素直な心で、ふたり寄り添えたなら・6
レオンハルトがよく通る声で宣言する。
「皆の者、よく聞いたか! かのシドニア伯こそ国一番の忠義の者よ!」
「っ……シドニア伯、万歳! アルテリア王国、万歳!」
王太子の声に賛同するように、ジョエルがその場の誰よりも早く声を挙げ、拍手をした。
それに釣られるように他の貴族たちも我先にと手を叩き始める。
「レオンハルト殿下、マリカ殿下、万歳!」
「両国の未来に幸いあれ!」
『鏡の間』で響く百人の貴族たちの割れんばかりの歓声と拍手で、耳が痛くなる。
びしょぬれのカールも公爵夫人も、顔を強張らせつつも拍手をしていた。
『これまで見下していたくせに、もう遅いですっ!』と言いたいくらいだが、マティアスの名誉がこれで回復するなら、文句は言うまい。
(これで私の無礼も、みんな忘れてもらえるかしら……)
万雷の拍手の中、フランチェスカはおそるおそる顔をあげ、夫である男の顔を見上げた。
「あの……マティアス様」
「――ん?」
鳴り響く拍手で声が届かないのだろう。マティアスがかすかに眉をひそめ、長身を折り曲げるようにして身をかがめる。
はらりと赤い髪が額に落ちて緑の瞳が、シャンデリアの光を反射して星のように瞬く。
フランチェスカは、夫の美しい瞳を見ながら、そう言えば愛の言葉に返事をしていないことに気が付いた。
「私……たくさん、話したいことがあるんです」
「奇遇だな。俺もだ。その、中には嫌われないといいんだがと思うようなこともある」
マティアスが少し困ったように眉根を下げる。
「嫌うなんて、あり得ません。だって私は……私は」
彼の首の後ろに手を伸ばし、そのままグイッと頭を引き寄せた。
「フランチェスカ?」
きょとんとした顔で長いまつ毛を瞬かせたマティアスが妙にかわいかったので、フランチェスカはにっこりと微笑む。それから精一杯背伸びしつつささやいた。
「愛しています、マティアス様……あなたのことを心からお慕いしています……それでその……私を本当の妻にしてくれますか?」
マティアスは一瞬ビクッと体を震わせたが、すぐにその瞳をニヤリと細め、両腕でフランチェスカの体を抱きしめると、覆いかぶさるようにキスをしてくる。
それは触れるだけのキスではない。もっと深いところで繋がる大人のキスだ。
むさぼるように口づけられて、息ができなくなった。
「ん、んんっ……!?」
人妻のくせして経験がないフランチェスカは、未知の体験にじたばたと体を動かしたが、マティアスはフランチェスカを逃がすつもりはないようで。彼の熱っぽい口づけに、フランチェスカはあっという間に立てなくなってしまった。
「ん、あっ、もうっ、マティアスさまっ……」
なんとか唇を外したほんの一瞬、責めるように胸を叩くと、彼はいたずらっ子のようにささやきながら顔を覗き込む。
「フランチェスカ。君の気持ちが分かった以上、もう遠慮はしない。君のすべてを俺のものにする。覚悟してくれ」
その声は熱っぽくかすれていて――。
「は……はい……」
フランチェスカは顔を真っ赤に染めつつも、こくりとうなずいたのだった。
――それから二週間後。
『シドニア花祭り』の大成功を受けて、最終日に挨拶に立ったマティアスは領民の前で来年の祭りの開催を高らかに宣言した。
王都からの客も押しよせたのもあるが、祭りの最終日ではなんと王太子夫婦が舞台を観劇し、新聞に載るほどの話題になったのだ。
特にマリカはシドニアを気に入ってくれたようで、
『フランチェスカともお友達になれたし、たくさん遊びに来たいわ』
と、真剣な顔で何度も口にしていた。
王太子夫婦が遊びに来るとなれば、シドニアはもう辺境の田舎ではなく、れっきとした避暑地だ。
当然、王太子夫婦のための別荘も建築予定に組み込まれた。
「これはもう鉄道会社と手を組むしかありません! そうだ、いっそ駅を作りませんか! 日帰り客もたくさん呼べるようになります!」と、ダニエルが言い出し、皆で盛り上がった。
夢物語のような話ではあるが、シドニア領に鉄道の駅ができれば、王都との行き来はかなり楽になるし、街の発展にもつながる。
シドニアがかつての賑わいを取り戻すのも、そう遠くないかもしれない。
「――はぁ」
一方、応接室で手紙を読み終えたマティアスは、大きくため息をついて頬杖をついた。
彼の後ろの窓に初夏のさわやかな空が広がって見える。満開のスピカのグラデーションが空に繋がって美しい。
「マティアス様、父からの手紙にはなんと?」
ソファーに座っていたフランチェスカは、持っていた紅茶のカップを置いて尋ねる。
「火災被害についての復興費用は公爵家が全額負担の上、カール・グラフ・ケッペル侯爵は自主的に爵位を返上することになったらしい。そして母方の領地である西方へと向かうとあった」
「西方……二度と王都の地は踏めないでしょうね」
「そうなのか?」
マティアスが驚いたように目を見開き、丁寧に手紙を畳むと、手持無沙汰のように椅子の上で長い足を組む。
「放火を指示したのは、俺への個人的な恨みと『シドニア花祭り』が失敗すればフランチェスカが王都にすんなり戻ってくると考えたかららしいが……とにかく短絡的だ」
「実質、廃嫡ということでしょうね。公爵家にはほかにも男子がいますから問題はありません」
マティアスは『廃嫡』と聞いて哀れみの表情になったが、フランチェスカはまったく同情していない。
ちなみに公爵夫人の息子はカールだけだったので、彼女の今後も厳しいものになるだろう。
そう――。
『シドニア花祭り』の会場である中央広場に火を放ったのは、なんとカールの雇ったごろつきだったのだ。あちこちの酒場でさぐりを入れていたルイスが、急に借金を全額返済した上に、豪快にギャンブルや女遊びをしている男がいるという情報を聞きつけ、事情聴取から逮捕に至った。
『ケッペル侯爵がもう少し気前のいい男だったら、放火犯を国外に逃がして足はつかなかったんでしょうけどね。ケチだったんですよね~』 と、ルイスは肩をすくめていた。
おまけにマティアス宛てに送った脅迫状も王都の有名文具店の特注品で、カールにたどり着くのにそれほど時間はかからなかったらしい。なにもかもが迂闊でずさんである。
誰にでも高圧的で威張り散らす男だったので、彼をわざわざかばいたてる人間はいなかったのだとか。
「死傷者が出なかったからよかったものの、命があるだけ儲けものだと思ってもらいたいくらいです」
もし領民に取り返しのつかない被害が出ていたら――そう思うとゾッとする。
今回のことは運がよかっただけだ。ぷりぷりと目を吊り上げるフランチェスカを見て、マティアスは「そうだな」と、重々しくうなずいた。
(まぁ、口止め料も兼ねているからこそ賠償金はものすごい金額だし……そのお金を町の発展に回せると思えば、呑み込めなくもないけれど)
そんなことを考えていると、
「フランチェスカ」
空気を変えるように、マティアスが甘く低い声で名前を呼んだ。
長身の彼から繰り出される声は、艶があり色気がある。
ハッとして顔をあげると、長い足を組んだマティアスがにこやかに微笑みつつ「おいで」と両手を広げていた。
たったそれだけでフランチェスカの胸は甘くときめく。
カールのことを考えて、イライラに囚われているのが馬鹿らしくなった。
(あんなお馬鹿さんのことは、もうどうでもいいわ)
フランチェスカはサッとソファーから立ち上がり、夫の膝の上に座って上半身を預けるようにしてもたれかかる。
彼の首筋に顔をうずめると、かすかに火薬の匂いが鼻先をかすめた。放火の一件もあったので最近ではマティアスが直接訓練を行う機会を増やしているのだとか。
(私、王都の貴族たちの香水の香りよりも、こっちの方が好きだわ)
怪我などしてほしくないという気持ちもあるが、どんなときも自らが先頭に立ち、戦うマティアスをフランチェスカは素敵だと思うし、誇りに思う。
有事の際は先頭に立つのが貴族の務めなのだから。
うっとりと身を任せていると、書き物机の上に置かれたポポルファミリーの白猫人形と目が合った。以前フランチェスカが部屋で拾ったものだ。
「そういえば、秋に王都で『ポポルファミリーのおでかけフェスティバル』が開催されるんですって。絶対に行きましょうね」
「あ? ああ……」
「噂によると、自作衣装コンテストもあるんですって。参加しましょう」
「いや……」
押せ押せのフランチェスカに対して、マティアスがたじたじになりながら視線をうろうろとさまよわせる。
「だって、マティアス様なら優勝間違いなしです。だってこんなに可愛らしいお洋服を作れるんですもの」
フランチェスカはクスクスと笑いながら、目を細めた。
そう、机の上の白猫ちゃんは水色の美しいドレスを着ていた。おまけに頭にはビーズで作った精巧なティアラまでのっている。すべてマティアスの手作りである。
王都から戻った時、彼の秘密の部屋に連れて行ってもらった。
驚きはしたがフランチェスカ自身不器用の自覚があるので、夫の趣味はもはや尊敬の眼差しでしかない。
それどころかあまりにもフランチェスカが「すごいすごい!」と興奮するので「もっと早く打ち明けていればよかった」と苦笑していたくらいだ。
そしてフランチェスカも自分がBBであると打ち明けたのだが、マティアスはかなり早い段階で気づいていたようで、拍子抜けしてしまった。
作家活動も応援してくれると言う。
色々あったが、あまたの勘違いとすれ違いのおかげで、自分たちは己の気持ちにしっかりと向き合うことができ、夫婦として手を取り合うことを選んだのだから、悪いことばかりではないだろう。
フランチェスカの作家業も、マティアスの応援でまだまだ続けられそうである。
「あぁ……そうだ。どうせ作るなら、いっそあなたのドレスを作りたいな。きっと楽しい」
最近刺繍にもはまっているらしいマティアスは、ククッと喉を鳴らすように笑うと、フランチェスカの顎先をするりと指先で撫でて、上を向かせる。
彼の緑の瞳が熱っぽく輝く。
「そうなると……正確なサイズを知る必要がありますが?」
軽やかに微笑みながらマティアスは手を伸ばして人形を後ろに向かせると、「愛してる」とささやきながら顔を近づける。
やがて訪れる甘い時間の予感に、フランチェスカはときめきながら目を閉じたのだった。
【end】
最後まで読んでくださって本当にありがとうございました。
たくさんある作品の中から見つけてくださって、またブクマや★評価などしてくださった皆様、ありがとうございます。非常に励みになりました。
嬉しかったです。何度でも言いますありがとう~。
5月31日(水)発売の一迅社アンソロジー「あやかし旦那様の愛しの花嫁」2巻に拙作の「婚約破棄されたあげく失業と思ったら、竜の皇太子に見初められました。」を原作としたコミカライズを掲載していただきました。
作画は黒田先生で、めちゃくちゃ良いです本当……。
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暇つぶしにでもチラッと見ていただけると嬉しいです。よかったらぜひ。