妻の決意・3
請求書を見て黙り込んだフランチェスカの態度を不思議に思ったのか、ダニエルが軽く首をかしげて手元を覗き込んでくる。
「あぁ……これはどうも個人的な請求書が混じっていたようですね。失礼しました」
ダニエルは丁寧にそう言い、フランチェスカの手元から請求書を抜き取り、やんわりと微笑む。
「そうだったのね」
フランチェスカはうなずき、ダニエルを見送ったのだが――。
(なんだか、変な感じがするわ)
胸の奥がザワザワする。女の勘とでもいうのだろうか。フランチェスカの心の奥のなにかが、見逃せないと告げていた。
先ほどのダニエルは『個人的な請求書』と言い切ったが、請求書はすべて数日前に行った王都の仕立て屋からのものだった。フランチェスカに覚えがないのだから、一緒にいたマティアスが別に頼んだものと考えるのが普通だ。
そしてテーブルの上のポポルファミリーを手に取る。
「これも……?」
マティアスが立ち去った後に足元に落ちていたのだから、彼が落としたと考えるのが自然ではないか。
王都で女児に人気のポポルファミリー。
そして裁縫道具とドレス生地。
無関係だと思っていたそのふたつが絡み合い、たったひとつの結論に向かって、心臓がバクバクと鼓動を打ち始める。
「まさか……」
ぽつりとつぶやいたところで、
「お嬢様、クッキーを焼いてきましたよ。おやつにいたしましょう」
そこにダニエルと入れ違いにアンナが姿を現し、のんきに声をかけてきて。硬直しているフランチェスカを発見し、目をまん丸にして慌てて駆け寄ってきた。
「どうしたんですかっ、お顔が真っ青ですよ!」
「アンナ。私、ど、どうしよう……」
背中をさするアンナの顔を見た途端、感情をせき止めていたなにかが、決壊してしまった。
フランチェスカの瞳からぽろぽろと涙がこぼれる。
「マッ、マッ、マティアスさまには、愛人どころかお子様がいるかもしれないっ……!」
「えっ、ええええええ!?」
「どうしようっ……わた、私っ……うっ、ううっ……うえぇぇん……」
両手で顔を覆い、子供のように泣き出してしまったのだった。
アンナは堰を切ったように泣き出したフランチェスカが、とぎれとぎれに説明する言葉を聞きながら、なんとか意味をくみ取ったようだ。
「なるほど……。お嬢様が知らない請求書と、旦那様が落としていったポポルファミリー人形から、旦那様には秘密の妻子がいらっしゃるのでは、と思ったわけですね?」
「ヒック、グスッ、そ、そうよっ……だって、そうとしか考えられないじゃないっ……」
目の前に立つアンナのエプロンで涙をぬぐいながら、フランチェスカはこくこくとうなずく。
「お裁縫道具とドレス生地は、きっとその人のためよ。ポポルファミリーだってお子様にあげるために用意されたに決まってるわ……!」
べそべそと泣くフランチェスカだが、アンナは怪訝そうに眉をひそめた。
「うーん……そうなんですかねぇ……? ちょっとピンとこないんですけど」
「じゃあほかに裁縫道具と人形の組み合わせで、考えられることはあるっていうの?」
どう考えても、妻子へのプレゼントに他ならないではないか。
「まぁ、そう言われるとすぐには出て来ませんけど。おっしゃる通り、裁縫道具っていうのが個人的な感じはしますよね……」
彼女の言葉にフランチェスカは「ほら御覧なさい」と唇を尖らせるが、アンナも負けずに言い返してきた。
「いや、そうは言っても、そもそも作家のお嬢様は、かなりたくましい想像力をお持ちですからね。素人のあたしにはそんなすぐ思いつきませんよ」
そしてアンナは、ようやく泣き止んだフランチェスカの正面にさっと腰を下ろし、身を低くしてささやいた。
「ここはもう、本当のことを確かめるしかないんじゃないんですか?」
「どうやって?」
「それはもちろん、ダニエルさんに聞くとか」
「マティアス様には秘密にしている愛人と子供がいるかって? マティアス様が隠しておられることを、彼が正直に話してくれるわけないじゃない」
確かにダニエルはフランチェスカに友好的だが、それはあくまでもマティアスの配偶者だからよくしてくれるだけだ。
彼の主人はマティアスただひとり。マティアスの不利益になることをするはずがないのである。
フランチェスカはまつ毛の端に残った涙を指でぬぐうと、ゆっくりと息を吐く。
「……自分で調べるしかないわね」
「出た、お嬢様の突飛もない行動力!」
アンナが眉を八の字にして渋い表情になる。
毎度付き合わされるアンナには申し訳ないが、そこはもうフランチェスカに着いてきた以上避けられないことだと諦めてもらうしかない。
「勿論、今は『シドニア花祭り』を何よりも優先しなければいけないけど……」
「そうですか……はぁ」
アンナはため息をつきつつも「それでお嬢様の気分が楽になるなら、そうしましょう。あたしも手伝いますよ」と同意してくれた。
さすがフランチェスカの扱い方がわかっている、腹心の侍女である。
「それでもし万が一、本当に愛人と御子がいらっしゃったら、どうするおつもりなんですか?」
フランチェスカの脳内に、美しい女性が裁縫をするそばで小さな女の子が人形で遊び、マティアスがそれを見守っている場面が、当たり前のように浮かんで胸が締め付けられる。
気を緩めたらまた涙が出そうになったが、なんとか必死に唇を引き結び嗚咽をこらえた。
「――わから、ない、わ……」
「正妻なら、愛人を領地から追放することもできますよ」
「そんなことしたら、マティアス様に嫌われてしまうじゃない……」
たとえ報われない片思いでも、嫌われたくない。好きでいさせてほしい。
フランチェスカは首を振って涙をぬぐい、それから顔を上げて窓の外を見つめた。
風に混じってちらちらと雪が降っている。
先日訪れた王都には春の兆しがあったが、シドニアはまだ冬がちらついている。
(いっそものすごい大雪でも降ってくれたら、マティアス様をお屋敷に閉じ込められるのに)
我ながら恐ろしいことを考えると思ったが、燃え上がる恋心の前には、そう願わずにはいられないのだった。