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妻の決意・2

「あなたが本気でシドニアにいたいと思ってくれていること……嬉しかったと伝えていなかった」


 マティアスはそうっと右手を持ち上げ、フランチェスカの頬に手のひらをのせた。


「ありがとう、フランチェスカ。俺の妻でいたいと思ってくれて……嬉しい」


 マティアスの緑の目が甘く輝き始める。彼の指がそうっと頬を撫でてそこから全身に淡いしびれが走った。

 腰に回ったマティアスの手が、ゆっくりとフランチェスカを引きよせる。


(嬉しかったって……本当に?)


 フランチェスカはマティアスの胸に両手を置き、自分の体を支えながら顔をあげる。

 長身のマティアスが身を折るようにして、顔を近づける。精悍な頬を傾け、覆いかぶさるマティアスの気配に息が止まりそうになる。


「あ……」


 フランチェスカが軽く目を閉じると同時に、唇に熱いものが触れた。

 ほんの一瞬の、意識しないとすぐに消えてしまいそうな感触だったけれど。

 それは間違いなく、唇へのキスだった。


「――」


 それからマティアスは無言で、フランチェスカの体に両腕を巻き付ける。そのままぎゅうっと抱きしめられて、踵が持ち上がった。その瞬間、全身が信じられないくらいの多幸感で包まれて眩暈がした。


「フランチェスカ」


 彼に名前を呼ばれるだけで、胸がはずむ。足元がふわふわして、まるで雲の上に立っているような心地だ。

 瞼の裏では金色の光がチカチカと瞬いていた。

 頬が熱い。耳の後ろでドクドクと血が流れる音が響く。このままだと心臓が破裂してしまうかもしれない。そんなことを思いながら、フランチェスカは激しい陶酔の中、胸をときめかせる。


(好き……マティアス様、大好き……)


 それにしてもマティアスからキスしてくれるなんて、これはいったいどういうことだろう。

 保護者という彼の言葉に落ち込んだばかりなのに、期待せずにはいられなくなる。


「あの、マ、マティアス様……」


 これは千載一遇のチャンスなのかもしれない。

 フランチェスカは震えながらも、勇気を振り絞ってマティアスの背中に腕を回そうとしたのだが――。

 軽やかに両肩をつかまれ、体が引きはがされてしまった。


 少し唐突に感じたフランチェスカが目を丸くした次の瞬間、

「おやすみ、フランチェスカ」

 マティアスは少し早口でそう言って、くるりと踵を返しそのまま部屋を出て行く。


 彼が今どんな顔をしているか見たかったのに、確認する暇もなかった。


「お……おやすみなさい」


 マティアスの背中を見送ったフランチェスカは、茫然としつつも唇に指をのせる。

 そこにはまだ確実にキスの感触が残っている。


(これって、おやすみのキス……なのかしら。それとも……)


 頬がぴりぴりする。鏡でわざわざ確認しなくてもわかる。きっとフランチェスカの顔は、野苺のように真っ赤に染まっているはずだ。


「はぁ……」


 緊張で冷たくなった両手をぎゅっと握りしめ、それから自分の頬を挟み込む。ひんやりした感触は気持ちよかったが、胸の真ん中でごうごうと燃えるマティアスへの思いは大きくなる一方で、我ながら少し怖くなる。


(マティアス様……やっぱり私のこと、悩んでおられるのかしら)


 彼が押しかけ妻の自分に対して慎重な判断をしているのは、最初からわかっていた。

 グイグイと距離を縮めようと近づくと後ずさるのに、必死に手を伸ばすとその手は振り払わない。

 しかたないな、という顔でフランチェスカを受け止めてくれる。

 彼の行動や言葉に振り回されながらも、もしかして、と期待せずにはいられない。

 じれったいことこの上ないが、やはりフランチェスカはマティアスを諦めようとは思えない。

 彼のことを好きでいてもいいのだろうか。

 マティアスはフランチェスカを迷惑には思っていない、シドニアにいてもいいと思ってくれているのではないか。

 夫への恋心を自覚する前からずっと、フランチェスカは恋を諦めなくていい理由を探し続けている。


「こうなったら何かの間違いでもいいわ。早く私に、手を出してくださればいいのに……」


 とても人様に聞かせられない言葉を口にしつつ、ふうっと大きく深呼吸して、足を一歩引いたところで、なにか硬いものを蹴った感触があった。


「ん?」


 何だろうと足元に目を向けると、小さな人形が落ちていた。しゃがみこんでそれを拾い上げる。


「……ねこ?」


 それは手のひらにちょこんとのるサイズの小さな白猫の人形だった。しかも人間の女の子のようにかわいい洋服を着ているではないか。


「まぁ、かわいい!」


 フランチェスカはぱっと顔を明るくしたが、なぜ部屋にこれが落ちているのかわからない。


「誰かが落としたのかしら……?」


 部屋はメイドたちが掃除をしたりお茶を運んだりと出入りが多い。既婚者もいるので、誰かの子供のものかもしれない。

 明日にでもアンナに尋ねてみよう。

 そう思いながら、手の中の愛らしい白猫の人形を見つめたのだった。








 翌朝、アンナに人形を渡して落とし主を探してもらったが、結局誰のものでもないということで白猫の人形はフランチェスカの手元に戻ってきてしまった。


「これ、ポポルファミリーシリーズと言って、王都では人気の玩具なんですよ。猫とかウサギとかクマとか、動物がモチーフになっていて、専用の家まであるんです」

「へぇ……そうだったの」


 フランチェスカは紅茶を飲みながら、テーブルの上に置いた人形をじいっと見つめたあと、指先で猫の頭を撫でる。


「じゃあ持ち主が見つかるまで、私が預かるわ」


 こんなことを言うと叱られてしまうかもしれないが、ちょっとだけ自分に似ているような気がして、なんだか妙に気になるのだ。


「そうですね。そこそこいいお値段しますしね。あたしももう少し探してみます」


 アンナはそう言って部屋を出て行った。


(シドニアでは売ってないのかしら……?)


 王都で人気と言うだけあって、玩具としてもかなり出来がいい。

 気になったフランチェスカは、お茶のお代わりを持ってきてくれたダニエルに尋ねることにした。


「ポポルファミリーは王都のみの専売ですね。販路を絞ることで付加価値をあげているんです」


 ダニエルは人形をかえすがえす眺めた後、フランチェスカの手に戻す。


「そうなんですか」


 どうやら購入場所から持ち主を探すのは難しそうだ。白猫の人形を受け取り、テーブルの上にのせた。


(かわいいな……。この子はとっても大事にされている気がする。持ち主は探してるんじゃないかな)


 頬杖をついてじいっと見つめていると、ダニエルが書類の束を差し出した。


「こちら先日王都で用立てた分の請求書が届きました。念のためご確認を」

「ありがとうございます」


 差し出された書類を受け取り内容を確認する。ペラペラと請求書をめくっていると、内容に見覚えのない一枚を発見した。

 明細には『裁縫道具一式とドレス生地』とある。


(なんだろう、これ……)


 まったくもって注文した覚えがない。


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