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結婚したくない令嬢・5


 自分から口に出しておいてなんだが、音に乗せた瞬間、しっくり来た。

 曖昧な靄がかかっていた視界が、きれいに晴れていく。

 どうやっても結婚が避けられないというのなら、兄の命の恩人というのは悪くない選択ではないか。少なくとも貴族の地位に胡坐をかいて、なんだか偉そうだったり、女遊びにしか興味がない男より絶対にマシである。

 その瞬間、カップに紅茶のお代わりを注いでいたアンナが驚いたように「お嬢様、本気ですかっ!?」と声をあげる。

 それもそうだろう。家族の命の恩人だとしても、貴族たちから疎まれている男性にわざわざ嫁ごうという酔狂な貴族の娘はいない。


「しっ……失礼しました」


 兄妹の視線を受けて、アンナは慌てたように口元を押さえて頭を下げたが、フランチェスカは「いいのよ」とうなずき言葉を続けた。


「だって、お兄様がこの人だって言ってくださったんだもの。どうせ結婚しなくちゃいけないのなら、信頼できる人のお墨付きのほうが安心できるわ」


 資産や容姿、王国内の貴族としての立ち位置も大事かもしれないが、そもそも社交界からほど遠いところで生きてきたフランチェスカには、それらはなにひとつ重要なことではない。

 フランチェスカが愛するのは物語だ。

 欲しいのはそれを紡ぎ続けられる自由である。


「ちなみに今更だけど、マティアス様は一度もご結婚されていないの?」


 新聞の写真は荒いものだが、三十代なのは間違いないだろう。普通なら結婚して子供のひとりやふたりいてもおかしくない年齢だ。


(それならそれで、私が子どもを産む必要がなくなるから気が楽なんだけど)


 嫁いだ妻の責務は、爵位と領地を守る跡継ぎを産むことである。だがマティアスに子供がいるのなら、その必要がなくなる。


「平民だった頃からおひとりだったけど、貴族軍人になってからも相変わらず独身を貫かれているようだよ」

「そうなの……」


 仮に王都の貴族に疎まれているとしても出世をしているのは間違いないのだから、爵位目当ての商家や軍人派閥から、結婚の話は出ていてもおかしくないのだが。


「どうして結婚なさらなかったのかしら?」


 もしかしてとても世間には言えないような、あぶない性癖をお持ちなのだろうか。

 そう思うと、怖いと思うよりも先に物書きの好奇心がムクムクと膨らんでくる。


「理由はわからないけれど、だからってマティアス殿の人格に問題があるとは思えないよ」

「――そうね」


 上官の命令を無視し命がけで兄を助けてくれたのに、爵位も領地もいらぬと固辞した人だ。悪い人ではないように思う。


(そうだわ……考えてもみたら、八年も王都に顔を出さないポリシーをお持ちなら、妻の私も引きこもっていられるじゃない!)


 シドニア領は王都からかなり離れている。貴族間の付き合いも薄そうだし、畏まった場所となれば貴族は夫婦同伴が前提になる。今更自分だけに社交界に顔を出せ、ということもないだろう。

 貴族の妻の煩わしい人付き合いをやらなくていいというのは、フランチェスカの中でメリットでしかない。

 それこそ執筆活動だって続けられるのではないだろうか。

 その事実に気づいたフランチェスカの胸から、胸のつかえがとれた気がした。

 意外なところから自分の進むべき道が見えて視界がパッと明るくなる。


「お兄様、私、マティアス様と結婚します。ぜひお話をすすめてくださいっ!」





 そしてわずか一か月後――。フランチェスカは持参金と花嫁道具を携えて、シドニア領へと向かう馬車の中にいた。

 汽車で移動という手もあったのだが、警備上の理由で馬車になった。フランチェスカは王都から出たことがなかったので、人生初の長旅だ。

 窓の外にはちらちらと雪が降っている。王都はもう春の気配が漂っているが、シドニア領地はアルテリア王国の北にあり王都よりずっと寒い。聞くところによると一年の三分の一が冬らしい。


「お嬢様。中将閣下からは『結婚はお受けできない』って返事が来たんですよね?」


 アンナが眉のあたりにきゅっと皺を寄せてささやく。


「ええ。でもマティアス様は断れる立場ではないから。私はそれを無視してこうやって押しかけているの」


 フランチェスカはお尻の下に新しいクッションをねじ込みながら、こくりとうなずいた。

 兄から両親へ、そして王家へ。マティアス・ド・シドニア閣下への嫁入りは、フランチェスカの強い希望であっという間にまとまってしまった。

 両親は、愛する娘が評判がよろしくない男のもとに嫁ぐことに、感じるものがなかったわけではないらしいが、最終的に「お前たちがそこまで言うなら」と、フランチェスカの気持ちとジョエルの意見を受け入れてくれた。

 一方、侯爵家から結婚を打診されたマティアスはかなり驚いたようで、手紙で何度も『身分が釣り合わない』『侯爵令嬢をお招きできるような状況ではない』と丁寧な返事が届いていたのだが、それは『謙遜』と受け止めて話を進めた。

 強引なのは百も承知だが、これも己の自由を守るためである。


「本当にご遠慮いただきたいと言うのが、シドニア伯の本心なのでしょうけど……」


 フランチェスカは馬車の窓から外を眺めながら、ため息をつく。

 彼が王女の孫である侯爵令嬢との結婚に利益を感じるような男なら、そもそも八年も領地に引きこもってはいない。お金にも名誉にもまったく興味がない男なのだ。

 マティアスにとって、フランチェスカはやっかいな貴族の娘でしかないだろう。


「なんとか追い返されないようにしないとね」


 しみじみと口にすると、アンナがニコッと笑顔になった。


「大丈夫ですって。お嬢様を見て、気に入らない男なんていませんよ。もんのすごい美少女なんですから」


 グッ! と親指を立てるアンナに、フランチェスカ笑って肩をすくめる。


「なによ、それ……」


 確かにフランチェスカは、国一番の美男子と評判の兄とよく似ている。だが自分の顔を鏡でいつも見ているわけでもなし、社交の場にでることもないので自分の容姿が他人の目にどう映るかは興味がなかった。


「中将様が私を見た目で気に入るなんて、楽観的すぎるわ。私みたいなやせっぽちの娘よりも、出ているところがば~んと出ている大人の女性しか、相手にしなさそうじゃない?」


 あくまでも妄想――脳内での話だが、フランチェスカが軍人のヒーローを物語に出演させるときは、『男らしい男』として執筆する。

 質実剛健、軍人としての責務を一番とし、家庭があったとしてもそれは出世のためで、女を愛したりはしない。娼館にも通うが馴染みの女性は作らない。好みのタイプは肉感的でセクシーな美女であって、惚れられはするが惚れはしない。


(マティアス様も、そういうタイプなんじゃないかしら?)


 新聞に掲載されていた彼の横顔を思い出す。

 少し癖のある赤い髪に意志の強そうなまっすぐで凛々しい眉。すっと通った鼻筋に意志の強そうな唇。首も太く、いかにも軍人というような風貌だった。

 貴族の間では、兄のジョエルのように絵画から抜け出した天使のような男が圧倒的に受けるが、人の好みというはそう単純なものではないとフランチェスカは知っている。むしろフランチェスカは自分にない生命力――のようなものを持つ人を、純粋に好ましいと思っていた。

 兄を担いで敵国から逃げてきたという中将に対して、悪い印象はなにひとつない。



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