対策
ギルベルトとは同じ敷地内に住んでいても、ほぼ顔を合わせることはない。
なんて聞いていたのに、入れ替わって数時間で出会ってしまった。
どうしてこうなったのか。
顔を合わせた瞬間、ギルベルトは眉間に皺を寄せて凝視してくる。
「ん……誰だ?」
ここでギルベルトがツィツェリエル嬢のすっぴん顔を初めて見たのだ、と気づいた。
反射的に怒ることもできるが、私はツィツェリエル嬢ではない。何かおかしいと思われたら困る。どう言葉を返そうか、と迷っていたらアンゼルムが助けてくれた。
『ちょっと、乙女の寝床にやってくるなんて、相変わらず失礼な男ね!』
「うわ、化け猫じゃないか。お前、まだここに棲みついていたのかよ」
『なんですって!? あたしは誇り高いオオヤマネコ精霊なの! その辺の野良猫みたいに言わないでちょうだい!』
アンゼルムが額をぐりぐり当てながらギルベルトの足を押しやり、どんどん遠ざけてくれる。
その間に準備をしろ、と言うのだろう。
急いで着替えることにした。
まずはドレスから。ドレッサールームにはさすがというべきか、煌びやかなドレスがいくつも並んでいた。
ドレスにもその瞬間に相応しい一着があって、朝から昼にかけては襟が詰まった露出の少ないものを着用しなければならない。
ただ、ツィツェリエル嬢の所有するドレスのほとんどが胸元が大きく開いた派手なものばかり。きっと昼間に出かけることなどなかったので、あまり所持していないのだろう。
やっとのことで、すみれ色のデイ・ドレスを発見した。似たようなデザインのモーニング・ドレスは格式ばった場所で着用すると叔母から習っていたので、ギルベルトの相手をするだけだったらデイ・ドレスで問題ないだろう。
急いで着用する。前身頃にボタンがあるデザインだったので、とても着やすい。
昨日のドレスは後ろにボタンがあって、背中に回した腕が攣るかと思った。
髪は三つ編みにして、後頭部でまとめておく。髪飾りなどは不要だろう。
最後に化粧だ。洗面所に向かうと、アンゼルムの姿があった。
「アン、ギルベルトの気を引いてくれてありがとう! 彼は?」
『客間に押し詰めておいたわ』
「さすが!」
これから化粧魔法を伝授してくれるらしい。
『まず、鏡の魔法陣に左右の手のひらをくっつけて』
アンゼルムは飛び上がって二足で立つと、前足を壁にぺたりとくっつけていた。
私も真似をし、鏡に両手をくっつける。
『呪文は唱えるだけ。繰り返して』
「はい!」
『いい返事ね』
アンゼルムは牙を見せて微笑むような顔を見せたあと、キリリと表情を引き締めながら呪文を口にする。
『――美しく粧え、扮装せよ!』
「――美しく粧え、扮装せよ!」
目の前に魔法陣が浮かび、顔全体がじんわりと温かい光に包まれる。それも一瞬のことで、次の瞬間には完璧な化粧が完成していた。
「わあ、すごい!」
『芸術でしょう?』
「国宝級レベルの化粧かと!」
身なりは完璧になったものの、大きな問題が残っていた。
「えーっと、ヴェイマル家の方々への対応はどうすればいいものか」
『絶対に入れ替わりについて言ったらだめ! あいつら、何を考えているのかわからないから!』
もしもツィツェリエル嬢の中身が見知らぬ女と入れ替わっていたと判明したら、魔術研究所送りにされるかもしれないという。
『魔術研究所なんて、国が認めていないデタラメな団体なのよ』
「ひ、ひいいい」
しかしながら、ヴェイマル家の人々を騙しきるのかが問題である。
『まあ、ツィツェリエルは父グレゴールとも、兄ギルベルトともほとんど関わっていないから、普段と様子が違っていても気づきにくいと思うのよ』
現にギルベルトはツィツェリエル嬢のすっぴんすら把握していなかったのだ。
性格についても社交界の噂と同程度しかわかっていないだろう、とアンゼルムは断言する。
『問題は、あなたがツィツェリエルのように振る舞えるかどうかよね』
「うーん」
昨日、見かけたツィツェリエル嬢の様子を思い出す。
この世のすべてに期待などせず、すべての生きとし生けるものに冷ややかな視線を送るあの感じ。
すぐに再現してみた。
『あら、いいじゃない! 少し喋ってみて』
ツィツェリエル嬢の声は聞いていないが、イメージ的にあまり大きな声で喋るタイプではないだろう。必要最低限の声量で相手に聞こえさえすればいい、そんな感じの声を出してみる。
「私に関わらないで」
『あら、いいじゃない! あなた、演技ができるのね!』
「演技というか、演技ファンというか」
叔母が元気なときは毎年、王都に舞台を観にいっていたのだ。
『なるほど。役者の演技を見て学んだのね』
「ええ。あと、村の子ども達に本を読んであげることもあって」
物語の登場人物になりきって読み聞かせをしていたのだ。子ども達の親世代も引き込まれるほど好評だったのを思い出す。
「これで大丈夫?」
『ええ、いけるわ!』
アンゼルムが問題ないというので、少し自信が持てた。
『でも、あの男が直接やってくるなんて、何事でしょうね』
いつもはヴェイマル侯爵の秘書が任務を知らせにやってくるという。こうしてギルベルトが訪問してきたのは今回が初めてらしい。
『嫌な予感しかしないわ』
「それが当たらないことを祈っておくから」
ドキドキしながらギルベルトが待つ客間へと向かう。
すっかり待たせてしまったギルベルトは、イライラした様子でソファに腰かけていた。