第一章4 『デスゲームの始まり始まり』
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この世界で暮らしていた『ヴァイオレット』は、相当いい生活を送っていたようだった。
まずあの綺麗な部屋から始まり、美人な姉、それから部屋を出るとわかる大きな廊下。
その廊下を進み、突き当たりを右に曲がると客室へと繋がっている。
客室のとびらを緊張で震える手でノックし、中から低い男性の声で「どうぞ」と聞こえてくる。
「失礼します、佐々木朝___っ、ヴァイオレット・ティンゼルです。失礼します」
なぜか部屋に入るときの礼儀を文頭と文末両方につけて、ヴァイオレットは思い切ってとびらを開ける。
客室は広く、中央にセンターテーブルのようなものが置かれており、横には二つのソファーが並び、そこに男性と女性が座っていた。
おそらく、この二人が姉マリーのいう『ヴァイオレット』の両親だろう。
母の方は優しい顔立ちで、娘二人に似ない茶髪のショートヘア、目はほとんど輝きを保ち続けており、50代半ばとは思わせないような美しい顔だった。
父は反対に、厳しい顔つきで娘___否、ヴァイオレットとマリーの方をじっと睨みつけてくる。不満があるわけでも、文句があるわけでもない。もともとこういう顔つきなのだと、直接会う前にマリーから言われた。
「___っ」
そんな威厳のある父の迫力に、心が押し倒されそうになるヴァイオレットの背中を、マリーが優しく支える。
「………座りなさい」
父は静かに、息を吐くかのように、ヴァイオレットに座るよう促した。
なぜか音を立てないよう、高級感あふれる深緑色のソファーにヴァイオレットは腰を下ろした。
「………ヴァイオレット、真面目に答えてちょうだい。___記憶を失くしたって、本当なの?」
母はゆっくりと口を開き、言いづらそうに問いただす。
ヴァイオレットは胸の中が苦しくなり、申し訳なさでいっぱいになる。
「___事実、です。えっと、おふたりはわたしのご両親、という認識で………合って、ますか?」
敬語になれないヴァイオレット___否、『ヴァイオレット』に転生した『朝香』は、ぎこちなさで恥ずかしくなりながらも慎重に聞いた。
「………ええそうよ、合ってるわ………マリーの報告を聞いて、驚いたのだけれど」
母はマリーにも座るよう手で促しながらそう言った。
どこの誰かも理解できないのが、本当に申し訳なかった。
なぜ『ヴァイオレット』に転生してしまったのか。
自分はもう、死んだというのに。
また生きるチャンスを恵んであげる、なんてお世辞、自分には要らなかった。
死んだのにまたこうして呼吸をして、心臓を動かしていることだけでも息が詰まりそうだった。
「………はい、驚かせてしまって申し訳、ありません。ただ、記憶がないというのは事実で___嘘をつく理由なんてありません。本当に、自分が何者なのか理解できていません」
「………そうなのね。あなたが誰なのか、大雑把にはマリーに教えてもらったことでしょうけど………」
「えっ、と、大体は………」
曖昧な返事になったせいで、母が困惑の表情と心配の表情を混ぜ合わせながら俯きがちに言う。
それに応えるヴァイオレットも、釣られてうつむいてしまう。
「こんなときにこんなことを言うのも、あなたにとって辛いかもしれないわね。だけれど、これは代々的に受け継がれているものだから仕方ないの………」
『ヴァイオレット』の母は、ゆっくり顔をあげ、目をつむったあと、大きな瞳をさらに見開かせて口を開いた。
「___あなたには、デスマッチに参加してもらうわ」
「________は?」
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「___今、なんて?」
デスマッチとは、プロレスなどで一方が完全に倒れる___KOするまで終わらない戦いのことだ。いわば、死闘。
漫画やアニメなどではよく出てくるものだが___。
「デスマッチ?」
驚きを隠せない。
なんだそれは。
「ごめんなさい、本当に………でも仕方ないのよ。この家系では、デスマッチに15歳以上の子どもたちは参加しなければいけないの」
___なるほど。
まず、思わず納得している自分に驚いた。
確かにゲームなどではありそうなことだ。
『デスマッチで50回勝たないとクリアできない』なんて鬼畜なクリア条件を持ち出されたゲームだってある。
そんなときは誰しもが、ゲーム機を一旦投げ捨て、別のゲームを始めることだろう。
だが、この世界ではそんなこと通用しないらしい。
やりたくないことは投げ捨てる、『朝香』はその手段を用いて『苦』から逃げてきた。
だから、今まで辛いことなんて味わうことがなかった。
___全部途中で諦めて、放棄する。
そんなことができないなんて。
「___デスマッチ、ですか。それはどういう………どういう、ルールですか?ものによっては___」
___ものによっては、投げ捨てて諦めるつもりです。
そんなことを言おうとして、途中でやめる。
マリーの暖かい手が、自分の手に重なるのを感じた。
「何を聞かれても、黙らなきゃ………何も、言っちゃだめなのよ。詳しいことは、向こうで聞いてちょうだい………」
母が辛そうに席を立ち、同時に席を立った父の手を借りながら客室のとびらへと歩き始める。
「何も言えなくてごめんなさいね………こっちから呼び出して………すぐ、用は終わるのに」
「『向こう』?あなた『たち』?それってどういうこと?………ですか?」
一瞬だけ、声を荒げてしまう。
それでも父と母の歩みは止まらず、客室を出て行った。
___異世界転生して早々、『朝香』はピンチに追い込まれていた。
異世界転生して、この優雅な暮らしを送る『ヴァイオレット』として死ぬまで生きていくという流れだと思っていた。
しかし現実はそう甘くないようだ。
足りない頭で、必死に考えを巡らす。
そもそも、参加するとしてどうやって戦えばいい?
この世界の『ヴァイオレット』は、戦えるほどの力を持っていたのか?
姉は聞いたところ『精霊使い』、多少は戦えるということだ。
だが妹の『ヴァイオレット』は、今のところ確認できる能力などはない。
そこでヴァイオレットは___。
「マリー………姉さん、も、参加するの?」
『あなたたち』という母の言葉からして、おそらくマリーも、という考えに至る。
「えっと、落ち着いて、ごめんね。記憶がないのに、こうやってまたショックを与えるようなことを言っちゃって、ほんとに申し訳ないと思ってるから………」
「謝らないで、ください。ただ参加するのか………しないのか………だけでも」
「___。参加、するわ」
一泊置いて、姉マリーは応える。
その言葉に、なぜか安心感を抱いた。
___これから、どうすればいい?
異世界召喚して早くも、『死』を連想させるイベントに姉と共に参加することとなった『朝香』___否、ヴァイオレット。
このイベントを乗り越えなければ、死んでもなお生きている自分を失うことになる。
失った場合、またあの薄暗くて気味の悪い空間に放り込まれるのかもしれない。
___そんなのはいやだ。
なんとしてでも、強制参加させられることになった『デスマッチ』を乗り越えなければいけないのだ。