれないのだ。
ただ、私に腹を探ることなんてできるのか。
迷っていたら、ミセス・ケーラーがぽん! と手を打つ。
「時間がないから、サクッと準備しましょう」
「サク?」
「ええ!」
こっちよ、と言って連れてこられたのは、大きなチェストの前。
「この中、確認した?」
「いいえ、まだ荷物を解いていなくって」
「そう、よかったわ。ここにはすでにエルク殿下が用意されたドレスが入っているから」
我が耳を疑うような言葉だった。
エルク殿下がドレスを用意されただって!?
声もなく驚いている間にチェストが開かれる。そこにはドレスがぎっしり納められていた。
「こ、これは……」
「通常、侍女は奥様のお下がりを着て働くのだけれど、ここにはいらっしゃらないから、エルク殿下は新しいドレスを用意してくれたみたい」
「わあ」
白目を剥きそうになっていたら、どのドレスがいいか聞かれる。
直視できずにいたら、ミセス・ケーラーがエメラルドグリーンのドレスを選んでくれた。
「これにしましょう」
決まるやいなや、とてつもない速さで身なりを整えてくれる。
お風呂に入って、薔薇の香油を全身に塗られて、着替えさせられて、化粧をされて、髪を結われて……。
『まるで料理の下ごしらえね』
私にしか姿が見えず、声も聞こえないアンゼルムがぼそりと言う。
笑いそうになるので、面白いことは言わないでほしいと思ったのだった。




