お願い
「何すんだ、この野郎!!」
『野郎ではないわ、男女よ!!』
「うるさい!!」
『それはこっちの台詞だわ』
「あの、あんまり騒ぐと他の使用人に見つかってしまうから」
肉球と拳を振り上げ、ケンカしそうだった二人を制する。
すると一瞬で大人しくなった。聞き分けがいい子達で助かる。
『というかあなた、いったい何をしにきたの? 女性の部屋を一人で訪問するなんて、マナー違反よ』
「親父にエルクの野郎のところに送り込んだのが誰だか、調べてくるように言われたんだよ。どこの誰だかわからなかったから」
『あら、お父様の言うことをきちんと聞いて、偉いじゃないの』
「仕方がないだろうが。どこを探しても、離れの使用人に聞き回っても、顔にそばかすがある長身の女なんて知らない、って言うから」
ギルベルト自身が送り込むように進めた手前、知らないと言って断るわけにはいかなかったのだろう。
「お前の侍女だと思ってたから勧めたのに、こんなところまで忍び込まなければならなくって、酷い目に遭った!」
『自業自得よねえ。というか、よくここを発見できたわね。けっこう見つけにくかったでしょう?』
なんでもここはわかりにくい場所にあるだけでなく、いくつもの結界が張られ、許可のない者は入れないようになっているのだとか。
もしもギルベルトが侵入したことが明らかになれば、大騒ぎとなるだろう。
「まあ、少し面倒だったが、わからなくもなかった」
『案外有能なのねえ。でも、エルク殿下が知ったら卒倒しそうだけれど』
「帰ってきたあいつの前に出て行ってやろうかな」
『やめてちょうだいな』
私が誰か、というのは明らかになったので、一刻も早くここを出て行ってほしい。そう強めに訴える。
「わかった、わかった、伝えておくから。しかし、わざわざ地味な顔に変装するって、物好きなんだな」
「あの、こっちが地顔で、普段が化粧した顔なんだけれど」
「あ……そうだったのか」
がはは! と笑うのかと思いきや、気まずげな様子でいた。以外と殊勝なところもあるものだ。
「あー、なんだその、必要な物はあるのか?」
「え?」
「必要な品はあるのか! って聞いたんだ!」
「いいえ、聞こえていたけれど、あなた――から支援があるとは思っていなかったから」
ギルベルトの呼び方を聞いていなかった。あなた、ととっさに誤魔化したけれど、お兄様とかでよかったのだろうか。
「別にお前を支援しようと思って言ったわけじゃなくて、親父からもしも困っているようだったら助けてやるように、って指示があったんだよ!」
「そうだったんだ」
「いいから早く必要な品を言え!」
必要な品と言われても、アンゼルムが完璧な荷造りをしてくれたのだ。何もない、と思いきや、気になっていることがあったのを思い出す。
「今日から遡って二十日分のドリス紙とか、用意できる?」
「ドリス紙? なんか調査でもするのか?」
「いいえ、エーリン先生の〝心躍らず〟の連載だけ読みたいの」
そう訴えると、ギルベルトは目を丸くする。
新聞紙を二十日分集めさせて、恋愛小説だけ読みたいなどと言うとは思わなかったのだろう。
「あんなの、子ども騙しの小説だろうが」
「読んでいるの?」
「ばっ――違う! 新聞紙は一語一句残らず目を通しているだけだ!」
「そうだったの」
まあ、あの小説は女性向けの甘ったるい内容なので、男性が読んでも心に響かないのだろう。
「無理だったら別にいいけれど」
「無理とは言ってない! 後日送る」
「ありがとう!!」
実はずっとまとめて読みたいと思っていたのだ。
嬉しくってギルベルトの手を握って感謝の気持ちを伝えていた。
「なっ――!?」
「あ、ごめんなさい」
私も距離感を誤ってしまったようだ。すぐに手を離して、嬉しくってついと言い訳をしておいた。
ギルベルトはすぐに踵を返し、入ってきた窓のほうへスタスタ歩いて行く。
アンゼルムと私は窓際でお見送りだ。
ギルベルトは背を向けたまま忠告する。
「いいか、エルクの野郎には気をつけておけよ?」
「ええ、ありがとう」
「礼を言われるようなことはしてないが」
「そう? 私を心配してくれたのかと思って」
「誰がだ!!」
その言葉を最後に、ギルベルトはバルコニーから飛び降りる。ここは二階だが、問題なく着地したようだ。
なんというか、嵐のような時間だったな、と思ってしまった。