燃える夜・3
そうして前夜祭を明日に迎えた夜。フランチェスカは王都から正式に届いた招待状を見て、緊張したように体を強張らせていた。
「お嬢様……それって」
「ええ。皇女殿下を迎えるための晩さん会の招待状よ」
ロドウィック帝国第二皇女を迎えての結婚の儀は、約二週間にわたって行われる。そして今回の晩さん会は貴族たちへのお披露目を兼ねたものだ。
フランチェスカは美しい金色の縁で彩られた招待状をテーブルの上に置いて、目を伏せた。
「とりあえず、花祭りが終わったらすぐにここを出るわ」
「――戻ってくるおつもりですか?」
「個人的にはそうしたいと思ってる。お世話になった人たちに挨拶をしたいし……マティアス様とも、このままさよならなんてしたくないもの」
フランチェスカはそう言って、膝の上で拳を握る。
その硬い表情を見て、アンナが口を開く。
「旦那様に思いを告げられるおつもりはないのですか?」
「そんなことできるわけないじゃない。自己満足でマティアス様を煩わせたくないわ」
執筆を辞めたくない、ただそのためにマティアスの押しかけ妻になり、彼に認められたくて『シドニア花祭り』の企画を立ち上げた。
BBの名前で舞台の脚本を書き、最後には夫婦ふたりで舞台に立てる。
短い期間で忙しくはあったけれど、毎日が充実していた。こんな経験は、王都の貴族と結婚していたら、決して味わえない経験だった。
恋は実らなかったが、マティアスを好きになって本当によかったと思う。
彼には感謝の気持ちしかない。
とはいえ、黙っていると、マティアスの顔が浮かんでじんわりと涙が浮かんでしまうくらい彼が恋しいが、やはりシドニアで過ごした日々に後悔はなかった。
アンナもそれを感じたのだろう。下手に慰めることもせず、励ますようにフランチェスカの肩を抱いて顔を覗き込んだ。
「そうですか……明日から前夜祭ですし、忙しくなりますから、今日は早く寝ましょう」
「そうね、少し早いけれど休むわ」
マティアスにお休みの挨拶をしたかったが、明日の準備のためにまだ公舎に残っている。
フランチェスカはベッドに入り目を閉じる。
それからしばらくして、寝入りかけた次の瞬間――。
窓の外からら、ドォン! と花火が打ちあがるような爆発音がした。
「っ!?」
聞いたことがない音に、フランチェスカは跳ね起きる。咄嗟に寝巻の上にガウンを羽織って窓に駆け寄った。
(もしかして砲撃っ!?)
咄嗟にそう思ったのは、八年前のことがあったからだが、シドニア領の向こうは険しい山間部だ。他国がいきなり侵略してこれるような場所でもなく、そもそもアルテリア王国の現状からして戦争など考えにくい。
いったい何が起こったのかと窓の外に目を凝らしても、なにも見えない。
状況がわからずハラハラしていると、
「お嬢様!」
同じく寝巻にガウンを羽織ったアンナが、慌てた様子で飛び込んできた。
「アンナ、なにがあったの!?」
「それがあたしもよくわからなくて……」
「――とりあえず部屋を出ましょう」
アンナの顔を見たら少し気分が落ち着いてきた。
身支度を整えて階下に降りると、何人かの使用人が輪になって話している。
「なにがあったの!?」
「奥様……!」
声をかけると、使用人たちがオロオロした様子でフランチェスカのもとに集まってきた。
「まだ未確認情報ですが、こ、公舎が燃えていると……」
公舎と聞いて、全身から血の気が引いた。
「ダニエルは!?」
「一報を聞いてすぐに公舎へと向かわれました」
ダニエルが公舎に向かったということは、マティアスはまだ帰宅していないということだ。
一瞬で背筋が凍り付き、頭の中が真っ白になった。ショックで言葉が出てこない。全身から血の気が引いているのが分かる。
「どうしましょう……!」
「奥様……!」
使用人たちは全員、激しく動揺していた。
それもそうだ。ここには皆に命令を下せるマティアスもダニエルもいないのだから。
「……っ!」
フランチェスカは思い切って玄関を飛び出し空を見上げた。
星が輝く濃紺の空に、たなびく煙が見える。
屋敷は街の中心地から馬車で十五分程度の距離だ。急げばダニエルに追いつけるかもしれない。
「馬車を用意して! 早くっ!」
フランチェスカは叫んでいた。
早くマティアスを探しに行かなければ。あの人がいなければこの地はまた昔の荒れ地に戻ってしまう。
「奥様!」
馬丁が慌てた様子で一台の馬車を引いてくる。慌てて馬車に駆け寄りステップに足をかけたところで、フランチェスカの耳が人の叫び声を聞き取った。
「今のは……?」
周囲を見回すと、使用人たちが「街のほうから聞こえてきます」と震えながら口々につぶやいた。
「うちの実家、大丈夫かしら……」
「近所には年寄りも多いから」
彼らの不安そうな顔を見た瞬間、頭から冷水を浴びせられたような気がした。
(そうだ。今燃えているのは、みんなが住んでいる町なんだわ)
フランチェスカは目を閉じ、それから胸元をぎゅっと握りしめる。
公舎はもともとマティアスを慕って王都から着いてきた者たちが、生活の拠点として建てた建造物で、シドニア領のほぼど真ん中にあり政治と商業の中心地でもある。
そこに今自分が単身で向かっても、フランチェスカにできることはなにひとつないし、むしろ邪魔になる恐れがある。
(今私はかなり動揺している。落ち着いて。冷静にならなきゃ……)
耳の奥では緊張と動揺のせいか耳鳴りがしている。なにもしていないのに息切れが止まらない。
胸のあたりを押さえると、心臓の鼓動が痛いほど伝わってくる。
怖い。だが逃げるわけにはいかない。
(そうよ。マティアス様もダニエルもいない今、この場の責任はこの私がとるしかないんだわ!)
「……奥様?」
ステップから足を下ろしたフランチェスカに、馬丁がおそるおそる声をかけた。
「この馬車は、領民の避難誘導に使いましょう」
フランチェスカはきっぱりと言い切る。
「えっ?」
突然とも思えるフランチェスカの発言に、その場に立ち尽くしていた使用人たちが驚いたように顔をあげた。
「煙の位置からして、町の中心で火事が起きているのは間違いありません! これからけが人が増えるはずです。だから屋敷を解放して、けが人、お年寄りや小さな子ども、避難が必要な人は全員迎え入れてください!」
フランチェスカの言葉に、その場にいた全員がすうっと息をのむのが伝わって来た。