前を向いて
早く帰ればいいのに、ギルベルトは遠い目をして窓の外を眺めていた。
「あいつもバカだな?」
「あいつ?」
「ルル・フォン・カステルのことだ」
なぜ、そこまで言われなければならないのか。心の奥底からムッとしてしまう。
「王弟エルクの野郎に助けられて、ダンスに誘われた程度で調子に乗った挙げ句殺されるなんて……」
「犯人はエルク殿下に懸想するお方だと?」
「さあな」
ギルベルトは長い足を組み、なげやりに言う。
「この俺が調子に乗るな、って忠告までしておいたのに」
「――!」
あのときギルベルトが軽食ルームにやってきてまで声をかけたのは、嫌味を言うためではなかったようだ。
彼なりに被害を想定し、危ない目に遭わないよう注意を促してくれていたのである。
ただそれも、初対面の相手に伝わるような態度ではなかった。もっと言い方というものがあるだろうが! と心の奥底から思ってしまう。
「本当に、バカな女だ」
またバカって言った! 二回も言うなんて酷いではないか。
たしかに、夜道を一人でほっつき歩いていたのは危険としか言いようがない。でも、騎士の巡回があったし、街灯だってルネ村の百倍は設置されていたのだ。
そんな状況で何者かに襲われるなんて、誰が想像できたか。
感情を爆発させたいのをぐっと我慢していたら、アンゼルムがギルベルトに疑問を投げかける。
『ねえ、社交界ではそういう嫉妬による犯行とかよく起きていたの?』
「まあ、悪感情はボースハイトを招くからな。あっても不思議ではない」
『不思議ではない、って曖昧な言い方ねえ』
「ボースハイト絡みの事件は不気味で不可解なことが多いから、国民を怖がらせないためとか言って、国の上層部がもみ消すんだよ」
『だから、ルル・フォン・カステルの事件は大きく報道されてなかったのね』
「そうだ」
私が巻き込まれた事件を記事にしたのは、発行部数が百部以下の小さな新聞社だとギルベルトが話していた。
もしかしたら自由な報道をしたいがゆえに、国の上層部に隠れて発行しているものなのかもしれない。
「まあ、とにかく親父の命令をいつも通り遂行しろ。話は以上だ」
そう言ってギルベルトは立ち上がる。そのまま去ろうとしたが、アンゼルムが呼び止めてテーブルに出したワインを持ち帰るように言った。
『それ、いいワインよ。持ち帰って飲みなさいな』
「いや、いい」
『あら、どうして』
ギルベルトは明後日の方向を向きながら、思いがけないことを口にする。
「酒、飲めないから」
『あら、そうなの~~~~!?』
アンゼルムは嬉しそうに言葉を返す。
なんだか酒豪です、みたいな顔をしておいてお酒が飲めないなんて意外だった。
「酒を飲むやつの気が知れない。飲んだらふらふらするし、視界はぐるぐるするし、判断能力も低下する。味も苦くてまずいし」
『お子様なのねえ』
「うるさい!!」
ギルベルトは吐き捨てるように言ってから部屋を去ったが、耳の端っこが少しだけ赤く染まっているのに気付いた。
なんというか、粗暴で弱点なんか見せないような人だと思っていたが、案外かわいいところもあるではないか、と思ってしまった。
『さて、と。思いのほか、いろいろ情報がなだれ込んできたわね』
「ええ」
もうツィツェリエル嬢の演技をしなくてもいいので、ぐったりと姿勢を崩す。
『あなた、ツィツェリエルの演技、完璧だったじゃない』
「あんな感じでよかったの?」
『ええ、そっくりよ』
問題なかったようでよかった。
「ときどきアンゼルムが会話を補足してくれたから、ボロが出ずに済んだのかも」
『お役に立てて何よりだわ』
それはそうと、大変なことになった。エルク殿下のお屋敷に奉公に行かなければならないなんて。
「しかも、私の名前で」
『びっくりよね。まさかあなたの身分証を確保していたなんて』
「身分証、叔母のアパートメントに見つからないよう隠していたんだけれど、事件から一日も経たずに発見されるなんて」
『きっと騎士隊の仕事よ。あいつら、ガサ入れだけは仕事が速いのよね』
ガサ入れと聞いて、叔母のアパートメントが荒らされたことに気付く。
「あそこには叔母の作品がいくつも保管されていたのに」
『ええ……』
きっと優しい叔母は許してくれるのだろうが。
それよりも私が死んだと聞いて驚いているだろう。叔母だけでなく、両親や姉妹、リナベルだってショックを受けているに違いない。
「たくさんの人に、迷惑をかけてしまった……」
アンゼルムは項垂れる私を励ますように、背中を肉球でぽんぽん叩いてくれた。
『ルル、家族に会って、無事を伝えたい?』
「それは――」
きっと家族は私が無事でツィツェリエル嬢と魂が入れ替わっただけだ、と訴えたら信じてくれるだろう。
時間はかかるかもしれないが、元通りに家族として受け入れ、愛してくれるはず。
けれどもそれは逃げだ。
「私は今回の騒動を許して、のうのうと暮らすわけにはいかない」
犯人を捜し出し、ツィツェリエル嬢の無念を晴らす必要があるのだろう。
これまで考えが上手くまとまらず、ひとまず外に出て知人に助けを求めよう、と考えていた。
けれどもそれは甘えだ。
命を散らしてしまった私がツィツェリエル嬢の体を乗っ取り、何もせずに生きるなんて卑怯としか言いようがない。
「ツィツェリエル嬢が胸を張って生きられるような振る舞いをしなければならないの」
『ルル……』
そのためには事件の犯人をとっ捕まえて、どうしてこんなことをしたのか聞き出さなくてはならない。
『ねえ、無理をしなくてもいいのよ。もともとツィツェリエルは死を望んでいた娘なのだから、好きに生きてもいいの』
首を横に振って否定する。この体は借り物だ、と思っていたほうがいい。
好きに生きるなんてもっての他だ。
「ひとまず、入れ替わりの魔法について調べたいんだけれど」
『禁術なのよねえ』
魔法局で管理されている、選ばれた者しか閲覧できない魔法。
「でも、それだけわかっていたら、使える人が絞られると思う」
『それはそうねえ』
「国一番の魔法使いってわかる?」
『それは、エルフ宰相じゃない?』
五百年以上も国家の僕として生きる、ハイエルフ族の宰相。
名前はエリクルというらしい。
『清廉潔白、堅物な男で、何よりも悪を嫌悪しているのよ』
「うーーん」
彼は長年独身で、女性嫌いとして有名らしい。
ツィツェリエル嬢と男女関係がこじれて犯行に走った可能性はゼロに等しいと言う。
『まあでも、あの男もボースハイトに取り憑かれてしまったらわからないわね』
「ボースハイトが正しい判断力を鈍らせる、か」
事件にボースハイトが絡んでいたとしたら、調査なんて無駄になるのだろう。
「とにかく、ここに引きこもっていても何もわからないから、エルク殿下のお屋敷に奉公にいって、何かしらの情報を集めてみようと思って」
被害者が私だけならば、エルク殿下と親しくしていたことによる恨みの犯行だと推測できる。けれどもツィツェリエル嬢が絡んでいるとなると、複雑な事件となるのだろう。
このままツィツェリエル嬢の体を乗っ取ったまま、のうのうと暮らすわけにはいかない。
何かしなければならないのだ。
『あなた、荊の道を歩くのね』
「この体はツィツェリエル嬢のものだから」
なんとしても犯人を捕まえてやる! そんな意気込みだった。




