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結婚したくない令嬢・8

「はぁ!? 帰ってないっ!?」

「はい」


 マティアス・ド・シドニアは、数日前から引きこもっている執務室で受けた報告に、頭を殴られたような衝撃を受けた。

 思わず持っているペンを真っ二つに折りそうになってしまったくらいである。


 開いた口がふさがらないマティアスとは対照的に、目の前のダニエルはニコニコと微笑みながら、

「それどころか、結婚式の準備を着々と進めておられますよ。私も見せていただきましたが、フランチェスカ様が持参した花嫁衣装はなんと亡き王女殿下のものらしく、本当にすばらしい逸品で……! かつて商会を率いていたときに、王女殿下の贅を尽くしたドレスの噂は聞いていたので、生で見ることができて本当に嬉しかったですねぇ~!」

 と瞳を輝かせていた。


 こんなに機嫌のいいダニエルは珍しいが、はいそうですかとはうなずけるはずがない。


「いや……なんでそうなる」


 マティアスははぁ、とため息をついて、ペンを置き書き物机の上で指を絡ませ肘をついた。


(誰か嘘だと言ってくれ……!)


 半ば現実逃避で公舎の外に目線をやる。

 窓の外には綺麗に整備された街並みが広がっているが、ここまでくるのに八年の歳月がかかっている。

 八年前に赴任したシドニア領は、文字通り荒れ放題の辺境の地だった。元々は王家ゆかりの由緒正しい土地だったらしいが、領民のことを考えない領主が数代続いたせいで領地は乱れ、人が離れてどんどん治安が悪くなってしまったらしい。人はいないのに当時の建物がそのまま残り、荒涼とした廃墟と化していた。

 町の主役は民である。人がいないと話にならない。

 そこで赴任したばかりのマティアスは、まず人をこの地に集めることにとりかかった。領内の中心地に、王都から自分を慕ってついてきた部下たちを、五十人住まわせることにした。


『廃墟は全部更地にして、自分たちが新しく住む家を建てよう』


 マティアスの部下たちはほぼ全員が平民出身で、手に職を持っている男ばかりだ。設計士に大工に左官、家具職人などいくらでもいて、家づくりにはそれほど苦労することはなかった。

 そのうち料理人の息子が食堂を開き、農家の息子たちが自給自足のために畑を作り、馬や牛を飼い始めた。日々、自分たちの生活のために地道に街を整備していると『シドニアに行けば仕事がある』という噂がじわじわと広まっていった。


 そうやって集まってきた日雇いの人間のために簡易宿ができ、彼らに食べ物を売りにくる人間も集まる。日々の生活に必要な日用品を売る行商人が増え、市場が自然発生した。

 八年経ってようやく、数万人の人口が集まるまでに大きく成長したのだった。

 ちなみに部下たちのために建てた建物は、自分を慕って軍を離れた部下を飢えさせるわけにはいかないと、治安維持の仕事を任せたり、住人同士のもめ事を解決する部署を作ったりしているうちに公的な意味をもつようになり、現在はシドニアの公舎として機能している。

 部下たちはそのまま役人になった。彼らは家族を持ち、この地で生きることを選んだ。


(まぁ、俺はいまだに独身だが)


 マティアスは自嘲気味にふっと笑って、改めて目の前の優秀な男ダニエルに視線を戻す。

 彼はもともと王国の商家の出身で大きな商会を率いる男だったが、シドニア領で商売をするうちになぜかマティアスを気に入ってしまったらしい。

 ある日いきなり息子夫婦に商会を譲り『私を雇ってください』と押しかけて来たのだ。

 すぐにいやになるだろうと思ったが、結局五年以上一緒にいるのだから不思議なものだ。


「どうして俺なんだろうな」

「ジョエル様のご推薦だからでしょう」

「――はぁ」


 マティアスはまた大きくため息をつく。


「最初は五十人の部下、それからダニエル……今度は自称妻か。俺はいつも誰かに『押しかけ』られてばかりいるな」


 望む望まないは別にして、己はそういう星のもとに生まれたのかもしれない。

 自嘲しつつぽつりとつぶやくと、

「諦めて結婚いたしましょう。あなたももう三十五歳なんですから。三十五ですよ、三十五。私はその頃は三人の子持ちでしたよ」


 ダニエルはニコニコと微笑みつつ、チクチクとマティアスの柔らかい部分を指してくる。


「お前なぁ……」


 この男は一応部下の顔をしているが、マティアスのことをどこか出来の悪い息子のように思っているのだ。

 ヴェルベック侯爵家からひとり娘との結婚の打診が来たときも、疑うよりも先に『いい機会ではないですか! 侯爵令嬢、いっそ貰ってしまいましょう!』と大喜びしていたくらいだ。

 本当に肝が太い男である。


「ここ数年でようやく機能しはじめた、領内の治安を守るのが俺の仕事だ。結婚など……」


 我ながら非の打ちどころのない模範的な答えを出せたと思ったのだが、


「跡取りをもうけることも貴族の仕事ですけどね。あなたが跡継ぎを残さないまま死んだら、領主がまた適当な貴族に変わって、シドニア領も元の寂れた土地に戻ります。それでいいって言うんですか?」

「グッ……」


 しれっとダニエルに言い返されてしまった。

 ああ言えばこう言うダニエルだが、そもそも商人に口で勝てるはずがない。

 マティアスは唇をぐいっと一文字に引き結びつつも、脳内で数日前に押しかけて来たフランチェスカの姿を思い出していた。


(だがあれは、美しすぎるだろう……!)


 フランチェスカ・ド・ヴェルベック。

 馬車からふわふわの白いケープに身を包んだ彼女が下りてきたとき、雪の精霊が舞い降りたと思った。

 ちらつく白い雪が彼女の緩やかに波打つ金色の髪に次々と降り注ぐ中、青い春の空を映しとったような瞳は、熱を帯びたようにキラキラと輝きこちらを見つめていた。

 マティアスの手のひらよりも小さな顔は陶器の人形のように白く滑らかで、手足はすらりと長い。抱き上げたときはあまりの軽さに綿でできたぬいぐるみでも抱いているのかと疑ったくらいだ。

 世界一の芸術家が作り上げた、精巧な人形としか思えないその美貌を見て、それまで帰ってもらう気満々だったマティアスは言葉を失い、見惚れてしまった。

 見た目がいいくらいで、言葉を失ってしまうとは。

 そんな愚かな自分に腹が立つし、苛立って仕方ない。


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