ゆっくりお風呂に
衝撃的なすっぴんを前に、思わずアンゼルムを振り返る。
「あの、あの、これは……!?」
『ツィツェリエルは驚くほど化粧映えする子だったのよ! すごいでしょう?』
「たしかに、すごいけれど」
『あの子、出会ったときは猫背だし肌質は悪いし自分に自信がないし、とにかく困った子だったのよ。でも、化粧魔法を教えてから変わったのよ』
たしかに、化粧をしてこれだけ変わったら、違う自分として振る舞えるのかもしれない。
『さあルル、化粧魔法を解除したら、お風呂に入りましょう』
アンゼルムは猫脚のバスタブがある浴室まで案内してくれた。
浴室内には香水瓶みたいな美しい細工が施された洗髪材に、薔薇を象った石けん、いい匂いがする入浴剤などが置かれ、とてつもなくいい香りが漂っている。思わずときめいてしまうような空間だった。
「わあ、すてきな浴室!」
『でしょう? このあたしがプロデュースしていたのよ』
「さ、さすが!」
商人を呼び寄せ、あれこれ注文していたらしい。
アンゼルムの説明は続く。
『お湯を張るのはここの呪文を指先で擦るのよ。水を抜くときはこっち』
どうやら魔法仕掛けのお風呂らしい。王都は水道整備が行われているようで、蛇口を捻ったら水が出てくるようだ。
『これは魔法じゃないのよ。人間の叡智はすばらしいわね』
「本当に」
ルネ村での生活水は井戸水と森からの湧き水である。農作地の水源は川で、頑張って水の流れを作って引いているのだ。
雪が降る中の水の確保がどれだけ大変か。最悪、水が凍って溶かさなければならない日だってあるのだ。
蛇口を捻っただけで水が出てくるなんて幸せな環境である。なんて感想を口にすると、アンゼルムは悲しげな様子で目を伏せる。
『あの子、いつも自分が世界一の不幸者だって顔をして生きていたの。そうよね、蛇口を捻っただけで水が出てくる環境にいるだけで幸せなのに』
籠の中の鳥――アンゼルムはツィツェリエル嬢のことをそんなふうに表した。
『広い世界に目を向けずに、狭い中で嘆いてばかりいては、本当の幸せに気づけないのよね』
瞳を潤ませるアンゼルムを、思わず抱きしめてしまう。
『ルル……優しい子ね』
「優しいのはアンのほうだよ」
ツィツェリエル嬢の傍にいるのに何もできず、歯がゆい思いをしていたに違いない。
アンゼルムが本気になれば力尽くでもツィツェリエル嬢の生きる世界を変えられただろうが、それをしなかった。きっとツィツェリエル嬢の生き方を尊重していたのだろう。
『ツィツェリエルの傍に、あなたみたいな子がいればよかったわ』
「お友達になれたかな?」
『根気よく付き合えば』
「根気なら任せて! 太くて高く伸びていた木の根っこを、五年かけて採取したことがあるから!」
『すごい実績だわ! 普通の人だったら、一年で投げ出していたでしょうに』
木の根っこは薬の材料になるもので、薬師に売っていたのだ。いつか参加するかもしれない夜会のドレス代の足しにしたい、という目的もあったのだが。
おかげさまで社交界デビューのドレスを作る代金の一部として活用されたのだ。
『ふふ、やだ、おかしい。ツィツェリエルと仲よくなれるか聞いて、木の根っこを五年間ほじくり返していた話をするなんて!』
「そんなに面白かった?」
『ええ! そういう話、もっと聞きたい』
アンゼルムの声色が明るくなったので、ホッと胸をなで下ろす。
ツィツェリエルを亡くしてしまい悲しみたいのに、私がいるからそういう面を見せないようにしてくれているのだ。今、私にできることは彼女を元気にすることである。
入浴中、アンゼルムは脱衣室で待っていてくれた。
半透明のガラス扉に映る大きな猫のシルエットがなんとも愛らしい。
そんなアンゼルムは、私が話すルネ村のなんてことのない日常を楽しげに聞いてくれた。
「それで、全力で投げた泥団子が、いじわるなおじさん観光客の顔面に命中して」
『ひ、ひい……苦しい。わ、笑いすぎて、お腹が痛いわ……』
どうやらやり過ぎてしまったらしい。反省しよう。
お風呂から上がると、アンゼルムは浴室の外で待っていてくれていた。
『体を拭くものと寝間着を用意しといたわ』
「ありがとう」
ふっかふかの大判の布とナイトドレスが用意されていた。
「うわあ、この布、すごく水分を吸い取ってくれる」
『それ、タオルっていうのですって』
「タオル! 初めて聞いた」
ルネ村でお風呂上がりに使っていたのは、主に古着を解いたものだ。
通常はお風呂専用の大判の布があるのだが、私達一家は節約と称して使っていなかったのである。
「タオルかー。なんだか不思議な布だあ」
『糸を織って、生地を縫い縮めて、ひだを作って完成させるのですって』
職人が一枚一枚丁寧に生産しているという。
いくら目を凝らしても、どうやって作られているのかわからない。職人の技なのだろう。
体を拭いたあと、ナイトドレスを手に取る。
絹製のよい品だということはわかるのだが、とんでもなく露出が多い。
これくらい布が少ないほうがよく眠れるのだろう。
ナイトドレスの上にガウンをまとって、廊下に出たのだった。
「お待たせ」
『いいのよ』
続いてアンゼルムは寝室へと案内してくれた。
そこには天蓋付きの寝台があり、夢にみたようなお姫様が使っているような場所だったのだ。
「わあ……」
『カーテンを閉めておくから、ゆっくり眠りなさい』
アンゼルムはそう言って、前足をちょいちょい動かし、魔法でカーテンを閉ざしてくれた。
ごろん、と横になると、アンゼルムも足下で丸くなる。
かわいい猫ちゃんが足下で寝てくれるなんて、幸せだとしか言いようがない。
『おやすみなさい、ルル』
『アンゼルムも、ゆっくり休んで』
『そうね。お言葉に甘えるとするわ』
それから私達は深い眠りに就いた。
どれだけ眠っていたかわからない。気持ちよく眠っていたというのに、扉を乱暴にどんどん叩く音で目覚めてしまった。
「おい、女! いるだろうが! 返事をしろ!」
粗暴な物言いと声に覚えがあった。
アンゼルムも目覚めたようで、うんざりした表情を浮かべている。
『なんなの……』
のろのろと起き上がり、ガウンを着込む。
そして、ふらつく体で寝室の扉を開いた。
「こんな時間まで眠っているとは、いいご身分だな!」
顔を合わせて早々、そんなことを言ってくれる。
その男は、昨晩社交界デビューの会場でトラブルを起こした男、ギルベルトだった。