素直な心で、ふたり寄り添えたなら・1
迎えに来てくれたジョエルとアンナの三人で、フランチェスカは汽車に乗り王都へ向かった。実家に着いてからはまた忙しく、この日のために両親が用意してくれたドレスのサイズを直したり、フランチェスカの異例の大出世を機に、今更お近づきになろうとする貴族たちの相手をしているうちに、あっという間に三日が過ぎ去ってしまった。
「はぁ~……疲れた……」
寝椅子の肘置きにもたれたフランチェスカは、今日何度目かの大きなため息をつく。
窓の外はすでに日が落ちかけていて、薄紫色になっている。
その色を見ると、シドニアで咲き誇るスピカのことを思い出して、胸が締め付けられて、たまらない。
(マティアス様、今頃はなにをされているのかしら……ご家族と仲良く過ごされているのかしら)
落ち込むだけなのに、ついふとした時間にマティアスのことを考えてしまう。
「お嬢様ったら、もう疲れてるんです? 本番はこれからじゃないですか」
「わかってるわよ……」
呆れた様子のアンナに向かって、フランチェスカは子供っぽく唇を尖らせる。
いよいよ今日、皇女がアルテリア王国入りし、結婚の儀の前に王家主催の晩さん会が開催される。
フランチェスカはそこで皇女とお目見えし、彼女が正式に王太子妃となると同時に女官として王城に入ることになっていた。
両親にはまだ離縁することは話していないので、彼らは『いっそこちらに屋敷を用意しましょうか。スープの冷めない距離がいいわねぇ〜。新婚さんに嫌がられるかしらフフフ』とのんきなことを言っているが、笑ってごまかした。
実際、貴族のほとんどは王都にタウンハウスを持ち、領地へはたまにしか戻らない。フランチェスカが女官として働くことになった以上、マティアスもそうするのだろうと思い込んでいるようだ。
(マティアス様が、シドニアを離れるわけないじゃない……)
なによりあの地には大事な妻子がいるのだから。
「さっ、湯あみの準備をいたしますのでしゃんとしてくださいませ」
アンナがぐにゃぐにゃになったフランチェスカの上半身をぐいっと抱き起こす。
「はぁい……」
アンナに言われてしぶしぶ立ち上がったフランチェスカは、アンナや別の侍女に支えられながら、運び込まれた湯船に体を浸した。
「ぴかぴかに磨き上げてあげますからね~!」
「そうですよ、フランチェスカ様、がんばってくださいっ!」
侍女たちはいまいちやる気のないフランチェスカを叱咤激励しつつ、晩さん会用に美しく着飾ってくれたのだった。
たっぷりのパニエにふんだんに取り入れたレースとフリル。前開きのローブ・ヴォラントは淡い薔薇色で銀糸の刺繍が全体に施され、キラキラと輝いている。波打つ金色の髪は丁寧にブラッシングした後ふんわりとしたポンパドールを作るだけで、あとは後ろになびかせた。余分なアクセサリーは一切身に着けてない。
本来なら侯爵家の家宝であるブルーサファイヤのネックレスを着けるべきだが「皇女殿下はあまり派手好きではないらしい」というジョエルの助言で、それはやめた。
母であるエミリアはひどく残念がっていたがフランチェスカも同意見だ。
なにしろ社交界デビューをこなしていない、貴族の娘としてあり得ない生活を送ってきたフランチェスカである。
(家宝なんか身に着けても、うっかり落としてしまいそうだし)
宝石の価値を正しく理解していない自分が身に着けるのは、やはり気が引けたのだった。
「我が妹ながら本当に美しいね。大丈夫、胸を張っていなさい」
ジョエルが金色のまつ毛を瞬かせながらにっこりと微笑む。
「ありがとう、お兄様。馬子にも衣裳だけれどがんばるわ」
フランチェスカは周囲の自分に向けられる視線に緊張しつつも、王城のエントランスから螺旋階段を一歩ずつ上っていく。
(大丈夫、今日の私はそこそこイケているはずよ……!)
ちなみに今日の宮中晩さん会は両親は参加せず、兄のジョエルと妹のフランチェスカのふたりでの参加だ。両親は皇女が正式に王太子妃になってからご挨拶する予定らしい。
フランチェスカも、本来なら夫であるマティアスと夫婦として参加するべきなのだが、カールが送ってきた招待状にはフランチェスカの名前しか記載されていなかったので、兄のジョエルをパートナーとしたのだった。
「わぁ……」
フランチェスカは初めて見る景色に、目を奪われ声をあげる。
晩さん会の会場は『鏡の間』と呼ばれる美しい大広間だった。
色とりどりの花に彩られた広間を横断するように置かれた長テーブルには、すでに銀色のカトラリーがずらりと並べられ、天井から吊るされたシャンデリアの輝きを虹色に反射していた。
百人ほどの貴族たちの半分程度が着席し、もう半分は席を立って自由に歓談しているようだ。
そんな中、フランチェスカとジョエルが姿を現したのを見て、貴族たちが一斉に色めき立つ。
「あれをご覧になって。ジョエル様と一緒におられるのがフランチェスカ様よ」
「『荒野のケダモノ』に嫁いだらしいが、王太子妃つきの女官に選ばれて戻って来たらしい」
「病弱だと聞いていたが、ケダモノにはもったいない美しさだな」
一応ヒソヒソと声を押さえているが、興奮しているせいかどれもはっきりとフランチェスカの耳に届く。
ジョエルとフランチェスカはよく似た兄妹であるからして、自分も精一杯着飾ればそこそこに見えるらしい。だがどんな賛美を聞いても、フランチェスカの耳を右から左に流れていくだけだ。
むしろ壁一面に貼られた鏡に映る自分を見て、ここにマティアスがいてくれたらどれだけ嬉しいだろうと、そんなことを考えてしまう。
(軍服をお召しになったマティアス様は、すごく素敵なのに……)
あの人を『ケダモノ』なんて言うのは見る目がない人間だけだ。
不当に貶められているマティアスのことを思うと胸が締め付けられるが、結局今のフランチェスカにできることはなにもない。ここで『それは違う』と叫んでも、相手にはしてもらえない。
「――フランチェスカの席は皇女様のふたつ隣だよ」
悔しさに唇を引き結びうつむいたフランチェスカを見て、ジョエルが耳元でささやく。
「うん……」
晩さん会の途中で会話にスムーズに参加できるよう、配慮された席である。
ちなみに間にはケッペル公爵夫人が座るらしい。あのカールの母である。一応彼女からしたらフランチェスカは姪にあたるので、そういう席順になっているのだろう。
フランチェスカは兄と一緒にテーブルに向かったのだが、その途中で声をかけられた。
「ジョエルにフランチェスカじゃないか。こちらで少し話さないか」
従兄のカールだ。席に着かず同年代の貴族たちの青年と、輪になって会話を楽しんでいる。
ジョエルはゆったりした動作で胸元から金色の懐中時計を取り出すと、時間を確認して顔をあげた。