嵐のような一日のはじまり
エクメーネ王国に住む貴族女性ならば誰もが憧れる社交界デビュー!
田舎貴族である私、ルル・フォン・カステルも例外ではなかった。
国王陛下への拝謁許可証が届いた日は胸が躍り、王都からドレスのカタログを取り寄せ眺めた日には本当にわくわくした。
長い時間をかけて準備し、十日間かけて王都へ向かう。
通常、社交界デビューのさいは付添人を伴い参加する。
付添人というのは参加者について耳打ちしてくれたり、ダンスの交渉をしてくれたり、挨拶すべき相手を斡旋してくれたり、と夜会のお世話をしてくれる人だ。
けれども我が家は付添人を雇うお金なんぞない。
社交界デビューにふさわしい羽飾りと白ドレスに、夜会用のドレスを仕立てたのだ。既製品でもよかったのだが、私は他の女性よりも少し背が高いので、ぴったりのサイズがなかったのだ。
たった一着のオーダーメイドドレスを仕立てただけで、我が家の財政は火の車だっただろう。
王都での滞在先は叔母のアトリエである。伯爵家に嫁いで玉の輿に乗った叔母は、作品作りだけの工房を持っているのだ。ただそれも、下町の片隅にある安っぽいアパートメントである。それでもありがたい。
アパートメントに叔母の姿はなかった。昔は年に一度私と母を王都に招待し、舞台鑑賞を楽しんでいた。
けれども今は具合を悪くし、地方で療養しているらしい。アパートメントを使う許可と鍵、そして社交界デビューのお祝いとして真珠の一揃えを贈ってくれた。
叔母の体の調子がよければ、付添人も頼む予定だったらしい。叔母も人生で一度の社交界デビューだから、と引き受けようとしていた。けれども療養中となれば無理に頼むわけにはいかない。
拝謁の紹介状だって、叔母が書いてくれたのだ。これ以上、何を望もう。
半世紀以上前までは付添人がいないと参加できなかったようだが、今は法律が緩和されている。当日は友人リナベルはいるし、私の社交界デビューはなんとかなるだろう。
このときはそう思っていた。
社交界デビュー当日、馬車を頼むお金すらケチった私は徒歩で王宮まで向かう。
行く先々で馬車が渋滞していて、御者達は苛立っている様子だった。
田舎育ちである私は足腰が強いので、下町から王宮への道なんて遠くもない。
一時間ほどかけて王宮に到着する。
そこには純白のドレスをまとったきらびやかな少女達が歩いていた。
皆、十五歳から十七歳くらいだろうか?
私は申請に時間がかかったこともあって十八歳。少々お姉さんだが、そんなの気にしない。
リナベルとすぐに落ち合うことにも成功し、会場の雰囲気を楽しんでいた。
国王陛下への拝謁を待っていたのだが、体調がすぐれないので不参加だ、という発表があった。このまま拝謁は中止かと思いきや、代理で王弟殿下が対応してくれるという。
それを聞いた少女達が色めき立つ。いったいどういうことかとリナベルに聞いたところ、思いがけない情報がもたらされた。
「エルク様はとてつもない美男子で、国の守護神〝青狼騎士隊〟の隊長であり、心優しい王族で現在二十五歳、そして独身なのよ!!」
「へ、へえ、そうなんだ」
社交界デビューを果たす女性陣の目の色が変わったように見えたのは、王弟エルク様のハートを射止めたいからだったようだ。
「エルク様に見初められたらどうしよう!!」
周囲で皆がしている心配をリナベルもし始める。
王族と結婚するのは同じような身分の女性で、それ以外の結婚は貴賤結婚と言われて蔑まれる、というのは舞台でよくある展開だ。
皆、わかっているのだろうが、ドキドキと夢見るだけでもしたいのだろう。
妙に現実的な私は、皆のように浮かれることはしなかった。
ぼんやりと天井からぶら下がる水晶のシャンデリアを眺めていたら、どん! という背中からの衝撃で我に返った。
振り返った先にいたのは、銀色の髪に眼光鋭い赤い瞳を持つ長身の男性。年頃は二十歳前半くらいだろうか。そんな彼は血走った目で私にじろりと睨んでいた。
「お前、何をぼけっとしているんだ!?」
「それはそちらも同じでは?」
お互いにぼんやりしていたので、ぶつかってしまったのだろう。
「なんだと!? お前、どこのどいつだ!」
「ルネ村出身、ルル・フォン・カステル!!」
「はあ!?」
血走った目で私を凝視する。恐ろしくなって逃げようと思ったが、あろうことか彼は私の腕を掴んできた。
「おい待て、逃げるな!」
ぴりついた雰囲気になったものの、第三者の介入があった。
「ヴェイマル侯子、社交界デビューのレディにそのような乱暴な振る舞いをするものではありません」
清廉という言葉が相応しい、見目麗しい男性が間に入ってくる。
漆黒の髪に澄んだ青灰色の瞳を持つ美貌の青年――。
「エルク殿下!!」
周囲の人達の声で、この男性の正体に気づいた。
王弟エルク殿下。
あろうことか、彼は粗暴な男性から私を守ってくれたのだ。
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