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素直な心で、ふたり寄り添えたなら・2


「あと十分もすれば皇女殿下がお見えになるだろう。席に座ってお迎えする準備をしていたほうがいいんじゃないかな」


 ジョエルの言うことは至極もっともに聞こえたが、カールはその言葉を聞いて白けたと言わんばかりに鼻に皺を寄せる。


「ジョエル、相変わらず真面目でお堅いな」


 だが一理あると判断したらしい。フランチェスカたちとともに長テーブルに着席した。

 カールは公爵夫人の正面に座り、ジョエルはフランチェスカの前に座った。カールは機嫌よく着席した後、フランチェスカに向かって満足げに微笑みかけてくる。


「お前がバカな選択をしない従妹でよかったよ。僕が恥をかくところだった。あのケダモノ中将のことは任せなさい。きれいに別れさせてやるからな」


『ケダモノ中将』と聞いて、フランチェスカの眉がピクリと動いた。正面に座っているジョエルも然りである。


(落ち着いて、私。こんなことで怒ってはだめよ)


 フランチェスカはゆっくりと深呼吸するように息を吐いて、ニッコリと従兄に微笑みかけた。


「カール、そんなことを言わないでちょうだい」


 確かに『シドニア花祭り』が終わったら、マティアスとは離縁するつもりでいる。

 だがそれは彼を愛するがゆえだ。マティアスを愛しているから身を引かねばならないと気が付いた。間違っても別れたくて別れるわけではない。


「マティアス殿は妹の夫で僕の命の恩人なんだ。君にとっても身内なんだぞ」


 さらにジョエルもたしなめるように声をかけてくれたが、それでもカールは意地悪く唇の端を持ち上げて意見を引っ込めなかった。


「冗談だろう。僕は平民出身のあの男を身内だなんて絶対に認めないね」

「ええ、カールの言うとおりです」


 隣に座っていた公爵夫人も、息子の発言に便乗するよう強くうなずく。


「いいこと、フランチェスカ。『荒野の野良犬』とは速やかに離縁なさい。皇女に気に入られれば帝国貴族との結婚が可能になるわ。野良犬と千年の歴史を誇る帝国貴族……どっちに利があるか、世間知らずなあなたでもわかるでしょう?」

「――」


 正面に座っていたジョエルが『こらえろ』という表情になったので、奥歯を噛みしめることでなんとか飲み込んだ。

 兄の顔を見ていなかったら、目の前のフィンガーボールの水をぶっかけていたかもしれない。


(別人格だってわかってるけど、この親ありきでこの息子が育ったのよね)


 フランチェスカは膝の上で拳を握りつつ、マティアスのことを考える。

 レディとして恥ずかしい振る舞いをすれば、この親子と同じレベルにまで落ちることになる。それはマティアスを貶めることに繋がるかもしれない。


(そうよ、私は一応人妻なんだから。頭に血を上らせてはだめ……!)


 冷静に、冷静に……。

 必死に自分に言い聞かせて冷静さを保つ。




 それからしばらくして晩さん会が始まる時間になったが、いつまで経っても皇女と王太子は姿を見せなかった。

 どうしたのだろうと皆が出入口のドアを見ているが、変化はない。


「お支度に時間がかかっているんでしょう」


 カールの母親の公爵夫人が口を開く。


「聞いた話によると、皇女が嫁ぐときは帝国一の騎士にエスコートしてもらう伝統があるんですって。心技体、全てに優れた騎士にその栄誉が与えられるんだとか」


 それを聞いたカールが「へぇ」と相槌を打つ。


「帝国一番の騎士にお会いできるなんて、楽しみだな」


 そこでカールはふと思いついたように、フランチェスカに下品な眼差しを向ける。


「そういえばお前の夫は、領内で火事を起こしたらしいじゃないか。平民ごときの人気取りのために、祭りなんてのんきなことを考えるから、そんなことになったんだ。そうだ、いっそ野良犬から帝国の騎士様に乗り換えたらどうだ? どうせ『乗る』ならそっちのほうが具合がいいだろう?」


 カールがその目に侮蔑の色をのせ、軽く腰をゆする。


 それは明らかに性的な隠語で――。


 プチン。


(もう無理)


 フランチェスカの頭の中で何かが切れる音がした。


「人を馬鹿にするのもいい加減にして!」


 叫びながら目の前にあるフィンガーボウルをつかみ、カールに向かって中身を思いきりぶちまける。勢いあまってテーブルの上のグラスも音を立てて倒れたが、フランチェスカはそのまま椅子から立ち上がり、カールをにらみつけた。


「いい!? そもそも今回のお祭りを開催したいと申し出たのは私よ! それでもあの方は十八の小娘の言うことだとバカにしなかったし、女だからと言って私をたしなめたりしなかった! いつだって親身になって相談にのってくださったわ! 火事が起こった時も率先して消火活動にあたって、明け方まで駆けずりまわっていた! 私はあの人ほど高貴な精神を持つ人をほかに知らない! 口を開けば人の悪口ばかり言っているあなたたちとは全然違う! 次にあの人のことを『野良犬』と言ったら、許さないんだから! なにがなんでも私の夫を侮辱したいというのなら、私が相手になってやるわよっ!」


 叫び終わった瞬間、耳の奥がキィンと響いて、眩暈がした。


 ジョエルが「フランチェスカ……」と呆けたようにつぶやいたが、もう遅い。

 いきなり真正面から水を浴びせられたカールは茫然と固まったままで、『鏡の間』は水を打ったようにしーんと静まり返った。

 ただひとり、頭に血を上らせたフランチェスカがぜぇぜぇと肩で息をする声だけが響く。


(や……やってしまった……)


 貴族たちもとんでもないモノを見てしまったと、凍り付いている。全身から力が抜けて、持っていたフィンガーボールが床に落ち、カラーンと音をたてた。

 そんな中、最初に沈黙をやぶったのは、公爵夫人だ。


「ふ、フランチェスカッ! あなたカールになんてことをするのっ! いくら姪でも許しませんよ!」


 真っ青になって叫ぶ。

 そうなると途端にフランチェスカもまた頭に血が上り、反射的に言い返す。


「は!? それは私のセリフですが!?」


 フランチェスカはブルブルと震えている叔母に向き合うと、目を吊り上げる。


(そっちがその気ならこっちだって戦ってやる!)


 フランチェスカは決意した。


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