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結婚したくない令嬢・9


「馬鹿を言うな。相手は侯爵令嬢だぞ。元平民の俺なんか犬以下だ」


 いくら美しくても蔑まされるのはごめんだ。己のプライドまで汚すつもりはない。


「八年前、俺が王都で『野良犬』と蔑まれていたことをお前も知っているだろう」


 マティアスの発言を聞いて、ダニエルが少しだけ眉を下げる。


「ですがあれは不可抗力だったんでしょう?」

「不可抗力な……」


 ダニエルは頬杖をついてため息をつく。

 八年経った今でも、あの時のことを微に入り細に入り、マティアスは思い出せる。


「叙勲の儀のために王城に向かう途中、雨にぬかるんだ悪路のせいで、馬車の車輪が外れて往生している貴族がいた。誰もが横を通り過ぎて助ける様子がなかったから声をかけたんだが……俺は儀式に大遅刻することになった」


 本来なら『人を呼ぶ』とでも言って、王城に向かうべきだったのはわかっている。

 だがマティアスは、目の前で困っている人間を無視できる男ではなかった。

 馬車を降り、供の者たちと一緒に馬車を道に戻し、外れた車輪を嵌めて送り出した。しみ一つなかった白い軍服は泥だらけになってしまった。

 着替えに戻るべきだとわかっていたが、その時点ですでに遅刻だし、侯爵家が用意した儀礼服を着て行かないという選択もなかった。

 結果、遅刻の上、泥だらけの衣装で叙勲の儀に参加するという、大惨事になってしまったのである。


「遅れた理由を、正直に話して申し開きされればよかったのに」


 ダニエルが不満そうに口にしたが、マティアスは肩をすくめる。


「はぁ? 遅刻を人のせいにできるわけないだろう。それに俺が『礼儀知らずの野良犬』と中傷されるようになっても、助けた貴族は名乗り出てはこなかったんだぞ。俺の名誉を回復しようとはしなかった。俺なんかに関わったことを恥じたんだろう。それがすべてだ」


 おそらく馬車には、かなり身分の高い貴族が乗っていたはずだ。

 彼らはマティアスに助けてもらいながらも、その一方で素性もわからないやつに貴人を近づけないぞという警戒態勢を一度も崩すことはなかった。そして馬車が元通りになると、何事もなかったかのようにその場を立ち去った。

 泥だらけのまま雨に打たれ、マティアスはその馬車を見送った。


(別に、なにかしてほしくて助けたわけじゃない……)


 褒美をやると言われても断っていただろうし、恵んでもらうのも業腹だ。

 だが感謝の言葉くらい伝えても、いいのではないか――そう思ってしまった自分に心底腹が立った。

 貴族にとって平民は犬以下だということを忘れてはいけない。

 貴族にとって自分たちは使える道具のひとつに過ぎないのだ。彼らは自分を人間扱いはしていない。

 だから貴族を信じてはいけない。期待するほうがバカなのである。

 それがマティアスがこの八年で学んだ教訓だった。


「ジョエル様から、くれぐれも妹をよろしくと手紙が届いていましたね。あの方の妹君なのですから、信じるに値すると思うのですが」

「……」


 あの次期侯爵は、マティアスを命の恩人と慕っていて、八年前からずっと折に触れて連絡をよこしてくる。マティアスが返事を送るのは三回に一度くらいだが、それでも義理堅く、マティアスに心のこもった手紙や贈り物を送りつけてくる。信じられないほど義理堅い、そして心のまっすぐな青年なのだ。


(そもそも俺がジョエルを助けに行ったのは、部下を見捨てる上官がムカついただけなんだよな)


 八年前、士官学校を卒業したばかりの青年士官を、彼の祖父ほどの年齢だった上官は見捨てて逃げた。助けに行くのは至難の業で、当時は逃げるしか道はなかったのだろう。だがマティアスはそんな上官に反発し『なら俺が助けてやる』と命令を無視してしまったのだ。

 本来なら軍法会議ものの命令違反で厳しい処罰を受けるところだったが、助けたジョエルが次期侯爵で王女の孫だったため、逆に爵位と領地を与えられることになった。たたき上げの平民軍人が貴族になってしまった。

 そもそもマティアスは、親の顔すら覚えていない帝国から流れてきた戦争孤児だ。食うために十五で軍に入った。そのうち戦場で死ぬだろうと思っていた人生は、八年前から大きく変わってしまったのである。


「……でも、だからって俺なんかに」


 思わず泣き言が口を突いて出る。

 フランチェスカはなんと十八歳だという。天使か妖精かと見まがうようなお嬢様だ。絶対に釣り合わないし、触るだけで壊れてしまいそうで、本当に恐ろしい。

 深々とため息をつくマティアスに、ダニエルはニヤニヤしながら微笑みかけた。


「まぁ、とにかくですよ。現実問題お屋敷に入れてしまったのですから、追い返すことはできません。腹をくくって結婚しましょう」


 眼鏡の奥の瞳はキラキラと輝いている。もう逃げ場はないと言っているようだった。


「ダニエル、お前面白がってるだろ……」

「面白がるだなんて。主人の結婚に張り切らない家令はおりません」

「――はぁ」


 マティアスはまた深いため息をつく。


「うまくいくはずがないってわかってるのに、どうして……」


 思わず泣き言のようなセリフが口を突いて出る。

 本当にわけがわからない。

 あの侯爵令嬢はいったいなにを考えているのだろうか。

 マティアスの王都での評判を知らないはずがないのに、ジョエルもその両親も、なぜ大事なひとり娘を元平民の自分に託そうとするのだろう。


「まぁ、とりあえずやるだけやってみましょう。案外うまくいくかもしれませんよ」


 ダニエルはハハハと軽やかに笑うと、「万事お任せください」と言って執務室を出て行ってしまった。


「うまくいくかもって……そんなわけあるかよ……はぁ……疲れる……ストレスがすごい……」


 ダニエルが出て行った執務室で、マティアスはまた深々とため息をついた後、自分以外に誰もいるはずがない部屋をきょろきょろと見回し、執務机の引き出しをそうっと開けた。

 引き出しの中にはさらにもうひとつ、小さな箱が入っている。

 貴重品を入れて保管するためのものだ。執務机の上に丁寧に置くと、恭しく両手で箱を開ける。そして中から『宝物』を慎重につまみあげ、それからそうっと手の中で包み込んだ。


(かわいい……)


 それは『ポポルファミリーシリーズ』と呼ばれる小さな黒うさぎの人形だった。

 小さな木彫りのウサギに布を張り人間と同じような洋服を着せているその人形は、王都のみならず世界中で愛されている女児用の玩具である。ウサギだけでなく猫や犬、クマなどの動物がありバラエティーに富んでいるシリーズだ。

 マティアスは八年前、貴族に『不調法者』『礼儀を知らぬ野良犬』と嘲笑されながら王都を離れるとき、なんとなく――たまたまショーウィンドウに並べられたその小さな人形に心惹かれて購入し、それからずっと、お守りのようにして持ち歩いていた。

 この八年、領地運営が思うようにいかない時があっても、せっかく開墾した畑が長雨でだめになった時でも、人前では弱音一つはかず、自分の心を小さな人形を眺めることで癒すようになった。


 他人に弱みは見せられない。だがささくれた心を慰めたい。

 そういう時は、モノを言わぬつぶらな瞳の人形を見ていると、不思議と心が落ち着くのである。

 辛いことがあっても『大丈夫』『自分なら乗り越えられる』と励ましてもらえているような、そんな気になるのだった。


 そして気が付けば、八年間でコレクションは膨大な数になっており、マティアスは心労が重なると秘密の別宅へ赴き、ワインを飲みながら人形を眺めるという、とても人様には話せない趣味をもつことになった。

 三十五の男がやることではないと頭ではわかっているが、どうにもやめられない。

 正直言って、自分にこんな『へき』があることをマティアスは知らなかった。

 生まれた時から体格がよく、十代前半ですでに大人より頭ひとつ背が高かったマティアスは、自分は『男らしい男』だと思っていた。だがその一方で、小さくて愛らしい、無垢な人形に心を寄せ、癒されている。

 この趣味は絶対に秘密だ。男らしくないどころか、女児用の玩具をこっそり愛でて心の支えにしているなんて、気持ち悪いとなじられるに決まっている。


(そんな俺が、結婚なんてしたってうまくいくはずがない……そうだろ?)


 もし万が一、フランチェスカが兄のジョエルと同じ、偏見を持たない公平で義理堅い女性だったとしても、人形を眺めながら酒を飲む男だと知れたら、軽蔑されるに決まっている。


「絶対に、知られるわけにはいかないんだ」


 マティアスはうさぎの人形に顔を寄せ、祈るように目を伏せると、何度目かのため息をついたのだった。


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