4.読まれないなあ、と悩むのは自分だけなのか
前回に引き続き、あらすじのお話です。続いてはおりますが、今回は「中々読んでもらえないなあ」と悩む方々へ向けて書いていきます。
こうしたら良いという方法論ではありません。
その気持ち、悩みの源泉がどこから来るのかについて、少しだけ考えてみたというお話です。
その後頂いたAさんからのお返事には、またしても作者としての悩みが詰まっていました。
このなろうという場所に小説を載せ始めてから、初めのうちは「自分の文章が載っている!」というだけで楽しかった。けれども、だんだんアクセスなどを気にし出してからどんどんしんどくなってきてしまった、と。
でも書きたいものは沢山ある。
しかし読まれていないのにこのまま続けて果たして意味はあるのか。
そうして悩み続けていたところ、私からの暑苦しいメッセージが届き、「このまま続けていてもいいんだ」と背中を押された気持ちになってくださったとのことでした。
そして返事があったことで、Aさんはご自分の文章が誰かに届いていると気付くことができた、とも。
これは割と重要なことでして、物書きというのはどうしても一人になりがちです。
自分の中にあるものをじっと見つめながら、それを自分だけの言葉で綴り世界を編み続けていくわけですから、その作業は果てしなく孤独です。そんな時に誰かに話しかけて返事があるというのは、そこに自分以外の他者が入ってくるので、静寂の世界が急に音で溢れかえるような、生き返るような、そんな切り替えになります。
「書く」という行為に何を求めるのかは、人それぞれです。
ただ多くの方のエッセイであるとか、作者同士での交流から私が感じ取ったのは、書く理由として「何かしら伝えたいことがあるから」が一番で、伝えたいという強い気持ちがある=反応がないと気持ちが疲れてきてしまう、というサイクルですね。
これはもうほとんど誰もが通る道筋のようなので、辛くなることは当たり前ですし、その苦しさを誰かに分かってほしいと切望する気持ちもごく普通のことだと思います。
私は、書くことそのもので作者の方が傷付いたり、辛い・悲しい思いはしてほしくないなあと思うんですよね。その為に私にできることがあるなら、小さくても良いからやりたいな、と。
お話するだけで気晴らしになるなら喜んでします。
以前、作品を別の作者の方から酷評されて傷付いていた方がいました。その方に依頼されまして、作品を読んだ感想をお伝えしたところ、「光のような感想だった、折りかけていた筆をもう一度執ろうと思った」とお返事頂いたことがあります。
言葉とはかくも力を持つのか、と驚いたことを今でも覚えています。
その方を傷付けたのも言葉、勇気付けたのも言葉。選び方、伝え方一つで正反対の力を持つものを使って、私たちはいくつもの世界を作り上げているわけです。不思議というか、感慨深いですよね。
そういった経験がありまして、誰かの力になれることがあればそうしたい、と思っております。
ちなみに、前回も書いていますが私はなろうに来る前は誰も訪れない個人サイトで小説を書いていました。年に一度、感想を頂けるか否かの世界です。読者も来ない、そして他の作者とも一切繋がりのない人間でした。
その状態でずっと書き続けていられたのはなぜでしょうか。
おそらくそれこそ、「書く」ことに何を求めるかの違いなのだと思います。
私が書いている理由は、自分の中でどうしても残しておきたいもの、それは記憶であったり風景、誰かの言葉、ある時感じた感情など様々ですが、それらを物語の形にして自分がいつでも眺めることができるようにする為です。多分、ものすごく珍しいタイプの作者だと自覚はしております。
極論、自分一人が楽しければそれで良いので、アクセスだとかにあまりこだわりはない、というだけですね。全然参考にならないメンタリティです。
それでどうして作品を公開しているのかというと、自分の好きなものが誰かも好きだったら、それは少しばかり楽しい時間をお裾分けできるんじゃないかな、という軽い気持ちです。ある意味突き抜け過ぎたスタンスなのかも、とも思いますが。
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最後にあらすじの話に戻りますが、Aさんにはもう一つの悩みがありました。
あらすじを書けと言われると「え、どんな話って、そんな大した作品ではないので」とつい尻込みしてしまうと。
これは理解できます。
映画やテレビのドラマ、それに本屋に並んでいる沢山の商業本。それらの宣伝や帯など見ていると、どれも格好良いですよね。でも、それを自分で書けと言われると「うっ」と詰まってしまう、そういう感じだと思います。
その一方で、では私たち自身が数多有る作品から一つを選ぶ時にどうしているかというと、やはりあらすじが面白そうだったりしっかりしているもの、あるいは自分が欲しい情報――たとえばハッピーエンドなのかなど――が、しっかり書かれているかなどを基準にしているのです。
作者である自分と読者である自分はかくも違い、それを乗り越えねばならないのですね。難しいところです。
個人的な主観ですが、あらすじは「あくまでも物語の要素を伝えるもの」と割り切って考えると良いかもしれません。
その作品が大したものであるかどうかは読者が決めるので、そこはもう本文に任せた! という心境で気軽に書いてよいのでは、と。
あくまでも互いの好みが一致しているかどうか、苦手な者同士がぶつかり合って事故にならないようにする、というのがあらすじの役目かと個人的には思います。