第一章2 『異世界転生ってやつですか?』
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「体調が悪いってわけじゃないとしたら………なにか嫌なことでも………あ、やっぱりきのうのこと?大して気にすることでもないわ」
長い赤髪を揺らす美少女。大きな瞳、その中に描かれた輝く宝石。
少女は、自分の身を心配してくれている。自分ために考えて、頭をひねって、慰めてくれている。
でも、自分にはそれが理解できない。『自分』が誰なのか?ここはどこなのか?この子は誰なんだ?自分は本当に死んだのか?
___今、本当に生きているのか?
つばを飲み込み、疑問符だらけになる頭を抑えようとする。
大丈夫だ、一旦考えよう。
『わたし』は死んで、三途の川を渡り、その途中で謎の女に出くわし、『愛』を語られ、暗闇に突き落とされ、目覚めたらここにいた。
意味がわからない。
輪廻転生だとしても、赤子ではなくしっかりと成長した『少女』になるのはおかしい。
だとしたら考えられるのはただひとつ。漫画やアニメ好きな『朝香』が考えられる現状の考察は___。
「___異世界転生?」
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___漫画やアニメで、このようなストーリーがある。
ひとりの主人公が、気づいたら謎の場所に来ていた。
周りを見渡すと、自分の見慣れない景色で、『ここはどこだ』と考えを巡らす。
あたりの人も、明らか日本人ではない、ヨーロッパ風の顔立ちをしている。
そして何も読めない字の看板を見て、主人公は一言、たった一言呟く。
「___これってもしかして、異世界転生………?」
ただその一言で『異世界か、よし、異世界ライフ満喫するぞ!』とはなりにくいのが人間の思考だ。
なんで自分が、帰りたい、誰か助けて。
最初主人公は、とにかく戸惑いまくる。しかしヒロインという存在に出会い、救われ、異世界でちゃんとした生活を送れる『土台』を組み立てていく。
最終的にはその世界で一生を遂げるか、何かが原因で現実世界に戻るかだ。
___そして今、自分が置かれている状況は、漫画でよく見る、『ヒロインという存在に出会い』の部分だ。
目の前にいる超絶赤髪美人は、これぞヒロインといった生粋のヒロイン。自分でも何を言っているのかわからなくなるほど、ヒロイン味が多すぎる。
大体、どの漫画、アニメでもヒロインというのは重要なキーを握る人物であり、そのことからキャラクターデザインはほとんどが美人さんであるのだ。
なんで異世界(らしき場所)にいるのか、どうしてこうなったのか。それは後回しだ。
自分は漫画の主人公のような戸惑いは見せない。
なぜならどう見てもここは、幸せの空間の一種だ。
華奢なドレスに綺麗な部屋、美少女、暖かい布団。
そんなところから始まる異世界生活に、誰が不満を持つのか。
最初の戸惑いはあるが、それも一瞬で消え去る。
今の状況を整理すると、彼女は自分の家族___おそらく身内関係に当たる人物だろうか。
そして自分は、定かではないが異世界にきて、『ヴィオラ』と呼ばれる人物と転生した。
推測だが、彼女___目の前にいる超絶美人は、『朝香』が異世界転生したことを理解していない。
前までこの体で生活していた『ヴィオラ』本人だと思って会話を進めている。
『ヴィオラ』になりすまそうとして会話を続けても、おそらく話が噛み合わないせいでバレるだろう。
だとしたらやることはひとつ。
『朝香』は、改めての意を込めて咳払いをし、胸に手を当てて口を開いた。
「___ごめん。実は、記憶喪失したみたいなんだけど。自分が誰か、あなたが誰かも覚えてないから………一から説明してくれるとありがたいんだけど」
状況を理解し、自分の立場を把握するにはきっとこれが一番手っ取り早いはずだ。
___『記憶喪失』。すぐ信じられる話ではないが、呑み込めば理解できる話。
そうすればありがたいことに、現状を全て話してもらえる。
無論、そうすぐ簡単に信じてもらえるとは思っていないが。
「記憶、喪失?それってつまり………記憶がないの?」
「えっ、と。まあ、そんな感じで………」
すぐに信じてもらえるわけがない。
ただ、慎重に理解を得れば、きっと___。
「………それってほんと?」
静かに、何も言わず頷いた。
「………いつもの冗談じゃなくて?」
また同じように、同じ角度で頷いた。
「どうして、記憶がなくなっちゃったのか………それだけでもわかる?」
今度は首を横に振った。それを伝えるのは難しい。
別に異世界転生したことを話すことなんて簡単にできてしまうのだが、なんとなく嫌な予感がする。
「そう………どっかで頭でも打ったのかしら………。それじゃあ、わたしのことも覚えてない?」
困り顔から、彼女の顔はゆっくりと悲しげな表情に変化する。
その瞳の中が微かに揺れ動き、瞳の中に描かれた独特な宝石の模様が、一瞬だけ光る。
頷くだけでも、心が痛んで喉の奥から何かが込み上げてくるものがあった。
どうして『ヴィオラ』の体を奪ってしまったのだろうか。
ただ、罵詈雑言を浴びせられる覚悟はあったのに、彼女は困惑したのも一瞬だけで、さっと姿勢を正す。
「わたしの名前お覚えてないなら………全部、最初っから教えてあげる」
優しい、甘い声。しかしちゃんと耳に残るような声が、脳に響いた。
彼女は口角をあげ、口を開いた。
「わたしの名前はマリーよ。マリー・ティンゼル。あなたの名前はヴァイオレット。わたしはヴィオラって呼んでて、わたしの可愛い妹よ」
「マリー………」
その響きがどこか懐かしいのは、転生前の『ヴァイオレット』の影響だろうか。
姉と紹介したマリーは、静かに笑みを浮かべたまま、朝香___否、ヴァイオレットに手を伸ばした。
「これからよろしくね、ヴィオラ………いいえ、ヴァイオレット」
彼女は笑ったまま、白い雪のような手でヴァイオレットの右手を、優しく包み込むように握った。